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134.獏の街バクスト④
しおりを挟む「メルルサン、大丈夫ですか?」
火傷を負ったメルルに、すぐさまタカチホが駆け寄り、懐から小瓶を取り出す。その中身を素早く塗布しながら、手際よく治療を始める。メルルの眉間に苦痛の皺が寄るが、やがてほんの少しだけ表情が和らいだ。
その隙を突くように、フィズの姉が動いた。
血に染まるような赤い翼が、音もなく迫る。しかし、それを阻んだのは――紫炎だった。
「っ――!」
シーダが口を開き、紫色の炎が一直線に迸る。炎の壁が姉の進行を遮り、灼熱の空気がその場を満たす。だが、シーダが目を細めたその瞬間、今度は背後から気配が襲い掛かる。
「シーダ!」
メリィが叫び、素早く間に割って入る。鉤爪が閃き、風を切って迫るが、大鉈がその軌道を弾いた。
続いてネロが踏み込み、刀を振る。鋭い刃がフィズの羽根をかすめ、光の粒が舞う――が、それだけだった。
「どんな速さだよ、クソッ……!」
ネロが歯噛みしながら、空中へと跳躍するフィズたちを睨み上げる。風に舞う翡翠の羽根。その先にあるのは、あまりにも無邪気で、そして残酷な笑顔だった。
ズメウが、静かに一歩、前に出た。
「本当に問うべき者は……中にいる。先に行け」
「いくらあんたでも、一対二は無理があるだろ!」
焦りをにじませて言うネロに、ズメウは薄く笑みを浮かべた。
「我は……お前たちに、未だ“本気”を見せてはいない」
その声音は、淡々としていて、しかし底知れぬ重みがあった。
「赤い羽根の者の熱など、火口の熱さに比べればどうということはない。我が、適任だ」
「…わかった。でも、ズメウ……怪我、しないでね」
メリィが一瞬だけ立ち止まり、そう言ってから駆け出す。
その後を、メルルを抱えたタカチホ、ネロ、シーダが追う。シーダは何度も振り返り、心配そうにズメウを見やるが、ズメウの一言に背を押される。
「行け。……早く」
そして、彼は独りフィズとその姉に向き合う。
風が、静かに吹く。
「追わぬのか?」
ズメウの問いかけに、フィズは笑った。
「うん。シュヴァル様のシナリオ通りだからね」
その言葉に、ズメウは眉をひそめる。すぐさま、空気が弾けるように、フィズと姉が左右から襲い掛かった。
鉤爪が閃き、風が切られる。だが――
ガギィンッ!!
金属が打ち鳴らされるような音が、辺りに響いた。彼らの攻撃は、ズメウの身体に弾かれていた。
――鱗。
ズメウの身体が、黒銀の鱗に覆われていく。背には闇色の翼が広がり、手足は竜のように硬質化する。鋭く、重く、厳然としたその姿は、まさしく一騎当千の“竜”そのものだった。
「――戯れに付き合ってやろう」
挑発するような笑みを浮かべるズメウに、フィズが苛立ちをあらわにした。
「調子に乗るなよ!!」
フィズの鉤爪が閃く。炎の羽根が広がり、姉がそれに呼応して空中から急襲する。
その動きは確かに速く、そして凶悪だった。子供の悪戯が、制御を失ったまま暴走したかのように――残酷で、容赦がない。
蟻の巣穴に水を注ぐような、蝶の羽を千切って笑うような。タガの外れた無垢なる残酷性。
それでも――ズメウは一歩も退かない。
攻撃を受け流し、斬撃を受け止め、鋭い視線をふたりに向けたまま、淡々と、何かを“計って”いた。
「……防いでばかりで、アンタ、やる気あんのかよ!!」
フィズが叫ぶ。
ズメウは静かに人差し指を持ち上げると、近くの木を指し――そして、軽く、振る。
木は、音もなく爆ぜた。
粉塵が舞い、破片が降り注ぐ。
「我が手を出せば、“ああなる”のは……お前たちだ」
沈黙が、ふたりを襲う。
「どうすれば、お前たちを無力化できるか。……ずっと、それを考えていた」
ズメウは一歩、フィズに向けて歩く。
「羽根をもぐか。足を断つか――」
また一歩。
「それとも、すべてを断つか」
ぞわり、と空気が震えた。威圧。殺気。気配。
それらすべてが混じり合い、ズメウという“圧倒的な力”が、そこに立っていた。
フィズと姉が、ほんの一瞬、たじろいだ。
その刹那――
「っ――姉さん!?」
ばたり、と。フィズの姉が音を立てて倒れ込む。
「な、なんで……姉さん……っ」
動揺し、姉に駆け寄ろうとするフィズもまた、その場に崩れ落ちた。
ズメウは静かに目を伏せる。そして、ポケットから細い手枷を取り出す。
「竜をも昏倒させる……か。……確かに、真実だったようだな」
彼は、去り際にタカチホから手渡されていたものがあった――強力な麻酔針、そしてどんな力を持ってしても壊れる事のない特殊な手枷。
手枷は、タカチホ曰く「鍵がないと、絶対に外れない」ものだ。メリィでさえ解除できず、ズメウが引っ張っても千切れる事はなかった。
ズメウは倒れた二人にその枷をかけると、ひとつ深く息を吐いた。
「……“シナリオ通り”、か」
フィズが残したその言葉が、胸の奥に黒い靄を落とす。
彼らは“踊らされていた”のか。ならば、それを操る者は――
ズメウは踵を返す。
今はまだ、終わってはいない。
彼は一行の後を追って、静かに洋館の中へと足を踏み入れた。
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