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88.魔法の街(後編)
しおりを挟む魔法の街での一日が終わろうとする頃、宿の一室で、ネロたちは双子が持ち帰った「ある物」を前に困り顔をしていた。
「……なあ、マヌル、メルル。それは一体……?」
ネロが眉をひそめる。
双子の前には、ワインの樽ほどもある黒く艶やかな卵が鎮座していた。表面には微かに紫の光が走る。
「えっと……その……」
「その、ですね……」
マヌルとメルルが視線を泳がせ、しゅんと肩をすくめる。
「……裏通りで売られてたんです。『竜の卵』だって言われて……。見てしまった以上、放っておけなくて……」
「だからって買ってくんな!!」
ワノツキが思わず声を荒げる。
「本当に竜の卵だったらどうすんだ!?孵ったらどこに返すつもりだったんだよ!!」
「でも……道具の材料にされちゃいそうだったんです……」
「……可哀想だったんです……」
双子はしょんぼりと頭を垂れる。
「……ふむ」
ズメウがじっと卵を見下ろしていた。琥珀色の瞳が卵の表面を捉えて離さない。
「タカチホ……これは……?」
「あー……困りましたネェ」
タカチホが腕を組み、苦々しい顔で卵を覗き込む。
「……本当に“竜種”の卵なら、えらい事ですが……こういう物は大抵、竜のように見える魔物の卵だったりしますカラ……。竜と銘打てば高く売れますからネェ。……ですが……」
「ですが?」とネロ。
「……話に聞いた価格だと、相場の割に妙に安かったのが……引っかかる……というか……」
「…………」
そんな話をしている間にも、ズメウは卵から目を離さない。
ズ……と静かに手を伸ばし、その表面に爪先で触れた。
「……もう、孵るぞ」
その一言の直後。
パキ……ッ。
卵に小さなひびが入り、ピキピキと音を立てて広がる。
皆が固唾を呑む中、表面が崩れ落ち——中から姿を現したのは、煤けたような黒の鱗に覆われた、小さな四足の竜だった。
「おやぁ……黒竜、ですか……。本当に……」
タカチホが目を見開く。
「……まさか、本物だったとはネ……」
紫水晶のように澄んだ目が、順に一行を見回す。
瞬きひとつしたあと——とてとてと、短い足で歩き出す。
「……お?」
黒竜が向かう先——それはネロだった。
おぼつかない足取りで懸命に歩き、足元でぴたりと止まると。
「パパ!!」
「…………」
「…………」
部屋中が静まり返る。
「………………は?」
ネロが変な声を出す。
「パ……パパ……?」
黒竜はネロをじっと見上げている。
とても小さな声で、もう一度。
「パパ」
「な、なんでオレ……?」
「ふふっ。ネロと同じ色だから、親だと思ったんじゃない?」
メリィがクスリと笑う。
「……マジかよ……」
ネロは頭を抱えた。
「ズメウ。こいつの親、どこにいるんだ?分からねぇか?」
ズメウがゆっくりと頷く。
「……奴らが住んでいた場所なら、我は知っている」
「奴ら?」
「……黒竜の一族。だが……」
「だが?」
「……三百年前、滅びたはずだ」
タカチホが口を挟む。
「……ワタシもそう聞いてますヨ。黒竜種はこの世にもういないと……。まさか、ほんとうに生き残りが……卵のまま三百年も眠っていた…?」
「じゃあこの子は一体……?」
メリィが困惑するようにその幼い竜を見る。
「ともかくだ」
ネロが双子に向き直る。
「買ってきた以上、ちゃんと責任もって育てろ。……いいな?」
「は、はい!!」
「がんばります!!」
双子が元気に答える。
「ズメウ。お前、手伝ってやってくれねぇか?」
「……うむ」
力強く頷くズメウ。
「心強いです!」とマヌル。
「よろしくお願いします!」とメルル。
「……なぁ、ほら。パパはオレじゃなくてこっちだ。ほらほら、ズメウの方行け」
ネロは黒竜を抱えてズメウの方へ差し出した。
黒竜とズメウ、金と紫の瞳がじっと見つめ合う。
しばしの沈黙のあと——
「……パパ!!」
ズメウの脚にしがみつく小さな黒竜。
「…………」
「……皮肉なもんですネ……」
タカチホが、ズメウの横顔を見ながら、誰にも聞こえないほど小さく呟いた。
「……かつて滅ぼした一族の末裔を、今こうして……育てることになるとは……」
——新たな波乱の気配を孕みつつも、その夜は、静かに更けていった。
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