88 / 88
4
心の声(完)
しおりを挟む
ヒヤッとした風が頬を撫でる感触で目を覚ます。
何やら眩しく、まぶたをすぐには開けられない。
目を擦り、薄目を開けてまわりを見渡すと、見覚えのある病院の、これまた見覚えのある病室。
ぼんやりした脳が、状況の記憶を復元してくる。
俺は、あの戦いの後、アバターごと消滅し、その後どうなったのか覚えていないのだ。
というか、あの後の続きが今現在、ということだろう。つまりあの戦いの直後、誰かが俺を病院に運んでくれて、今ようやく目を覚ました、といったところか。
俺の視界に入る範囲には、誰もいなかった。
普通、こうやって入院なんてする場合、親が飛んできたりするものだと思っていたが、ここ最近俺は何回か病院送りになっているにもかかわらず、うちの親はついぞ一回も姿を表さなかった。
その上、今回は一人もそばにいない。俺はなんだか悲しくなってきた。
ああ、タバコが吸いて──……。
ふと右に視線をやると、棚の上には俺がいつも吸っている銘柄のタバコが置かれていた。
こんなことをしてくれるのは中原に違いない、と俺は嬉しくなり、タバコを手に取って立ち上がろうと考えたが──。
待て待て。いつもこれで倒れ込んで、それからお約束のように嘔吐するのだ。だから今回は慎重に……。
「あ────っっ、ネムが起きたぁああああっ!!!」
突然の叫びにベッドの上で飛び上がった俺は、その勢いで床へと転がる。
フラフラしながらも必死になって立ち上がると、めまいが。続いて、
「おえええええっ」
「どうしました?」
「おっ、ネムが起きたやんか! えっ、汚なっ。何いきなり吐いてんの?」
「ミーちゃんはネムの心配もしないでそんなことしか言わないんだね。わたしは違うから! よかったぁ、心配したんだよ、ネムっ!」
「今更ぶりっ子すんなやボケっ」
「おばちゃんたちは黙ってよ、ネムが辛そうなんだから……」
「んだと、このガキ! 上等だよ、表出ろやコラっ」
異常に言葉が汚くなったさやのセリフが特に印象に残ったが、俺はとりあえず吐き切ることだけを考えた。
◾️ ◾️ ◾️
床掃除まで終えて一通り落ち着くと、俺は仲間たちから事情を聞く。それによると、こうだ。
俺がアバターを消滅させた後、リオはすぐさま救急車を呼んだ。
血圧が下がり、原因不明のショック状態であったことから救急隊は俺を搬送したが、しかし今回、俺は心肺停止にもならなかったらしい。
それは、完全にリオのおかげだった。
リオは、俺に三錠目のヒュプノスを飲ませた直後に俺にキスし、エリクサーの能力を注ぎ込み続けた。その結果、どうやらヒュプノスの副作用を一定程度は抑え込んだようだった。
リオの能力は、キスをすることでエネルギーの注入を行うらしいが、そう考えると、あの遊園地で中原もキスされたの?
ということで、俺はものすごく複雑な気分に陥る。中原みたいなおっさんくさい奴が付き合ってもないのにリオとキスしたのだと思うと、心がなんだか鬱になる。
同時に、「リオが俺にキスをした」という事実を知ったミーとさやは、即座に眉間にシワを刻み、この怖いもの知らずの女子高生を睨み続けていた。
「いくらあたしの能力でも、どうなるかはわからなかったんだ。あのトンデモ睡眠薬が一体どういう代物かわかんなかったしね! でも、成功してよかったぁ」
リオは明るくこう言った。
俺の命には代えられない、ということで、ミーとさやも、大人しく怒りを収めてくれた。
本田はどうなったか?
俺は奴に巨大落雷を喰らわせた直後、もう一つ命令を出した。
それは、本田が雷を受けた後に、俺に注ぎ続けられるエリクサーの効力を、俺の「神の力」を通じて本田清十郎へも注がれるようにしたこと。
目論見通り、本田は一命を取り留めた。
ただ、かなりの重症であり、想定よりもギリギリだった。リオのエリクサーが一体どれほどの回復力を発揮するのか俺はよく知らなかったので、本田清十郎の生存も、なんなら俺自身の生存もが、祈るしかないような状況だったのだ。
しかし、見事に成功してくれた。
心の底から祈ったことがこうやって現実に叶うのは本当に初めてではないだろうかと思うくらい、俺は今までの人生で、願ったことは何一つ叶ってこなかった。もしそれが今日、この日のためであったというなら、今までの俺の人生も報われるというものだ。
「お父さんとは、また話すよ。目は覚ましたんだ」
「お父さんは、なんて言ってた?」
「『私の負けだ。好きにするがいい』だって」
負けを認めても、考え方を変えたわけではないだろう。人は、これまでの人生で培った考えというものがあるのだから。
順番に、一つずつ。
今すぐは無理でも、根気よく続ければ、何がどうなるかなんてわからない。
俺はリオに、そんな話をした。
どうやらその言い方が説教くさかったらしく、
「それちょっとウザ。おっさんだわ完全に」
「じゃあ、もっと若々しい彼氏でも探したら」
「あ! そんなこと言うなんてヒドイ! ネム、あたしと付き合うって約束したじゃない!」
そのセリフは当然聞き捨てならないミーとさやの二人。
身を乗り出してリオへ詰め寄る。
「はあっ? あんた、いつそんな約束したっての?? ネム、本当っ!?」
「ふざけんなや! あたしが一番乗りやのにっ」
「愛に順番が関係あると思ってんの? だとしたら相当ボケてるねおばちゃんズは」
「「このっ」」
何度か見たこの光景。
三人は団子になって取っ組み合う。
「あの、そういえば、雪人くんは?」
俺はそれを思い出して、この三人の争いを中断させる意味も込めて尋ねる。
それには、リオが答えた。
「うん、もう大丈夫だと思う。雪人くんは、根治したと思うよ」
俺は大きく息を吸い込み、身体の力が一気に抜けた。
得意げにするリオを見つめ、さやは、
「まあ……こればっかりはお礼を言わなきゃね。ありがとう。本当に、ありがとう、リオ」
目を潤ませたさやが素直にお礼を言ったからか、リオは顔を赤くして、
「そっ、そんなの当たり前! 人間として、ってやつよ」
と言って目をそらす。
雪人くんは、可愛いピンク髪の女子高生にいきなり初キスを奪われて、顔を真っ赤にして放心していたらしいが、命には代えられないから仕方がないだろう。
まゆは、無事だろうか。
ギガント・アーマーのポッドから助け出したのは覚えているが、何も異常なく無事に助けることができたのだろうか。
俺が思いを馳せていると、病室の出入り口にまゆが姿を表す。
「まゆ! 無事だったんだね」
俺の呼びかけに、まゆはにっこりと笑顔を作る。
空虚としか言いようのなかった表情は今や温かく、幸せを内に秘めていた。
まゆは、長野での非礼をみんなに詫び、自分と雪人くんを助けてくれたことに関するお礼を述べた。
そんな話をしていると、さやがあることを話題に出す。
「ねえ。ネムがね、まゆのこといきなり『まゆ』って呼び出したんだけどね、あなたとの会話の中で、自然にそうなった、って言うんだよ。それって、本当?」
俺の釈明を全く信じていなかったおばちゃんズ。二人同時に目を細めて俺を冷たい目で見つめる。
「うん……そうだね。でもね、私、あんなふうに、男の人に『まゆ』って呼ばれたの、初めてで」
うつむいて頬を赤くしたまゆは、この後、俺が全く想定もしていなかったことをみんなの前で口走った。
「……あの。ちょっと、ネムのことで、さやに聞きたいことがあって」
「うん? 何?」
さやは、おそらくまゆが俺のことを「ネム」と呼んだことに怪訝な顔をしつつ答えた。
「さやとネムは、付き合ってるの?」
ん──……、と、さやは言いにくそうにしながら、
「まあ……そう言いたいとこだけど、まだなんだ」
すると、まゆはしばらくモジモジと目線を泳がせていたが、やがてポッポと紅潮した顔を上げて、固い意志を込めた瞳で俺のことをキッと見る。
「じゃあ、私も彼女候補にしてもらおうかな、って」
「「「はああああああっっっっっ????」」」
団子にもう一人が加わって、俺の目の前で取っ組み合いが始まった。
「痛い痛い痛い!」
「ええ加減にせえやっ」
「だから髪の毛引っ張んないでよ!」
「もう、さっさと諦めろっておばちゃんトリオはっ」
もう少しで、スターバレットと、イダテンと、イグナイターが本気を出して病室で暴れそうだったので、俺は必死でこいつらへ叫んだ。
◾️ ◾️ ◾️
屋上にある喫煙所で、俺はようやくタバコを吸う機会に恵まれた。
まあ、吐くことなく歩行できるか慎重に確認してからしか吸えなかったから仕方がない。
手すりに寄りかかって、屋上から見える景色を堪能する。
吐いた煙が風に流され、俺の口から出た途端に、真横に流れていく。
と、背中にポンと手が置かれ、隣に中原が現れた。
「お、一人か? お前はだいたいいつもミーと一緒に吸いにくるのに」
「まあ、そういう時もあるっすよ」
中原はタバコに火をつける。こいつも手すりに寄りかかり、こいつが吐いた煙もまた、同じように真横に流れた。
ワイワイと楽しい時間は、現実からの逃避の表れだったのかもしれない。
俺は、確認しておかなければならないことを、中原へ尋ねる。
「なあ。警察は、どう動いたんだ?」
まゆは、「イグナイター」としての能力を使って、グリムリーパーとして、きっと暗殺業務を担っていた。
ミーは、いくらリリスの心を察したとはいえ、リリスを殺害した。
俺だって、リョウマと戦ったとき、アーティファクトでない兵士たちの心臓を一瞬とはいえ止めた。その中には、もしかすると死亡した者もいたかもしれない。
その他にもいろいろある。
本田のやったこと、リリスのやったこと、リョウマのやったことは、どう裁かれるのだろうか?
俺は、空を見上げた。
雲ひとつない晴天。今日はどうやら運がいいらしく、遠くのほうには富士山が見える。
「その前に、ひとついいですか」
「ああ」
「センパイが眠っている間に、国の人が来たんすよ」
「本田の仲間、ってことか?」
「ええ、まあそんなところです。それでね、その人が言うんすよ。俺たちは、もう今まで通りの生活には戻れない、って」
「はあ?」
そんなこと、そいつらに決められることじゃない。
イラっとしてつい中原に当たってしまいそうになった。
感情をグッと飲み込んだ俺は、話の続きを促す。
「……で?」
「ギガント・アーマーのことや、グリムリーパーのことは、まだ一般には公表されていないことなんです。こんなことを極秘裏にやっていたなんて、表沙汰にはできない、って。だから、俺たちの罪を問うこともないそうです」
お得意の隠蔽か。
なんとなく、予想していたことではあった。
「で?」
「どうやら、外国からの工作員も、大勢日本に入って来ているらしくて。もちろん、それは『アーティファクト』ですよ」
「……はあ」
話の先は、なんとなくわかった。
俺は、次のタバコに火をつける。
「グリムリーパーじゃないですけど、こういう特殊能力者で構成されたチームの立ち上げが急務らしくて。そのチームは、グリムリーパーみたいに秘密裏に指令をこなす業務をやらされるらしいんですけどね。ただ、主たる目的はただ一つ、『日本国の防衛』だって。無造作に一般人の命を奪うようなことは絶対にやらせないから、ぜひ国のために働いてほしい、って」
信じられるわけがない。
本田だって、自分の正義に基づいて突き進んでいたんだ。
誰もがみんな、自分は正義だと思ってる。
中原に言ったそいつだって、きっと同じなんだ。
「それで? お前は、どう思うんだ」
俺は、中原に意見を尋ねる。
俺はこいつと、ずっと一緒にやってきた。だから、まずはこいつの意見を聞きたいと思ったのだ。
「俺、そのチームに入ってみようかと思います」
意外な答えだった。
中原は、正直、今回みたいなことをする国の奴らに対して不信感を抱き、怒っているのだと思ったから。
だから俺は、こう尋ねる。
「どうしてだ?」
「もしかして、この力を使えば、もっと人を助けられるんじゃないか、って思って」
「…………」
「俺、このまま建築業を続けても別に構いません。でも、もっと、残りの人生を全て懸けてもいい何か……そんなのがあるんじゃないかって、ずっと悩んでたんです」
「この力が、たくさんの人の命を奪ってきたとしてもか?」
「新たなチームの隊長は、センパイにしようと考えてるそうです」
「はあっ!? 何、勝手に──」
中原は真剣な顔だ。
しかし同時に笑みも浮かべる。
「だからね……全部、お任せします。センパイが隊長をやる限り、俺は大丈夫だと思ってますから」
風が吹き、髪が流れて視界を覆う。
前髪を手でよけると、ロン毛の中原も同じ動作をしていた。
俺は、手すりに体重を預けたまま、真正面に広がる大空を見つめる。
そうしていると、国の奴らに対する不信感とは違う、何か別の気持ちが俺の中にあるのに気づく。
この空の遥か先には大宇宙があって、俺たちの見たことのない世界が広がっている。
そこへ大冒険をしにいく奴らは、もしかするとこういう気持ちなんだろうか。
今の会社で仕事をしている間、ずっとクズだなんだと言われて続けてきた。
でも、クズであろうがなかろうが、護らなければならない大事なものは、何がなんでも護らなければならない。
アーティファクトとなって、今回の事件を乗り越えて、俺は自分にもそれができると証明できた。今の仕事だけを続けていたなら、経験することのなかった成長だろう。
きっと……もっともっと、できるはず。
俺は、首だけ動かして中原を見る。
中原も、同じ姿勢で俺を見ていた。
「なあ。ミーとさやは、なんて言ってるんだ?」
中原は、ニッと笑顔を作った。
「もう俺たちの意思は固まってます。だから、ミミさんとさやさんに、『絶対ネムを説得してこい!』って言われてて」
俺は呆れてため息をついた。
あんな危険な目に遭って、まだこんなことを続けようってのか?
でも、確かに、こんな能力を持ったままだと得体の知れない奴らにこれからも狙われ続ける危険がある。それなら、国公認のチームとしてサポートを受けたほうが、むしろこいつらの身も安全なのかもしれない。
俺たちは、もう、後戻りができないところまで来てしまったのか。
こんなふうに迷った時、俺は最近、頭の中にいるこいつらに、相談することにしている。
「なあ、ノア、ルナ。お前らは、どう思うんだ?」
意識の中の子供部屋。豪華絢爛な天蓋付きベッドに寝転ぶ二人は、オレンジジュースをストローで吸いながらこう答えた。
「僕たちの命は、お前と共にある」
「何を選んでも、ネムネムにずっとついていくよ」
俺はタバコを消し、病室に戻ることにした。
自分の心の中にある、奴らと共に人生を生きるための回答を胸にして。
何やら眩しく、まぶたをすぐには開けられない。
目を擦り、薄目を開けてまわりを見渡すと、見覚えのある病院の、これまた見覚えのある病室。
ぼんやりした脳が、状況の記憶を復元してくる。
俺は、あの戦いの後、アバターごと消滅し、その後どうなったのか覚えていないのだ。
というか、あの後の続きが今現在、ということだろう。つまりあの戦いの直後、誰かが俺を病院に運んでくれて、今ようやく目を覚ました、といったところか。
俺の視界に入る範囲には、誰もいなかった。
普通、こうやって入院なんてする場合、親が飛んできたりするものだと思っていたが、ここ最近俺は何回か病院送りになっているにもかかわらず、うちの親はついぞ一回も姿を表さなかった。
その上、今回は一人もそばにいない。俺はなんだか悲しくなってきた。
ああ、タバコが吸いて──……。
ふと右に視線をやると、棚の上には俺がいつも吸っている銘柄のタバコが置かれていた。
こんなことをしてくれるのは中原に違いない、と俺は嬉しくなり、タバコを手に取って立ち上がろうと考えたが──。
待て待て。いつもこれで倒れ込んで、それからお約束のように嘔吐するのだ。だから今回は慎重に……。
「あ────っっ、ネムが起きたぁああああっ!!!」
突然の叫びにベッドの上で飛び上がった俺は、その勢いで床へと転がる。
フラフラしながらも必死になって立ち上がると、めまいが。続いて、
「おえええええっ」
「どうしました?」
「おっ、ネムが起きたやんか! えっ、汚なっ。何いきなり吐いてんの?」
「ミーちゃんはネムの心配もしないでそんなことしか言わないんだね。わたしは違うから! よかったぁ、心配したんだよ、ネムっ!」
「今更ぶりっ子すんなやボケっ」
「おばちゃんたちは黙ってよ、ネムが辛そうなんだから……」
「んだと、このガキ! 上等だよ、表出ろやコラっ」
異常に言葉が汚くなったさやのセリフが特に印象に残ったが、俺はとりあえず吐き切ることだけを考えた。
◾️ ◾️ ◾️
床掃除まで終えて一通り落ち着くと、俺は仲間たちから事情を聞く。それによると、こうだ。
俺がアバターを消滅させた後、リオはすぐさま救急車を呼んだ。
血圧が下がり、原因不明のショック状態であったことから救急隊は俺を搬送したが、しかし今回、俺は心肺停止にもならなかったらしい。
それは、完全にリオのおかげだった。
リオは、俺に三錠目のヒュプノスを飲ませた直後に俺にキスし、エリクサーの能力を注ぎ込み続けた。その結果、どうやらヒュプノスの副作用を一定程度は抑え込んだようだった。
リオの能力は、キスをすることでエネルギーの注入を行うらしいが、そう考えると、あの遊園地で中原もキスされたの?
ということで、俺はものすごく複雑な気分に陥る。中原みたいなおっさんくさい奴が付き合ってもないのにリオとキスしたのだと思うと、心がなんだか鬱になる。
同時に、「リオが俺にキスをした」という事実を知ったミーとさやは、即座に眉間にシワを刻み、この怖いもの知らずの女子高生を睨み続けていた。
「いくらあたしの能力でも、どうなるかはわからなかったんだ。あのトンデモ睡眠薬が一体どういう代物かわかんなかったしね! でも、成功してよかったぁ」
リオは明るくこう言った。
俺の命には代えられない、ということで、ミーとさやも、大人しく怒りを収めてくれた。
本田はどうなったか?
俺は奴に巨大落雷を喰らわせた直後、もう一つ命令を出した。
それは、本田が雷を受けた後に、俺に注ぎ続けられるエリクサーの効力を、俺の「神の力」を通じて本田清十郎へも注がれるようにしたこと。
目論見通り、本田は一命を取り留めた。
ただ、かなりの重症であり、想定よりもギリギリだった。リオのエリクサーが一体どれほどの回復力を発揮するのか俺はよく知らなかったので、本田清十郎の生存も、なんなら俺自身の生存もが、祈るしかないような状況だったのだ。
しかし、見事に成功してくれた。
心の底から祈ったことがこうやって現実に叶うのは本当に初めてではないだろうかと思うくらい、俺は今までの人生で、願ったことは何一つ叶ってこなかった。もしそれが今日、この日のためであったというなら、今までの俺の人生も報われるというものだ。
「お父さんとは、また話すよ。目は覚ましたんだ」
「お父さんは、なんて言ってた?」
「『私の負けだ。好きにするがいい』だって」
負けを認めても、考え方を変えたわけではないだろう。人は、これまでの人生で培った考えというものがあるのだから。
順番に、一つずつ。
今すぐは無理でも、根気よく続ければ、何がどうなるかなんてわからない。
俺はリオに、そんな話をした。
どうやらその言い方が説教くさかったらしく、
「それちょっとウザ。おっさんだわ完全に」
「じゃあ、もっと若々しい彼氏でも探したら」
「あ! そんなこと言うなんてヒドイ! ネム、あたしと付き合うって約束したじゃない!」
そのセリフは当然聞き捨てならないミーとさやの二人。
身を乗り出してリオへ詰め寄る。
「はあっ? あんた、いつそんな約束したっての?? ネム、本当っ!?」
「ふざけんなや! あたしが一番乗りやのにっ」
「愛に順番が関係あると思ってんの? だとしたら相当ボケてるねおばちゃんズは」
「「このっ」」
何度か見たこの光景。
三人は団子になって取っ組み合う。
「あの、そういえば、雪人くんは?」
俺はそれを思い出して、この三人の争いを中断させる意味も込めて尋ねる。
それには、リオが答えた。
「うん、もう大丈夫だと思う。雪人くんは、根治したと思うよ」
俺は大きく息を吸い込み、身体の力が一気に抜けた。
得意げにするリオを見つめ、さやは、
「まあ……こればっかりはお礼を言わなきゃね。ありがとう。本当に、ありがとう、リオ」
目を潤ませたさやが素直にお礼を言ったからか、リオは顔を赤くして、
「そっ、そんなの当たり前! 人間として、ってやつよ」
と言って目をそらす。
雪人くんは、可愛いピンク髪の女子高生にいきなり初キスを奪われて、顔を真っ赤にして放心していたらしいが、命には代えられないから仕方がないだろう。
まゆは、無事だろうか。
ギガント・アーマーのポッドから助け出したのは覚えているが、何も異常なく無事に助けることができたのだろうか。
俺が思いを馳せていると、病室の出入り口にまゆが姿を表す。
「まゆ! 無事だったんだね」
俺の呼びかけに、まゆはにっこりと笑顔を作る。
空虚としか言いようのなかった表情は今や温かく、幸せを内に秘めていた。
まゆは、長野での非礼をみんなに詫び、自分と雪人くんを助けてくれたことに関するお礼を述べた。
そんな話をしていると、さやがあることを話題に出す。
「ねえ。ネムがね、まゆのこといきなり『まゆ』って呼び出したんだけどね、あなたとの会話の中で、自然にそうなった、って言うんだよ。それって、本当?」
俺の釈明を全く信じていなかったおばちゃんズ。二人同時に目を細めて俺を冷たい目で見つめる。
「うん……そうだね。でもね、私、あんなふうに、男の人に『まゆ』って呼ばれたの、初めてで」
うつむいて頬を赤くしたまゆは、この後、俺が全く想定もしていなかったことをみんなの前で口走った。
「……あの。ちょっと、ネムのことで、さやに聞きたいことがあって」
「うん? 何?」
さやは、おそらくまゆが俺のことを「ネム」と呼んだことに怪訝な顔をしつつ答えた。
「さやとネムは、付き合ってるの?」
ん──……、と、さやは言いにくそうにしながら、
「まあ……そう言いたいとこだけど、まだなんだ」
すると、まゆはしばらくモジモジと目線を泳がせていたが、やがてポッポと紅潮した顔を上げて、固い意志を込めた瞳で俺のことをキッと見る。
「じゃあ、私も彼女候補にしてもらおうかな、って」
「「「はああああああっっっっっ????」」」
団子にもう一人が加わって、俺の目の前で取っ組み合いが始まった。
「痛い痛い痛い!」
「ええ加減にせえやっ」
「だから髪の毛引っ張んないでよ!」
「もう、さっさと諦めろっておばちゃんトリオはっ」
もう少しで、スターバレットと、イダテンと、イグナイターが本気を出して病室で暴れそうだったので、俺は必死でこいつらへ叫んだ。
◾️ ◾️ ◾️
屋上にある喫煙所で、俺はようやくタバコを吸う機会に恵まれた。
まあ、吐くことなく歩行できるか慎重に確認してからしか吸えなかったから仕方がない。
手すりに寄りかかって、屋上から見える景色を堪能する。
吐いた煙が風に流され、俺の口から出た途端に、真横に流れていく。
と、背中にポンと手が置かれ、隣に中原が現れた。
「お、一人か? お前はだいたいいつもミーと一緒に吸いにくるのに」
「まあ、そういう時もあるっすよ」
中原はタバコに火をつける。こいつも手すりに寄りかかり、こいつが吐いた煙もまた、同じように真横に流れた。
ワイワイと楽しい時間は、現実からの逃避の表れだったのかもしれない。
俺は、確認しておかなければならないことを、中原へ尋ねる。
「なあ。警察は、どう動いたんだ?」
まゆは、「イグナイター」としての能力を使って、グリムリーパーとして、きっと暗殺業務を担っていた。
ミーは、いくらリリスの心を察したとはいえ、リリスを殺害した。
俺だって、リョウマと戦ったとき、アーティファクトでない兵士たちの心臓を一瞬とはいえ止めた。その中には、もしかすると死亡した者もいたかもしれない。
その他にもいろいろある。
本田のやったこと、リリスのやったこと、リョウマのやったことは、どう裁かれるのだろうか?
俺は、空を見上げた。
雲ひとつない晴天。今日はどうやら運がいいらしく、遠くのほうには富士山が見える。
「その前に、ひとついいですか」
「ああ」
「センパイが眠っている間に、国の人が来たんすよ」
「本田の仲間、ってことか?」
「ええ、まあそんなところです。それでね、その人が言うんすよ。俺たちは、もう今まで通りの生活には戻れない、って」
「はあ?」
そんなこと、そいつらに決められることじゃない。
イラっとしてつい中原に当たってしまいそうになった。
感情をグッと飲み込んだ俺は、話の続きを促す。
「……で?」
「ギガント・アーマーのことや、グリムリーパーのことは、まだ一般には公表されていないことなんです。こんなことを極秘裏にやっていたなんて、表沙汰にはできない、って。だから、俺たちの罪を問うこともないそうです」
お得意の隠蔽か。
なんとなく、予想していたことではあった。
「で?」
「どうやら、外国からの工作員も、大勢日本に入って来ているらしくて。もちろん、それは『アーティファクト』ですよ」
「……はあ」
話の先は、なんとなくわかった。
俺は、次のタバコに火をつける。
「グリムリーパーじゃないですけど、こういう特殊能力者で構成されたチームの立ち上げが急務らしくて。そのチームは、グリムリーパーみたいに秘密裏に指令をこなす業務をやらされるらしいんですけどね。ただ、主たる目的はただ一つ、『日本国の防衛』だって。無造作に一般人の命を奪うようなことは絶対にやらせないから、ぜひ国のために働いてほしい、って」
信じられるわけがない。
本田だって、自分の正義に基づいて突き進んでいたんだ。
誰もがみんな、自分は正義だと思ってる。
中原に言ったそいつだって、きっと同じなんだ。
「それで? お前は、どう思うんだ」
俺は、中原に意見を尋ねる。
俺はこいつと、ずっと一緒にやってきた。だから、まずはこいつの意見を聞きたいと思ったのだ。
「俺、そのチームに入ってみようかと思います」
意外な答えだった。
中原は、正直、今回みたいなことをする国の奴らに対して不信感を抱き、怒っているのだと思ったから。
だから俺は、こう尋ねる。
「どうしてだ?」
「もしかして、この力を使えば、もっと人を助けられるんじゃないか、って思って」
「…………」
「俺、このまま建築業を続けても別に構いません。でも、もっと、残りの人生を全て懸けてもいい何か……そんなのがあるんじゃないかって、ずっと悩んでたんです」
「この力が、たくさんの人の命を奪ってきたとしてもか?」
「新たなチームの隊長は、センパイにしようと考えてるそうです」
「はあっ!? 何、勝手に──」
中原は真剣な顔だ。
しかし同時に笑みも浮かべる。
「だからね……全部、お任せします。センパイが隊長をやる限り、俺は大丈夫だと思ってますから」
風が吹き、髪が流れて視界を覆う。
前髪を手でよけると、ロン毛の中原も同じ動作をしていた。
俺は、手すりに体重を預けたまま、真正面に広がる大空を見つめる。
そうしていると、国の奴らに対する不信感とは違う、何か別の気持ちが俺の中にあるのに気づく。
この空の遥か先には大宇宙があって、俺たちの見たことのない世界が広がっている。
そこへ大冒険をしにいく奴らは、もしかするとこういう気持ちなんだろうか。
今の会社で仕事をしている間、ずっとクズだなんだと言われて続けてきた。
でも、クズであろうがなかろうが、護らなければならない大事なものは、何がなんでも護らなければならない。
アーティファクトとなって、今回の事件を乗り越えて、俺は自分にもそれができると証明できた。今の仕事だけを続けていたなら、経験することのなかった成長だろう。
きっと……もっともっと、できるはず。
俺は、首だけ動かして中原を見る。
中原も、同じ姿勢で俺を見ていた。
「なあ。ミーとさやは、なんて言ってるんだ?」
中原は、ニッと笑顔を作った。
「もう俺たちの意思は固まってます。だから、ミミさんとさやさんに、『絶対ネムを説得してこい!』って言われてて」
俺は呆れてため息をついた。
あんな危険な目に遭って、まだこんなことを続けようってのか?
でも、確かに、こんな能力を持ったままだと得体の知れない奴らにこれからも狙われ続ける危険がある。それなら、国公認のチームとしてサポートを受けたほうが、むしろこいつらの身も安全なのかもしれない。
俺たちは、もう、後戻りができないところまで来てしまったのか。
こんなふうに迷った時、俺は最近、頭の中にいるこいつらに、相談することにしている。
「なあ、ノア、ルナ。お前らは、どう思うんだ?」
意識の中の子供部屋。豪華絢爛な天蓋付きベッドに寝転ぶ二人は、オレンジジュースをストローで吸いながらこう答えた。
「僕たちの命は、お前と共にある」
「何を選んでも、ネムネムにずっとついていくよ」
俺はタバコを消し、病室に戻ることにした。
自分の心の中にある、奴らと共に人生を生きるための回答を胸にして。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー
黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた!
あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。
さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。
この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。
さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる