上 下
49 / 64

第四十九話

しおりを挟む
 城の入り口で帰りを待っていた私は、担架で騎士団に運ばれてきたヴァージルの姿を見て言葉を失った。
 顔と腕に酷い火傷を負っているらしく、その為包帯で広範囲を覆われている。
 目は固く閉じられていて穏やかな表情ではなく、悪夢に魘されているのか苦し気に眉を寄せて時折うめき声をあげていた。

「ヴァージル……」

 彼の強さを疑った事はない。ドラゴンも倒せるだろうと信じていた。けれど、こんな酷い姿で帰って来るなんて。
 青ざめて呆然とする私に、ロンメルさんが頭を下げて言った。

「この火傷は騎士団を……守って下さった時に負ったものです。ヴァージル殿をこのような状態にしてしまい……申し訳ありません」

 その言葉に切ないものが込み上げて、首を横に振った。

「いえ。……ヴァージルと共に戦って下さってありがとうございました。騎士団の方が無事でよかった」

 震える声で、辛うじてそう言葉に出来た。無事なヴァージルの右の顔の頬に手を添えると、熱を出しているのが伝わってくる。
 オズワルドが傍に寄ってきて、今の状況を説明してくれた。

「意識下で使い魔にしようとしたドラゴンの抵抗にあってるみたいなんだよね。それで表の意識を保つ余裕がないみたい。でも、時間はかかるけどヴァージルなら戻って来るよ。『暴食』だしね。火傷だって、僕達なら直ぐ治るさ」

 彼の楽観的な言葉を信じるしかなかった。頷いて溢れてきた涙を指で拭う。
 アストーリ領の方々はそんな私に痛ましい視線を向け、ヴァージルを部屋に運んでくれた。
 侯爵が手配してくれた医者が帰った後、ベッドの上に眠るヴァージルの傍に座って手を握る。
 二人きりの静かな部屋に、時折彼の苦しむ声が響いた。
 まだ、ヴァージルとドラゴンの戦いは終わっていない。

「……頑張って」

 声をかけてみると、少しだけヴァージルの眉間の皺が薄くなった気がした。聞こえているように見えて、更に口を開く。

「騎士団の人、庇ったんだってね」

 彼は変わった。私が望むとおり、周囲の人にも目を向けるようになった。
 けれどその為にこんな酷い怪我を負ったと知り、何が正しいのか分からなくなる。

「ごめんね……ヴァージル。私のせいだ。私のせいで、ヴァージルはいつも酷い目に合う」

 握った彼の手に上に私の涙が落ちていった。
 彼の言う通り、この場所に来なければ良かったのだろうか。
 それよりも魔天会を倒す決意をしなければ良かったのか。
 出会い自体が、間違えていたのだろか。
 ヴァージルと出会ってから、私は幸せだった。異世界から来た孤独は、彼がいつの間にか癒してくれた。漸く地に足が付いた気がした。
 けれどその私の幸福は、ヴァージルの犠牲にしないと得られないものなのだろうか。
 暗い気持ちで静々と泣いていると、後ろからオズワルドに声をかけられた。

「そう言ってやらないでよ」

 いつからいたのだろうか。振り向けばオズワルドが後ろに立っていて、私の隣に立ったかと思うとヴァージルを覗き込んだ。
 苦悶の表情を浮かべる彼を見て、申し訳なさそうな顔をする。ヴァージルの力を頼るしかない彼も、負い目を感じているのかもしれなかった。

「同じような目にあったからさぁ。分かるんだ。昔はどんなに苦労しても、先には何もなかった。でも今は違う。ちゃんと、報われる努力をする事が出来る。君の為に」

 オズワルドは淡く微笑んだ。彼の言葉が胸に染みる。

「だからヴァージルはそれでカナが気に病むのを、望んでないよ」

 申し訳ない気持ちがずっと胸にあった。ヴァージルが自分を変えようと、努力しているのが分かったから。
 けれどオズワルドのお陰で、それよりも大切な事に気が付く。
 私に必要なのは、ぶれる事無く信じ続ける事なのだ。ずっと二人、一緒にいる未来を目指して。

「幸せな奴だ」

 それが少し羨ましそうな表情だったから、私は言わずにはいられなかった。

「……オズワルド。貴方も同じ。幸せになれるよ」
「そうかな……。僕がそれを探すのは、魔天会の後にするよ」

 オズワルドは困ったように頬を掻いた。彼の目標は魔天会への復讐で、それが終わるまでは先の事など考えられないのだろう。
 でもきっと、彼も大切なものを見つけられるに違いない。

「オズワルドは大丈夫? 一緒に戦ったんでしょう?」
「僕は魔力が枯渇してるだけさ。暫く休めば、全然平気」

 どうやら大きな怪我はしていないようで、証明する様にオズワルドは体を動かしてみせた。

「良かった。……話してくれて、ありがとう。ちょっと心が軽くなった」

 私が少し笑ったのを見て、オズワルドは安心したようだった。

「どういたしまして。じゃあ、僕はまだ報告とかしなきゃいけないから」

 長居せずに彼は部屋から出て行ってしまう。きっと心配して様子を見に来てくれたに違いない。
 そっとヴァージルの手を撫でて、彼の苦痛が少しでも和らぐように祈った。
 こんな普通の私を、特別にしてしまった人。
 私がいなければ、世界から色を失ってしまう人。
 貴方の幸せを、いつだってどんな時だって、願っている。
 ヴァージルの感情が私に何か伝わらないかと思い、目を閉じて集中してみた。けれど特に感じるものはなく、そう上手くはいかないらしい。
 それならば。
 私は感情が伝わるようにと願いながら、ヴァージルの唇にそっと自分の唇を重ねた。
 一人じゃない。傍にいる。ヴァージルの帰りを待っている。
 ……愛している。

「戻って来て」

 彼の表情が随分と穏やかになったように見え、安堵の息を吐く。
 私は只管寄り添い、彼の精神がドラゴンに勝利するのを待ち続けたのだった。






 闇しか見えない場所で、その場所だけ照らされたかのように少年の姿だけが浮かび上がる。
 十五歳程だろうか。その少年の顔には見覚えがあった。

「お兄ちゃん」

 あちらの世界で分かれたはずの、兄である。活発そうな顔をして、実際元気に山の中を走り回るような人だった。
 懐かしさに切なくなる。兄の姿が見えるならば、この場所はきっと夢の中なのだろう。
 自信に満ちた表情で、いつもカナの事を守ってくれていた。

「加奈―? 何処だー?」

 私がこの世界に来てしまった直後なのだろうか。焦った表情で周囲を見回している。
 何度も私の名前を呼び掛けて、藪の中を掻き分けたり何処かを覗き込むような仕草を見せる。

「おかしいなぁ」

 額から流れる汗を拭い、彼の表情が深刻になっていく。

「お兄ちゃん、ここだよ!」

 声をかけて呼びかけてみるも、聞こえていないようで反応がない。
 彼はずっと必死に、私を探し続けている。手を草で切り、顔に土をつけて、呼びかけを続けている。
 疲れ果てた兄は立ち止まり、膝に手をついて呼吸を整えた。
 そして顔を上げて再び私を探そうとした所で、不思議そうな顔になった。
 何が見えているのだろう。しかし、彼の視線の先を私が見る事は叶わない。
 兄の姿が闇に溶けて見えなくなる。
 夢は深まり、やがて目が覚めた時には全てを忘れてしまっていた。

しおりを挟む

処理中です...