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序章①
しおりを挟む月夜の青白い光が差し込む中、闇色の髪の青年が私の身体に覆い被さり、その大きな手で私の首を強く絞めていた。
青年の鮮やかな緋色の瞳には、私に対する深い憎悪が宿り、残酷な程に冷たく輝いていた。
ああ──私はここで死ぬのだ。
そう悟った時、不思議と抗う気持ちも湧かず、これが定めなのだと素直に受け入れた。
十年前に犯してしまった罪の償いなのだと。
この世に私を愛していると言ってくれたあの人はもういない。
それも全て自分のせいだった。
そんな私に、生きる価値など何もない。
首を絞められている苦しみの中、かつての幸せな思い出が走馬灯のように浮かんでは、儚く消えて行く。
本当にごめんなさい……
私は今も、あなただけを愛してる。
眥から一筋の泪がこぼれると、私は静かに目を閉じた。
◆ ◆ ◆
私は公爵だった父の妾の子として生を受けた。
父はロメイン王国を治める国王陛下の弟で、王家の血を引く人であり、その妾である母は、没落寸前の男爵家出身で、元は公爵家に使える女中だったらしい。
そんな母が屋敷の主と関係を持ち、身ごもってしまった為に屋敷から追い出され一人で私を産んだ。
私と母は父が用意した小さな家で、慎ましくも穏やかな生活を送っていた。
そんなある日、私の身体に突如紋様が現れた。
胸元に現れた雪の結晶のような紋様は、異能という特殊能力を持つ者の証として現れるもので、大陸一の大国と言われるロメイン王国でも、ごく一部の人間にしか現れていない類い稀なものだった。
そのような紋様が、当時六歳だった私の身体に現れて、驚き混乱した母は父に相談した。
『ソフィアは私が引き取ろう。紋様が現れた事は他言するでないぞ』
妾の子である私に、今まで何の関心も示さなかった父が、この身体に異能者の紋様が現れた途端、手のひらを返すように引き取ると言い出した。
そんな父の態度に母は不信感を募らせたが、公爵である父との圧倒的な身分差を前に、要求を受け入れるしかなかった。
そして私は母の元を離れ、公爵家に引き取られた。
妾の子である私を、正妻が可愛がってくれる筈もなく、引き取られたその日から陰湿な嫌がらせが始まった。
食事を抜かれるのは日常茶飯事で、目障りだからと言って暗い地下室に閉じ込められたり、母に貰った大切なネックレスを壊されてしまったり……そんな嫌がらせに、ひたすら耐え忍ぶ日々だった。
そんな義母も公爵夫人としての矜持なのか、父や義兄の前では優しく完璧な義母として私に振る舞っていた。
コロコロと態度が変わる義母の腹の内が恐ろしくて、私はいつも怯えながら生活していた。
公爵家に来て半年が過ぎた頃、私が寂しい思いをしていないか心配した母が、手作りの白いうさぎのぬいぐるみを送ってくれた。
少々不格好なそのぬいぐるみは、可愛いとは言い難い代物だったが、母が私を想いながら一針一針繕ってくれたのだと思うと愛着が湧いてきて、毎日肌身離さず抱いて寝ていた。
そんなある日、義母は私が大切にしていたそのぬいぐるみを目の前で引き裂いた。
『あんな女が作った人形など、公爵家に相応しくないわ!』
うさぎのぬいぐるみは頭と胴体が無惨にも引き裂かれ、綿が周囲に飛び散った。
義母は私の足元にぬいぐるみを投げ捨てると、気が済んだのか踵を返し部屋から出て行った。
大切にしていたぬいぐるみを引き裂かれた私は、庭にある物置小屋に籠りずっと泣いていた。
「大丈夫?」
そんな時、戸口の方から不意に声をかけられた。
私は驚いて顔を上げると、そこには光輝く銀髪に、澄んだ湖のようなエメラルドグリーンの双眸を持つ美しい少年が立っていた。
思わず見惚れてしまいそうなほど華やかな容姿をしたその少年はこの国の第二王子であり、私の従兄妹でもあるフェリクス殿下だった。
私の一つ年上の八歳である彼は、いつも優しく穏やかで、春の暖かな陽光のような雰囲気を纏う人だった。
そんな彼は国王陛下と共に公爵家を何度か訪れおり、私も少しだけ言葉を交わした事があった。
「そのぬいぐるみは?」
フェリクス殿下は小屋の中に入って来ると、私が抱き締めていたうさぎのぬいぐるみをじっと見つめながら問いかけてきた。
「これは……」
頭と胴が引き裂かれてしまったぬいぐるみを、彼にどう説明すべきか思案して、私はしばらく押し黙っていた。
正直に義母がやったのだと彼に言ってしまったら、後に告げ口したと義母に責められるのが恐かった。
「……私が直そうか?」
フェリクス殿下は返答に困っていた私のそばにゆっくりと跪いた。
「えっ?でも……」
「裁縫をした事はないけど、見た事はあるから」
フェリクス殿下はそう言うと、物置小屋の中に裁縫箱がないかと探し始めた。
運良くそれが見つかると、彼は針と糸を取り出して本当に縫い始めてしまった。
「お止め下さい。殿下が、そんな……」
第二王子に裁縫をやらせているのを見つかったら、父にどれほど怒られるか分からない。
かと言って公爵家の使用人に頼んでも、義母にバレて取り上げられてしまうだろう。
おまけに自分も裁縫は全くやった事がない。
どうしよう……
私がおろおろと戸惑っているうちに、フェリクス殿下はおぼつかない手つきでぬいぐるみの頭と胴体を丁寧に縫い合わせていた。
彼は途中何度も針で自分の指を刺していたので、私はヒヤヒヤしてしまい何度も止めようと思ったが、彼のあまりに真剣な表情を見てぐっと思いとどまった。
「出来たよ。元通りではないかもないけど……」
自信なさげにそう言うと、彼は私にぬいぐるみを手渡してきた。
「ありがとうございます!」
私は満面の笑みを浮かべ、彼からぬいぐるみを受け取った。
かろうじて頭と胴が繋がっているものの、縫い目は荒く、所々ほつれてしまっているがそんな事はどうでもよかった。
裁縫などやった事もないであろう彼が、私のために一生懸命直そうとしてくれた気持ちがとても嬉しかった。
「下手でごめんね……首にリボンでも結んだら、縫い目も気にならなくなると思うから」
「いいえ。ここのままが良いです」
申し訳なさそうに言う彼に首を振ると、私はぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
そんな私の姿を見て、フェリクス殿下は整った顔をくしゃりとさせて微笑んだ。
そんな心優しい彼に、引かれない訳もなく。
私は生まれて初めて恋をした。
そしてその日をきっかけに、私の重く憂鬱だった毎日が変化していった。
何故か義母の虐めがピタリと止んで、公爵家での暮らしが平和になった。そして私は宮殿に度々呼ばれるようになり、フェリクス殿下と一緒に遊ぶようになっていた。
貴族令嬢とは名ばかりの私は、身体を動かす事が大好きで、木登り、駆けっこ、ボール蹴りなんでも器用にこなしてフェリクス殿下を驚かせた。
私達はたくさん遊んで、たくさん笑い合った。
彼と出会った事で、暗かった私の毎日が一気に明るく色鮮やかになった。
私にとってフェリクス殿下はいなくてはならない、かけがいのない存在になっていった。
そして最初の出会いから六年が経ち、私が十三歳、フェリクス殿下が十四歳になった時、私達は正式に婚約した。
◆ ◆ ◆
「最近なんだか元気がないね」
二人で宮殿の庭園を散歩していると、フェリクス殿下が心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「えっ?そんな事ないわ。いつも通りよ」
「そうかな。私と目を合わせてくれないし、いつもより口数も少ない……そんなに私と婚約するのが嫌だった?」
不安そうに問いかける彼の言葉に驚いて、私は目を見開いた。
正式に婚約して以降、私はフェリクス殿下を過剰に意識するあまり、まともに話せなくなってしまい、目も合わせられなくなっていた。
そんな私の態度が、彼を不安にさせてしまったらしい。
「……他に好きな相手でもいたの?」
フェリクス殿下はぼそりと呟くと、私に疑うような視線を向けた。
「えっ……」
彼以上に好きな相手など、いる筈もないのに──
「それくらいで止めとけよ。フェリクス。ソフィアが困ってるぞ」
そんな時、明るい橙色の髪の少年が笑いながら近づいて来た。
「ライアン……」
気さくな笑顔を向けるライアン様に対し、フェリクス殿下は不機嫌そうな表情を浮かべていた。
ライアン様は宰相閣下の嫡男で、フェリクス殿下の幼なじみだった。
明るい橙色の髪と、カラリと晴れた夏空のような水色の瞳を持つライアン様は爽やかで精悍な顔つきをしており、肌は褐色に日焼けしていた。
「ソフィアは良くこんな根暗な奴と婚約したな。しかも、コイツはめちゃくちゃ嫉妬深っ……」
ライアン様がそう言いかけると、フェリクス殿下に思いっきり頭をはたかれた。
「いてっ!何すんだよ」
「邪魔をするな」
「はぁ?俺は幼なじみとして婚約を祝ってやろうと──」
「冷やかしに来たの間違いだろ。私はソフィアと二人で話をしているんだ。邪魔をするな」
吐き捨てるように言うと、フェリクス殿下はライアン様に鋭い視線を向けた。
「ハイハイ。分かりましたよ」
そう言ってライアン様は肩を竦めてみせた。
「フェリクスは面倒臭い所もあるけど、一途で優しい奴だから見放さないでやって」
ライアン様は私の耳元でそう囁くと、片目を瞑ってみせた。
「じゃあ、またなー。おふたりさん」
ライアン様は素早く踵を返すと、軽快な足取りで去って行った。
「……ライアンは君に何と言ったの?」
疑わしげな表情を浮かべるフェリクス殿下に、何と答えれば良いか分からず、私は曖昧に微笑んだ。
「……あいつはさ、性根が明るくて面倒見も良いから、昔から皆に慕われてる。ソフィアもライアンみたいな奴と一緒になった方が、幸せになれるのかもしれないけれど……」
今度は私がライアン様に気があるのだと勘違いしているらしい。
フェリクス殿下は、誰よりも眉目秀麗かつ聡明でありながら、何故か自尊心が恐ろしく低い人だった。
彼の六歳年上の王太子である兄が、フェリクス殿下と同じく優秀な人だったから、色々と比較されて大変だったのかもしれない。
劣等感の塊のような人だった。
そんな彼に、なんと言ったら分かって貰えるだろうか。
私はあなたが良いのだと。
「……私はあなたと出会ってから、世界が一気に変わったの」
私はフェリクス殿下と出会って、どれほど救われたか分からない。
義母から陰湿ないじめを受けるだけの暗い日々が、明るく楽しい毎日に生まれ変わった。
なんの色彩もなかったつまらない私の世界が、フェリクス殿下によって色鮮やかで美しいものになったのだ。
「私が好きなのはあなただけ。他の誰でもないわ」
私はそう言うと、真っ直ぐにフェリクス殿下の瞳を見つめた。
「……わざと君を試すような事を言ってごめん」
長い沈黙の後、彼はポツリと言った。
「この先たとえどんな事があろうと、私の気持ちは生涯変わらない。誰よりも深く君を愛している」
フェリクス殿下は真剣な声音で言うと、私の頬にそっと手を伸ばした。
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