7月は男子校の探偵少女

金時るるの

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7月と慌ただしい日曜日

7月と慌ただしい日曜日 6

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 アトリエに戻ると、早速買ってきた指南書をテーブルに広げ、二人で試行錯誤しながら毛糸を編み始める。
 せっかくなので見栄えの良いものを……ということで、明らかに複雑そうな花のモチーフを選んだのだが、予想通り難しいし、最初から上手く編めるわけも無い。
 途中まで編んでは躓き、その度に解いてはまた最初から編みなおす。
 それを繰り返していると、いつの間にか随分と時間が経ってしまった。

 戻ってくる途中で買ってきたサンドイッチを昼食に、少しの休憩を挟んでから再び編み針を動かす。

 そうしているうちに、わたしはなんとか白い花のモチーフをひとつ編み上げることが出来たが、贔屓目に見ても美しいとはいえない。花びらの大きさはばらばらだし、なんだか歪んでいる。
 でも、初めてだからこんなものだろう。むしろこれでも上出来なんじゃないだろうか。

 そっとヴェルナーさんの様子を伺うと、彼もまた自分の編みかけのモチーフをじっと見つめていた。
 同じ初心者のはずなのに、わたしより上手だ。
 だが、彼は完成間近だったそれから編み針を引き抜くと、するすると毛糸を解いてしまった。


「えっ?」


 思わず声を上げると、ヴェルナーさんがこちらを見る。
 

「す、すみません。盗み見するつもりは無かったんですが……でも、今のモチーフ、上手にできていたのにと思って……」

「……いや、この程度ではとても見れたものじゃない。中々難しいな……すまないが、時間を貰えないだろうか。何日か練習すればもう少しまともなものが出来るかもしれない」


 その申し出にわたしは焦ってしまった。


「そ、そんなに完成度の高いものじゃなくても良いんです……! なんだったら最低限染みを隠すことが出来れば、それで構わないので……」

「だが、折角なら君だって、きちんとしたものを身につけたいだろう? ……それに、これは肖像画とは違う」


 その言葉にわたしははっとした。


「時間と努力を惜しまなければ、それだけ上達するし、良い物が作れるようになるはずだ。その可能性を試さないのは惜しいだろう? だから、もう少し……」


 そう言ってヴェルナーさんは再び手元の毛糸に目を落とした。

 その姿を見てふと思う。
 もしかしてこの人は、二度と描く事の出来ない肖像画から離れて、何か別の事に自分の存在意義を見出そうとしているんじゃないだろうか。
 だから、この小さな毛糸のモチーフを作るのにも、こんなに真剣に向き合っているのでは? 
 でも、一体いつから……? 肖像画が描けなくなってから? それとも、絵を描くのを止めると口にしたあの日から?

 いずれにせよ常にそんな事を考えながら生きていくのは、灯りの無い道を手探りで進むようなもので、ひどく危うくて消耗する事なんじゃないだろうか。

 それに、もしも――もしもその道の先に何も無かったら? そして、もしもその事にヴェルナーさんが気が付いたら?
 その時彼はどうなってしまうんだろう。深く絶望してしまうんじゃないだろうか。そうしたら――
 わたしは胸がざわめくのを感じたと同時に、そんな考えに至った自分に動揺した。
 どうかしている。ヴェルナーさんがそんなふうになるなんて限らない。いつか別の生き甲斐を見つけたり、もしかすると、肖像画で無いにせよ再び絵を描く可能性だってあるはずなのに。何故そんな事を考えてしまったんだろう。

 不意に、何かの匂いがした。
 なんだろう? 火薬みたいな匂い……
 それと同時に頭の中にぼんやりとしたイメージが浮かび上がりそうになる。
 それは煙が漂っているように不鮮明で、それでいて、ひどく不安を掻き立てる。
 それでも必死にその煙の向こう側を探ろうと集中する。

 その時、床に何かが当たる音がして、わたしの意識は引き戻される。いつのまにか手から滑り落ちた編み針が床に転がっていた。
 反射的にそれを拾い上げて、部屋の中を見回す。

 あれ? 今、何を考えていたんだっけ……?

 ぼんやりとテーブルの上に視線を移すと、先ほど作った花のモチーフが目に入った。
 手にとってまじまじと眺めると、さっきよりも不恰好で歪んでいるように見えた。
 こんなのを少しでも上出来だなんて思った事が恥ずかしい。ヴェルナーさんの言うとおり、わたしだって努力次第でもっと良いものが作れるんじゃないだろうか。

 それに、彼は自分のものでもないマフラーのためにあれこれ考えたり、真剣になってくれているのに、当の持ち主であるわたしが適当で良いわけが無い。マフラーをくれたクルトにだって申し訳が立たない。


「ヴェルナーさん。わたしももっと練習します。そして、次までにもっとちゃんとしたものを作ってみせます」


 不恰好な毛糸の花を隠すように握り締めて宣言する。
 その後で目を逸らしながら、若干小さな声で続けた。


「……だから、今日のところはこのくらいにしませんか? わたし、もうこれ以上編み目を数えるのはうんざりなんです……」




 ヴェルナーさんがコーヒーを入れてくれたので、お皿を借りて先ほど買ったチョコレートを並べる。
 それをヴェルナーさんに勧めると、彼はその中から一つ摘み上げた。


「子供の頃はこういうものは滅多に口に出来なかった。大人になったら飽きるほど食べてやろうだなんて思っていたな」

「わかります! わたしもそうだったんですよ!」


 わたしはコーヒーの入ったカップを傾けながら同意する。


「クラウス学園に入学するまでは、お菓子なんてほとんど味のしないばさばさのケーキ――なんて呼ぶのもおぞましい何かだとか、石みたいに硬くて甘くないビスケットとか、そんなものばっかり。今思えばそれがまた信じられないくらいまずかったんですけど、でも他に食べるものもなかったし、それすら食べられない事も多くて……お腹が減って仕方がない時は、よくゲーキを作って気を紛らわせてました」

「野ゲーキ?」

「そうです。まるい形に盛った土をケーキの土台に見立てて、それに花とか葉っぱで飾りつけするんです。それをわたしの家では『野ゲーキ』って呼んでたんですよ。土と植物があればどこでもできるので、いい暇つぶしにもなりました」

「……面白そうな遊びだな」

「あ、興味ありますか?」

「ああ。差し支えなければ、やり方を教えて貰えないか?」

「いいですよ。と言っても、そんなに複雑なものじゃありませんけど」

「それなら、家の裏に行こう。良い場所がある」


 そう言ってヴェルナーさんが立ち上がった。
 その様子に少し慌ててしまった。確かに教えるのを了承したが、まさか今すぐにという意味だとは思わなかった。
 だが、ヴェルナーさんは既に入り口のドアに手をかけようとしている。どうやら本気らしい。
 わたしは急いでコーヒーを飲み干してその後に続いた。






 建物の裏手にまわると、そこはちょっとした庭になっていて、いくつかの種類の花や、実をつけた背の低い木なんかが植えられていた。
 この分なら、かなり豪華な野ゲーキが作れそうだ。

 手分けして使えそうな花や葉っぱを集め始める。
 わたしは赤い実を付けた木の枝に手を伸ばして、ふと、葉の隙間から白いものが覗いているのに気がついた。
 反対側にまわってみると、白いハンカチが一枚、木の枝に引っかかっていた。隅に小さなてんとう虫の刺繍がある。


「ヴェルナーさん」


 わたしが呼ぶと、ヴェルナーさんが地面から目を離してこちらを見る。


「このハンカチ、木に引っかかっていたんですけど、ヴェルナーさんのものですか?」


 ハンカチを広げて見せるとヴェルナーさんは首を振る。


「……たぶん、隣の家の洗濯物が飛んできたんだろう。前にも同じような事があった。その時は子供のものらしい小さな靴下だったが、そのハンカチと同じようにてんとう虫の刺繍がしてあった」


 そう言って、隣の建物に目を向ける。
 今朝、わたしを見て驚いていたあの女性。彼女が出てきた家だ。


「あの、隣の家って、どんな人が住んでいるんですか?」

「……家族連れが住んでいるらしいが、俺も詳しくは知らない。少し前に越してきたばかりだとかで……洗濯物を返すときに、その家の女性と少し話したくらいだな」


 それならあの女性がなぜわたしに驚いたのかを彼に聞いてもわからないだろう。
 ヴェルナーさんが地面に視線を戻したので、釣られてそちらに目を向ける。


「あれ?」


 そこには赤いゼラニウムが植えてあったが、何本かの茎の中ほどから上がごっそりと無くなっていた。


「今見たらこうなっていた」

「近所の子供の悪戯とか……? でも、切り口が鋭いですね。何か道具を使って切ったみたいに。子供だったら普通に手で折ると思いますけど……」

「これが初めてじゃないんだ。今までにも何度かこの花が切り取られていた事がある」

「この花だけですか?」

「ああ」


 わたしは辺りを見回す。庭の中には他にもいくつかの花が咲いており、時折その花冠を揺らしている。確かにそれらには切り取られた形跡は無い。
 この花だけ……? 何か理由があったんだろうか?


「……花は別に構わないが、知らない間に何度も庭に入られるのはあまり気持ちの良いものじゃないな」

「もしかして……」

「……何か、心当たりがあるのか?」

「ああ、いえ、ええと……」


 わたしは言いよどむ。


「確信は無いんですが……それが理由だとしたら、あまりにもその……くだらないというか」

「くだらない……?」

「ええ。だけど、花を切る理由なんてそんなものかもしれないし……それに、わたしの予想の通りなら、また同じような事が起こると思うんですよね。うーん、どうしよう……」


 そこまで言って、わたしは自分がハンカチを手にしていたままだったのを思い出す。


「とりあえず、この落し物をお隣に届けたいんですが、ヴェルナーさんも一緒に来てもらえませんか? わたしはこの家の人間じゃないし、もしかしたら相手に怪しまれてしまうかもしれないので」

「それなら俺ひとりで……」

「あ、いえ、わたしもちょっと確かめたいことがあるんです。なので隣の家に行ってみたくて。お願いします」
 

 わたしの様子に何かを感じ取ったのか、ヴェルナーさんは


「わかった」


 と言って頷いた。
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