7月は男子校の探偵少女

金時るるの

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7月と兄弟

7月と兄弟 4

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 その日の夜、教師から出された課題を片付けようと寝室の勉強机に向かったわたしだったが、教科書とノートを開いた途端、わけのわからなさですぐに投げ出したくなってしまう。
 暫く真っ白なノートと睨み合うが、それで文字が浮かび上がるわけでもない。
 その時閃いた。
 そうだ。こういう時こそクルトに助けてもらえば良いのでは? 彼は成績も良いみたいだし、これくらいすぐに片付けてくれるんじゃないだろうか。
 わたしは隣の机で黙々と鉛筆を走らせるクルトを意識しながら呟く。


「あーあ。今日の歴史の課題、難しいなー」


 するとクルトが顔を上げ


「貸してみろ」


 と言って、わたしのノートに手を伸ばす。
 やった。と心の中で声を上げるわたしだったが、クルトは手にしたノートを暫く見つめた後、わたしの顔に視線を移す。
 そしてゆっくりと口を開く。 


「……まさかとは思うが、お前、俺のこと、良いように利用しようとしてないか?」

「はっ!?」


 突然の事に声が裏返ってしまう。


「な、何言ってるんですか! そ、そんな、そんな事、な、ないです……! ほ、ほんと! ほんとに!」


 それを隠そうとしてますます動揺する。
 どうして急に気付かれたんだろう。
 挙動不審になってしまうわたしをクルトは鋭い眼差しでじっと見つめながら、ノートを指で叩く。


「だったら、どうしてノートが真っ白なんだ? 課題に取り組んだ跡が全く見られないんだが。さすがに少しもわからないなんて事はないだろう? お前、最初から全部俺に押し付けるつもりだったんじゃないのか?」

「え? ええと、それは、その……」


 焦って上手な言い訳が思い浮かばない。クルトの視線は怖いし、この場から逃げ出したかった。
 クルトは黙ったまま視線を外さない。その沈黙と張り詰めた空気に耐え切れず、わたしはとうとう口を開く。 


「すみません……確かにわたし、クルトが代わりに課題をやってくれたら、と思ってました……」 

「お前なあ……!」


 怒られる……!
 わたし思わず首を竦めるが、予想に反してクルトはそれ以上声を荒げることはなく、大きく溜息をついたかと思うと、机に突っ伏してしまった。


「あの、クルト……?」 


 おそるおそる声を掛けるが、クルトは突っ伏したまま動かない。
 どうしよう。こんな反応されるなんて思ってもみなかった。


「……自分の馬鹿さ加減に呆れる」


 くぐもった声でクルトが呟く。 


「……女っていうのはろくでもない生き物なんだな……ねえさま以外」


 どうやらわたしのせいで、クルトの中での一般女性に対する評価が下がってしまったようだ。


「そ、それは誤解ですよ。大抵の女の人はそんな事ありませんし、この件は女だからだとか、そういうのとは別の問題です」

「……それじゃあ、お前という人間がろくでもないのか」


 確かに自分のしようとしていた事を考えると否定できない。


「……ごめんなさい」


 わたしの再びの謝罪に、クルトは溜息で応える。
 どうしたら良いんだろう。これなら怒られたほうがましだったかもしれない。
 気まずさにもじもじしていると、クルトがふらりと立ち上がる。
 わたしがはっとしてその様子を見守っていると、彼は寝室の入口まで歩いてゆき、ドアを開け放つ。
 そのまま二、三歩外に出たところでくるりと振り返り、わたしに向かって手招きする。


「……ちょっとこっちに来い」 


 一体なんだろうと思ったが、とても聞ける雰囲気ではなかったので、こわごわとその言葉に従う。


「あの……」


 寝室から出たところで思い切って口を開く。
 そのときクルトがさっとわたしの横をすり抜けたかと思うと、次の瞬間、背後のドアが勢いよく閉まり、がちゃりと鍵の掛けられる音がする。


「えっ、な、なに?」
 

 慌てて振り返ると寝室のドアは固く閉ざされ、明かり一つ漏れていない。
 ノブに手をかけるが、中途半端に回転する感触があるだけでびくともしない。
 これってもしかして、締め出された……?


「ちょ、ちょっとクルト、開けてください!」


 ドアを叩くが中からは返事は無い。
 これは相当怒っているのかも……
 暫く待って、再びドアをノックしてみるが、やはり反応は無い。
 わたしは仕方なく近くの壁に寄りかかり、膝を抱えて座り込む。
 窓の外に目を向けると、辺りはすっかり暗い。もうすぐ就寝時刻のはずだ。

 とうしよう………

 急に不安になってきた。
 誰にも話してはいないが、あの日――家族だと思っていたものが、実はつくりものだったと気付いたあの日から、わたしは毎晩眠ることが怖くなっていた。あの夜に見た変な夢のせいかもしれない。
 もしかしてこれまでのことも全部夢で、目が覚めたときに周りには誰もいなくて、この世に自分ひとりだけになっているんじゃないか。家族だけじゃなく、何もかもが、ある日突然目の前から消えてしまうんじゃないか。そう考えると怖くて堪らないのだ。
 そんな時、隣のベッドで眠るクルトの姿を目にすると、ひとりじゃないんだと安心できた。
 彼が近くにいるというだけで、わたしは随分救われてきたのだ。勿論、クルト自身はそんな事に気付いてはいないだろうけれど。

 でも――
 わたしは寝室のドアを見上げる。
 このままこのドアが開かなかったら、自分はどうやってこの一夜を過ごせば良いんだろう。
 クラスメイトの部屋を片っ端から回って、一晩泊めてもらえるようお願いしようか……ううん、やっぱり駄目だ。たとえ部屋に入れてくれたとしてもベッドが空いていないだろうし、ソファで寝るよう言われるだろう。そうしたら結局ひとりになってしまう。

 相変わらず寝室の中からは物音一つしない。
 もしかしたら、本当はこのドアの向こうには誰もいなくて、既に自分はこの世界にひとりきりなんじゃないか。
 唐突にそんな考えが浮かび、慌てて頭を振って追い払う。
 なんだか急に周りの温度が下がったような気がして、マフラーを口元まで引き上げる。
 そういえば、クルトにマフラーのお礼をちゃんと言っていない。美意識のためとはいえ、わざわざ学校を抜け出してまで買ってきてくれたのに。
 さっきの事だってそうだ。確かに最近のクルトの様子は少し変だった。けれど、それでも彼はただ親切にしてくれただけなのに、わたしはろくに感謝もせずに、自分が楽をしたいからという理由でそれを利用しようとしたのだ。
 そんなの最低だ。クルトが怒るのも当然だろう。

 この世界が夢じゃなくて、もう一度クルトに逢えたなら、彼に謝りたい。マフラーのお礼を言いたい。

 その時、がちゃりという音が響き、わたしははっとする。
 今のは鍵の開いた音だ。
 じっとドアを凝視すると、ノブがゆっくりと回転し、ドアが開いていく。
 寝室から漏れる明かりの中にクルトの姿が浮かぶ。


「おい、そろそろ……」


 その言葉を最後まで聞く前にわたしは素早く立ち上がり、両手で力いっぱいクルトを寝室に押し込む。
 「うわっ!? 」という声が聞こえたが、構わず自分も部屋の中に入ると、急いでドアを閉め、鍵をかける。
 そしてそのまま入口に立ちふさがると宣言する。


「わたし、今日はもう絶対にこの部屋から出ませんからね! クルトもこの部屋から出しません!」 

「な、なんなんだ突然……」

「わかりましたか!? わかったら返事してください!」
 

 畳み掛けるように迫ると、クルトはその勢いに押されたのか


 「あ、ああ」


 と、気の抜けたような声で応じる。
 強引だとは思うが言質は取った。少なくともこれで今日はひとりにならずに済むはずだ。
 そう考えた途端、先程まで押さえ込んでいた恐怖感が噴出し、その場にゆるゆると座り込んでしまう。
 目に涙が滲んだかと思うと、次々に溢れ出して頬を伝う。


「お、おい、なんで泣くんだよ……!」


 クルトが膝をついて、わたしの顔を覗き込む。その声は焦っているみたいだ。
 黒い髪に白い肌。整った容貌に、紫色の綺麗な瞳。わたしのよく知っているクルトの顔がすぐ近くにあった。
 でも……
 でも、この人は、本当に存在するんだろうか? もしかして、実際は誰もいない世界で、孤独に耐え切れない自分が生み出した幻なんじゃないだろうか?
 彼の姿を目の前にしてなお、そんな事を考えてしまう。
 その真偽を確かめるように、わたしは無意識のうちに手を伸ばし、クルトの頬に触れる。
 クルトはぎくりとしたような顔で身体を強張らせるが、わたしの手を振り払うような事はなかった。
 指先でそっと撫でると、滑らかな感触と共に、血の通った体温を感じる。
 つくりものがこんなに温かいわけがない。幻なんかではなく、彼は確かにここに存在するのだ。
 それに安堵すると同時に、クルトの戸惑ったような瞳に気付いて、はっと我に返る。


「あ、す、すみません……!」


 慌てて引っ込めようとしたわたしの手を、一瞬早くクルトが掴む。


「……お前、一体どうしたんだ? 部屋の外でなにかあったのか?」


 低い声で訪ねられて、わたしは俯く。 


「……いえ、そういうわけじゃなくて……その、あのまま外でずっとひとりなんじゃないか、とか、色々考えていたら……わたし、ちょっと怖くなってしまって……」


 微かに震える声で告げると、それを聞いたクルトがつかのま言葉を失ったように黙り込み


「こんな状態で『ちょっと』なわけがないだろ……指だってこんなに冷えてるのに」


 と呟くと、握っている手に少し力を込める。


「……その、俺がやりすぎた。つい頭にきて……でも、まさかお前がそんなに怖がるなんて思っていなかったから……すまなかった」


 その言葉にわたしは首を横に振る。


「……クルトは悪くありません。わたしがひどい事したんです。クルトは怒って当たり前です……ごめんなさい」 

「それなら、お互い様だろう? 俺だってお前にひどい事をしたんだから……もう二度とこんな事しない。だから、泣くなよ……」


 わたしは空いているほうの手で慌てて涙を拭う。
 同じようなことが前にもあった。わたしが泣いてしまうと、クルトはいつもの彼らしくない困ったような声で狼狽えるのだ。
 その声を聞くと、なんだか申し訳なくて、これ以上泣いてはいけないという気持ちになる。
 急に涙を止めるのは難しい。けれど、繋いだ指先から伝わってくるクルトの温もりが、わたしの心と涙を落ち着かせていった。
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