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4.子どもたちの永遠の庭
しおりを挟むきっかけは、淡い恋心の吐露だった。そして、それに対する拒絶だった。
幼さと大人の間で浮遊していた、子どもたちの永遠の庭。何処までも続くと信じて疑わなかった青い庭は、がらがらと音を立てて崩れ落ちた。
「き、気持ち悪ぃな。どうしたんだよ、急に。なんでそういうこと言うんだ」
「えっ? い、いや。夏海ちゃん。僕は……」
「聞きたくない」
急こう配に張り付いた、長い階段。そこを上り切った場所にある、海を見渡せる小さな社。そこには、砂越忠秋と蛇浦夏海がいた。
かくれんぼを提案し、二人きりになった忠秋は勇気をふり絞った。大人しくて引っ込み思案な彼の性格を考えれば、その行動へ至るまでに数えきれないほどの逡巡を経たであろうと分かる。
しかし、その想いは打ち砕かれた。積み重ねた躊躇いの数など、ものともしない強い拒絶だった。
「そんな……。僕がどれだけ――」
「聞きたくないって!」
どれほどの想いがあっても、どれほど苦悩を重ねたとしても、それが伝わることはない。伝わるのは、言葉だけである。
夏海であれば、忠秋の性格を考慮することもできたのかも知れない。この行動に至るまでの、忠秋の勇気を汲み取れたのかも知れない。
しかし、それは思い上がりである。さらに言ってしまえば、一方的な押し付けでもあった。忠秋にとって必要だったものが、夏海にとっては不必要なものだった。
だが、そもそも気持ちを伝えるという行為は、そんなものである。そう悟ることが、夏海にはできなかっただけだった。子どもだったのだ。
「もう帰る。……明日から、どうすればいいんだよ。もう忠秋の顔、まともに見れないって」
油断すると、子どもはすぐに大人になってしまう。
その油断が招いた、無垢の時代の終わり。永遠の庭の崩壊だった。
「ま、待ってよ」
横を通り過ぎようとした、夏海の腕を掴んだ忠秋。その顔は引きつっていた。結果として自分の気持ちに気付かれてしまったこと、そして無様に拒絶されてしまったことへの、激しい羞恥心だった。それが彼の顔を引きつらせ、紅潮させていた。
「明日から、どうすればいいんだよ」と、夏海は言った。それは、おそらく忠秋にとってもそうだった。崩れゆく永遠の庭を繋ぎ止めようとしているかのように、忠秋の腕に力がこもる。
「痛いって。放せよ、忠秋」
「嫌だ。嫌だよ、こんなの……」
「お前が言うな。とにかく放せ。気持ち悪いんだよ。こういうの。ホントに……。あたしには、要らないから」
「じゃあ、冬生くんだったら……? 冬生くんだったら、良かった? ねえ、やっぱりそうなんだよね?」
夏海は大きく目を見開いた。そして、その驚きはすぐに嫌悪へ変わる。
「ふざけたこと言うな! 死ね!」
「し、死ねって……」
「うるせえ。放せよ」
忠秋の腕を払い、立ち去ろうとした夏海は思わぬ力で押し倒された。
綺麗な顔を伝って落ちてくる忠秋の涙は、夏海の頬をかすめる。いまの夏海には、忠秋のすべてが気持ち悪く思えてしまうのだろう。どんどん眉間に力がこもっていく。
「お前、ふざけんなよ」
「お願いだから、ちょっと待ってよ。ね? 落ち着こうよ。お願い。そうだ。なかったことにしよう? ね? そうだよ! 全部なかったことにすればいい。それがいいよ! うんうん!」
自分の上でまくし立てる忠秋を見て、夏海は唖然とする。そして、忠秋の腹を蹴り上げた。
「無理だよ。ばかやろう」
「うぐ……あ。あああぁ。なんでえぇえ!?」
「お、おい。やめろ!」
ぐしゃぐしゃの顔で、忠秋は夏海に掴みかかろうとする。既の所でそれを躱した夏海は、社の奥の方へ逃げ出した。
「待って! 行かないでくれよ! 夏海ちゃん!」
「こっち来るな! 触んな! 気持ち悪ぃんだよ!」
そのまま、二人は背の高い草むらの向こうへ消えていった。
そして、二人のいなくなった社に、もう一人の影があった。
階段に身を屈め、思わぬ展開に声を失っていた袖山小春だった。
◇
羞恥心に苛まれてしまった、少年の狂気を夏海は知らなかった。まさか自分の命にまで手がかかるとは、思いもよらなかっただろう。
「夏……海、ちゃん……!」
夏海が逃げ、忠秋が追いかけて辿り着いたのは、山の中の川岸だった。
綺麗に澄んだ池は、通り過ぎてしまった。緑に濁った川のほとりで、愛憎のコインがくるくると回っていた。コインの回転は、羞恥心によって速度を上げる。裏返り、裏返り、また裏返る。もう、表も裏も分からなくなった。攪拌され、混ざりに混ざった感情は、どす黒い塊に変貌した。その感情の塊は、忠秋の凶行を力強く後押しする。彼の両手は、夏海の細い首に食い込んでいた。
「や……め、ろ」
夏海の腰が持ち上がり、落ち、両足がバタつく。声なのか、首の締まる音なのか。判別の難しい呻りを上げる夏海。その顔はどんどん鬱血していく。砕けそうなほど歯を食いしばったり、周囲の空気をすべて吸い込まんと大口を開けたり、どうにかして迫りくる死から逃れようとしていた。
口の端に泡をためた夏海。やがて、ぐったりと全身から力が抜けていく。
「た……すけ……ぇぇ……」
風船から空気が抜けていくように、夏海の体から命が抜けていく音がした。それは、絞りだされた夏海の最期の言葉でもあった。それを聞いて、ようやく忠秋の手は力を緩めるに至った。ハッと我に返ったように忠秋は夏海から手を放し、自分の頭を抱え込んだ。
「あ……あぁあ! 夏海ちゃん!? なんで!?」
もう手遅れだった。
体に力はなく、目に光もない。夏海はすでに事切れていた。
「夏海ちゃん! 起きて! 夏海ちゃん!」
忠秋は必死に夏海の体を揺するが、もう悪態さえも出てこない。力のこもっていない夏海の体は、ただただ、ぞっとするような冷たい事実だけを伝える。
「起きてくれよ……」
愛憎のコインは回転を止め、砕け散った。その破片が刺さって血が流れるように、忠秋の目から涙が溢れ出す。
その様子は、まるで駄々をこねる赤ん坊だった。
「いやだ……、いやだ……!」
「砂越……くん」
かすかな足音に忠秋が振り返ると、息を切らせた小春が追い付いて来ていた。
「夏海ちゃんは? どうなってるの、それ?」
「ち、違う……」
「なにが違うの?」
「違うんだよ。僕は、こんなことするつもりなんて……!」
横たわる夏海を見て、小春の顔から血の気が引いていった。しばらく、夏海を見下ろして呆然と立ち尽くす。
三様の無言が、川のほとりで滞留していた。岩や流木をかすめる川のせせらぎと、野鳥の鳴き声。そして、遠く響いてくる蝉の声。それらだけが、やけに大きく聞こえていた。
「なにやってんの……、馬鹿」
長い沈黙の果て、小春がそう言った。その言葉は、忠秋に向けているようでいて、別の誰かに向けているようでもあった。
「ごめん……なさい」
涙で喉を詰まらせながら、忠秋がそう言った。その謝罪は、小春に向けていたのか、横たわる夏海に向けていたのか。魂が抜けたような忠秋の顔からは、その判別が付けられなかった。
「永遠に続くと思い込んでたよ」
呟くと、小春は夏海の両腕を抱え上げ、その遺体を引きずり始める。
「こ、小春ちゃん?」
「わたしたちも、わたしたちの関係も、ずっと変わらずに続いていくんだと思い込んでた。ずっと、そのままだと思ってた」
力ない夏海の足が、ずりずりと河原の石を蹴っていく。
「そんなこと、あるわけないのにね」
「ごめんなさい! 僕のせいで……!」
ゆっくり、ゆっくり、夏海を川の方へ引きずっていく小春。
「べつに砂越くんが何もしなくたって、変わってたよ。卒業したら、就職したら、誰かに恋人ができたら、結婚したら。気付こうと気付くまいと、そうやって何かの拍子に変わっていくんだと思う。たぶんね。いまのわたしたちには、少し早かったんだよ。急すぎた」
話しながらも、小春は夏海を引きずり続ける。だんだん、彼女の息は荒くなっていく。
「あまりにも急だったからさ。夏海ちゃん、死んじゃったじゃん」
「待って。小春ちゃん。ど、どうするつもりなの?」
夏海から手を放し、小春は一息ついた。眼鏡の奥の瞳は、何かの覚悟を決めてしまっていた。
「子どもでも、人を殺したらダメだって知ってる。罰を受けることを知ってる。じゃあ、夏海ちゃんを殺した砂越くんはどうなるの?」
「け、刑務所に入る……?」
「わたしたちの年齢だったら、無期懲役だってありえるかも」
「そ、そうなんだ。僕には当然かも……」
「分かんない。分かんないよ。詳しくないし。でも、それでいいの? ねえ、わたしは黙っていられるよ?」
「そ、それって……!」
忠秋の視線は、小春と夏海の間を彷徨った。
無垢の時代は終わり、子どもたちの永遠の庭は崩れ去った。本当なら、残骸と共に砕けるはずの忠秋に、小春の手が差し出されていた。
「砂越くんは、どうするの?」
それは、忠秋にとって悪魔の囁きめいたものだったのかも知れない。
優しく真面目な小春が、裏返って悪魔になってしまうような何かがあったのかも知れない。
無理やり大人にならざるを得なかった、小春の子どもじみた決断だったのかも知れない。
自身の混乱に乗じて考えることを放棄した、忠秋の愚かな判断だったのかも知れない。
「手伝って、砂越くん」
いずれにしろ、忠秋は小春の手を掴んだ。
そして、二人は夏海の服に石を詰め込んで、川へと投げ入れた。
やがて、汚れを払った二人は美郷冬生のもとへ帰り、蛇浦夏海は行方不明となった。
何かの気まぐれか、その稚拙な処理は七年もの間、露見することはなかった。小春も忠秋も、大切な友人を失った可哀想な子供たちに収まった。
卒業後。
ずっと夏海の面影を探していた美郷冬生は、諦めたかのように故郷を去った。残った袖山小春と砂越忠秋は、誰にも言えない秘密を共有しつつも、互いに会うことはほとんどなくなってしまっていた。
そうして、彼らの青春は終わったのである。
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