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すっとポーリーンの双眸が細められた。ベルタは身を固くして、反応を待つ。
数秒が数時間にも感じられるくらいの緊張の後、ポーリーンは肩からふっと力を抜いた。
「それをわたくしに告げてどうするのです。嫌われたい、ということ?」
困ったような寂しいような顔をして、ポーリーンはため息をついた。
「わたくしを誰だと思っているのです。オクレール公爵夫人ですよ」
毅然とした態度でそう言い、じっとベルタを見つめる目には憎しみなどなかった。高貴なものだけが持つオーラのようなものに圧され、ベルタはポーリーンから目が離せない。
「マティアスの家に、クロードが誰かを隠していることは最初から分かっていました。わたくしには内緒にしようとしていたのでしょうけれど、……良くも悪くも隠し事のできない人なの」
ふふ、と笑ってベルタの髪を撫でる。姉のような優しさに、じわりと目が潤んだ。
「夫が愛人を囲ったと知ったとき、わたくしが一番に悲しかったことがお分かり?」
アーニャだろうか。異母妹のことを思うと胸が痛い。
ベルタの考えを見抜いたのか、ポーリーンは首を振り、
「わたくしの、力が及ばなかったことです」
とはっきりと口にした。
「わたくしとクロードは、政略結婚です。貴族なら大体皆そうでしょう。けれど、わたくしはクロードを愛しています。わたくしにはない大らかさ、自由さ、行動力」
ポーリーンの行動力も相当のものだと思った。
まして、愛人の姉の結婚式の手伝いをしてくれるという心の広さなんて、普通では考えられないほどだ。
「憧れでした」
幼いころから、オクレール公爵家に嫁ぐことが決まっていた、とポーリーンは言った。
豪商である父は、公爵家の財政を確固たるものとすることが出来る。また、父親にとっても、貴族への血縁関係が出来るということは商売上限りなく有益だった。
「初めてクロードに会ったとき、このかたと添い遂げるのだと確信したわ。一目惚れと言ったらよいのかしら」
オクレールのことを話すポーリーンの表情は、まるで初恋を夢見る少女のように可愛らしい。
だから余計にわからない。
「どうして、オクレール公爵は……」
「どうしてでしょうね」
ベルタの思考を遮るように、それ以上の会話を続けることを拒否するように、にこやかに彼女は言った。
「ベルタ、貴女の妹がクロードと関係を持っていたとして、貴女に関係あるかしら」
関係はある気がした。姉なのだから、数か月だとしても母親が違うとしても。
けれど、彼女の有無を言わさぬ勢いに首を横に振るしかできなかったベルタに、ポーリーンは「でしょう?」と笑った。
「愛人の身元なんて、公爵夫人の力をもってすればすぐに分かります。……なんてね。若くて可愛い愛人に会いに行く、浮足立った男の後をつけるのなんて簡単なのよ」
後をつけたのはさすがにわたくしではないけれど、と笑う。
「で、夫が何をしているのかを知り、囲われていた愛人の正体を知り、そこでわたくしは気付いたの。知ってもどうすることも出来ないということに。
どうしようもないでしょう。夫に愛されていない妻に出来ることは何? 義務的に子を成す? そこまでプライドを捨てることは、必要かしら。では、身を引く? 引いたところでどうなるの? 夫は女を『隠していた』。それを暴き騒ぎ立てて離婚をして、得るものは何かしら」
何も答えることはできなかった。
ポーリーンは、貴族って面倒ね、とほほ笑んだ。
「今、わたくしが出来ることは貴女を素敵な花嫁さんに仕立て上げること。素晴らしい結婚式を挙げるお手伝いをすること。そして、たくさんの人を招いて、遠い土地までマティアス伯の結婚式のすばらしさを噂してもらって」
ベルタの、きつく握りしめていた拳を優しくほどくように、ポーリーンは温かな手のひらを重ねた。
「そうしたら、フィオーネも帰ってくるとは思わない?」
数秒が数時間にも感じられるくらいの緊張の後、ポーリーンは肩からふっと力を抜いた。
「それをわたくしに告げてどうするのです。嫌われたい、ということ?」
困ったような寂しいような顔をして、ポーリーンはため息をついた。
「わたくしを誰だと思っているのです。オクレール公爵夫人ですよ」
毅然とした態度でそう言い、じっとベルタを見つめる目には憎しみなどなかった。高貴なものだけが持つオーラのようなものに圧され、ベルタはポーリーンから目が離せない。
「マティアスの家に、クロードが誰かを隠していることは最初から分かっていました。わたくしには内緒にしようとしていたのでしょうけれど、……良くも悪くも隠し事のできない人なの」
ふふ、と笑ってベルタの髪を撫でる。姉のような優しさに、じわりと目が潤んだ。
「夫が愛人を囲ったと知ったとき、わたくしが一番に悲しかったことがお分かり?」
アーニャだろうか。異母妹のことを思うと胸が痛い。
ベルタの考えを見抜いたのか、ポーリーンは首を振り、
「わたくしの、力が及ばなかったことです」
とはっきりと口にした。
「わたくしとクロードは、政略結婚です。貴族なら大体皆そうでしょう。けれど、わたくしはクロードを愛しています。わたくしにはない大らかさ、自由さ、行動力」
ポーリーンの行動力も相当のものだと思った。
まして、愛人の姉の結婚式の手伝いをしてくれるという心の広さなんて、普通では考えられないほどだ。
「憧れでした」
幼いころから、オクレール公爵家に嫁ぐことが決まっていた、とポーリーンは言った。
豪商である父は、公爵家の財政を確固たるものとすることが出来る。また、父親にとっても、貴族への血縁関係が出来るということは商売上限りなく有益だった。
「初めてクロードに会ったとき、このかたと添い遂げるのだと確信したわ。一目惚れと言ったらよいのかしら」
オクレールのことを話すポーリーンの表情は、まるで初恋を夢見る少女のように可愛らしい。
だから余計にわからない。
「どうして、オクレール公爵は……」
「どうしてでしょうね」
ベルタの思考を遮るように、それ以上の会話を続けることを拒否するように、にこやかに彼女は言った。
「ベルタ、貴女の妹がクロードと関係を持っていたとして、貴女に関係あるかしら」
関係はある気がした。姉なのだから、数か月だとしても母親が違うとしても。
けれど、彼女の有無を言わさぬ勢いに首を横に振るしかできなかったベルタに、ポーリーンは「でしょう?」と笑った。
「愛人の身元なんて、公爵夫人の力をもってすればすぐに分かります。……なんてね。若くて可愛い愛人に会いに行く、浮足立った男の後をつけるのなんて簡単なのよ」
後をつけたのはさすがにわたくしではないけれど、と笑う。
「で、夫が何をしているのかを知り、囲われていた愛人の正体を知り、そこでわたくしは気付いたの。知ってもどうすることも出来ないということに。
どうしようもないでしょう。夫に愛されていない妻に出来ることは何? 義務的に子を成す? そこまでプライドを捨てることは、必要かしら。では、身を引く? 引いたところでどうなるの? 夫は女を『隠していた』。それを暴き騒ぎ立てて離婚をして、得るものは何かしら」
何も答えることはできなかった。
ポーリーンは、貴族って面倒ね、とほほ笑んだ。
「今、わたくしが出来ることは貴女を素敵な花嫁さんに仕立て上げること。素晴らしい結婚式を挙げるお手伝いをすること。そして、たくさんの人を招いて、遠い土地までマティアス伯の結婚式のすばらしさを噂してもらって」
ベルタの、きつく握りしめていた拳を優しくほどくように、ポーリーンは温かな手のひらを重ねた。
「そうしたら、フィオーネも帰ってくるとは思わない?」
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