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恋か? 友か?
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日が沈むのが遅くなり、夕方のわりに昼のように明るい田園風景を横目に、俺はトラックを走らせる。
今日はいつもと疲労度が違う。
もちろん重いのではない。信じられないほどに軽いのだ。
そしてその原因はもちろん愛原さん。いや、「さや」だ。
妄想に耽りまくりながら運転していたので危うく赤信号で交差点へ突っ込むところだった。幸せの本番はこれからなのに、こんなところで死ぬわけにはいかない。
そんな俺に、頭の後ろで両手を組みながら、架空の子供部屋に置かれたデカいぬいぐるみにもたれかかるノアが、完全に呆れたような顔をして話しかけてくる。
「女って、そんなにいいもんかよ?」
このサービス利用当初、常にゼウスにログインしたままにしておく発想がなかった俺だが、今や常にログイン状態。なぜなら、ゼウスで電話の着信を受けるためには、ゼウスに常時ログインしておく必要があるからだ。
そのせいで、家での俺の秘密の行為が全てこいつらに筒抜けだったという……。悲嘆に暮れた俺へ、恐ろしく冷ややかな目を向けてくるガキ二人組。
というわけで、今現在、俺の意識の中には常にこの二人、「ノアとルナ」がいる。こいつらは俺の事情などお構いなし、自由気ままに俺へ話しかけるのだ。
俺は気分が良かったので上から言い放ってやった。
「子供の君たちにはわからないだろうねぇ。恋というものの素晴らしさが」
すると、王家のベッドでゴロついていたルナが叫ぶ。
「『ドーテー』の『ドー』って、どういう漢字書くか知ってるーっ?」
「うるさいな」
こんな子供が全知全能の化身だってんだから、ほんと信じられない。てか「女が良いものか」なんて、AIとはいえ子供がする質問か?
ため息をつきつつ、俺は運転しながらタバコに火をつけた。
俺もこいつら同様──というか、こいつらに言わせると違うらしいが、「ゼウスを自由に操る力」を手に入れた。この前、その力を使って俺は無人の車を動かし、さやを襲った奴らへと突っ込んでやったのだ。
「マンションの一階エントランスに乗用車が突っ込んだ」というあの事件は、ネットニュースでも取り上げられていた。
それによると、死者はゼロだったらしい。確実に直撃するよう狙ったハズだったが、全く、運のいい奴らだ。
おかげで、俺は殺人者にならずに済んだ。まあ、仮に死んでいたとして、俺はあんな奴らのことで罪悪感が湧くのか疑問だし、大体からしてゼウスを操る「神」たる俺のことを警察が追跡できるものなのかよくわからなかったので、
「なあ。どうなんだ?」
と俺が尋ねると、
「お前次第だ。てか、逃げ切るつもりなの? うわぁー、人間のクズだね!」
とノア。
散々上司や得意先に言われて俺の人格をザクザク切り裂いた「クズ」という呼び名を、こんな子供にも言われてしまう。
とはいえ、正体を明かして警察に引っ張られるのはイヤだし、あんなに破壊されたマンションの所有者さんには気の毒だが、誰に何と言われようが、俺は今、名乗り出るつもりはない。
「あんな可愛い子とさ、この俺がよ? 飲みに行けるし、『下の名前で呼んでー』とか言ってくれるし、飲みへのお誘いも、思い立ったらすぐだったじゃんか。ああ、きっと良いことがあるよ!」
信号の少ないバイパス道路を走っていた俺はついついスピードが出ていて、ニヘヘ、と薄笑みを浮かべながら妄想にドップリ沈んでいたせいで前の車が見えずに危うく追突するところだった。慌ててハンドルを切ってオモくそ蛇行してしまう。
現在時刻は夕方の四時ちょうど。ミーと中原は、今日は仕事を早く切り上げて飲みに行く予定だ。
あいつらは仕事の要領もいいし、遅くなる日があるとはいえ、ある程度コントロールできるようだ。全く、羨ましい話だ。あれ? 二人とも後輩だけど……。
まだたっぷり仕事は残っているが、絶対にさやとの約束に間に合わせるため、全て明日以降に先送りすることにした。
明日でいいことは全て明日に先送りする、これが俺のモットーだ。でなけりゃ、何日あっても家には帰れない。当然、間違いなく明日がヤバいことになるのだが。
が、先送りし過ぎたせいで、逆にミーたちが会社を出る時間にちょうど帰社してしまうタイミングとなってしまったので、俺は今、時間調整中。
こんな考え事をしながらも、睡眠薬が入っているトラックのダッシュボードのポケットへ、ふと視線がいった。
俺は、睡眠薬を常に携帯している。
毎日きちんと家で寝られるとは限らない。場合によっては、トラックで現場近くまで行って車中泊することもある。そういう時のために、二錠はトラックに常備しているのだ。
とりあえず、コンビニに入って時間を潰すことにした。
エナジー系ドリンクと缶コーヒーを買う。全くもって身体に悪そうな二つの飲料。その上、俺はタバコを吸うから、もしかすると健康がヤベーかもしれないな……。
時計を見ると、六時半。そろそろか、と俺はトラックを動かす。沈む寸前の太陽が、最後の光で空を赤く染める。
ずっと良いことがなかった人生に、ようやく心踊るような出来事が始まった。俺は、感慨深い思いとともに微笑みながら、赤になった信号で停止する。
ハンドルに上半身の体重を預けて、前方の信号機をじっと見ていた、その時。
「電話だ。相手は『中原達也』……」
いつもと違い、低く緊張感のあるノアの声。
「ああ、繋いでくれ」
と俺は答えた。
「よう。どうしたい、ミーとうまくやってるかw」
「……い」
ん? なんだ?
「どうしたよ。気持ち昂り過ぎてんじゃ……」
「……パイ。センパイ!」
「おお、聞こえてるよ。てか、なに焦ってんの?」
「ミミさんがっ! ああっ、うあああああああああ!」
中原であることは間違いないが、完全に正気ではない。最後の方はもはや絶叫としか言えない状態だった。
「お……なんだよ。どうした……」
その声に、俺は鳥肌が立っていた。
恐る恐る尋ねると、すがるように中原が言う。
「センパイ、……た、たすけて」
「おい! どういうことだ! 中原! 返事しろ!」
「………ジッ…」
雑音が入った通話は、そのまま途切れてしまった。
後ろからクラクションが鳴らされる。
青信号になったことに気付かなかったのだ。俺は慌ててブレーキから足を外し、アクセルを踏んだ。
「おい! 今の中原からの通話、お前らも聞こえてんだろっ!」
俺に問いかけられた子供二人組は、紅蓮に光る瞳で静かに俺のアバターを見据える。
「お前ら返事しやがれ! どうなってんだよ!」
自分のトラックが、曲がる予定だった交差点を通り過ぎる。
普通じゃない中原の声。「ミミさんが」という言葉。
ミーが? 何があった? 助けてなんて……。
錯乱する俺へ、ルナが言う。
「ネムネム。願うなら、眠るんだ」
「あ……? こんな時に何言って……」
呆れた顔で、ノアも。
「何度も言っただろ。お前は眠っている間に限り、全知全能であるゼウスの力を自由に操る『神』なんだぜ」
「ちょっ……だけどよ、事情が全く……」
「時間がない」
とルナ。
「全ては」
とノア。
「「神の力で掌握できる」」
二人が、同時に言った。
俺は、急いでトラックを道路脇の路側帯へ停車させた。
フロントガラスから目を切り、ダッシュボードに視線を這わせ、ポケットから乱暴に睡眠薬を取り出す。
が、突如として思い出すように湧き出る迷いが手を止める。
欲望が、いや、俺の人生の希望が、胸の奥底で疼き出す。
……もうすぐ、さやとの約束の時間だ。ここで寝てしまえば、約束の時間に間に合わない。
俺の人生で、初めての幸運なのに。
これを逃したら、あの子だって今後乗り気になってくれるかわからない。あんな可愛い子、俺なんかに執着するはずがないんだ。すぐに気が変わるに決まってる。そう、最悪、もう二度と……。
もしかしたら、大したことではないかも。だって中原、具体的なことは何も言わなかったじゃないか。
そうだ。助けて、って言っただけ。
そう。そうだ……。きっと大丈夫だろ。
むしろドッキリかもしれない。あいつら二人のことだ、誘いを断った俺にドッキリを仕掛けてやろうって言い出しかねない。特にミー。あいつはそういう奴だ。
そうさ。ほら、もう一度問い掛ければ、きっとふざけた声で返事が。
「中原。おい、返事しろ。ミー!」
返答はなかった。
切迫した中原の声が、頭の中で反芻される。
ミーの顔が脳裏に浮かぶ。元気で、生意気で、時折寂しそうに俺を見る目。
無意識のうち、俺は心臓のあたりを手でギュッと掴んでいた。
……マジなのか。あいつらに、何かが?
もし。
仮に、だ。全然、深刻な事態とかじゃないかもしれないし。そう、あくまで仮に。
これで、もう二度とあいつらに会えなくなるかもしれないとして。
それでも、後悔しないか?
考えたのはほんの数秒。二つの選択肢から、一つを選んで心に決めた。
一錠を取り出して口へ入れ、缶コーヒーで流し込む。俺はトラックの運転席で、エンジンも掛かったまま、意識を遠くへ誘う力に抵抗せず、むしろ自ら奈落の底へ沈めていった。
◾️ ◾️ ◾️
────…………
夢の中に入ったな。
いや、夢じゃないのか。そう、これが、俺の「神モード」ってわけだ。
意識が、全てと接続されている感覚。前にも味わった感覚だ。
俺は、紅蓮に装飾された頭の中にある例の子供部屋で、光るアバターとして出現していた。
さあ……神の名において命ずる。ゼウスよ、何が起きたのか教えろ!
俺が願うと、ノアとルナは赤い瞳をキラリと光らせ、現場の防犯カメラ映像を俺へ送信した。
それによると、現場は、ある商業ビルの七階だった。このビルは会社の近くにあって、居酒屋も二軒ほど入っている。今まで何回も来たことがある場所だ。どうやら、中原とミーは、いつもの居酒屋にいるようだった。
映像を見る限り、この居酒屋内にも防犯カメラはけっこうあった。それによって、俺は店内を把握することができた。
この映像は、俺に電話をかける前のもの。記録された時刻からして、何らかのアクシデントが発生する前のものだ。俺の命令に従って、ゼウスは記録された過去の映像を俺に見せているのだ。
長机とイスだけが大量に置かれ、仕切りがほとんどない、見通しの良い広い店内。二人は店員に案内されて、席に着く。
はは。中原のほうが断然楽しそうだな。あいつ、この世の天国みたいな顔してやがる。
…………っっ???
爆発した? 煙だらけで何も見えない。
これ……。
そうだ、ニュースだ。確か二件あった、爆発事件……。
じゃあ、これは三件目。あいつらは、それに巻き込まれたのか?
煙に巻かれて、店の監視カメラでは店内が見えない。何か、見る方法は……
あ、映像が変わった。これは……誰かの目線。
いや、わかった! ゼウスが俺に教えてくれる。手に取るように理解できる!
中原だ! ゼウスにログインしている中原の目で見た映像。ゼウスを自由に操る俺は、そんなものまで取得可能なのか。
……なんだ?
誰だあいつ。煙の向こうから、なんか……。
瞳が、赤く光っている。こいつ、ゼウスにログインした状態だ。
ミディアムの銀髪。ミーの言葉を借りれば、「スッとした男前」ってとこか。
一人だけ、この爆発にビビってない。
こいつ……きっと、こいつだ!
中原の横に、ミーがいる。
あっ、また店内が爆発したようになって……
二人とも吹っ飛んだ。
ミーが。血まみれじゃねえか! それに、動かなくなった……
くっ。やべぇ。早く……早く逃げろ。早く!
中原が駆け寄った。ミーを抱いている。
だめだ……だめだ! 殺されるぞ!
ゼウスが俺に見せた記録映像は、ここで途絶えた。
こいつか……ミーと中原を、こんな目に遭わせやがった奴は。
ノア。ルナ! こいつの正体を、教えろ!
二人は揃っていつもの子供部屋に立ち、いつになく真剣な顔だ。
そして交互に言葉を紡ぐ。
「最初から、なかなかの強敵だね」
「いいか、忘れるな。『思う力』を信じるんだ」
俺に謎のアドバイスを贈ったあと、ノアとルナは敵情報の伝達に移る。
「アーティファクト」
生ける金属「ネオ・ライム」と脳を同化させたことにより、脳の未開部分を開花させた特殊能力者
対象者:波動 流
ハドウ ナガレ
二五歳
男
能力名:念動力/サイコキネシス
所属 :グリムリーパー
神の力を手に入れても、精神は俺のまま。
俺は、その情報をうまく噛み砕くことができず、思考が停止していた。
今日はいつもと疲労度が違う。
もちろん重いのではない。信じられないほどに軽いのだ。
そしてその原因はもちろん愛原さん。いや、「さや」だ。
妄想に耽りまくりながら運転していたので危うく赤信号で交差点へ突っ込むところだった。幸せの本番はこれからなのに、こんなところで死ぬわけにはいかない。
そんな俺に、頭の後ろで両手を組みながら、架空の子供部屋に置かれたデカいぬいぐるみにもたれかかるノアが、完全に呆れたような顔をして話しかけてくる。
「女って、そんなにいいもんかよ?」
このサービス利用当初、常にゼウスにログインしたままにしておく発想がなかった俺だが、今や常にログイン状態。なぜなら、ゼウスで電話の着信を受けるためには、ゼウスに常時ログインしておく必要があるからだ。
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というわけで、今現在、俺の意識の中には常にこの二人、「ノアとルナ」がいる。こいつらは俺の事情などお構いなし、自由気ままに俺へ話しかけるのだ。
俺は気分が良かったので上から言い放ってやった。
「子供の君たちにはわからないだろうねぇ。恋というものの素晴らしさが」
すると、王家のベッドでゴロついていたルナが叫ぶ。
「『ドーテー』の『ドー』って、どういう漢字書くか知ってるーっ?」
「うるさいな」
こんな子供が全知全能の化身だってんだから、ほんと信じられない。てか「女が良いものか」なんて、AIとはいえ子供がする質問か?
ため息をつきつつ、俺は運転しながらタバコに火をつけた。
俺もこいつら同様──というか、こいつらに言わせると違うらしいが、「ゼウスを自由に操る力」を手に入れた。この前、その力を使って俺は無人の車を動かし、さやを襲った奴らへと突っ込んでやったのだ。
「マンションの一階エントランスに乗用車が突っ込んだ」というあの事件は、ネットニュースでも取り上げられていた。
それによると、死者はゼロだったらしい。確実に直撃するよう狙ったハズだったが、全く、運のいい奴らだ。
おかげで、俺は殺人者にならずに済んだ。まあ、仮に死んでいたとして、俺はあんな奴らのことで罪悪感が湧くのか疑問だし、大体からしてゼウスを操る「神」たる俺のことを警察が追跡できるものなのかよくわからなかったので、
「なあ。どうなんだ?」
と俺が尋ねると、
「お前次第だ。てか、逃げ切るつもりなの? うわぁー、人間のクズだね!」
とノア。
散々上司や得意先に言われて俺の人格をザクザク切り裂いた「クズ」という呼び名を、こんな子供にも言われてしまう。
とはいえ、正体を明かして警察に引っ張られるのはイヤだし、あんなに破壊されたマンションの所有者さんには気の毒だが、誰に何と言われようが、俺は今、名乗り出るつもりはない。
「あんな可愛い子とさ、この俺がよ? 飲みに行けるし、『下の名前で呼んでー』とか言ってくれるし、飲みへのお誘いも、思い立ったらすぐだったじゃんか。ああ、きっと良いことがあるよ!」
信号の少ないバイパス道路を走っていた俺はついついスピードが出ていて、ニヘヘ、と薄笑みを浮かべながら妄想にドップリ沈んでいたせいで前の車が見えずに危うく追突するところだった。慌ててハンドルを切ってオモくそ蛇行してしまう。
現在時刻は夕方の四時ちょうど。ミーと中原は、今日は仕事を早く切り上げて飲みに行く予定だ。
あいつらは仕事の要領もいいし、遅くなる日があるとはいえ、ある程度コントロールできるようだ。全く、羨ましい話だ。あれ? 二人とも後輩だけど……。
まだたっぷり仕事は残っているが、絶対にさやとの約束に間に合わせるため、全て明日以降に先送りすることにした。
明日でいいことは全て明日に先送りする、これが俺のモットーだ。でなけりゃ、何日あっても家には帰れない。当然、間違いなく明日がヤバいことになるのだが。
が、先送りし過ぎたせいで、逆にミーたちが会社を出る時間にちょうど帰社してしまうタイミングとなってしまったので、俺は今、時間調整中。
こんな考え事をしながらも、睡眠薬が入っているトラックのダッシュボードのポケットへ、ふと視線がいった。
俺は、睡眠薬を常に携帯している。
毎日きちんと家で寝られるとは限らない。場合によっては、トラックで現場近くまで行って車中泊することもある。そういう時のために、二錠はトラックに常備しているのだ。
とりあえず、コンビニに入って時間を潰すことにした。
エナジー系ドリンクと缶コーヒーを買う。全くもって身体に悪そうな二つの飲料。その上、俺はタバコを吸うから、もしかすると健康がヤベーかもしれないな……。
時計を見ると、六時半。そろそろか、と俺はトラックを動かす。沈む寸前の太陽が、最後の光で空を赤く染める。
ずっと良いことがなかった人生に、ようやく心踊るような出来事が始まった。俺は、感慨深い思いとともに微笑みながら、赤になった信号で停止する。
ハンドルに上半身の体重を預けて、前方の信号機をじっと見ていた、その時。
「電話だ。相手は『中原達也』……」
いつもと違い、低く緊張感のあるノアの声。
「ああ、繋いでくれ」
と俺は答えた。
「よう。どうしたい、ミーとうまくやってるかw」
「……い」
ん? なんだ?
「どうしたよ。気持ち昂り過ぎてんじゃ……」
「……パイ。センパイ!」
「おお、聞こえてるよ。てか、なに焦ってんの?」
「ミミさんがっ! ああっ、うあああああああああ!」
中原であることは間違いないが、完全に正気ではない。最後の方はもはや絶叫としか言えない状態だった。
「お……なんだよ。どうした……」
その声に、俺は鳥肌が立っていた。
恐る恐る尋ねると、すがるように中原が言う。
「センパイ、……た、たすけて」
「おい! どういうことだ! 中原! 返事しろ!」
「………ジッ…」
雑音が入った通話は、そのまま途切れてしまった。
後ろからクラクションが鳴らされる。
青信号になったことに気付かなかったのだ。俺は慌ててブレーキから足を外し、アクセルを踏んだ。
「おい! 今の中原からの通話、お前らも聞こえてんだろっ!」
俺に問いかけられた子供二人組は、紅蓮に光る瞳で静かに俺のアバターを見据える。
「お前ら返事しやがれ! どうなってんだよ!」
自分のトラックが、曲がる予定だった交差点を通り過ぎる。
普通じゃない中原の声。「ミミさんが」という言葉。
ミーが? 何があった? 助けてなんて……。
錯乱する俺へ、ルナが言う。
「ネムネム。願うなら、眠るんだ」
「あ……? こんな時に何言って……」
呆れた顔で、ノアも。
「何度も言っただろ。お前は眠っている間に限り、全知全能であるゼウスの力を自由に操る『神』なんだぜ」
「ちょっ……だけどよ、事情が全く……」
「時間がない」
とルナ。
「全ては」
とノア。
「「神の力で掌握できる」」
二人が、同時に言った。
俺は、急いでトラックを道路脇の路側帯へ停車させた。
フロントガラスから目を切り、ダッシュボードに視線を這わせ、ポケットから乱暴に睡眠薬を取り出す。
が、突如として思い出すように湧き出る迷いが手を止める。
欲望が、いや、俺の人生の希望が、胸の奥底で疼き出す。
……もうすぐ、さやとの約束の時間だ。ここで寝てしまえば、約束の時間に間に合わない。
俺の人生で、初めての幸運なのに。
これを逃したら、あの子だって今後乗り気になってくれるかわからない。あんな可愛い子、俺なんかに執着するはずがないんだ。すぐに気が変わるに決まってる。そう、最悪、もう二度と……。
もしかしたら、大したことではないかも。だって中原、具体的なことは何も言わなかったじゃないか。
そうだ。助けて、って言っただけ。
そう。そうだ……。きっと大丈夫だろ。
むしろドッキリかもしれない。あいつら二人のことだ、誘いを断った俺にドッキリを仕掛けてやろうって言い出しかねない。特にミー。あいつはそういう奴だ。
そうさ。ほら、もう一度問い掛ければ、きっとふざけた声で返事が。
「中原。おい、返事しろ。ミー!」
返答はなかった。
切迫した中原の声が、頭の中で反芻される。
ミーの顔が脳裏に浮かぶ。元気で、生意気で、時折寂しそうに俺を見る目。
無意識のうち、俺は心臓のあたりを手でギュッと掴んでいた。
……マジなのか。あいつらに、何かが?
もし。
仮に、だ。全然、深刻な事態とかじゃないかもしれないし。そう、あくまで仮に。
これで、もう二度とあいつらに会えなくなるかもしれないとして。
それでも、後悔しないか?
考えたのはほんの数秒。二つの選択肢から、一つを選んで心に決めた。
一錠を取り出して口へ入れ、缶コーヒーで流し込む。俺はトラックの運転席で、エンジンも掛かったまま、意識を遠くへ誘う力に抵抗せず、むしろ自ら奈落の底へ沈めていった。
◾️ ◾️ ◾️
────…………
夢の中に入ったな。
いや、夢じゃないのか。そう、これが、俺の「神モード」ってわけだ。
意識が、全てと接続されている感覚。前にも味わった感覚だ。
俺は、紅蓮に装飾された頭の中にある例の子供部屋で、光るアバターとして出現していた。
さあ……神の名において命ずる。ゼウスよ、何が起きたのか教えろ!
俺が願うと、ノアとルナは赤い瞳をキラリと光らせ、現場の防犯カメラ映像を俺へ送信した。
それによると、現場は、ある商業ビルの七階だった。このビルは会社の近くにあって、居酒屋も二軒ほど入っている。今まで何回も来たことがある場所だ。どうやら、中原とミーは、いつもの居酒屋にいるようだった。
映像を見る限り、この居酒屋内にも防犯カメラはけっこうあった。それによって、俺は店内を把握することができた。
この映像は、俺に電話をかける前のもの。記録された時刻からして、何らかのアクシデントが発生する前のものだ。俺の命令に従って、ゼウスは記録された過去の映像を俺に見せているのだ。
長机とイスだけが大量に置かれ、仕切りがほとんどない、見通しの良い広い店内。二人は店員に案内されて、席に着く。
はは。中原のほうが断然楽しそうだな。あいつ、この世の天国みたいな顔してやがる。
…………っっ???
爆発した? 煙だらけで何も見えない。
これ……。
そうだ、ニュースだ。確か二件あった、爆発事件……。
じゃあ、これは三件目。あいつらは、それに巻き込まれたのか?
煙に巻かれて、店の監視カメラでは店内が見えない。何か、見る方法は……
あ、映像が変わった。これは……誰かの目線。
いや、わかった! ゼウスが俺に教えてくれる。手に取るように理解できる!
中原だ! ゼウスにログインしている中原の目で見た映像。ゼウスを自由に操る俺は、そんなものまで取得可能なのか。
……なんだ?
誰だあいつ。煙の向こうから、なんか……。
瞳が、赤く光っている。こいつ、ゼウスにログインした状態だ。
ミディアムの銀髪。ミーの言葉を借りれば、「スッとした男前」ってとこか。
一人だけ、この爆発にビビってない。
こいつ……きっと、こいつだ!
中原の横に、ミーがいる。
あっ、また店内が爆発したようになって……
二人とも吹っ飛んだ。
ミーが。血まみれじゃねえか! それに、動かなくなった……
くっ。やべぇ。早く……早く逃げろ。早く!
中原が駆け寄った。ミーを抱いている。
だめだ……だめだ! 殺されるぞ!
ゼウスが俺に見せた記録映像は、ここで途絶えた。
こいつか……ミーと中原を、こんな目に遭わせやがった奴は。
ノア。ルナ! こいつの正体を、教えろ!
二人は揃っていつもの子供部屋に立ち、いつになく真剣な顔だ。
そして交互に言葉を紡ぐ。
「最初から、なかなかの強敵だね」
「いいか、忘れるな。『思う力』を信じるんだ」
俺に謎のアドバイスを贈ったあと、ノアとルナは敵情報の伝達に移る。
「アーティファクト」
生ける金属「ネオ・ライム」と脳を同化させたことにより、脳の未開部分を開花させた特殊能力者
対象者:波動 流
ハドウ ナガレ
二五歳
男
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