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モブ、世界が変わる瞬間を聴く
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最後、夢なのか現実なのかわからないくらい、もう何が何だかってくらいの花火が上がって、そして大量の煙だけを残して花火大会は終わった。と、思う。アナウンスがないのか、聞こえないのか、とにかく始めも終わりも私たちには判断する術がなかったのだ。でも首をいくら上げども花火は上がらず、白いもやもどんどん晴れていく。まるで夢から醒めていくみたいに。
「凄かったな、この辺でこんなしっかり花火が見れると思わなかった」
と最初に夢から醒める決断をしたのは五央で、
「そだね」
とエマも半分夢うつつながら相槌を打つ。
「連絡、しなきゃね」
と私が言うと、「うん」とエマはスマホを取り出す。いつの間にかかき氷の器は地面に置いていたらしい。
「じゃあ俺、ゴミ捨ててくるわ。ひかるのもちょうだい」
と五央がその地面に置いてあった器をひょいと拾い、そして私がずっと握りしめていた器にも手を伸ばす。
「ありがとう」
と私は器を渡し、そして一人だけやることがなく手持ち無沙汰になる。そういえば私、折角の花火だというのに写真の一枚も撮らなかったな。そう思ってなんとなく、夢のあとみたいな空を写真に収めた。
五央が戻ってきて程なく、「もう車、この辺居るんだって。ひかる、この地図見て場所わかる?」とエマからスマホを手渡される。そこには拡大された地図にピンが打たれたもののスクショが貼ってあって、どうやら車は川後橋の駅から少し外れてこちら寄りに居るようだった。流石、これは恐らく帰りの混雑を予想して、先にこちらで待って居たのだろう。念のため自分のスマホで地図アプリを出して、現在地を確認する。おおよそ私の予想通りの位置に居るので、このピンの場所まで行くことは可能だろう。
「おっけー、わかったよ」
「さっすがひかる、ナビより役に立つ」
と雑な褒められ方をされて複雑な気分になりつつ、私たちはその場所へと向かうことにした。そしてその道中、すぐに冴羽家の凄さを思い知ることとなる。
「人の流れはこっちですが、私たちはここから抜けてあの道に入ります」
と私がナビよろしく指を差す。冴羽家の車は人波からも外れられるような位置に停められていたのだ。五央が居るので大通りから外れ薄暗い道を歩くことも選べる。それもこれも全部計算通りなのだろう。五央は、
「本当にこんな住宅地みたいな道?」
と言うが、間違いないはずだ。多分少し行けばコインパーキングがあるはず……ほら。
「ピカピカ光ってるコインパーキングの看板、見えるでしょ? あそこに車停まってると思うよ」
そう言いながらその光のほうへと向かうと、確かにその住宅街の小さなコインパーキングにはそぐわない、黒いいかにも高級そうな車が一台、停まっていた。
「当たり~」
と私が自画自賛の拍手をしながら言うと、エマは当然、とまるで自分の手柄のように、胸を張り、五央は顎に手を当て不思議そうに私を見た。
そうして乗り込んだ車の中でも五央は、「ひかるって道覚えるのが得意なんじゃなくて地図がすぐ頭に入るってこと?」と訝しそうに尋ねてくる。
「うーんとね、両方」
「その空間把握能力はともかく、記憶力がひかるにあると思えないんだけど」
「そりゃ私は五央に比べたら勉強は出来ないし記憶力もないよ! でも道に迷ったことだけはないんだって!」
「うわぁ、案内してもらった身で五央、失礼~」
そんな花火の余韻なんて全くない会話のまま、車は殆ど行きと同じくらいの時間で冴羽家に戻ってきた。少しも渋滞に巻き込まれなかったということは、多分この運転手さんは私なんかよりずっとこの辺の地図が頭の中に詳細に入っているのだろう。
それから私たちは元の服に着替え、いよいよ魔法は解けた。夏の特別な一日は終わって、もうエンドロールだ。あとはきっと混んでいるであろう電車に乗って、帰るだけ。
そんなエモい気持ちになっていたから、すっかり忘れていた。
部屋を出ると、五央が少し緊張感をまとって立っている。あ、そうだ。そういえば今日はエマのお母さんが居るのか、と視線を泳がせると、部屋の奥の方からエマのお母さんがこちらへとやってくる。私と一緒に着替えていたエマも自分の母親なのに居ることをすっかり失念していたようで、隣で空気が変わるのがわかる。今日の物語はまだ終わっていなかったのだ。
「ひかるさん、もう夜遅いからお家までお送りするわ」
とエマのお母さんが言う。しかし、あの高級車に一人で乗る勇気はない。エマ、頼む、と視線を送ると、エマが、
「ひかるは車酔いしやすいから、川後橋までくらいの距離ならまだしもお家まではちょっと長過ぎます」
と助け舟を送ってくれる。ありがとう、エマ。
「でもこの時間に女の子一人で歩かせるのも……」
すると今度は五央が、
「今日は俺も帰らせていただくので、一緒に出水まで行きますよ。電車に乗れば安全ですから」
とアシストしてくれる。神! と私も、
「駅から家まではそんなに遠くないので!」
と下手したら今日一かもしれない笑顔でエマのお母さんに訴える。
「そうねえ……じゃあせめて出水までは車で送らせてちょうだい。一日浴衣で足も疲れているでしょうし。その後は五央、ひかるさんをお家まで送り届けてくれるかしら」
「わかりました」
おお? 取り敢えず、家まで高級車で送迎は回避されたようだ。
「ありがとうございます」
と私はお礼を言い(これは出水駅まで送っていただけることに関してだ、断じて家まで送られるのを回避出来たからではない)、その外面を貼り付けたまま冴羽家を後にしたのだった。
車の中でエマに「まじでありがとう本当にありがとう」と送った後、更にありがとうスタンプも送る。するとすぐ既読が付いて、「なんかひかる居るとお母さま機嫌良いし、こちらも助かりました! ありがと!」と返ってくる。あれは機嫌が良いのか私には判別が付かないが、受け入れられているのならなによりである。
それから五央に、
「さっき今日は帰らせていただく的なこと言ってたけど、五央は冴羽家に泊まるはずだったの?」
と聞く。
「はず……じゃないけど、いつも夜遅くなると泊まっていきなさいみたいな流れになるから。ほら、あの家なんでもあるから、手ぶらだって言い訳も出来ないだろ」
とぼやく。
「ほう、じゃあ図らずも50:50だった、と」
「そうなるな」
「じゃあ貸しはなしだね」
「今回の件では、な」
冴羽家の車でこんな話をして良いのかとも思うが、多分運転手さんや他のお手伝いさんたちもわかっていることだろう。
そうして道は特に混みもしていなかったので、五分もせず出水駅に着き、私たちは運転手さんにお礼を言い車を降りたのだった。
私と五央はここからカフェや図書館のある堀宮駅まで一緒で、お互いそこで違う路線に乗り換えだ。だからそこまでは同じ電車に乗る。休日とはいえ車内に人はまばらで、端から二人並んで座ることが出来た。
「私、堀宮から緑山線……ああ、川後橋のある路線に乗り換えだから、多分電車混んでるだろうなあ」
「でも結構堀宮で降りてるんじゃない?」
「そうだと良いけどなあ、どうだろう」
「まあ欲を言えば俺も座りたいしなあ」
「え? 五央の路線は別に座れるでしょ」
「え? 俺も送ってけって言われてるじゃん」
「え? 本当に送るの? いいよ別に」
「ひかるは良くても俺が良くないんだって、叔母さまこえーもん」
バレるか? と言いたいところだが、案外嘘のつけない五央、自分でボロを出す可能性はある。めちゃくちゃ申し訳ないし、これはもう完全に貸しになるが、最寄りまで送ってもらおうか……。うーん、でも……。
なんて悩んでいる間に堀宮駅に着いてしまい、そして「うーん……」と唸る私を無視して半ば強引に五央は緑山線の改札口まで入ってきた。もうここまで来られたら、素直に送ってもらう他ないだろう。
「ごめん、なんか泊まるより面倒なことにしてしまった」
と私が言うと、
「いやそれはない」
と五央はすごく真剣な顔で言ってきたので、多分本当にそうなんだろう。そうであって欲しい。
残念ながら緑山線はまだ混んでいて、座ることはおろか会話をするのもままならない状態だった。
「この状態で自分、まだ浴衣で下駄だったらって思うとゾッとする」
と小声で隣に立つ五央に言うと、
「周り、まだ浴衣の女の子多いもんな。すごいわ」
と辺りを目線で見渡し感心している。
さっきまで私も浴衣を着て、この子たちと同じ花火大会に行ってたなんて嘘みたい。
それから五央は実際に私の最寄り駅で一緒に降りてくれて、家の近くまで送ってくれるという。「本当に送ってくれなくても良いのに」と言ったら、「本当に送らないとバレると思うから」と五央は言ったけれど、別にここまで送らなくたって十分送ったうちに入ると思う。
でも折角の申し出だし、電車で浴衣姿の人たちを見てしまったらなんだかまだちょっと花火大会への未練がましい気持ちが甦ってきて、ついその提案に乗ってみてしまう。
「っていうかさ、エマのお母さんって、私、もっと怖い人だと思ってた」
なんだか二人で横並びになる気分でもなくて、五央の後ろを歩いていた私は、五央の背中しか見えないことを良いことに勝手に話し始める。
「んー……怖いことは怖いんだけど、まあ、話が全く通じない、とかではないんだよな。結構強引ではあるけど」
「強引ではあるけど、今日の帰りみたいに納得させられる理由があれば」
「そう、わかってくれると思う」
話は大きく飛躍するが……つまりは、エマと五央が婚約破棄するだけのちゃんとした理由を、エマと五央、二人とも持ち合わせていないのだ。
「だったらもう諦めて結婚しちゃえば?」
「話随分飛んだな……いや、出会ったときに戻ったのか?」
「エマと結婚出来るなんて、正直私含め全人類が羨ましがるよ」
「勘弁してくれよ」
「でも五央の勘弁してくれよは、エマが気に食わないわけじゃないじゃん」
こんなことを言うと、流石の五央も怒るかもしれない。踏み込みすぎ、出過ぎた真似かもしれない。
ふぅ、と私は小さく息を吐き、それからそれ以上の息をまた吸う。柄にもなく肩が上がる。
「五央はエマと比べられたり……勝てないのが嫌なだけでしょ? そういうのなくって、例えば五央と私みたいに、ずっと違う土俵に居て、比べられることも自分たちで比べる必要もないなってなったら、その時五央はエマのことどう思ってるの?」
私はじっと五央の顔を見つめる。五央は私のことを、最初に会った時みたいに睨むだろう、そう予想して身構えていたのに、五央は一人置いて行かれて泣きそうな子どものような、或いは優しいけどどうにもならない言葉で振られてしまって失恋した人のような、そんな表情で、ただ私をじっと見つめ返してきた。
しかし突然その顔が、回路が繋がってパッと明かりの点いた豆電球みたいに、まるっきり変わる。
「俺、今わかったわ」
五央の声が、やけに回って響く。私の少し先から発されたその声は、頭上に広がる広い星空のうちの一粒を辿って、コツンとアスファルトを寂しく響かせる私のヒールの音まで何億光年の距離を伝って円環になっている。誰かに何かがあってその人の世界が変容するときって、本当にこの世界自体も変わっているのかもしれない。信じられないけど、今確実に、私たちの足元と宇宙は繋がっている。
「でもひかるは、俺が何がわかったかはわかんないだろ」
「うん」
それでも私は自信たっぷり、満面の笑みで答える。
「でもそれって、今重要なことじゃないでしょ」
すると五央も満面の笑みで、「その通り」と答えた。
五央がわかったのなら良いのだ。エマを選ぼうと、選ばなかろうと。エマに選ばれようと、なかろうと。どうなったって五央が自分で選んで、そして出た結果なら、二人にとって悔いや遺恨のない結果になるに違いないのだ。二人は賢いし、大体正しいから。
「今度あれだな、ひーわと夢も呼んで、なんか夏っぽいことしたいな」
突然五央が面白そうな話をするので、私は思わず小走りし、五央の横に並びだす。
「そうだねえ、手持ち花火とかいっぱい買ってさ、わいわいしたいなあ。あ、でも花火ってやれる場所ないか」
「あ、そーいやうちのマンション、予約しとけば屋上で花火できるっぽいぞ」
「ええ、何それ?」
「なんかエントランスのとこの掲示板に貼ってあった。基本的に小中学生が花火やるか、あと週末に大人がバーベキューやるかって感じみたいだから、平日の夜中とかなら空きも結構ありそうだったよ」
私はそれを聞いて、そういえば五央宅、心情的には入りやすいファミリータイプのマンションだったとはいえ、エントランスもホテルか? ってくらい立派だったもんな、と少し前の探訪を思い出す。
「五央のマンションおっきかったもんね……でもまさかそんなしっかりとした屋上まであるとは」
「俺も最近まで気付かんかった。最近バケツと花火セット持って、小学生がマンションの階段をダッシュしてるのによく遭遇するんだよね」
「エレベーターじゃないんだ」
「そう。みんな階段なんだよな。多分エレベーター来るのも待ちきれないんだろうなあ」
「何その微笑ましすぎる光景」
「夢はやりそうじゃない?」
「わかる。で、ひーわは部活で階段ダッシュしてるからもううんざりってエレベーター来るの待つと思う」
「わかるわ~、目に浮かびすぎる」
ほんの三十分前くらいまでは、私も五央も神妙な面持ちでエマの家に居たとは思えないくらい、これって学校帰りだっけ? と勘違いしてしまう空気だ。私も五央も私服なのも、いつもは一人で歩いている、私の地元の道に五央が居るのも、それすらも全部当たり前のような気さえする。
「五央、絶対に夏休みもっともっと遊び倒してやろうな。夢とひーわとも、勿論エマとも」
私が仁王立ちで高らかにそう宣言すると、五央からは「おう」と笑いを堪えた声色で帰ってきたのだった。
「凄かったな、この辺でこんなしっかり花火が見れると思わなかった」
と最初に夢から醒める決断をしたのは五央で、
「そだね」
とエマも半分夢うつつながら相槌を打つ。
「連絡、しなきゃね」
と私が言うと、「うん」とエマはスマホを取り出す。いつの間にかかき氷の器は地面に置いていたらしい。
「じゃあ俺、ゴミ捨ててくるわ。ひかるのもちょうだい」
と五央がその地面に置いてあった器をひょいと拾い、そして私がずっと握りしめていた器にも手を伸ばす。
「ありがとう」
と私は器を渡し、そして一人だけやることがなく手持ち無沙汰になる。そういえば私、折角の花火だというのに写真の一枚も撮らなかったな。そう思ってなんとなく、夢のあとみたいな空を写真に収めた。
五央が戻ってきて程なく、「もう車、この辺居るんだって。ひかる、この地図見て場所わかる?」とエマからスマホを手渡される。そこには拡大された地図にピンが打たれたもののスクショが貼ってあって、どうやら車は川後橋の駅から少し外れてこちら寄りに居るようだった。流石、これは恐らく帰りの混雑を予想して、先にこちらで待って居たのだろう。念のため自分のスマホで地図アプリを出して、現在地を確認する。おおよそ私の予想通りの位置に居るので、このピンの場所まで行くことは可能だろう。
「おっけー、わかったよ」
「さっすがひかる、ナビより役に立つ」
と雑な褒められ方をされて複雑な気分になりつつ、私たちはその場所へと向かうことにした。そしてその道中、すぐに冴羽家の凄さを思い知ることとなる。
「人の流れはこっちですが、私たちはここから抜けてあの道に入ります」
と私がナビよろしく指を差す。冴羽家の車は人波からも外れられるような位置に停められていたのだ。五央が居るので大通りから外れ薄暗い道を歩くことも選べる。それもこれも全部計算通りなのだろう。五央は、
「本当にこんな住宅地みたいな道?」
と言うが、間違いないはずだ。多分少し行けばコインパーキングがあるはず……ほら。
「ピカピカ光ってるコインパーキングの看板、見えるでしょ? あそこに車停まってると思うよ」
そう言いながらその光のほうへと向かうと、確かにその住宅街の小さなコインパーキングにはそぐわない、黒いいかにも高級そうな車が一台、停まっていた。
「当たり~」
と私が自画自賛の拍手をしながら言うと、エマは当然、とまるで自分の手柄のように、胸を張り、五央は顎に手を当て不思議そうに私を見た。
そうして乗り込んだ車の中でも五央は、「ひかるって道覚えるのが得意なんじゃなくて地図がすぐ頭に入るってこと?」と訝しそうに尋ねてくる。
「うーんとね、両方」
「その空間把握能力はともかく、記憶力がひかるにあると思えないんだけど」
「そりゃ私は五央に比べたら勉強は出来ないし記憶力もないよ! でも道に迷ったことだけはないんだって!」
「うわぁ、案内してもらった身で五央、失礼~」
そんな花火の余韻なんて全くない会話のまま、車は殆ど行きと同じくらいの時間で冴羽家に戻ってきた。少しも渋滞に巻き込まれなかったということは、多分この運転手さんは私なんかよりずっとこの辺の地図が頭の中に詳細に入っているのだろう。
それから私たちは元の服に着替え、いよいよ魔法は解けた。夏の特別な一日は終わって、もうエンドロールだ。あとはきっと混んでいるであろう電車に乗って、帰るだけ。
そんなエモい気持ちになっていたから、すっかり忘れていた。
部屋を出ると、五央が少し緊張感をまとって立っている。あ、そうだ。そういえば今日はエマのお母さんが居るのか、と視線を泳がせると、部屋の奥の方からエマのお母さんがこちらへとやってくる。私と一緒に着替えていたエマも自分の母親なのに居ることをすっかり失念していたようで、隣で空気が変わるのがわかる。今日の物語はまだ終わっていなかったのだ。
「ひかるさん、もう夜遅いからお家までお送りするわ」
とエマのお母さんが言う。しかし、あの高級車に一人で乗る勇気はない。エマ、頼む、と視線を送ると、エマが、
「ひかるは車酔いしやすいから、川後橋までくらいの距離ならまだしもお家まではちょっと長過ぎます」
と助け舟を送ってくれる。ありがとう、エマ。
「でもこの時間に女の子一人で歩かせるのも……」
すると今度は五央が、
「今日は俺も帰らせていただくので、一緒に出水まで行きますよ。電車に乗れば安全ですから」
とアシストしてくれる。神! と私も、
「駅から家まではそんなに遠くないので!」
と下手したら今日一かもしれない笑顔でエマのお母さんに訴える。
「そうねえ……じゃあせめて出水までは車で送らせてちょうだい。一日浴衣で足も疲れているでしょうし。その後は五央、ひかるさんをお家まで送り届けてくれるかしら」
「わかりました」
おお? 取り敢えず、家まで高級車で送迎は回避されたようだ。
「ありがとうございます」
と私はお礼を言い(これは出水駅まで送っていただけることに関してだ、断じて家まで送られるのを回避出来たからではない)、その外面を貼り付けたまま冴羽家を後にしたのだった。
車の中でエマに「まじでありがとう本当にありがとう」と送った後、更にありがとうスタンプも送る。するとすぐ既読が付いて、「なんかひかる居るとお母さま機嫌良いし、こちらも助かりました! ありがと!」と返ってくる。あれは機嫌が良いのか私には判別が付かないが、受け入れられているのならなによりである。
それから五央に、
「さっき今日は帰らせていただく的なこと言ってたけど、五央は冴羽家に泊まるはずだったの?」
と聞く。
「はず……じゃないけど、いつも夜遅くなると泊まっていきなさいみたいな流れになるから。ほら、あの家なんでもあるから、手ぶらだって言い訳も出来ないだろ」
とぼやく。
「ほう、じゃあ図らずも50:50だった、と」
「そうなるな」
「じゃあ貸しはなしだね」
「今回の件では、な」
冴羽家の車でこんな話をして良いのかとも思うが、多分運転手さんや他のお手伝いさんたちもわかっていることだろう。
そうして道は特に混みもしていなかったので、五分もせず出水駅に着き、私たちは運転手さんにお礼を言い車を降りたのだった。
私と五央はここからカフェや図書館のある堀宮駅まで一緒で、お互いそこで違う路線に乗り換えだ。だからそこまでは同じ電車に乗る。休日とはいえ車内に人はまばらで、端から二人並んで座ることが出来た。
「私、堀宮から緑山線……ああ、川後橋のある路線に乗り換えだから、多分電車混んでるだろうなあ」
「でも結構堀宮で降りてるんじゃない?」
「そうだと良いけどなあ、どうだろう」
「まあ欲を言えば俺も座りたいしなあ」
「え? 五央の路線は別に座れるでしょ」
「え? 俺も送ってけって言われてるじゃん」
「え? 本当に送るの? いいよ別に」
「ひかるは良くても俺が良くないんだって、叔母さまこえーもん」
バレるか? と言いたいところだが、案外嘘のつけない五央、自分でボロを出す可能性はある。めちゃくちゃ申し訳ないし、これはもう完全に貸しになるが、最寄りまで送ってもらおうか……。うーん、でも……。
なんて悩んでいる間に堀宮駅に着いてしまい、そして「うーん……」と唸る私を無視して半ば強引に五央は緑山線の改札口まで入ってきた。もうここまで来られたら、素直に送ってもらう他ないだろう。
「ごめん、なんか泊まるより面倒なことにしてしまった」
と私が言うと、
「いやそれはない」
と五央はすごく真剣な顔で言ってきたので、多分本当にそうなんだろう。そうであって欲しい。
残念ながら緑山線はまだ混んでいて、座ることはおろか会話をするのもままならない状態だった。
「この状態で自分、まだ浴衣で下駄だったらって思うとゾッとする」
と小声で隣に立つ五央に言うと、
「周り、まだ浴衣の女の子多いもんな。すごいわ」
と辺りを目線で見渡し感心している。
さっきまで私も浴衣を着て、この子たちと同じ花火大会に行ってたなんて嘘みたい。
それから五央は実際に私の最寄り駅で一緒に降りてくれて、家の近くまで送ってくれるという。「本当に送ってくれなくても良いのに」と言ったら、「本当に送らないとバレると思うから」と五央は言ったけれど、別にここまで送らなくたって十分送ったうちに入ると思う。
でも折角の申し出だし、電車で浴衣姿の人たちを見てしまったらなんだかまだちょっと花火大会への未練がましい気持ちが甦ってきて、ついその提案に乗ってみてしまう。
「っていうかさ、エマのお母さんって、私、もっと怖い人だと思ってた」
なんだか二人で横並びになる気分でもなくて、五央の後ろを歩いていた私は、五央の背中しか見えないことを良いことに勝手に話し始める。
「んー……怖いことは怖いんだけど、まあ、話が全く通じない、とかではないんだよな。結構強引ではあるけど」
「強引ではあるけど、今日の帰りみたいに納得させられる理由があれば」
「そう、わかってくれると思う」
話は大きく飛躍するが……つまりは、エマと五央が婚約破棄するだけのちゃんとした理由を、エマと五央、二人とも持ち合わせていないのだ。
「だったらもう諦めて結婚しちゃえば?」
「話随分飛んだな……いや、出会ったときに戻ったのか?」
「エマと結婚出来るなんて、正直私含め全人類が羨ましがるよ」
「勘弁してくれよ」
「でも五央の勘弁してくれよは、エマが気に食わないわけじゃないじゃん」
こんなことを言うと、流石の五央も怒るかもしれない。踏み込みすぎ、出過ぎた真似かもしれない。
ふぅ、と私は小さく息を吐き、それからそれ以上の息をまた吸う。柄にもなく肩が上がる。
「五央はエマと比べられたり……勝てないのが嫌なだけでしょ? そういうのなくって、例えば五央と私みたいに、ずっと違う土俵に居て、比べられることも自分たちで比べる必要もないなってなったら、その時五央はエマのことどう思ってるの?」
私はじっと五央の顔を見つめる。五央は私のことを、最初に会った時みたいに睨むだろう、そう予想して身構えていたのに、五央は一人置いて行かれて泣きそうな子どものような、或いは優しいけどどうにもならない言葉で振られてしまって失恋した人のような、そんな表情で、ただ私をじっと見つめ返してきた。
しかし突然その顔が、回路が繋がってパッと明かりの点いた豆電球みたいに、まるっきり変わる。
「俺、今わかったわ」
五央の声が、やけに回って響く。私の少し先から発されたその声は、頭上に広がる広い星空のうちの一粒を辿って、コツンとアスファルトを寂しく響かせる私のヒールの音まで何億光年の距離を伝って円環になっている。誰かに何かがあってその人の世界が変容するときって、本当にこの世界自体も変わっているのかもしれない。信じられないけど、今確実に、私たちの足元と宇宙は繋がっている。
「でもひかるは、俺が何がわかったかはわかんないだろ」
「うん」
それでも私は自信たっぷり、満面の笑みで答える。
「でもそれって、今重要なことじゃないでしょ」
すると五央も満面の笑みで、「その通り」と答えた。
五央がわかったのなら良いのだ。エマを選ぼうと、選ばなかろうと。エマに選ばれようと、なかろうと。どうなったって五央が自分で選んで、そして出た結果なら、二人にとって悔いや遺恨のない結果になるに違いないのだ。二人は賢いし、大体正しいから。
「今度あれだな、ひーわと夢も呼んで、なんか夏っぽいことしたいな」
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「あ、そーいやうちのマンション、予約しとけば屋上で花火できるっぽいぞ」
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「なんかエントランスのとこの掲示板に貼ってあった。基本的に小中学生が花火やるか、あと週末に大人がバーベキューやるかって感じみたいだから、平日の夜中とかなら空きも結構ありそうだったよ」
私はそれを聞いて、そういえば五央宅、心情的には入りやすいファミリータイプのマンションだったとはいえ、エントランスもホテルか? ってくらい立派だったもんな、と少し前の探訪を思い出す。
「五央のマンションおっきかったもんね……でもまさかそんなしっかりとした屋上まであるとは」
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「エレベーターじゃないんだ」
「そう。みんな階段なんだよな。多分エレベーター来るのも待ちきれないんだろうなあ」
「何その微笑ましすぎる光景」
「夢はやりそうじゃない?」
「わかる。で、ひーわは部活で階段ダッシュしてるからもううんざりってエレベーター来るの待つと思う」
「わかるわ~、目に浮かびすぎる」
ほんの三十分前くらいまでは、私も五央も神妙な面持ちでエマの家に居たとは思えないくらい、これって学校帰りだっけ? と勘違いしてしまう空気だ。私も五央も私服なのも、いつもは一人で歩いている、私の地元の道に五央が居るのも、それすらも全部当たり前のような気さえする。
「五央、絶対に夏休みもっともっと遊び倒してやろうな。夢とひーわとも、勿論エマとも」
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※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
詠唱? それ、気合を入れるためのおまじないですよね? ~勘違い貴族の規格外魔法譚~
Gaku
ファンタジー
「次の人生は、自由に走り回れる丈夫な体が欲しい」
病室で短い生涯を終えた僕、ガクの切実な願いは、神様のちょっとした(?)サービスで、とんでもなく盛大な形で叶えられた。
気がつけば、そこは剣と魔法が息づく異世界。貴族の三男として、念願の健康な体と、ついでに規格外の魔力を手に入れていた!
これでようやく、平和で自堕落なスローライフが送れる――はずだった。
だが、僕には一つ、致命的な欠点があった。それは、この世界の魔法に関する常識が、綺麗さっぱりゼロだったこと。
皆が必死に唱える「詠唱」を、僕は「気合を入れるためのおまじない」だと勘違い。僕の魔法理論は、いつだって「体内のエネルギーを、ぐわーっと集めて、どーん!」。
その結果、
うっかり放った火の玉で、屋敷の壁に風穴を開けてしまう。
慌てて土魔法で修復すれば、なぜか元の壁より遥かに豪華絢爛な『匠の壁』が爆誕し、屋敷の新たな観光名所に。
「友達が欲しいな」と軽い気持ちで召喚魔法を使えば、天変地異の末に伝説の魔獣フェンリル(ただし、手のひらサイズの超絶可愛い子犬)を呼び出してしまう始末。
僕はただ、健康な体でのんびり暮らしたいだけなのに!
行く先々で無自覚に「やりすぎ」てしまい、気づけば周囲からは「無詠唱の暴君」「歩く災害」など、実に不名誉なあだ名で呼ばれるようになっていた……。
そんな僕が、ついに魔法学園へ入学!
当然のように入学試験では的を“消滅”させて試験官を絶句させ、「関わってはいけないヤバい奴」として輝かしい孤立生活をスタート!
しかし、そんな規格外な僕に興味を持つ、二人の変わり者が現れた。
魔法の真理を探求する理論オタクの「レオ」と、強者との戦いを求める猪突猛進な武闘派女子の「アンナ」。
この二人との出会いが、モノクロだった僕の世界を、一気に鮮やかな色に変えていく――!
勘違いと無自覚チートで、知らず知らずのうちに世界を震撼させる!
腹筋崩壊のドタバタコメディを軸に、個性的な仲間たちとの友情、そして、世界の謎に迫る大冒険が、今、始まる!
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