7月は男子校の探偵少女

金時るるの

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その後のあれこれ

7月と画家

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 わたしは買い物へ行く為に、市場への道を歩いていた。
 今日の夕ごはんは何にしよう。具だくさんのシチュー? いや、それともお肉の入ったクヌーデル? うーん、迷うなあ。とりあえず市場に行ってから決めよう。
 買い物かごをぶらぶらさせながら歩くと、マフラーに結び付けた鈴が鳴る。それが嬉しくも楽しい。
 そうして暫く歩いていると、近くの民家の壁に一人の女の子が寄りかかっているのが目に入った。なんだか沈んだ雰囲気を感じさせる。
 その俯く顔には見覚えがあった。


「レナーテ?」


 名を呼ぶと、女の子は顔を上げてこちらを見た。やっぱり。近所に住んでいる女の子、レナーテだ。


「あ、ヴェルナーさんのところの奥さん」


 その言葉にどきりとしてしまう。
 『ヴェルナーさんのところの奥さん』
 なんていい響きなんだろう。もっと言って。


「あの、奥さん。どうかしたんですか?」


 レナーテが不思議そうな声を上げる。気が付けばわたしはにやにやしていたらしい。慌てて咳払いをして誤魔化す。


「ユーリでいいですよ。レナーテこそ何かあったんですか? 浮かない顔して」


 これ以上顔がにやけていては変に思われるに違いないので、仕方なく名前で呼んでもらうことにする。
 レナーテはわたしの問いに顔を曇らせる。


「それが……家でお父さんとお母さんが喧嘩してて……」

「なるほど……それで居たたまれなくて逃げ出してきちゃったと」

「はい……あ、そうだ。ユーリさんの旦那さんは画家なんですよね?」


 唐突な問いに戸惑う。


「え、ええ。そうですけど。それが何か……」

「実は、その喧嘩の原因っていうのが、一枚の絵なんです」

「絵、ですか?」

「そう。お母さんが一枚の絵を買ってきたんだけど、お父さんはその絵のこと、気持ち悪いから捨てろって言うの。不吉だって。でもお母さんも譲らなくて、それで喧嘩になっちゃって……あたしは絵の事なんて全然詳しくないし、どうしたらいいのか……だから、ユーリさんの旦那さんに見てもらえませんか? ほんとに不吉なものを描いた絵だったらお母さんも諦めると思うし、そうじゃなければお父さんも怒らないと思うの」


 はて、どうしたものか。簡単に話を聞いただけではその絵が一体どんなものか想像もつかないが、確かに彼に絵を見てもらえば詳しい事が判明するかもしれない。
 けれどわたしにはそれを躊躇わせる理由があった。彼は今絵を描いている最中のはずなのだ。できれば邪魔をしたくはない。


「あの、その絵、まずはわたしに見せてもらえませんか? 力になれるかどうかはわかりませんけど……」

「あ、もしかして、ユーリさんも絵に詳しいんですか? そうですよね。画家の奥さんですもんね」

「え、そ、それは、まあ、その……」

「それじゃあ、ぜひお願いします!」
 

 どうしよう。なんだか期待されてしまった。これでわからないとなれば格好がつかないが……
 仕方ない。わからなかった場合は彼に頼もう……




 そうしてレナーテに手を引かれ、彼女の家へとたどり着く。
 彼女がドアを開けた途端に、男性の怒鳴り声のようなものが聞こえて思わず立ちすくむが、
 

「どうぞ、入ってください」


 レナーテに促されるままに家の中へと足を踏み入れる。


「お父さんもお母さんもやめて! ユーリさんに来てもらったから!」


 レナーテが声を張り上げると、部屋にいた男女はぴたりと話すのをやめると、その視線がこちらに注がれる。レナーテの両親だ。


「ユーリさんがその絵を見てくれるって。だから、喧嘩はやめてよ」


 その言葉に父親はさっと顔を赤らめる。


「レナーテ、お前、余計な事を」

「あら、いいじゃない」


 向かい合っていた母親が口を挟む。


「あたしもこの絵について知りたかったところだし。この人ったら『そんな気味の悪い絵捨ててこい』しか言わないのよ」

「気味悪いのは本当だろ?」

「そう? でも上手な絵だし……」

「いくら上手くても、こんな不吉な絵、持っててたまるか」


 再び喧嘩が始まりそうになったので、わたしは慌てて割ってはいる。


「あ、あの、問題の絵はどこに? ともかく見せてもらえませんか?」


 すると奥さんが「あれよ」と言って、壁に立てかけられた一枚のカンバスを指差した。


「どうぞ見てちょうだい」
 
 言われるままにわたしはその絵に近づく。と、その絵を認めた途端わたしの足が止まった。

 
 それは女性の生首が大きく描かれた絵だった。青白い顔からは生気が感じられない。それが目に入って一瞬どきりとしてしまったのだ。
 そんなわたしの様子を見て、父親が口を開く。
 

「やっぱり生首の絵なんて気持ち悪いよなあ。ユーリさん、あんたもそう思うでしょう?」

「あら、でも、あたしはきれいだと思うわ。ほら、髪飾りとか、耳飾なんて豪華だし。こんな格好してみたいわねえ」


 母親が絵の中を指差す。
 確かに、そこに描かれた女性は真珠でできた豪奢な装飾品を身につけていた。リボンで結われた髪も乱れていない。まるで着飾った女性の首だけがそこに転がっているような。
 絵画において頭部のみを描かれるモチーフは少なくはない。洗礼者聖ヨハネや、ペルセウスに退治されたメドゥーサなんかがそうだ。 

 けれど、この絵に描かれているのはそのどちらにも属さない。女性だし、髪の毛だって蛇ではない。
 わたしは更に絵の中をよく見る。女性の首から血が流れ出しているようだが、光に反射しているように白い。更に傍らには棕櫚しゅろの葉が描かれていた。
 
「きれいだろうがなんだろうが、こんな不吉な絵を家に置くなんて考えただけでもぞっとする。さっさと捨てたほうが良いに決まってるさ。悪い絵に魅入られる前に。すみませんねユーリさん。内輪の揉め事に巻き込んで。これは責任持って処分しますから」


 父親が吐き捨てるように言うと、その手をカンバスに伸ばす。


「待ってください」


 思わず制止すると、その場の全員の目がこちらを向いた。
 

「これは不吉な絵なんかじゃありません」

「え?」


 わたしはその声に答えるように続ける。


「これは、アレクサンドリアの聖カタリナの絵です」

「カタリナって、あの……?」


 父親の問いにわたしは頷く。


「ええ。カタリナはローマ皇帝からの求婚を拒んだ為に斬首されたと言われています。その時彼女の身体から流れ出したのは血ではなくミルクだったとか。この絵の女性の身体からも白い液体が流れ出しています。わたし、てっきり、光に反射した血が白く描かれているのかと思いました。でも本当はそうじゃなくて、彼女の身体から流れ出したといわれる液体を正確に描写したものだったんです」


 わたしはみんなの顔を見回す。


「この絵の女性は豪奢な装飾品を身につけていますが、それも聖カタリナが女王だった事を考えれば納得できます。それに、傍に描かれている棕櫚しゅろの葉。これは殉教者の印です。だから、この絵は不吉な生首を描いたものではなくて、聖女が殉教した場面を描いたものなんですよ」

「なあんだ」


 母親が明るい声を上げる。


「聖女様を描いたものだったら、不吉でもなんでもないじゃない」

「まさか、これがそんな立派な絵だとは……」


 父親はどこか腑に落ちないように首を捻っている。けれど、一応はわたしの説明に納得してくれたようだった。
 

「だから、処分するなんて言わずに、大切にしてください」

「ええと、ああ、うん……そうだなあ。そんな聖女様を描いた絵とあっちゃ捨てるわけにはいかないなあ……」

「本当? それならあたし、奥の部屋に飾りたいわあ」

「いや、それよりもあっちのほうが――」


 先ほどまでの諍いから一転、絵の飾り場所について話し合い始めた夫婦を見て、わたしは安堵の溜息を漏らした。
 レナーテも安心したような顔をしている、その時彼女と目があったので、わたしはこっそり片目を瞑ってみせた。




 ジャガイモの入った籠を下げながら、通りの角を曲がる。もうすぐそこに自宅が見える。
 ふと顔を上げると自宅の前に誰かが立っているのが見えた。夕日を受けて輝く銀色の髪の毛。彼だ。何故だかあたりを見回している。


「フェルディオ」


 駆け寄って声をかけると、わたしの姿を認めた彼は、なんだか安心したような顔をした。


「こんなところでどうかしたんですか? もしかして鍵をなくして家に入れないとか?」
 

 その問いに彼は首を横に振る。


「君の帰りが遅いような気がして……」

「まさか、家の前で待ってたんですか? そんな。心配しすぎですよ」


 でも嬉しかったりする。思わずにやにやしてしまう。
 彼はわたしのそんな様子にも気付かないのか、籠を受け取って持ってくれた。
 家の中に入ると白い猫が寄ってきたので、軽く頭を撫でる。
 そのまま台所へと移動しながら、わたしはレナーテの家であった事を彼に話す。


「それで、ちょっと遅くなっちゃったんです。ごめんなさい。でも、そのお礼にってジャガイモを貰ったので、それを使って今日の夕ごはんはクヌーデルにしましょう」


 テーブルに籠を置く彼に、わたしは思い切って切り出す。


「ねえフェルディオ。どこかの画家にちゃんとした肖像画を描いてもらいませんか?」

「肖像画?」

「ええ。いつもわたしが描いてる似顔絵なんて全然似てないし。フェルディオも、正確な自分の顔を知りたいでしょう?」

「俺は別に。君が描いてくれる似顔絵だけで十分だ」

「えー、そういう事ならいらないかなあ」


 ……なんて、危ない。つい満足しかけるところだった。
 わたしは別の切り口から彼に語りかける。


「実は、今までも近所の人たちのちょっとした相談事に乗って、そのお礼にって食べ物なんかを貰ったりしてたんです。それで浮いたお金を少しずつ貯めてて……だからお金のことも心配いりませんから」

「俺の知らないところでそんな事をしていたのか……どうりで」

「え?」

「外を歩いているとよく声を掛けられる。『奥さんによろしく』って。随分と顔が広いんだなと思っていた」


 そうだったのか。全然知らなかった。
 彼は籠からジャガイモを取り出してはテーブルに置いている。
 

「気持ちは嬉しいが、俺は今描かなければならない絵があるし……それに、さっきも言ったとおり、君が毎日似顔絵を描いてくれるから、それで良いんだ」 

「でも――でも、これからはわたしも似顔絵を描く時間が取れるかわからないし……」

「なぜ?」

「それは……」


 彼の問いにわたしは言いよどむ。


「絵を描くのに飽きたのなら、別に無理強いはしないが……」

「ち、違います! そうじゃないんです!」


 この人はたまにあらぬ方向に深読みしてしまうことがある。わたしは彼の疑念を取り除くように慌てて両手を胸の前で振る。


「実は……その、赤ちゃんができたみたいで」


 ジャガイモを持つ彼の手が止まる。と、その目が驚いたようにこちらを見た。


「あ、あの、まだ確証はありませんけど……でも、もしそうだとしたら、これからは忙しくなって、似顔絵を描く暇も――」


 言い終わらないうちに、彼に抱きすくめられた。ジャガイモが床に転がる。
 突然の事に驚くが、彼の腕の中でおとなしくする。抱きしめられるのは嫌いじゃない。


「夢みたいだ」

「え?」

「俺は、君に出会うまですべてを諦めかけていた。絵を描く事も、誰かとかかわりを持つことも。それが、こうして家族を持って、父親になれるだなんて。全部君のおかげだ。改めて礼を言わせてくれ。ありがとう」


 その言葉に少し泣きそうになってしまった。そんなふうに思ってくれてたなんて。お礼を言いたいのはわたしのほうだ。


「夢なんかじゃありませんよ」


 わたしは手を伸ばして彼の頬に触れる。
 

「わたしはずっとフェルディオの傍にいます。だから安心してください」


 そう言うと、彼はわたしの存在を確かめるように髪を撫でた。それが嬉しくて、わたしは彼の肩に頭を持たせかける。

 あれ、肖像画の話……いつのまにかうやむやになってしまった。
 まあいいか。フェルディオも喜んでくれているし。
 わたしはその幸せなぬくもりに身をゆだねた。
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