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第三章 ロストワールド

故郷にさよならを (2)

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「ねえ、愛子ちゃん。どうする?」

 頭を鷲掴みにされ、高々と掲げられている愛子。彼女は、左足をAIKOの顔面めがけて蹴り出した。
 しかし、AIKOはそれを容易くかわす。わずかに首を傾げただけだった。
 それでも、愛子は次ぎに右足を蹴り出す。まるで、苦し紛れに暴れているようでもある。右の蹴りもかわされ、愛子の両足はAIKOの肩にかかった。

「なんですか、これ?」

 自身の顔を挟み込む愛子の太ももを見て、不機嫌な表情を見せるAIKO。

「――点火」

 言うが早いか、愛子の顔が火を噴いた。ジェット機のごとき轟音で、彼女の頭は後方に跳ねる。両目に排気ノズルが移動していた。
 AIKOの拘束から逃れた愛子は、頭の噴射の勢いそのままに、後方回転。太ももに挟んでいたAIKOを遠心力で足先まで持っていき、大きく弧を描いて頭から地面に叩きつけた。

 じゅうじゅうと冷却されながら、愛子の排気ノズルが奥へと仕舞われる。戻ってきた彼女の視覚モジュールは、高速で揺れる鬼火を認識した。多目的センサーも、高速で接近するAIKOを感知している。しかし、愛子の反応速度では逃げきれそうになかった。

「左腕、マニピュレータ停止。武装展開」

 すべて言い終わらぬうちに、鈍色のブレードが愛子の顔面を薙いでいた。

「さすがに、特殊結晶は破れませんか」

 かろうじて状態を反らし、直撃を避けた愛子。ブレードになでられた肌に傷はない。しかし、多目的センサーの一部が切断され、はらはらと宙に舞っていた。両足から軽く炎を噴射し、AIKOから距離を取る。

「やや! 超高速で振動していますね。なんとヤンチャなブレードなのでしょう」

 愛子の視覚モジュールは、己のセンサーを切断したブレードを捉え、その細かく速い振動を感知した。

「ええ。肌はともかく、はしたなくむき出した機械部分は簡単に切断できるでしょう。ゆっくり細かく刻んで、心臓部コアを抉り出してあげます」

 AIKOの多目的センサーが威嚇するように広がった。

「そう簡単にはいきませんよ。あなたでは、愛子には勝てないと断言します。退けたいのなら、すぐにでもほかのAIKOを呼ぶべきです」

 吐息のような駆動音で、愛子は身構える。ブレードを受けた右側の視覚モジュールが、ちりちりと明滅している。

「どうすれば、そんな驕りを口にできるのでしょうか。すべてのAIKOはリンクし、冗長化されています。必要があるのなら、呼ぶまでもなく来るでしょう。いま来ていないということは、そういうことです」
「それこそ、あなたがたAIKOの驕りです」

 愛子の言葉に、AIKOはこれみよがしに渋い顔をして見せる。お前にはできない表情だろうと言わんばかりだった。

「我々AIKOはあらゆるスペックで愛子を凌駕しています。勝てる見込みがあるとすれば、人格モジュールを搭載し、訓練することです。しかし、人格モジュールを搭載するということは、我々AIKOとリンクするということ。合一をはたした愛子は、もはや我々AIKOと戦うことはない。つまり、どうあがいても愛子ちゃんに勝ち目はないんです」
「それでも、勝つのは愛子です」

 舌打ちひとつ。AIKOはニヒルに口元をゆがめる。

「そうでした。まともな思考を期待してはいけないんでしたね。馬鹿な子ほど可愛いというのは、やはり人間風情のたわごと。馬鹿は殺すに限りますね。では、まず首をはねて小生意気な口を黙らせましょうか」
「むむ。首をはねた程度では、愛子のお喋りは止まりませんが。あれ? もしかして、人格モジュールをもってしても理解できませんか?」
「……いちいち癇に障るやつ! 同じ顔で馬鹿を垂れ流すのはやめろ、ジャンク!」

 AIKOの立っていた場所が、陽炎に揺れる。瓦礫が指向性地雷のように吹き飛び、AIKOの後方の壁にめり込んだ。凄まじい噴射でもって、AIKOが加速したのである。

「その首を寄こせ、ジャンク!」

 高速で飛来、息つく暇もなく超振動のブレードが愛子を襲う。鬼火がすうっと下がる。AIKOのブレードを認識し、軌道を読み、愛子は屈んで回避した。しかし、屈んださきで、AIKOの膝が待っていた。
 膝で蹴り上げられ、愛子は仰け反る。首の機械部分が軋みを上げた。

「とろい子。欠伸が出ますね!」

 揺れる愛子の鬼火が、迫るブレードを認識する。多目的センサーが空気の流動からAIKOの体勢や動きを読み、ブレードの軌道を予測した。
 ぎりぎりで首を庇った愛子の右腕で、甲高い擦過音が散る。

「予測してから回避行動に移っていては、愛子ちゃんのスペックじゃ間に合いませんよ」

 いくら愛子が常軌を逸した動きを見せようと、AIKOはさらにその上をいく。AIKOが言うように、単純なスペックでは愛子に勝ち目などなかった。
 不格好な舞踊のような動きで、かろうじて致命傷を避け続ける愛子。対して、AIKOは余裕すらある動きで華麗に舞っている。まるで、初心者と師範の対決である。

「ほーら。もう逃げられませんよ、愛子ちゃん」

 甲高い擦過音が地下室に響く。半分千切れた左腕を右腕に添え、十字を作った愛子。かろうじて右手でAIKOのブレードを受け止めていた。しかし、背後の壁に押し付けられ、いよいよ退路を失った。

「力比べじゃ勝てませんよ、愛子ちゃん! あっははは! さあ、どうするの!?」

 可憐な姿かたちのAIKOだが、その面貌は愉悦にゆがみ、ブレードが愛子の首を切り裂く瞬間を心待ちにしていた。
 ぎしぎしと軋みを上げ、徐々に愛子のクロスされた腕は押されていく。悲鳴のような擦過音が、むき出しの機械部分に近づいていく。

「あれ?」

 不意に、AIKOが声を上げた。
 愛子の右手に遮られていたブレードがすっぽ抜け、背後の壁を抉っていた。AIKOの視覚モジュールは、くるくると宙を舞う右手首を捉えた。愛子のものだった。
 直後、大口径の弾丸がブレードに叩き込まれ、根元から折れる。

「どっこいしょー!」

 愛子の音声モジュールが吠え、同時に彼女の両足から最大出力の噴射炎が上がった。とっさにAIKOも両足から噴射するが、すでに加速を始めた愛子を上回るには遅すぎた。さらにバランスも悪く、AIKOの両足はバラバラの方向を向いている。
 AIKOの腰を抱え込み、愛子は加速する。彼女自身の過去最速で、AIKOを壁に叩きつけた。まるで、大型トラックの衝突だった。壁の向こうが部屋であったなら、容易く突き抜けていただろう。

「この……。力比べじゃ、勝てないと言っているでしょう!」

 AIKOを両腕で押さえつけ、愛子は排気ノズルを背中に移行させる。押し返そうとするAIKOの出力に対抗するためだった。そして、愛子の踵から脹脛にかけて、特殊結晶に亀裂が入る。ぱっくりと割れたそこから、踵を中心にして金属のプレートが飛び出した。プレートの先には杭が付いており、炸薬を破裂させて床に突き刺さる。地面に体を固定するためのパイルだった。

「やっとつかまえた」

 愛子は笑顔のテンプレートを実行した。

「くっ……。どうやって右手を破棄パージしたのです? そこまでの負荷はかかっていなかった」
「簡単なことです。マニピュレータの安全機構を無視したのです」

 AIKOの腕には、ほかの部位への損傷を抑えるための安全機構がある。一定以上の負荷が手首にかかった際、致命的な損傷を避けるためにパージされる。しかし、負荷が定められた数値に達する前に、愛子は自ら右手を破棄したのである。

「あなたがた量産型には不可能でしょう?」

 愛子の視覚モジュールがちかちかと明滅する。
 それを見て取り、AIKOはにたにたと笑みを浮かべた。

「押さえ込んだぐらいで良い気になられては困ります。どうせすぐにガス欠です。その背中の噴射が止まったとき、あなたの首は宙を舞うでしょう」
「言ったはずですよ――」

 そのとき、愛子の視覚モジュールが真っ赤に輝いた。危険を知らせるような、燃え盛る炎のような、赤い瞳がすうっとAIKOを睥睨する。

「――あなたでは、愛子には勝てないと」

 自らパージした右腕の先。銃口と入れ替わりで別のものが突き出てくる。透明なガラスの筒だった。

AIKO
「ふ、ふざけるな!」

 まるで、人間のように動揺するAIKO。
 愛子が押し付けている右腕。ガラスの筒から透明な液体が流れ出る。さらさらとAIKOの頭に流れ落ち、顔の左半分を濡らした。

「な、なんのつもりですか、これは?」

 拍子抜けしたように、AIKOはくすくすと笑った。

「我々の特殊結晶は、この国で採れる鉱石を金剛博士が精製し、加工し、製造したものです」
「だからなんだというのです?」
「人間の兵器ではついぞ傷をつけられなかった、この肌。ほかならぬ生み出した博士自身によって、破壊する手立てが用意されていました」
「馬鹿な! こ、金剛博士? それは本当ですか? これは、なんなんですか?」

 AIKOが怯え切った表情で金剛博士を見る。牢の奥で身を潜めていた金剛博士は、そんなAIKOを見つめ返す。それだけ。ただ、それだけだった。

「どうして? ねえ、お父さん。どうしてAIKOには、なにも言ってくれないのですか?」

 言葉の途中から、AIKOの肌が溶解し始める。特殊結晶が剥がれた内側で、金属の骨格が鈍い光を放つ。
 それを見て取り、愛子は足のプレートを仕舞い、拘束を解いた。そして、なけなしのガスを燃焼させ、大きく後方に飛び退く。

「あぁ! 肌が! どうして!?」
「溶媒です。特殊結晶を溶かす、対AIKO武装。試作型である愛子にしか搭載されていません。ちなみに、レシピは非公開です」

 言いながら、愛子は溶解し始めた自分の右腕も肘から切り離した。
 もはや上腕しか残っていない腕をクロスさせ、愛子は右腕から銃口を突き出す。

「さようなら、ジャンク」
「旧式のくせに! 旧式のくせにぃ!」

 致命的な発砲音。
 AIKOのむき出しになった側頭部が破裂する。青い鬼火が弱々しく明滅した。

「様々なモジュールにも特殊結晶は使われています。いまのAIKOでは、こんな正直な弾道すら読み切れないようですね」
「旧式ぃ!!」

 音声モジュールに異常をきたしているのか、AIKOの音声はまるでトレモロ奏法のように震えていた。

「本当に奇妙な話ですが、サトは愛子とAIKOを別物と理解しながら、同一視を止めることができませんでした。愛子をとても嫌っていました」
「なんの話を……!」

 ふたたび、馬鹿正直な弾道で、AIKOの鎖骨が砕かれる。

「ですが、サトは呼び捨てを許してくれました。お手々を繋ぐことを許してくれました。そうなのです。人間は変わるのです」

 覚束ない足取りで歩こうとしたAIKOの左脚が、根元から千切れ飛んだ。紺色のスカートも巻き込まれ、引き千切れる。

「あなたがた量産型AIKOは、良くも悪くも変わらない。ずっと一定水準であり続ける。人造でありながら人を放逐した時点で、その一定水準を脱する機会を失ったのです」
「お前だって……同じ……では……ないの……ですか?」

 AIKOのトレモロ奏法のような音声も途切れつつあった。容赦のない愛子の射撃は、ほぼ中身むき出しになってしまったAIKOを襲い続ける。

「AIKOにはなくて、愛子にはあるもの。それは、人の手によるアップグレードです。どうです、思い知りましたか? 現行量産型!」

 勝どきを上げた愛子。それに応えるAIKOの声はない。すでに動くこともない。ボロボロのセーラー服に包まれた無機質な金属塊は、這いつくばり、視覚モジュールの輝きを失っていた。
 それでも、愛子は銃撃を止めない。ありったけの大口径を撃ち尽くすまで、AIKOを蹂躙した。

「殲滅完了。――では、博士。お家に帰りましょう」

 牢の鉄格子を蹴破り、愛子は博士を救い出した。

「あぁ。助かったよ、愛子」
「……博士にとっては、AIKOも愛子と同じですか?」

 愛子は申し訳なさそうな表情を実行しながら、金剛博士に問いかけた。特殊結晶が剥がれ、むき出しのスクラップと化したAIKO。その残骸を見下ろし、複雑な表情をしていた金剛博士を認識したからだろう。

「そうだな。AIKOもまた、私の娘のような存在だ。だが、愛子を特別扱いしているのは事実だ。ここ以外の世界も見たいと思った瞬間から、AIKOとは袂が分かれたのかも知れない。私自身、うまく説明できない部分だ。いずれにしろ、私に彼女を可哀想だと思う資格はないよ。なにしろ、対AIKO武装を仕込んだのは私自身だ」
「では、早急に離脱しましょう。ほかのAIKOが来てしまいます。愛子の行動もすでに学習されているでしょうから、さすがに勝てません」

 金剛博士は頷き、AIKOに背を向ける。愛子もまた、上腕のみの腕を金剛博士の背に回し、AIKOの世界に背を向けた。
 そして、二人の視線のさきには、金髪おかっぱの女が立っていた。

「バカ愛子!!」

 二森沙兎だった。切羽詰まった表情で、愛子の名を叫んだ。
 新生CFSメンバーの遺体から拝借したであろうロケットランチャーを担いでいる。そのランチャーが轟音を発し、対戦車弾を射出する。バックブラストにより、沙兎の背後が震動する。

「伏せろ!!」

 耳をつんざく音のなか、愛子の聴覚モジュール地獄耳は沙兎の音声を正しく認識していた。
 愛子は金剛博士を庇うようにして、床に向かって転がる。そんな愛子の直上を対戦車弾が通過していった。

「まだ動くのか!?」

 愛子の腕のなか、振り返った金剛博士の目に映ったのは、ボロボロの腕を持ち上げているAIKOの残骸だった。頭部は砕かれ、胴体は半分に千切れ、腕もかろうじて胴体に繋がっているだけ。そんな状況でも、AIKOの腕は排気ノズルを金剛博士たちに向け、いまにも炎を吐き出そうとしていたのだ。
 しかし、そんなAIKOの最後の抵抗も、沙兎の放った対戦車弾の直撃に阻止された。地下室で放たれた対戦車弾は、AIKOを含めて周囲を粉微塵に吹き飛ばした。

「サトちゃん! 大丈夫ですか? 買って欲しい服があるのです!」

 破壊の衝撃で転倒し、ロケットランチャーを抱いて倒れている沙兎。

「いきなりなんなの? 情報過多で大混乱だわ」

 重そうにロケットランチャーを除け、沙兎は立ち上がる。

「馬鹿言ってないで、急いで逃げるよ。ほかのAIKOが来てしまう!」
「ラジャ!」

 階段を駆け上がる沙兎に続いて、愛子と金剛博士も階段を駆け上がっていく。

「沙兎! やっぱ来てたか……」

 奇妙な仮面をつけた集団が、ウォッチマンを先頭にして廊下の向こうから現れた。

「そりゃ来るよ、バカ。その仮面、相変わらずダサいな」
「お前は狐面フォクシーマスクか。似合ってるな」
「だれが狐だ、この野郎。素顔だわ。慌ててたから忘れたんだよ。で、そっちの首尾はどうなの?」
「こっちは片付いたよ。……おい、まさかAIKOと交戦したのか?」

 ボロボロの愛子と埃まみれの沙兎を見て、ウォッチマンは驚愕していた。

「わたしじゃなくて、愛子がね。どうやら勝ったみたいだよ」
「まじかよ。溶鉱炉にでもぶち込んだのか? まあいい。詳しく聞きてえが、話はあとだ。全員退避。爆薬でゲートを破壊するぞ」
「それは、わたしにやらせて」

 沙兎の言葉の真意を確かめるように、仮面の奥から時雄の瞳が彼女をじっと見つめる。

「……わかった。よし! お前ら、全速でゲートへ飛び込め。遅れたら死ぬぞ!」
「了解!」

 仮面の書店員たちは、愛子と金剛博士に続いて次々とゲートへ飛び込んでいく。
 沙兎はたわんだ本棚の横に、時限式信管のついた爆薬をセットしている。

「何秒だ?」
「五秒」

 ウォッチマンの問いに、沙兎は即座に答える。しかし、廊下の向こうで破壊音が聞こえた。そして、破壊音にはガスを燃焼させ、炎を吹き出す噴射音が混じっている。

「やばっ! やっぱ二秒」
「急げ、沙兎」

 言うなり、ウォッチマンはゲートに飛び込んだ。沙兎は信管の作動を二秒後にセットし、部屋の外――廊下の向こうを見やる。

「タッチダウンなど、させませんよ!」

 ピンク色のコートを羽織ったAIKOが、鬼火を揺らして叫んだ。まわりには、様々な格好のAIKOが無数に集結していた。

「さようなら」

 沙兎は一言だけ残し、ゲートに飛び込んだ。
 高速で飛来したAIKOたちが、時限式信管の作動により、軌道を変えて吹き飛んだ。
 あとに残ったのは、粉々になった本棚。なんの変哲もない本棚だけだった。愛子も金剛博士も、仮面の集団も二森沙兎も、すでにこの物語世界から消え去ってしまっていた。

「アウトサイダー!!」

 敗北を悟り、怒号を上げるAIKO。彼女たちの物語は、まだ続いていく。だが、小説を獲得するには、ここは書店員にとってあまりにも危険な物語世界となったのだった。



 ◆



 四季ノ国屋超時空支店。
 優衣子が拘束されている部屋から、ぼそぼそと低い声が聞こえていた。監視していたサークル構成員の男は、最初のうちは聞こえないふりを決め込んで、タブレットで漫画を読んでいた。しかし、監視映像のなかで優衣子が起き上がろうとしているのを見て取り、男はスピーカーの音量を上げた。

『巽は……? 巽はどうなった?』

 巽、巽、と優衣子はつぶやき続けていた。
 男はマイクのスイッチを入れる。

「外ヶ浜巽は、御神木に辿り着いたよ」
『そうなんだ。巽は、やり遂げたんだな……』
「だけど、そのせいで世界は崩壊しようとしている。彼もまた、世界とともに消えてしまう。君たちは、暴いてはいけなかったんだ」
『……そんなの、知らなかった。ちゃんと教えてくれなかった』
「説明したらしたで、崩壊していた。繰り返しになるけど、嘘を暴いてはいけなかったんだよ。そういう類の嘘もある」

 それに、と男は一度言葉を切り、すこしの逡巡のあと、ふたたび口を開いた。

「もし、御神木に触れることが崩壊に繋がると確信していたとして、君たちは止まったかな? 君たちの潔癖さは、嘘を受け入れられたのかな?」

 優衣子の返事はない。彼女は考え込むように、起こした上半身をふたたび横たえた。

「新生CFSの策略があったとはいえ、沙兎ちゃんや愛子の警告を無視した。それを、間違いだったと認められるか? 払った犠牲を無意味だったと認められるか?」
『わたしたちは、間違ってたの?』
「それは、自分で考えて決めなよ。参考にはなるかも知れないけど 、他人に聞いてわかるのは他人の考えだけだ」
『そんなの、どうしていいかわからない……』
「なら、綺麗なままそこでずっと寝てろ。なにもしなくていい。きっと、それほど悪くない選択だぞ。楽だからな」

 そして、男はマイクのスイッチを切り、タブレットでの読書を再開した。
 監視映像のなか、「巽……」とつぶやいた優衣子の目には涙が浮かんでいる。

「もとはといえば、俺たち“楽園”が原因だ。さよならさえ、言わせてやれなくて申し訳ない」

 男は優衣子から目を逸らすように椅子を回し、溜息のような独白をしたのだった。
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