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女子高生・リオ

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 周りは騒然とし、俺たちは呆然としていた。
 刺されたはずの本人も「あれ?」という顔で起き上がる。
 ミーは、涙目になりながら中原に話しかけていた。

 警備員が駆けつけたあと、すぐに警察も来て、俺たちは目撃者として警察から事情聴取を受けた。
 
 服に大量の血液が付着していた中原のことを、救急隊は念入りに観察していたが、どこをどう見回しても傷が見当たらずに混乱しているようだった。だから、何度も何度を観察を繰り返す。
 確かに大量の血が流れていたし、現にナイフが刺さっているところを目撃した俺としては、一体何が起こったのやら訳がわからない。きっと、救急隊以上に混乱していたと思う。

 俺たちは、救急隊の横で、時間が過ぎるのを、無言のまま、ひたすら立って待っていた。
 そんな感じで思考が停止していた俺だが、ふと、さっきの女の子が気になり、あたりを見渡す。さやは、その俺の様子に気付いた。

「どうしたの?」
「いや……さっき、中原に近付いてきた女子高生、どこに行ったかわかる?」

 さやは俺と一緒にキョロキョロしていたが、やがて、

「あ──……、たぶん、あれ、かな」

 さやが指差す先に、ワゴンタイプのショップがあった。そのショップで、チュロスを買おうとしているピンク髪の女子高生の後ろ姿が見える。
 ここでミーと一緒にいるようさやへ伝えたあと、俺はその子のところへ駆け寄った。
 近付くにつれ、さっき見た後ろ姿とダブっていく。確かに間違いないと思った。 

「あの……」

 俺が声をかけても、その子は振り返らない。きっと聞こえなかったのだろうと思った俺は、少し大きな声を出す。

「あのっ! すみません!」

 まだ振り返らない。
 と、ショップの店員がその子に向かって、後ろにいる俺の存在をジェスチャーで教えるのが見えた。
 振り向いた女子高生は、耳に入れていた高そうな無線イヤホンを外し、

「あっ、ごめんごめんっ! なになに?」
「いえ、その。さっきは、あの……」

 俺は、口ごもった。

 よく考えれば、この子は「大したことないみたい」と言っただけだ。
 だとすれば、俺はいったい何を言うべきなのだろうか?
「ありがとう」じゃないし……。

 だから、口に出した言葉はこうなった。 

「さっきのことだけどね。ナイフ、お腹に刺さってなかった?」

 女子高生は、顔色ひとつ変えることなく答える。

「ああ、うん。刺さってなかったよ、落ちてただけ。あたしが見た時には、傷も何もなかったんだ」
「そっか……。ごめん、時間をとらせて。ありがとう!」

 俺はちょっと迷ったが、中原のところへ戻らないといけないし、これ以上は意味がないと思ったので、これで去ろうとした。
 すると、

「あなた……」
「へ?」

 俺より少しだけ背が低いその女子高生は俺の手首をギュッと握る。
 パーソナルスペースをブチ破って唐突に俺へ近寄り、間近でじっと俺の目を覗き込む。「見つめる」というより「覗き込む」が正しい気がした。

 妙な雰囲気のまま目を合わせるうちに、もはや見慣れた変化がこの女子高生の瞳に起こる。

 濃い茶色をしているその子の瞳の中心部に、ぽっ、と小さな明かりが灯ったのだ。
 それを火種として、まるで炎が瞳を侵食するかのように、彼女の瞳はあっという間に真紅へと染まっていく。
 間違いなく、ゼウスのユーザーだった。

「えっ……と。あ、あの」
「あなたも、そうでしょ? 瞳、赤いもんね」
「……うん。君も、ゼウス、やってるんだね」
「そうだよ! だってこれ、超便利だもんねー。わかった! あんたも、ぐうたらなんでしょっ!」
「はい?」
「だぁって、じゃないと、あんな危険な手術してまで埋め込まないでしょ? 得体の知れない金属を、脳に」

 ニヘニヘと笑いながら、俺の背中を叩く陽気な女の子。

「まあ、似たようなもんだね。俺は仕事に使いたくてさ」
「へえー。社会人なんだ。大学生かと思った! 若く見えるね」
「ありがと。……じゃあ」

 中原たちのところへ戻ろうと向きを変えた瞬間、手がグイッと引っ張られて身体ごと引き戻される。女子高生は、ずっと俺の手首を握ったままだったのだ。

 びっくりしている俺のことを相変わらず覗き込むように見つめる可憐な女子高生は、俺が想像もしていなかった言葉を口走る。

「ねえ、連絡先、教えて」
「はっ?」

 ここ最近の俺のモテ具合は我ながら突き抜けているとはいえ、こんな初対面の、しかも女子高生まで惹きつけてしまうとは! 自分自身が恐ろしい……。
 と自惚れるのも束の間、俺は正気に戻る。いくらなんでも初対面、しかも遊園地で一瞬話しただけの俺のことが気になるはずなんてないのだ。
 
「な、なんで? どうして?」
「気になるから」
「あんまりいい大人をからかっちゃ……女子高生だよね?」
「だから何? あなたのことが気になるから、って言ってんの! 『なんで』とか言うかな」
「……いや、まあ……」
「じゃあ、『君のことが大好きだ』って言ったら、教えてくれんの?」
「すっ……!」

 ボワっと顔が熱くなる。
 女子高生からこんなふうに言われて、嬉しくないはずもなく。

 なんなの、こいつ?

 かなり可愛い部類ではあるし、どう考えても俺のことなんかを本気で好きだとは思えない。
 俺だってバカじゃない。いや、バカか。バカだ。それは間違いない。
 ……ではなくて。初対面の女子高生が、いきなり俺に惚れるなんてあるはずはない、ということくらい、わかってるに決まってる! ということだ。
 
 しかし、ガンとして言うことを聞かなさそうな面構え。
 俺は結局、見知らぬ女子高生に押し切られてゼウスの友達申請を受け付けてしまった。こんなところ、ミーとさやに見られてなくて本当によかったと胸を撫で下ろす。

「あたし、リオ、っていうの。よろしくねっ」
「ああ、うん。俺はネムっていうんだ。よろしく」
「えっ! ネムって何? かわいいっ! どんな漢字? どんな意味っ?」

 途端に目をキラキラさせて尋ねるリオ。

「えーと。カタカナです。『寝る』と言う意味で……」

 こんなこと、真面目に説明するのも恥ずかしい。別れ際なのに、不覚にも興味津々にさせてしまった。

「じゃあ、俺、あいつが病院へ行くの、ついて行ってやらないといけないから……」
「あたしも行く」
「はあああっ?」

 耳を疑う発言ばかりする初対面の女子高生は、今から俺についてくるという奇行に走りそうになり。

「待った待った! 何言ってんの?」
「本気だよ? 断るなら、『ネムに襲われた』ってここで大声で叫んでやるから。皆っさーんっ、このひ……モゴモゴ」

 俺は、反射的にこいつの口を手で塞ぐ。
 ふと気がつくと、俺はリオの身体を抱くようになっていて。
 ハッとした俺は、反射的にリオを突き放して両手を挙げる。

「ちょっ、ほんと……もうっ、何だよ!?」
「あたし、本気だから」
「うう~……」

 こうなると、リオをみんなのところへ連れていく必要に迫られる。
 というか、この騒ぎをすでに遠くから怪訝な表情で眺めている、さや。

 うわっ……。

 さやのところへリオを連れていくと、まず、予想の通り、

「なに? どうしたの、この子」

 眉間にシワを寄せて、とんでもなく低い声で言う。

「いや、その……」
「あたし、これから、ネムに、ついて行くことにしましたぁっ!」

 片手を高々と上げて、いきなり意味不明な宣言をするリオ。
 ポカンと口を開けてリオを見る、さや。
 少し離れたところにいたミーも、その不穏な状況に気付いて駆け寄ってくる。

 あっけらかんととんでもないことを叫んだ女子高生に、俺たち大人組は、ただ動揺するしかなかった。
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