7月は男子校の探偵少女

金時るるの

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7月と8月

7月と8月 8

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 おにいちゃんがちらりと視線を向ける先には、煙を上げる小さなお皿があった。
 部屋中に漂う煙と変に甘い匂いの正体はこれだったのだ。
 信じられなかった。あのおにいちゃんが麻薬を誰かに売るだけじゃなく、自分でも使用しているなんて。


「や……やめようよ、そんな事、いけないんだよ……病気でも無いのに麻薬を使うなんて、堕落した最低の行為だって神父様も言ってたじゃない……」

「おまえ、まだあいつらの言う『教え』ってやつを信じてるのか? まったく、馬鹿みたいに素直だよな」

「え……?」

「今思えば、あいつらの言う事を何の疑問も無く受け入れてたことが不思議だよ。あんなの、実際に外の世界じゃ何の役にも立たない。綺麗ごとだけで腹が膨れるかっての」


 綺麗ごと? どうして? 神父様やシスターの言う事が間違っているってこと? わたしがずっと信じていたことが、全部正しくないって言うの?
 おにいちゃんの言ってる事がわからない。頭が痛い。新鮮な空気を吸いたい。


「今の俺はこうするしかない。麻薬のついででも良い、俺の絵を欲しがってくれる人がいるんだ。それで十分だろ?」 

「でも、それは……」


 でも、それは本当におにいちゃんの絵を欲しがってるわけじゃない。おにいちゃんが絵を描けなくなっても、代わりなんていくらでもいる。
 そう言い掛けた言葉を飲み込んだ。だって、それを言ったら、おにいちゃんの描く絵を否定する事になる。


「ねえ、おにいちゃん。絵の他にも美術に関わる方法は他にもあると思うんだ。たとえば、彫刻とか……」


 言いかけるわたしを遮るようにおにいちゃんが溜息をつく。


「……全然わかってないな。俺は絵が描きたいんだよ。ユーリ、おまえよく言ってたよな。『大きくなったら菓子職人になりたい』って。もしもおまえが自分ではどうにもならない理由でそれを諦めなきゃならなくなった時に『それならパン屋になれば? 似たようなものなんだから』なんて言われたら納得できるか?」

「あ……」


 その言葉にわたしは口元を手で覆う。
 酷い事を言ってしまった……小さい頃からの夢を諦めるなんてそう簡単にできるわけが無い。ましてやおにいちゃんは昔から画家になるために努力してきたのに。色覚異常を自覚しながらも、なお絵を描き続ける理由は、彼が本当に絵を描く事が好きだからに他ならないはずだ。それが他のもので代用できるわけがない。


「それなのに、おまえもあの先生みたいに俺に絵を諦めろっていうのか? なんでおまえまでそんな事言うんだよ……おまえは――おまえだけはわかってくれると思ってたのに……!」


 おにいちゃんが立ち上がると、椅子ががたんと倒れる。その異様な様子にわたしも咄嗟に距離を取ろうとするが、一瞬にしておにいちゃんに左手首を掴まれ、逃げ場を失ってしまった。
 そのまま張り詰めた雰囲気に押されてじわじわと暖炉のすぐ傍まで追い詰められる。すぐ足元にちりちりとした炎の熱を感じた。
 逃げなければ――反射的にそう思うが、掴まれた手首はびくともしない。それどころかより締め上げるように力を込められる。


「さっきのおまえの妙なゲームを受けたのも、色覚異常を誤魔化すためだけじゃない。まさかおまえが同じ色の癇癪玉を渡してくるなんて思いもよらなかったからだよ。俺はおまえのことを信じてた。それなのにおまえは――おまえにとって俺はなんだったんだ? どうでもいい存在だったのか? 俺だけが、こんな――こんな事……」


 おにいちゃんの手がゆっくりとわたしの頬に触れる。その手の冷たさから逃れるように身じろぎすると、おにいちゃんはゆっくりと息を吐いた。


「なんでだろうな。おまえが来るまですげえ気分良かったのに、今は滅茶苦茶気分悪いよ。どうしてくれるんだよ」


 苦々しげに吐き棄てる姿を見て、わたしは混乱してしまった。
 目の前の男の人と、自分の記憶の中のおにいちゃんとがうまく繋がらない。まるで知らない人みたいに恐ろしくさえ感じる。

 わたしの知っているおにいちゃんは、少し悪戯好きで、でも優しくて、絵がとても上手で、その事を誉めるといつも照れたように、それでいてどこか得意げに笑いながらわたしの髪を撫でてくれた。
 そんなおにいちゃんはどこへ行ってしまったんだろう。

 頭が痛い。これは煙のせい? 
 もしかして、今目の前にいるこの知らない男の人も、煙の見せる幻覚なの? 
 それならいっその事、全部が幻だったらどんなにいいか。

 ぼんやりしていたせいか、右手に持っていたままの袋が手から離れて下に落ちる。


「は、離して……痛いよ、おにいちゃん……」

「やめろ! おにいちゃんなんて呼ぶなよ! 俺は――俺は、おまえの事……」 


 言いかけたおにいちゃんの顔が悲しそうに歪む。
 次の瞬間、背後から何かが弾けるような大きな音がした。
 激しい炸裂音が何度も連続して空気を震わす。足元を狂ったようにねずみ花火が跳ね回り、火花と煙を撒き散らす。
 そこで気付いた。先ほど取り落とした癇癪玉の袋が、暖炉の中に落ちて引火したのだ。


「……っ!? なんだ!?」


 突然の出来事に気を取られたのか、わたしの手首を掴むおにいちゃんの手が緩む。
 耳を突くような鋭い音と火薬の臭いでいくらか正気を取り戻したわたしは、力任せにおにいちゃんの腕を振り払うと、その身体を思い切り突き飛ばし、入り口へと駆け寄る。
 震える手でなんとか開けたドアから部屋を飛び出すと、もつれそうな足を必死に動かして走り出す。
 その時、背後でわたしの名前を呼ぶ声が聞こえたような気がした。






 いつの間にかわたしは孤児院へと戻ってきていた。どこをどう走ったのか覚えていない。すぐ近くで大きな音を聞いたせいか、耳の奥がまだ痛い。
 心臓が激しく鼓動を打つ。走ったせいで汗ばんでいたが、身体は冷たく、微かに震えていた。

 ひょっとしたらおにいちゃんがすぐ傍まで追いかけてきているんじゃないか。そしてあの恐ろしい顔で、今にもわたしの腕を掴もうとしているんじゃないか。途中で何度も振り返って確認したはずなのに、そんな考えが頭の中をぐるぐると巡り、その恐怖から逃れるように、出てきたときと同じ窓から建物の中に転がり込む。
 ――早く誰かに知らせなければ。おにいちゃんの事を。


「ユーリ」
 

 ふいに自分の名前を呼ばれて心臓が凍りついたような気がした。
 はっとして顔を上げると、両手を腰に当ててわたしを睨みつけるシスター・エレノアと、その後ろに申し訳なさそうな様子のアウグステが立っていた。
 おそらくわたしがベッドにいない事がシスター・エレノアにばれて、アウグステが問い詰められてしまったんだろう。一緒にこの窓の近くで、わたしが戻ってくるのを待っていたのだ。


「こんな時間にいったいどこへ行っていたのです?」


 恐ろしいはずのシスター・エレノアも、今は天の助けのように思えた。


「おにいちゃん、おにいちゃんが……! わ、わたし――」


 見知った顔を見てようやく安堵したわたしは、その場に座り込んでしまう。
 よほどその様子がおかしかったんだろう。シスター・エレノアの声音ががらりと変わり、わたしを気遣うような素振りを見せる。


「どうしたのですかユーリ。何かあったの? 落ち着いて、ね?」


 優しく背を抱かれ、わたしはシスター・エレノアにしがみついて涙を流した。

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