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第三章 ふたりのインターンシップ
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「まず、番号札を右手で持って、バッグの取っ手の下から入れて、左手に一旦、持ちかえて……」
篠田さんと高嶺さんの間に舞香は立ち、マフラーや手袋などの小物類を入れるビニールバッグを使って「クローク結び」のやり方を説明していた。
「クローク結び」というのは、結び目が崩れにくいがほどきやすい結び方で、クロークに入るとまずこれを覚える。
舞香は一度実演して見せた後に、二人に実際にやってもらっていた。
高嶺さんは、結び方を説明する舞香の言葉に頻繁に相づちを打ち熱心さを見せるが、指先はどこかぎこちない。完成した結び目は緩く、すぐに崩れてしまった。
その度に、困ったような笑顔を向け舞香に助けを求める。
「あれ? 難しいですね。もう一度お願いします、菱野さん」
それに比べて、篠田さんは終始うつむきがちで、舞香と目を合わせようとはしない。しかし、真剣な表情で静かに作った結び目は、何度か練習するだけで完璧に仕上がっていた。
番号札の位置も結び目の固さも、舞香が結んだものと寸分変わりない。
「篠田さん、すごーい、完璧だよ」
舞香は驚きを隠せずに小さく拍手を贈ると、篠田さんは照れたような笑顔を見せた。
練習の合間に実際にゲストが預けに来たりもして、それを繰り返しているうちに、高嶺さんも「クローク結び」に慣れてきた。
不意に麗奈が裏から顔だけ覗かせて「どお?」と様子を聞きにきた。
高嶺さんは人懐こい笑顔をさらに輝かせ、明るい声で麗奈に報告した。
「れいさん! すごく楽しいです! 特に菱野さんの教え方が丁寧で、私、もう結び方もバッチリです! 」
高嶺さんは自分自身の熱意と接客への意欲だけを強調した。
颯爽とカウンターに現れた麗奈はその答えに満足そうに頷き、今度は舞香に話しかける。
「万由子が休憩から戻ったら、二人を連れて館内見学行ってきてー」
その命令がかった口調に、舞香は石のように固まった。「教える」ことが大の苦手の舞香にとって、これは最大の試練なのだ。「クローク結び」を教えるだけで体力を全て使い切ってしまったような気持ちになっていたところに、この仕打ちだ。
今までの「教え好き」の麗奈なら、自分が率先して行くはずなのに、最近はそういうことは舞香に丸投げしようとする。
体調不良になる前の麗奈と復帰後の麗奈を思い返してみた。
(……完璧なれいさんではなくなってる気がする……)
舞香は四階をひと通り案内すると、五階へ向かった。五階はブライダルサロンがないくらいで、四階とほぼ同じ造りになっている。
五階はちょうど大宴会の最中で、ホワイエは人の行き交いが激しい。宴会場の扉を開けると、アトラクションの演奏の音、楽しそうな話し声や笑い声、料理の温かい香りが一気に押し寄せてきた。
しばらくその雰囲気に浸かってから宴会場を出ると、次に六階へと向かう。
階段を上がりきると小さな中庭が見えてきた。そこに降りそそぐ陽射しは、ガラス張りの壁を複雑に濾過され、大理石で作られた長い廊下にこぼれ落ちる。
舞香は時間すらゆっくりと流れているような錯覚を覚える。篠田さんも高嶺さんも「わあ」と囁くような感嘆の声を出すだけだった。
五階の喧騒とは対照的に、六階は完全な静寂に包まれて、まるで世界から切り取られた空間のようだった。
「今日は鍵が開いていないから、見るだけでーす」
舞香はガラス張りの扉に手を伸ばし念のため確認してみたが、閉まっていた。
オリーブの木の横にある小ぶりの噴水からのわずかな水音が、風に吹かれる度に不規則に聞こえてくる。
それは舞香の心のざわめきを表しているかのように思えた。
ガラス張りの扉に映る篠田さんのうつむきがちな表情と高嶺さんの人懐こい笑顔を見比べていた。
舞香は中庭の向かい側にある教会を見てから四階に戻ることにした。来るときにはゲスト用の階段から上がってきたので、今度は従業員用のエレベーターで四階まで降りて行った。
(……私、高嶺さんなんか苦手だな……調子いいけど……)
篠田さんと高嶺さんの間に舞香は立ち、マフラーや手袋などの小物類を入れるビニールバッグを使って「クローク結び」のやり方を説明していた。
「クローク結び」というのは、結び目が崩れにくいがほどきやすい結び方で、クロークに入るとまずこれを覚える。
舞香は一度実演して見せた後に、二人に実際にやってもらっていた。
高嶺さんは、結び方を説明する舞香の言葉に頻繁に相づちを打ち熱心さを見せるが、指先はどこかぎこちない。完成した結び目は緩く、すぐに崩れてしまった。
その度に、困ったような笑顔を向け舞香に助けを求める。
「あれ? 難しいですね。もう一度お願いします、菱野さん」
それに比べて、篠田さんは終始うつむきがちで、舞香と目を合わせようとはしない。しかし、真剣な表情で静かに作った結び目は、何度か練習するだけで完璧に仕上がっていた。
番号札の位置も結び目の固さも、舞香が結んだものと寸分変わりない。
「篠田さん、すごーい、完璧だよ」
舞香は驚きを隠せずに小さく拍手を贈ると、篠田さんは照れたような笑顔を見せた。
練習の合間に実際にゲストが預けに来たりもして、それを繰り返しているうちに、高嶺さんも「クローク結び」に慣れてきた。
不意に麗奈が裏から顔だけ覗かせて「どお?」と様子を聞きにきた。
高嶺さんは人懐こい笑顔をさらに輝かせ、明るい声で麗奈に報告した。
「れいさん! すごく楽しいです! 特に菱野さんの教え方が丁寧で、私、もう結び方もバッチリです! 」
高嶺さんは自分自身の熱意と接客への意欲だけを強調した。
颯爽とカウンターに現れた麗奈はその答えに満足そうに頷き、今度は舞香に話しかける。
「万由子が休憩から戻ったら、二人を連れて館内見学行ってきてー」
その命令がかった口調に、舞香は石のように固まった。「教える」ことが大の苦手の舞香にとって、これは最大の試練なのだ。「クローク結び」を教えるだけで体力を全て使い切ってしまったような気持ちになっていたところに、この仕打ちだ。
今までの「教え好き」の麗奈なら、自分が率先して行くはずなのに、最近はそういうことは舞香に丸投げしようとする。
体調不良になる前の麗奈と復帰後の麗奈を思い返してみた。
(……完璧なれいさんではなくなってる気がする……)
舞香は四階をひと通り案内すると、五階へ向かった。五階はブライダルサロンがないくらいで、四階とほぼ同じ造りになっている。
五階はちょうど大宴会の最中で、ホワイエは人の行き交いが激しい。宴会場の扉を開けると、アトラクションの演奏の音、楽しそうな話し声や笑い声、料理の温かい香りが一気に押し寄せてきた。
しばらくその雰囲気に浸かってから宴会場を出ると、次に六階へと向かう。
階段を上がりきると小さな中庭が見えてきた。そこに降りそそぐ陽射しは、ガラス張りの壁を複雑に濾過され、大理石で作られた長い廊下にこぼれ落ちる。
舞香は時間すらゆっくりと流れているような錯覚を覚える。篠田さんも高嶺さんも「わあ」と囁くような感嘆の声を出すだけだった。
五階の喧騒とは対照的に、六階は完全な静寂に包まれて、まるで世界から切り取られた空間のようだった。
「今日は鍵が開いていないから、見るだけでーす」
舞香はガラス張りの扉に手を伸ばし念のため確認してみたが、閉まっていた。
オリーブの木の横にある小ぶりの噴水からのわずかな水音が、風に吹かれる度に不規則に聞こえてくる。
それは舞香の心のざわめきを表しているかのように思えた。
ガラス張りの扉に映る篠田さんのうつむきがちな表情と高嶺さんの人懐こい笑顔を見比べていた。
舞香は中庭の向かい側にある教会を見てから四階に戻ることにした。来るときにはゲスト用の階段から上がってきたので、今度は従業員用のエレベーターで四階まで降りて行った。
(……私、高嶺さんなんか苦手だな……調子いいけど……)
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