屁理屈娘と三十路母

小川 梓

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ただいま

ただいま 07

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重たくなった玄関の扉がほんの少しだけ軽くなったと感じながら母と豊川さんの声を待った。私は人を嫌いになれないが、それはそれでいい事だろう。豊川さんのことを好きにはなれないと思う。でも、好きなふりはできる。目に見える行動。それを大切にして、自分の偽りを受け止めよう。そうすればいつか――
でもね。ゆみちゃん。それは自分が苦しいだけ。優しくいようと思えば簡単だけど、自分に正直に生きようとするのはとっても難しいの。偽ってばかりだと、つらいだけ。全てに正直になってしまうと傷つく人が沢山いるかもしれない。だから人間って色々と折り合いをつけて発言して行動して生きているの。だからあなたが悩んで考えてどうしようって思っているのは当たり前のことで、それが優しさにつながってるんだよ。だからゆみちゃんの持つその優しさはそのままでいいと思う。それでちょっとだけ自分にわがままでいいと思う。あまり自分を偽ってばかりだと苦しいから。
 深田先生。私は優しくて、それでいつも痛い。だからその痛みにかこつけて知らないふりをしてみよう。分からないバカ(これは言い換えたい)なふりをしてみよう。
「ただいま」
 私はもう一度、声を出した。
2回目のただいまに小さい声でおかえりが聞こえた。普段ならこの時間でも聞こえるはずの低い声が聞こえなかった。
母はダイニングテーブルを前に座り、失恋の雰囲気を出していた。
「豊川さんは?」
まだ仕事? と聞こうとしたが、母のその様子にそれが的外れであることが容易に分かった。
「別れた。出て行ってもらった」
 今朝まで仲睦まじく、楽しそうに会話していた母と豊川さんを思い出し、何がそうなったのか分からなかった。
「豊川さん、やっぱり子持ちは無理だって」
「ごめん、私が上手くやれなかったから」
「いや違うよ。ゆみはよく受け入れて暮らしてくれた。私はね、ゆみも受け入れてくれる人がいいの。お母さん諦めてないからね。次次! いい人いないかなー」
 母のいきなりの豹変っぷりとその根性にに思わず吹き出してしまった。それは母の「晩御飯にしましょう」の言葉で落ち着きを得た。
少しだけ量が減り、広く感じるテーブルに夕食が並ぶ。
「ドレッシング、何にする?」
 冷蔵庫を前に聞く母に質問を返していた。
「ドレッシングってどうしてドレスってついてるの? 野菜にドレスをかけるってこと? ドレッサーはerをつけて人を表してるけど、ingつけて現在進行形っておかしいよね。ものその物が進行形なの。存在の全てが進行形っておかしくない。人間がかけるってならないと進行できないはずなのに」
「もういいから。ごまドレでいい?」
「うん、それで」

                    終わり
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