バラの招待状

如月一花

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第二十四話

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 優しくされても、お金を積まれても、決して許せることではなかっただろうし、アガサ自身の未来も奪ったのだろう。
「私なんて、生まれてこなければ……」
「マルヴィナ。アガサからそう言われたことはあったかい? アガサだって辛かったろうけれど、アストリー子爵とは関係ない領地の村で自分の力で生きると決めたのは、マルヴィナと共に生きようと決意したからじゃないかな」
「でも……足手まといだわ」
「最初はそうかもしれないけれど。アストリー子爵はそもそもアガサに必死に謝ったんだ。金だけじゃなく、様々な手を尽くすと誓ったそうだよ。でも、アガサが受け入れなかった。唯一頼んだのは月々の送金や、マルヴィナが学校に行きたいと言った時などは惜しまず出して欲しいということだけ。衣食住については、アガサが自分でなんとかすると言ったそうだ」
 その気持ちも、マルヴィナには痛いほどわかった。
 アストリー子爵が普段は真面目だろうと、堅実だろうと、アガサに暴力をふるいマルヴィナを身籠らせたのは間違いない事実なのだ。
 何から何まで揃えてもらえると言われても、アストリー子爵と顔を突き合わす生活はきっと苦痛だろう。
(私は、会いにいける?)
 ふっと思う疑問に、マルヴィナは心が揺らぐ。
 戦争さえなければ、アストリー子爵の起こした過ちはなかったろう。
 でも、それは言い訳に過ぎない。
 きっと今も真面目に堅実に生きているのだろうし、マルヴィナが責めれば、頭を下げるような人だろうと想像もつく。
 アガサをどう思っているのか、そしてマルヴィナをどう思っているのか、酷い言葉が待っていようと、聞けるのはマルヴィナしかいない。
 マルヴィナはぎゅっと下唇を噛むとそっと胸から離れた。
 胸元を抑えながら、レナードと静かに向き合うと気持ちを決めた。
「アストリー子爵に会って、話してみたいわ。例えどんな酷い言葉が待っていても」
「マルヴィナ。補足させてもらえば、アストリー子爵は思う程に凶悪な人間じゃないんだ。むしろ静かで温厚でね? 言ったろう? パーティが嫌いだって。村が反映することに熱心だし、アガサの事も悔いているばかりだと思う」
「でも、お母さんはアストリー子爵からのお金を使うことはなかったわ」
「そう、かもしれないけれど……」
「それは、アストリー子爵を恨んでいるからでしょう? 私なら恨むわ。だから、私はアストリー子爵の口から聞きたいの、謝罪の言葉を」
 自分でも思い切ったことを言ったと思った。
 ひた隠しにされているであろうアガサの事件を、アストリー子爵が認めるかも分からないのに、謝るなんてことをするかはもっと分からない。
 でも、アガサの人生を狂わせた事実をしっかりと娘のマルヴィナに謝って欲しいのだ。
(私が生まれてきた意味って何かしら)
 思わず考えそうになり、首を振った。
 アガサはもっと辛かったろうし、その想いを抱えたままマルヴィナに愛情を注いでくれた。
 貧しい生活でも、アガサといれば幸せだった。
(私にはアガサがいるもの)
 瞬間、レナードの事が頭によぎる。
(なんで、レナード⁉)
 思わず本人を見て作り笑顔をしてしまうが、レナードは優しい笑みを見せてくれるだけだ。
 何を考えてしまったんだろうと頬に触れていると、レナードが窓の方に歩いていき、そっと背を向けて話始めた。
「マルヴィナは村でつましく生活しているのに、決して腐るような女性じゃなかった。きっと子爵令嬢という身分を知っていたとしても、村では元気に生活していたんだじゃないかな」
「……」
 レナードから褒められてしまい、マルヴィナの胸がまた鳴り始めてしまう。
 それでなくてもさっきまで抱き合っていたせいでレナードを意識してしまうし、マルヴィナの事を想ってくれているという気持ちは充分過ぎるほど感じている。
(好きになっても、いいのかしら……でも……私じゃ)
「マルヴィナ。アガサの事は心配ないよ。フィッシャー家の別荘に住んでもらっている。すぐに言おうと思っていたのだけれど、中々言いだすきっかけがなくてね。アガサが無事だと分かった途端、マルヴィナは帰ると言いだしそうだから」
「別に、私は招待状の命に従います」
「そうかな」
 レナードは苦笑して、マルヴィナをじっと見つめてくる。
 その緑色の瞳はさっきよりも熱がこもるような気がした。
 どくんとマルヴィナの胸が跳ね、ふたりの距離がこれ以上縮まらないように一歩下がる。
 幸い、レナードは窓際に離れているので近づいてきたら大声でキャシーを呼ぶことも出来るだろう。
(でも、それでいいの?) 
 早鐘のように鳴り始める胸を抑えながら、マルヴィナはじっとレナードを見つめた。
 するとレナードはそっとマルヴィナの方に近寄り、じりじりと壁に追いやられてしまう。
(キャシーを、でも……)
「マルヴィナ。私の気持ちは固まった。マルヴィナは強引な男は嫌いだろう? じゃあ、どういう男性ならいいかな? 散々デートをして、私が強引過ぎるんじゃないかと反省しているんだ」
「別に、それは……そういう、ことはありません」
 声を絞り出すように言うと、マルヴィナは目を見ていられずに俯いた。
 顔が近づき、吐息が耳元に掛かる。
「私は本気だ。こんなことは暴くべきではないと分かっていたが……。傷つけてしまったことを、謝るよ」
 ぞくりとする低い声音に、マルヴィナは体を震わせた。
 胸はバクバクと鳴り、耐えきれないような状況だ。
 初めて会った頃ならば、きっと押し返していただろう。
 でも、今のマルヴィナにはそれが出来そうにない。
(私も、レナードが好き)
 まだ言えそうにない言葉を心で呟くと、マルヴィナはそっとレナードを押し返そうとした。
 けれどレナードはそうはさせまいとマルヴィナの唇を塞ぐ。
「……んっ」
 ぐいっと腰を引き寄せられたが、マルヴィナは抵抗はできなかった。
 次第に口腔に舌先が割入ると、マルヴィナは口を開けて受け入れいた。
「……はぁ……んっ」
「今日は素直だね」
「ち、が……んっ」
 鼻先から甘ったるい声が出てしまうと、マルヴィナ自身も驚いてしまい、腰を引いて逃げようとする。
 けれど舌先を絡め取られて舐られてしまうと、マルヴィナそれだけで蕩けてしまいそうになる。
 このままではいけないと、マルヴィナはぐっと腕に力を込めて押し返す。
「だめ……レナード」
「分かってるよ。でも、キスは許してくれたみたいだね」
「そういうつもりはっ!」
 そう言い返すものの、下肢がジンと熱を帯びる程の濃厚なキスにマルヴィナはもはや抵抗するのだって必死な状態だった。
 ましてや、自分の気持ちに気が付いたのだし、レナードからは結婚相手にと言われている。
 でも、まだ自分の中で気持ちがまとまらない以上は、それ以上は許してはいけないと思った。
 レナードはきちんと順番を追って欲しい。
「あ! 言い忘れていた。マルヴィナ。アストリー子爵に会う時は、私の婚約者であると嘘を付いてくれないかな。その方がアストリー子爵も喜ぶだろうから」
「でも、すぐに嘘だとバレませんか? 私は、その、本来は村で育っていたのだから」
 マルヴィナは俯きながらスカートの裾の綺麗なレースを弄りまわし、困惑してしまう。
 アガサが逃げた村だって知っているだろうし、村育ちの娘がフィッシャー家の長男と婚約など無理なことくらいは、誰だって分かる。
「そのことなら問題はない。薔薇の招待状は有名だからね。そこで見つけたと嘘を付くよ。既に決まった、そういう事にしよう。実際、大した嘘でもないだろう? マルヴィナも初めに比べれば私を好きになったろうし」
「それは! その……そうかもしれませんが」
 思わず本音を言ってしまうと、レナードが目を丸くしマルヴィナを見つめてくる。
 もはやレナードに嘘ばかり付いていられないと、マルヴィナは小さく頷くが、まだ好きとは到底言えそうもない。
「今のは建前じゃないよね?」     
「私は嘘は苦手です」
「じゃあ、好きになりかかっているということ?」
 またずいずいと壁に追いやらて、マルヴィナの顔を覗き込んでくるものだから、恥ずかしさでどうにかなりそうだ。
 顔を逸らしてレナードを必死に押し返す。
「今はまだ分かりません! 婚約者のフリならしますっ! しますから、少し離れてください」
「そうなのかい? それより、マルヴィナの力は強いね」
 よろりとよろめくレナードを見て、マルヴィナは慌てて手を差し伸べる。
 するとそのまま手を引かれてしまい、抱きしめられた。
 爽やかな香水の香りがマルヴィナを包み、広い背に顔を埋めてしまう。
「じゃあ、当日は婚約者だよ? いいかな?」
「……はい」
「もう少しこのままでもいいかな。マルヴィナはいつも上手く私から逃げるからね」
「……少しだけなら」
 マルヴィナは鳴り始めて止まらない鼓動を聞きながら、レナードに抱きしめられた。
(温かい)
 レナードに初めて体を自分からあずけて、マルヴィナは安心するようでいて気持ちが落ち着かないような、切ない想いで一杯になった。
 自分が恋をしていると実感するばかりになり、レナードを直視することが出来ずに俯いたまま抱きしめられ、互いにしばらくそのまま抱きしめあった。
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