7月は男子校の探偵少女

金時るるの

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7月と円舞曲

7月と円舞曲 9

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 その言葉に従い玄関ホールに行くと、クルトがいた。タキシードに身を包んだ彼は、花瓶に活けられた花をぼんやりと眺めているが、その光景がそのまま絵になりそうなくらい綺麗だった。


「わあ、クルト、その服似あってますね。かっこいい」


 声をかけるとクルトはこちらに目を向けたが、なぜだかきょとんとした顔をしている。
 な、なんだろう? わたしの格好、どこかおかしいかな……? 
 自分の足もとを見下ろして、不安な気持ちになっていると、クルトが何かに気付いたようにはっとして声を上げた。


「ああ、誰かと思ったらお前か! てっきり知らない女が近づいてきたのかと」

「は?」

「クリスマスの発表会のときも思ったけど、お前、女装が似合うな。うん」


 しみじみとそう言われて、わたしはむっとして言い返す。 


「失礼な事言わないでください! これがわたしの本来の姿です!」


 まさかとは思うけど、クルトって、わたしが女だって事を忘れてるのかな。
 これが女装に見えるだなんて、眼鏡が必要なんじゃないか。


「女装だったらクルトも負けてないと思いますよ? 発表会の時のヒロイン役なんて、カーテンで作ったドレスとはいえ、とっても似合ってましたからね」

「やめろ。あの時の事はもう言うんじゃない」


 いやな事を思い出したのか、クルトは渋い顔をした。
 それを見て少し溜飲が下がった。お洒落した乙女の姿を女装呼ばわりした報いを受けるが良い。くくく。




 ロザリンデさんに見送られ、わたしたちは馬車へと乗り込む。
 学校へは帰寮が遅くなる旨を事前に申請してあるから問題ないはずだ。

 動き始めた馬車の中を改めて見回す。以前に乗ったことのある簡素な乗り合い馬車とはちがい、立派な造りをしている。
 物珍しさにきょろきょろしていると、クルトが隣で口を開く。


「ところでお前、ウインナ・ワルツのほうは問題なく踊れるんだろうな?」


 その言葉に浮ついた気持ちが急に萎えて、現実に引き戻される気がした。


「……昨日、夢を見たんです」

「夢?」


 神妙な顔で答えるわたしに対し、クルトは怪訝な顔で問い返す。


「ええ。夢の中でわたしは必死にウインナ・ワルツを踊っていたんですけど……不意に足元が滑って――転びそうになったところで目が覚めました」


 わたしは縋るようにクルトを見上げる。


「どうしようクルト。何かの暗示だったりして……」

「……しっかりしてくれ。ただの夢だろ」


 そんな事を言われても自信がない。
 それに、夢のせいだけではない。正直なところ、毎日練習してきたにもかかわらず、今になっても正しくステップを踏めるかどうか怪しいのだ。それに加え、いつもよりかかとの高い靴と、窮屈なコルセットのおかげで、余計にうまく踊れる気がしない。
 うーん、この苦行に常に耐えているなんて、レディって大変なんだなあ……
 どうか、夢で見たような無様なことにはなりませんように。



 そして馬車は目的地であるランデル家の屋敷へと到着した。
 慣れない靴のせいか、足元が少しふらつく。
 クルトの手を借りながら馬車から降り、ふと見上げると、雨はいつの間にか止んでいて、空には星が瞬いていた。

 屋敷に入ると、使用人に案内されて長い廊下を歩く。
 やがて大きな扉の前に着くと、中からは微かな音楽と人々のざわめきが聞こえる。この扉の向こう側でわたしの見たこともないようなパーティが行われているのだ。なんだか急に緊張してきて、クルトの腕に添えた自分の手には力が入る。
 それを察したのか、クルトが囁く。


「そんなに構える必要はない。深く考えず、堂々としていればいいんだ」


 その言葉に、思い切って背筋を伸ばす。まっすぐ前を見据えると、隣でクルトがかすかに頷いたような気がした。

 扉がゆっくり開かれるにつれ、室内からは光が溢れ出て、中の様子が明らかになってくる。
 大きな広間の天井からは豪奢なシャンデリアが吊り下がり、部屋中を明るく照らす。その下では華やかな格好の人々が大勢いて、和やかに談笑している様子が見て取れる。どこからか聞こえてくる軽やかなオーケストラの演奏も、皆の気分を浮き立たせているようだ。
 しかし、思わず見とれていたのもつかの間、すぐにわたしの身体が異変を訴え始めた。

 ――きもちが悪い。

 胸からお腹にかけての締め付けがきつくて苦しい。きっとコルセットのせいだ。ロザリンデさんは「すぐに慣れる」と言っていたけれど、身体が訴える違和感は増している。さらに、その状態で馬車に揺られたためか、かなり酔ってしまったみたいだ。それが今になって急に襲ってきた。先ほどふらついたのも靴のせいではなかったらしい。
 十分に暖められた室内も、今のわたしにとっては気分の悪さを増長させるだけでしかない。思わず口もとを手で覆う。


「そういえば、お前は忘れているかもしれないが、前に少し話題にした、このランデル家の娘のこと……」


 途中までなにか言いかけたクルトだったが、俯くわたしの姿を不審に思ったのか、顔を覗き込んできた。


「おい、どうかしたのか?」

「……実は少し気分が悪くて。馬車に酔ったみたいです」


 そう伝えるのが精一杯だった。コルセットが苦しいからなんとかしてくれとはさすがに言えない。


「大丈夫か? まいったな……とりあえず、どこかに休めるところは……」

「――クルト様!」


 弾んだ声とともに、一人の少女が軽やかな足取りでこちらに近づいてきた。


「クルト様、いらしてくださったのですね。嬉しい。わたくし、お逢いできるのを楽しみにしておりましたの」


 年の頃はクルトやわたしと同じくらい。ミルクティーのような色の長い髪の毛を垂らし、頬を薔薇色に染めている。やや吊りあがりぎみで勝気そうな印象を受ける大きな瞳は、とび色にきらきらと輝き、まっすぐクルトに向けられていた。


「リ、リコリスさん……」


 彼女の姿を認めたクルトは、何故だか慌てたように少し後ずさる。声もなんだか上ずっているようだ。
 リコリス……何処かで聞いたような……確か、クルトがさっき言いかけた、この家の娘の名前だったっけ。クルトと相性が良くないとかいう……
 気分が悪いながらも、ぼんやりとそんなことを思い出していると、そのリコリスさんがこちらに目を向けた。


「こちらの方は……あら? あの、失礼ですけれど、どうかなさったの? お顔が真っ青……」

「ええと、実は、彼女の気分が優れないようで……と、そうだ、申し訳ありませんが、少しの間、彼女のことをお願いできませんか? 俺は、その、ランデルさんにご挨拶しなければならないので……」


 その言葉に思わずクルトを見上げる。
 もしかして、この人は右も左もわからない場所に、こんな状態のわたしを置いていくつもりなんだろうか。目の前のこの少女が苦手だからという理由で? それとも具合の悪いわたしのことが足手まといだというのか。
 まさかという気持ちで見つめていると、クルトは居心地悪そうに目を逸らす。
 間違いない。この人、ひとりで行くつもりだ。


「あら、それは困りましたわね。大丈夫ですか?」


 クルトの説明を聞いたリコリスさんは目を丸くする。


「わかりました。この方のことはわたくしにお任せ下さい。あちらに静かな場所がありますから、そこで休まれると良いかもしれませんわね。ご案内いたしますわ。クルト様はどうぞ、父のところへ」

「感謝します。それではまた後ほど」


 わたしは咄嗟にクルトの上着の袖をぎゅっと掴むが


「頼む。俺をこの場から解放してくれ。その間にヴェルナーさんの肖像画の件についても、きっと話をつけてくるから」


 と、小声ながらも必死に懇願するように言われたので、しぶしぶ手を離した。
    ずるい。肖像画の件を持ち出されてはどうにもできないではないか。
 それを待っていたかのように、クルトは逃げるようにその場を離れ、すぐにその姿は多くの人々の間に紛れてしまう。

 うう……ひどすぎる。クルトの人でなし! 冷血漢! 悪魔! いつかジャムを塗りたくった靴の中に、カブトムシの幼虫をいっぱいに詰め込んでやるんだから!
 既に見えなくなった背中に向かって、心の中で悪態をついた。

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