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ちん道中
ちん道中 1
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いたい。
内側から隆起する、経験したことのない痛み。
ニャコ族の少年ライは、ベッドの上で一匹、悶絶した。
痛みに慄きながら、わずかな気力を振り絞り、枕元に手を伸ばす。
全ての原因である『特別な本』を処分しなければ。
ベッドから少し離れた鏡台の上に、宿のマッチと灰皿が置かれている。
この本は燃やした方が良い。
けれど、下手に動いて痛みが増してしまったら。
そう思うと動けなかった。
せめて猫目につかぬように、特別な本を柔らかな枕の下に隠すのが精一杯。
星屑ランタンの暖かな光に照らされた枕元に、ライは息を整えた。
危険とは程遠い穏やかな日常の光景。
ランタンを託してくれた優しい師匠は、この場にはいない。
今はお風呂に入っている。
……隠すだけじゃ、ダメだ。
読書好きのフーコさんが、特別な本を見つけたら
珍しがって開いてしまうに違いない。
特別な本に描かれていた、不破猛虎だって、意地汚く悪足掻きをしていた。
(ボクは、まだ足掻いてもいない)
勇気を振り、枕の下の特別な本を掴んでライは、起きあがった。
瞬間、股座に雷が落ちたような痛みが走った。
『死』という一文字が、ライの脳裏に浮かぶ。
再び、ベッドの上にうずくまる。
ライは未知の痛みに、屈した。
「フーコさん……」
不甲斐ない弟子で、ごめんなさい。
もう旅を続けられそうにないです。
村のみんな、ごめんね。
立派になった姿、見せられそうにないよ……。
後悔に浸る間も無く、痛みの波はライを襲う。
少しでも抑えつけようと、太ももの内側にグッと力を入れる。
途端に、一際大きな波が押し寄せ、ライの目の前は真っ暗闇に染まった。
師匠のフーコに連れられて、麦穂街にたどり着いたのは昼下がりのことであった。
さまざまな種族が行き交う、大きな通り。
道沿いには、屋台や露店が所狭しと並び、活気に満ち溢れていた。
「お祭りですかねっ」
ライはキョロキョロ辺りを見渡しながら、隣を歩くフーコに尋ねる。
「麦穂名物、昼夜市だよ。名前の通り昼夜問わず開いてるんだ」
「いつもお店が!?す、すごい」
「ふふ。時間帯で店が変わるから、そこだけは注意しないとね」
市の賑わいに思わずため息がもれる。
山奥の村で生まれ育ったライにとって、お店は週に1度、外からやってくるもの。
あちらには色鮮やかな香辛料、こちらには刺繍が見事な布……。
露店の横では子供たちが和気藹々と、おまんじゅうを食べている。
楽し気な雰囲気にライの尻尾は、自然と上がっていった。
(いけない、いけない。遊びに来てるんじゃないのに。
フーコさんから守護石の扱いを学ぶために
無理を言って弟子にしてもらったんだから)
師匠を1番に思い、行動する。
それが弟子としての矜持だ。
ふと、隣を歩くフーコが突然、通りから逸れ、停止した。
ライは慌てて駆け寄る。
「どうしましたか、フーコさんっ」
大勢の集まる都では、その場にいるだけでも疲弊し体調を崩すことがある。
村を出る前に村長たちから聞いた話が脳裏を過ぎる。
「うーん、しまったなあ」
いつもの調子でフーコはボヤいた。
「宿舎に泊まりの連絡、入れ忘れちゃってた」
「なあんだ、大丈夫ですよっ。今から準備すれば野宿には十分間に合いますっ」
ライはカバンから地図を取り出し、野宿に適した場所を探し始める。
「まってライくん。宿舎にはちゃんと泊まれるよ。
こういう時のために必ず1つ空きが出来るようになっているんだ」
「へえ、じゃあお布団で寝れるんですねっ。やったあ」
「そうだね。ただし、手続きに時間がかかってね。
その間に、お使いを頼みたいんだ。良いかな?」
「お使い!」
フーコはライの持つ地図上に指をそっと置く。
「この市場をまっすぐ行った先に、蔦の絡まった倉庫があってね。
一見わかりにくいんだけど、倉庫を改装した雑貨屋なんだ」
雑貨屋に行き、フーコが注文した商品を受け取る。
ついでに足りなくなった日用品を買って、石護の宿舎で合流。
「まかせてください!」
ささやかなお使いであったが、ライは心底意気込んだ。
旅の師匠であるフーコが、弟子である自身を頼ってくれている。
見知らぬ土地を一匹で歩くのも、買い物をするのも初めてだけれど、
このお使い、絶対に成功させてみせる。
フーコから注文票とお財布を受け取り、斜めがけのカバンにしっかりしまう。
「ご褒美に1つ、好きなものを買って来て良いからね」
「えっ」
ごほうび!?やったあっ。
出かけた歓喜をライ慌てて飲み込んだ。
『褒美をすぐに受け取ってはならない』
村長達から伝えられた、愛玩部族ニャコの教え。
『1度、丁寧に断り、出方を見なさい。その者の主人としての質がわかる』
(断って尚、与えたいと食い下がるモノは、甲斐性有り。
答えを鵜呑みにするのは考え無しの甲斐性無し……だっけ…)
フーコに甲斐性があろうとなかろうと、ライは、ついていく覚悟だ。
しかし、試したい気持ちが、うずうずと顔を出す。
「ごほうびだなんて、おそれおおくて受け取れません。
弟子として師匠のお願いを聞くのは、当然のことですから」
備えていた言葉を述べてしまった。
「弟子を労うのも師匠として当然のことさ」
フーコの淀みのない返答に、ライの頬は緩んだ。
「ただし。ご褒美を買いに行くのは、雑貨屋でお使いが終わってからだよ?」
「はいっ」
ライはウキウキと倉庫のお店を目指して出発した。
あちこちから立ち込める、食欲をそそる芳しい香り。
「まんじゅう~。麦穂名物、熟成小麦を使った特製まんじゅうだよ~。
蒸し立てほかほか、いかがですか~」
魅力的な呼び込みに思わず足が止まる。
ライの顔より大きな、真っ白なおまんじゅう。
(あれならフーコさんと半分こできるかな。
……いやいや、まずは、お使いに集中しないと)
香りを振り切るように、ライは市場を早足で進む。
地図に示された路地に入る。
奥へ行く毎に、市の賑わいは鳴りをひそめた。
果たして、この道であっているのか。
不安が頭をよぎった頃。
青々とした蔦の絡まった、煉瓦造りの大きな倉庫が
通せんぼするようにライの目の前に立ちはだかった。
シャッター脇の古びた鉄ドアに『雑貨』と書かれた小さな木札が斜めにかかっている。
ドキドキと店のドアを開けた。
店内は昼間にも関わらず、薄暗い。
正面奥、何かが、きらり、と怪しく光る。
っひ。
ライは小さな悲鳴をあげた。
目をこらすと、大きな白狐が1匹、小さなスツールに座っていた。
難しそうな表情を浮かべ、刺さりそうな鋭い目で、本を読んでいる。
「あの…」
恐る恐る声をかけると、狐は耳と尻尾をピンっと尖らせ、素早くレジ台に身を寄せた。
「おや、いらっしゃい。おつかいかな?」
先ほどの鋭さとは打って変わって気さくに笑う、狐の店員。
「注文していた荷物を、受け取りに、来ました」
ライは恐怖を押し込めて、カバンにしまっていた注文票を取り出し、狐の店員に手渡す。
「ああ!君がフーコの一番弟子かあ。なるほどねえ」
自身がフーコにとって初めての弟子。
意識したことはなかったが、ライは誇らしい気持ちでいっぱいになった。
「そうです。ボクがフーコさんの一番の弟子です」
「はっはっは。そうかそうか。
おじさんちょっと荷物、出してくるから
他にいるモノがあったらレジ台に置いといて~」
返答する間もなく、狐の店員はレジ奥にサッと消えていった。
ライはメモを確認しながら、頼まれたものをレジ台へ持って行く。
しばらく待ってみたが、狐の店員が奥から出てくる気配はない。
ライは店内をゆっくり見て回ることにした。
市場の様子が描かれた楽しげな絵ハガキ。
小瓶に入った色とりどりの香油。
油揚げの形をしたお皿、黒くてピッタリした衣装を纏った狐族女性の置物……。
見たことのないモノがたくさん並んでいてワクワクする。
中でもライの目を釘付けにしたのは、レジ台横に置かれた『英雄本』と殴り書きされた半開きの箱。
民を襲う邪鬼を退けた、救国の英雄たち。
彼らの残した、邪鬼祓いの守護石は、今尚、民たちを守り続けている。
英雄たちが大好きなライは、半開きになった箱を意気揚々と開けた。
「あ、絵本っ」
表紙に絵が描かれた、たくさんの薄い本。
しかし、どの表紙にも英雄の姿は見当たらない。
その代わり英雄たちと同様、様々な種族の可愛い少女たちが描かれていた。
(なんじゃこりゃ)
『なんじゃこりゃ』今思えば、そう、切り捨てて仕舞えれば良かったのに。
(……この絵本。どこかでみた事があるぞ)
ライは目を細めて、表紙をじぃっと観察する。
(特別な本に似てるんだ!)
村の書庫、日陰の本棚の、1番上。
左端の、奥の方にあった特別な本。
アレも表紙に可愛い女の子が描かれていた。
『これは成猫のみが閲覧を許された特別な本。
子猫のうちは触れるべき物ではない』
『えー!なんで、なんで?どうして、どうして?』
『ライ、落ち着いて、よく聞きなさい。過ぎたる好奇心は猫をも殺すのだ』
『え…なんで……こわい…』
村長に諭されて以来、本棚に、近づく事はしなかった。
特別と云われる程の内容とは一体…?
1番憧れている英雄、不破猛虎の本を手に持つ。
(表紙がツルツルで気持ち良い。なんだかすごく良い紙を使っているぞ)
開いてみると、表紙と同様、愛らしい少女が描かれていた。
きらきらの瞳、さらさらの髪。
しなやかな尻尾。
くっきりとした縞模様…。
屈強な虎族男性として伝えられている不破猛虎。
華奢な虎族の少女の絵の横の四角い枠に、『不破猛虎』と名打ってある。
きゃははっ!わたしに勝てるわけないじゃない!ざあこ!
雲のような枠に、不破猛虎のセリフと思わしき文字。
理解が追いつかない。
(この本は、こういう本で、子の本の不破猛虎は、こういう不破猛虎)
ライは、一旦飲み込むことにした。
理解の向こう側に、素晴らしい予感がしたからだ。
予感と好奇に身を委ね、次の頁を開こうとした、その時。
「お待たせしましたーっ」
奥から狐の店員が腕いっぱいの小箱を器用に抱えてやってきた。
ライは、急いで本を閉じる。だが、手に持ったままだ。
見てはいけないと言われていたものを、手に取り、見た。
「ご、ごめんなさい……」
湧き上がる罪悪に、ライは、ただ謝ることしかできない。
箱を勝手に開けたことに対するものか?
それとも別の……なぜだか無性に申し訳ない。
狐の店員は、レジ台に小箱を静かに置くと、ライをまっすぐ見た。
ああ、怒られる……。
「ご入用ですか」
予期した怒りの声は聞こえず、それどころか、
まるで成猫に話しかけるような落ち着いた口調であった。
ライはごくりと唾を飲み込み『誇り高き女剣士 不破猛虎』をレジ台にそっと置く。
静かに進んでいくお会計。
本当は怒っているのかも知れない。
(オトナが本当に怒っている時は、静かなんだよって、お姉ちゃんたちが言ってた……)
悪い予感がバクバクと胸を打つ中、お会計が終わる。
狐の店員は、背負えるようにと、風呂敷で購入品をひとまとめにしてくれた。
ただ1冊。
本だけが、レジ台の上に取り残されている。
狐の店員と本を交互に見て、ライはおずおずと本を手に取る。
試されている。
そう感じながら、自身の斜めがけカバンの奥の方へいれた。
狐の店員は、大きく、頷き「1匹の時にヒッソリとお読みください」そう、告げた。
何故…?
疑問が頭に浮かんだ。
けれど先ほどの出来事を思い返す。
確かにこの本は、静かに、ひっそり読みたい。
ライは狐の店員に深々とお辞儀をして店を後にした。
やけに外が眩しく感じた。
目を細めながら地図を広げ、フーコの待つ石護の宿舎を探す。
(よかった。ここからそんなに遠くないっ)
石護の宿舎は、守護石を管理する者たちの拠り所であり、民たちの信仰の場。
村を出てからまだ数週間。
ライは守護石や管理者に関する初歩的なことをフーコから教わっている真っ最中だ。
お話の中でしか聞いたことのない石護の宿舎。
一体どんなものなんだろう。
ライはウキウキと大通りから逸れた石畳を歩く。
内側から隆起する、経験したことのない痛み。
ニャコ族の少年ライは、ベッドの上で一匹、悶絶した。
痛みに慄きながら、わずかな気力を振り絞り、枕元に手を伸ばす。
全ての原因である『特別な本』を処分しなければ。
ベッドから少し離れた鏡台の上に、宿のマッチと灰皿が置かれている。
この本は燃やした方が良い。
けれど、下手に動いて痛みが増してしまったら。
そう思うと動けなかった。
せめて猫目につかぬように、特別な本を柔らかな枕の下に隠すのが精一杯。
星屑ランタンの暖かな光に照らされた枕元に、ライは息を整えた。
危険とは程遠い穏やかな日常の光景。
ランタンを託してくれた優しい師匠は、この場にはいない。
今はお風呂に入っている。
……隠すだけじゃ、ダメだ。
読書好きのフーコさんが、特別な本を見つけたら
珍しがって開いてしまうに違いない。
特別な本に描かれていた、不破猛虎だって、意地汚く悪足掻きをしていた。
(ボクは、まだ足掻いてもいない)
勇気を振り、枕の下の特別な本を掴んでライは、起きあがった。
瞬間、股座に雷が落ちたような痛みが走った。
『死』という一文字が、ライの脳裏に浮かぶ。
再び、ベッドの上にうずくまる。
ライは未知の痛みに、屈した。
「フーコさん……」
不甲斐ない弟子で、ごめんなさい。
もう旅を続けられそうにないです。
村のみんな、ごめんね。
立派になった姿、見せられそうにないよ……。
後悔に浸る間も無く、痛みの波はライを襲う。
少しでも抑えつけようと、太ももの内側にグッと力を入れる。
途端に、一際大きな波が押し寄せ、ライの目の前は真っ暗闇に染まった。
師匠のフーコに連れられて、麦穂街にたどり着いたのは昼下がりのことであった。
さまざまな種族が行き交う、大きな通り。
道沿いには、屋台や露店が所狭しと並び、活気に満ち溢れていた。
「お祭りですかねっ」
ライはキョロキョロ辺りを見渡しながら、隣を歩くフーコに尋ねる。
「麦穂名物、昼夜市だよ。名前の通り昼夜問わず開いてるんだ」
「いつもお店が!?す、すごい」
「ふふ。時間帯で店が変わるから、そこだけは注意しないとね」
市の賑わいに思わずため息がもれる。
山奥の村で生まれ育ったライにとって、お店は週に1度、外からやってくるもの。
あちらには色鮮やかな香辛料、こちらには刺繍が見事な布……。
露店の横では子供たちが和気藹々と、おまんじゅうを食べている。
楽し気な雰囲気にライの尻尾は、自然と上がっていった。
(いけない、いけない。遊びに来てるんじゃないのに。
フーコさんから守護石の扱いを学ぶために
無理を言って弟子にしてもらったんだから)
師匠を1番に思い、行動する。
それが弟子としての矜持だ。
ふと、隣を歩くフーコが突然、通りから逸れ、停止した。
ライは慌てて駆け寄る。
「どうしましたか、フーコさんっ」
大勢の集まる都では、その場にいるだけでも疲弊し体調を崩すことがある。
村を出る前に村長たちから聞いた話が脳裏を過ぎる。
「うーん、しまったなあ」
いつもの調子でフーコはボヤいた。
「宿舎に泊まりの連絡、入れ忘れちゃってた」
「なあんだ、大丈夫ですよっ。今から準備すれば野宿には十分間に合いますっ」
ライはカバンから地図を取り出し、野宿に適した場所を探し始める。
「まってライくん。宿舎にはちゃんと泊まれるよ。
こういう時のために必ず1つ空きが出来るようになっているんだ」
「へえ、じゃあお布団で寝れるんですねっ。やったあ」
「そうだね。ただし、手続きに時間がかかってね。
その間に、お使いを頼みたいんだ。良いかな?」
「お使い!」
フーコはライの持つ地図上に指をそっと置く。
「この市場をまっすぐ行った先に、蔦の絡まった倉庫があってね。
一見わかりにくいんだけど、倉庫を改装した雑貨屋なんだ」
雑貨屋に行き、フーコが注文した商品を受け取る。
ついでに足りなくなった日用品を買って、石護の宿舎で合流。
「まかせてください!」
ささやかなお使いであったが、ライは心底意気込んだ。
旅の師匠であるフーコが、弟子である自身を頼ってくれている。
見知らぬ土地を一匹で歩くのも、買い物をするのも初めてだけれど、
このお使い、絶対に成功させてみせる。
フーコから注文票とお財布を受け取り、斜めがけのカバンにしっかりしまう。
「ご褒美に1つ、好きなものを買って来て良いからね」
「えっ」
ごほうび!?やったあっ。
出かけた歓喜をライ慌てて飲み込んだ。
『褒美をすぐに受け取ってはならない』
村長達から伝えられた、愛玩部族ニャコの教え。
『1度、丁寧に断り、出方を見なさい。その者の主人としての質がわかる』
(断って尚、与えたいと食い下がるモノは、甲斐性有り。
答えを鵜呑みにするのは考え無しの甲斐性無し……だっけ…)
フーコに甲斐性があろうとなかろうと、ライは、ついていく覚悟だ。
しかし、試したい気持ちが、うずうずと顔を出す。
「ごほうびだなんて、おそれおおくて受け取れません。
弟子として師匠のお願いを聞くのは、当然のことですから」
備えていた言葉を述べてしまった。
「弟子を労うのも師匠として当然のことさ」
フーコの淀みのない返答に、ライの頬は緩んだ。
「ただし。ご褒美を買いに行くのは、雑貨屋でお使いが終わってからだよ?」
「はいっ」
ライはウキウキと倉庫のお店を目指して出発した。
あちこちから立ち込める、食欲をそそる芳しい香り。
「まんじゅう~。麦穂名物、熟成小麦を使った特製まんじゅうだよ~。
蒸し立てほかほか、いかがですか~」
魅力的な呼び込みに思わず足が止まる。
ライの顔より大きな、真っ白なおまんじゅう。
(あれならフーコさんと半分こできるかな。
……いやいや、まずは、お使いに集中しないと)
香りを振り切るように、ライは市場を早足で進む。
地図に示された路地に入る。
奥へ行く毎に、市の賑わいは鳴りをひそめた。
果たして、この道であっているのか。
不安が頭をよぎった頃。
青々とした蔦の絡まった、煉瓦造りの大きな倉庫が
通せんぼするようにライの目の前に立ちはだかった。
シャッター脇の古びた鉄ドアに『雑貨』と書かれた小さな木札が斜めにかかっている。
ドキドキと店のドアを開けた。
店内は昼間にも関わらず、薄暗い。
正面奥、何かが、きらり、と怪しく光る。
っひ。
ライは小さな悲鳴をあげた。
目をこらすと、大きな白狐が1匹、小さなスツールに座っていた。
難しそうな表情を浮かべ、刺さりそうな鋭い目で、本を読んでいる。
「あの…」
恐る恐る声をかけると、狐は耳と尻尾をピンっと尖らせ、素早くレジ台に身を寄せた。
「おや、いらっしゃい。おつかいかな?」
先ほどの鋭さとは打って変わって気さくに笑う、狐の店員。
「注文していた荷物を、受け取りに、来ました」
ライは恐怖を押し込めて、カバンにしまっていた注文票を取り出し、狐の店員に手渡す。
「ああ!君がフーコの一番弟子かあ。なるほどねえ」
自身がフーコにとって初めての弟子。
意識したことはなかったが、ライは誇らしい気持ちでいっぱいになった。
「そうです。ボクがフーコさんの一番の弟子です」
「はっはっは。そうかそうか。
おじさんちょっと荷物、出してくるから
他にいるモノがあったらレジ台に置いといて~」
返答する間もなく、狐の店員はレジ奥にサッと消えていった。
ライはメモを確認しながら、頼まれたものをレジ台へ持って行く。
しばらく待ってみたが、狐の店員が奥から出てくる気配はない。
ライは店内をゆっくり見て回ることにした。
市場の様子が描かれた楽しげな絵ハガキ。
小瓶に入った色とりどりの香油。
油揚げの形をしたお皿、黒くてピッタリした衣装を纏った狐族女性の置物……。
見たことのないモノがたくさん並んでいてワクワクする。
中でもライの目を釘付けにしたのは、レジ台横に置かれた『英雄本』と殴り書きされた半開きの箱。
民を襲う邪鬼を退けた、救国の英雄たち。
彼らの残した、邪鬼祓いの守護石は、今尚、民たちを守り続けている。
英雄たちが大好きなライは、半開きになった箱を意気揚々と開けた。
「あ、絵本っ」
表紙に絵が描かれた、たくさんの薄い本。
しかし、どの表紙にも英雄の姿は見当たらない。
その代わり英雄たちと同様、様々な種族の可愛い少女たちが描かれていた。
(なんじゃこりゃ)
『なんじゃこりゃ』今思えば、そう、切り捨てて仕舞えれば良かったのに。
(……この絵本。どこかでみた事があるぞ)
ライは目を細めて、表紙をじぃっと観察する。
(特別な本に似てるんだ!)
村の書庫、日陰の本棚の、1番上。
左端の、奥の方にあった特別な本。
アレも表紙に可愛い女の子が描かれていた。
『これは成猫のみが閲覧を許された特別な本。
子猫のうちは触れるべき物ではない』
『えー!なんで、なんで?どうして、どうして?』
『ライ、落ち着いて、よく聞きなさい。過ぎたる好奇心は猫をも殺すのだ』
『え…なんで……こわい…』
村長に諭されて以来、本棚に、近づく事はしなかった。
特別と云われる程の内容とは一体…?
1番憧れている英雄、不破猛虎の本を手に持つ。
(表紙がツルツルで気持ち良い。なんだかすごく良い紙を使っているぞ)
開いてみると、表紙と同様、愛らしい少女が描かれていた。
きらきらの瞳、さらさらの髪。
しなやかな尻尾。
くっきりとした縞模様…。
屈強な虎族男性として伝えられている不破猛虎。
華奢な虎族の少女の絵の横の四角い枠に、『不破猛虎』と名打ってある。
きゃははっ!わたしに勝てるわけないじゃない!ざあこ!
雲のような枠に、不破猛虎のセリフと思わしき文字。
理解が追いつかない。
(この本は、こういう本で、子の本の不破猛虎は、こういう不破猛虎)
ライは、一旦飲み込むことにした。
理解の向こう側に、素晴らしい予感がしたからだ。
予感と好奇に身を委ね、次の頁を開こうとした、その時。
「お待たせしましたーっ」
奥から狐の店員が腕いっぱいの小箱を器用に抱えてやってきた。
ライは、急いで本を閉じる。だが、手に持ったままだ。
見てはいけないと言われていたものを、手に取り、見た。
「ご、ごめんなさい……」
湧き上がる罪悪に、ライは、ただ謝ることしかできない。
箱を勝手に開けたことに対するものか?
それとも別の……なぜだか無性に申し訳ない。
狐の店員は、レジ台に小箱を静かに置くと、ライをまっすぐ見た。
ああ、怒られる……。
「ご入用ですか」
予期した怒りの声は聞こえず、それどころか、
まるで成猫に話しかけるような落ち着いた口調であった。
ライはごくりと唾を飲み込み『誇り高き女剣士 不破猛虎』をレジ台にそっと置く。
静かに進んでいくお会計。
本当は怒っているのかも知れない。
(オトナが本当に怒っている時は、静かなんだよって、お姉ちゃんたちが言ってた……)
悪い予感がバクバクと胸を打つ中、お会計が終わる。
狐の店員は、背負えるようにと、風呂敷で購入品をひとまとめにしてくれた。
ただ1冊。
本だけが、レジ台の上に取り残されている。
狐の店員と本を交互に見て、ライはおずおずと本を手に取る。
試されている。
そう感じながら、自身の斜めがけカバンの奥の方へいれた。
狐の店員は、大きく、頷き「1匹の時にヒッソリとお読みください」そう、告げた。
何故…?
疑問が頭に浮かんだ。
けれど先ほどの出来事を思い返す。
確かにこの本は、静かに、ひっそり読みたい。
ライは狐の店員に深々とお辞儀をして店を後にした。
やけに外が眩しく感じた。
目を細めながら地図を広げ、フーコの待つ石護の宿舎を探す。
(よかった。ここからそんなに遠くないっ)
石護の宿舎は、守護石を管理する者たちの拠り所であり、民たちの信仰の場。
村を出てからまだ数週間。
ライは守護石や管理者に関する初歩的なことをフーコから教わっている真っ最中だ。
お話の中でしか聞いたことのない石護の宿舎。
一体どんなものなんだろう。
ライはウキウキと大通りから逸れた石畳を歩く。
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BL
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それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
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