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第七話

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「バーナードの馬鹿やろうぅぅ!」

 一気にグラスの酒を飲み干して悪態をつけば、泥酔した私を面白そうに眺めつつヴァージルが更に酒を注いだ。

「おー、飲め飲め」

 神父さんから聞いた地上げ屋の話を悲愴さを漂わせつつ語っているのに、ヴァージルは平然といつもの余裕の笑みを浮かべるばかりで納得がいかない。

「この店が無くなっても良いっていうの?」
「そういう訳じゃねーよ。まあ、何とかなるさ」
「本当に? ほんと―にそう思ってる?」
「ああ」

 既にアルコールは脳を浸し、船に乗っているような感覚だった。感情があっちこっちに行き来して、とりとめのない事を考えてしまう。
 目の前の男は長い足を組んで机に肘をつき、何が面白いのか楽し気にこちらを見ていた。
 何で、こんな綺麗な人が私の前に座っているんだろう。特に手入れもしてないのに、肌に毛穴もないし。
 腹が立って私の顔を覗き込むヴァージルの頬に手を伸ばす。

「ん? どうした?」

 彼は少し驚いた表情だったが、すぐに私の奇行を受け入れて猫のように目を細めた。

 やっぱりすべすべだ。

 掌の感触が余りにも気持ちよくて、悔しさを紛らわす為に頬を少し引っ張ってみる。

「あははは、変な顔!」
「おい……」

 流石に許してはくれなかったようで、私の手を払う。けれどそれが唐突に悲しくなって、涙がせり上がってきた。

「泣くなよ……」

 ヴァージルはいつになく困った様子で、眉を八の字にして額に手を当てた。

「ごめんねぇ、ごめんねぇ……」

 ああ、駄目だ。悲しみが制御できない。普段は酔ってもこれほど面倒にはならないのに。気を許したヴァージルの前だからだろうか。

「この店ね、おばあちゃんが私にくれたの」
「そうか」
「身寄りのない私に居場所をくれてね」
「……そうか」
「無くなっちゃうのかなぁ」
「それはさせねぇ」

 頼もしい返事に嬉しくなり、涙が止まる。笑顔を向ければヴァージルも安心したのか、いつもの笑みを浮かべた。

「ふふ、ありがと!」

 ご機嫌な私はこの感謝を全身で表すべく、ヴァージルに勢いよく抱きついた。
 膝の上に乗り、首に腕を回して彼を閉じ込める。人の体温が嬉しくて、彼の肩に顔を埋めた。

「酒くせぇ」

 ヴァージルがどんな顔をしているかは見えない。けれど笑っているような声に、不快に思っている訳ではないのだと分かった。

「ヴァージル。ありがとうね。……貴方が居てくれてよかった」
「ん。友達だからな」

 ヴァージルの友達が私一人なのを思うと、特別感に浸れて気分が良くなる。
 肩から顔を上げ、宝石のように綺麗な緑色の目を覗き込んだ。

「私の友達。平穏が傍らにあって、祝福の声が貴方を導く。貴方がいつも幸福の中にありますように」

 神父さんがよく信者に対して使う言葉を捩り、ヴァージルの幸福を祈願する。宗教行事の時、親が子に対して贈る言葉でもあった。
 ヴァージルは目を瞬かせて、眩しい物を見るような視線を私に向けた。何と言ったら良いのか分からないような顔。
 それを眺めている内に意識は遠くなり……、暗転した。
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