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7月と8月
7月と8月 5
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アウグステは目を丸くしたあと、慌てて声をひそめる。
「そんな事して、もしシスター・エレノアに見つかったらどうなると思ってるの!?」
彼女が驚くのもわかる。ここでは基本的に外出は禁止されていて、破ったものには罰が与えられるのだ。ましてや夜の外出なんて論外。
でも、わたしは行かなければと思っていた。本当の事が知りたかった。
わたしが根気良く頼み込むと、最後にはしぶしぶといった様子でアウグステは頷く。
「……わかったわよ。手伝えば良いんでしょ。あんたって、たまにびっくりするほど頑固なのよね……」
「ありがとうアウグステ!」
「そのかわり、むこう一週間のあんたのおやつ貰うからね」
「うう……わ、わかった」
「うそ!? あんたがそんな事承知するなんて……こりゃ明日は雨かな。で、どこに行くつもりなのよ」
「ええと、おにいちゃんのところ……」
「まさか、あんた律儀に昼間の約束を守ろうってんじゃないでしょうね」
「ええ、うん、まあ……」
わたしが曖昧に頷くと、アウグステは目を瞠る。
「呆れた。どうしちゃったの急に。あんた、そんなに真面目だったっけ? ……まあいいわ、行きましょ。帰ってきたら詳しく話を聞かせてもらうからね」
アウグステがベッドから降り立ちドアに向かったので、わたしは慌てて後に続いた。
廊下の端の小さな窓を開くと、その下に椅子を持ってきて、わたしは窓枠によじ登る。椅子はアウグステが隠してくれることになっている。
窓から外に飛び降りようとしたとき、アウグステが妙なことを言った。
「ユーリ、夜道には気をつけなさいよ。知らない人に付いて行ったり、怪しい馬車に乗ったりしちゃだめだからね」
そんな子ども扱いしなくてもいいのに……どれだけ信用されていないんだろう。
そう思ったものの、下手に返してアウグステにへそを曲げられては元も子もない。今は彼女の協力が必要なのだ。
わたしは神妙な顔をして頷いた。
おにいちゃんから渡された紙には、住所の他に簡単な地図も書かれていた。そのおかげかさほど迷うことなく彼の家に辿り着くことができた。
そこは小さな集合住宅の一室だった。ドアをノックすると、程なくして姿を見せたおにいちゃんは、わたしを見て目を瞠る。
「おまえ、どうしたんだ? こんな時間に」
「約束したよね? モデルを引き受けるって」
わたしが笑みを浮かべて答えると、おにいちゃんは驚きながらも顔を綻ばせる。
「まさか、そのためにわざわざ来てくれたのか? 外は寒かっただろ? 早く中に入れよ。それにしてもよく一人で来られたな。途中で怪しい奴に遭ったりしなかったか?」
おにいちゃんまでわたしを小さな子ども扱いする。二人ともわたしに対してどんなイメージを抱いているんだろう。
部屋の中に入ると、暖炉に火が入っていた。夜の冷気に晒されすっかり冷えたわたしの身体には嬉しい。でも、なんだか部屋が煙たい。煙突が詰まっているんだろうか。変わった木をを燃やしているのか、甘いような匂いもする。
少々狭く感じる部屋の中にはイーゼルが置かれ、描きかけの風景画が立て掛けられていた。秋の日を描いたような黄味がかった木々が描かれているが、空だけは抜けるように青い、不思議な感じのする絵。わたしが来るまで、おにいちゃんはこれを描いていたんだろう。
差し出された椅子に座ると、暖炉に向けた背中が暖かい。おにいちゃんが早速スケッチブックを取り出して、わたしのまえに陣取る。
「ええと、わたしモデルの経験なんて無いんだけど……」
「ただそこに座ってじっとしてりゃ良いから。簡単だろ? とりあえずそんなにかしこまらなくて大丈夫だから」
わたしはすこし安心して体の力を抜いた。同時に、向かい合わせに座ったおにいちゃんが絵を描き始める。ちらりと様子を伺うと、すごく真剣な顔をしている。
なんだか声をかけづらい。もっと話したい事があるんだけれど……
暫く様子を窺った後、わたしは思い切って静寂を破る。
「……ねえ、おにいちゃん」
「うん?」
「どうして、先生のアトリエを辞めて独立しようなんて思ったの?」
おにいちゃんは手を止める。
「昼間にも言ったろ? あの先生とは前から合わなかったって。それだけだよ」
「そっか……」
その後暫くの間沈黙が二人の間を支配し、辺りには再びおにいちゃんが鉛筆を走らせる音が響く。
暖炉の火が思ったより強いのか、なんだか暑くなってきた。相変わらず部屋の中は煙い。そのせいか少し頭が痛い。
「おにいちゃん」
再び呼びかけると、おにいちゃんが手を止める。
「わたし、疲れちゃった。ちょっと休憩しない?」
「早過ぎないか? まだたいして描いてないってのに」
「仕方ないじゃない。モデルなんて慣れてないんだから。あ、でも、おにいちゃんがわたしの頼み事をきいてくれたら、もうちょっと我慢しても良いよ」
「なんだよ。もしかしてそれが目的だったのか? 髪飾りだけじゃ足りないってのかよ。女ってやつは怖いな……で、頼み事って?」
「それはね……」
わたしは自分の服のポケットにそっと触れる。
「今からわたしとゲームをしてほしいの」
「そんな事して、もしシスター・エレノアに見つかったらどうなると思ってるの!?」
彼女が驚くのもわかる。ここでは基本的に外出は禁止されていて、破ったものには罰が与えられるのだ。ましてや夜の外出なんて論外。
でも、わたしは行かなければと思っていた。本当の事が知りたかった。
わたしが根気良く頼み込むと、最後にはしぶしぶといった様子でアウグステは頷く。
「……わかったわよ。手伝えば良いんでしょ。あんたって、たまにびっくりするほど頑固なのよね……」
「ありがとうアウグステ!」
「そのかわり、むこう一週間のあんたのおやつ貰うからね」
「うう……わ、わかった」
「うそ!? あんたがそんな事承知するなんて……こりゃ明日は雨かな。で、どこに行くつもりなのよ」
「ええと、おにいちゃんのところ……」
「まさか、あんた律儀に昼間の約束を守ろうってんじゃないでしょうね」
「ええ、うん、まあ……」
わたしが曖昧に頷くと、アウグステは目を瞠る。
「呆れた。どうしちゃったの急に。あんた、そんなに真面目だったっけ? ……まあいいわ、行きましょ。帰ってきたら詳しく話を聞かせてもらうからね」
アウグステがベッドから降り立ちドアに向かったので、わたしは慌てて後に続いた。
廊下の端の小さな窓を開くと、その下に椅子を持ってきて、わたしは窓枠によじ登る。椅子はアウグステが隠してくれることになっている。
窓から外に飛び降りようとしたとき、アウグステが妙なことを言った。
「ユーリ、夜道には気をつけなさいよ。知らない人に付いて行ったり、怪しい馬車に乗ったりしちゃだめだからね」
そんな子ども扱いしなくてもいいのに……どれだけ信用されていないんだろう。
そう思ったものの、下手に返してアウグステにへそを曲げられては元も子もない。今は彼女の協力が必要なのだ。
わたしは神妙な顔をして頷いた。
おにいちゃんから渡された紙には、住所の他に簡単な地図も書かれていた。そのおかげかさほど迷うことなく彼の家に辿り着くことができた。
そこは小さな集合住宅の一室だった。ドアをノックすると、程なくして姿を見せたおにいちゃんは、わたしを見て目を瞠る。
「おまえ、どうしたんだ? こんな時間に」
「約束したよね? モデルを引き受けるって」
わたしが笑みを浮かべて答えると、おにいちゃんは驚きながらも顔を綻ばせる。
「まさか、そのためにわざわざ来てくれたのか? 外は寒かっただろ? 早く中に入れよ。それにしてもよく一人で来られたな。途中で怪しい奴に遭ったりしなかったか?」
おにいちゃんまでわたしを小さな子ども扱いする。二人ともわたしに対してどんなイメージを抱いているんだろう。
部屋の中に入ると、暖炉に火が入っていた。夜の冷気に晒されすっかり冷えたわたしの身体には嬉しい。でも、なんだか部屋が煙たい。煙突が詰まっているんだろうか。変わった木をを燃やしているのか、甘いような匂いもする。
少々狭く感じる部屋の中にはイーゼルが置かれ、描きかけの風景画が立て掛けられていた。秋の日を描いたような黄味がかった木々が描かれているが、空だけは抜けるように青い、不思議な感じのする絵。わたしが来るまで、おにいちゃんはこれを描いていたんだろう。
差し出された椅子に座ると、暖炉に向けた背中が暖かい。おにいちゃんが早速スケッチブックを取り出して、わたしのまえに陣取る。
「ええと、わたしモデルの経験なんて無いんだけど……」
「ただそこに座ってじっとしてりゃ良いから。簡単だろ? とりあえずそんなにかしこまらなくて大丈夫だから」
わたしはすこし安心して体の力を抜いた。同時に、向かい合わせに座ったおにいちゃんが絵を描き始める。ちらりと様子を伺うと、すごく真剣な顔をしている。
なんだか声をかけづらい。もっと話したい事があるんだけれど……
暫く様子を窺った後、わたしは思い切って静寂を破る。
「……ねえ、おにいちゃん」
「うん?」
「どうして、先生のアトリエを辞めて独立しようなんて思ったの?」
おにいちゃんは手を止める。
「昼間にも言ったろ? あの先生とは前から合わなかったって。それだけだよ」
「そっか……」
その後暫くの間沈黙が二人の間を支配し、辺りには再びおにいちゃんが鉛筆を走らせる音が響く。
暖炉の火が思ったより強いのか、なんだか暑くなってきた。相変わらず部屋の中は煙い。そのせいか少し頭が痛い。
「おにいちゃん」
再び呼びかけると、おにいちゃんが手を止める。
「わたし、疲れちゃった。ちょっと休憩しない?」
「早過ぎないか? まだたいして描いてないってのに」
「仕方ないじゃない。モデルなんて慣れてないんだから。あ、でも、おにいちゃんがわたしの頼み事をきいてくれたら、もうちょっと我慢しても良いよ」
「なんだよ。もしかしてそれが目的だったのか? 髪飾りだけじゃ足りないってのかよ。女ってやつは怖いな……で、頼み事って?」
「それはね……」
わたしは自分の服のポケットにそっと触れる。
「今からわたしとゲームをしてほしいの」
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