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第一章
第8話 初めての風の街
しおりを挟む王城の窓から見える景色は、いつも遠かった。
白い塔の向こうに広がる街――風の都リュシオン。
けれどリクは、その街をまだ一度も歩いたことがなかった。
城の中で暮らす彼にとって、外の世界は絵本や兄姉の話の中だけのもの。
人間の子として繊細な体を気遣われ、
出かけるとしても中庭や訓練場まで。
城門の外を越えることは、許されてこなかった。
だからこそ、今日は特別な日だった。
――初めての、王都見学。
「本当に連れて行くのか? 父上は甘いな」
第二王子マークが、呆れたようにため息をつく。
「いいじゃないか。五歳になったんだし、初めての街見物くらいな」
第一王子レオナードが笑いながらリクの頭を撫でた。
「まちに行く! まちに行く!」
リクの声は弾み、尻尾こそないが身体全体で喜びを表していた。
王城の中で育った彼にとって、それは“初めて見る世界への冒険”そのものだった。
マークは小さく笑って肩をすくめた。
「……気をつけろよ。外はお前が思うほどきれいじゃない」
その言葉を、シリウスが静かに受け止めた。
「ご安心ください。王子の身は、私が必ずお守りいたします」
「お前がいるなら、まあ心配はいらないな」
馬車の扉が開くと、
これまで窓越しにしか見たことのなかった“風の都”が広がっていた。
石畳の通り、色とりどりの屋根、風に踊る旗。
果物の香り、焼きたてのパンの匂い。
人の声と笑い声が混ざり合い、街全体が息づいていた。
「すごい……!」
リクは目を輝かせた。
「お店がいっぱい! ほんとに人がいるんだね!」
それは無邪気な言葉だったが、
同時に“城の外を知らなかった王子”の心からの驚きでもあった。
シリウスはその表情を見つめ、穏やかに微笑んだ。
「王城とはまるで違う光景でしょう。
……風の都は、いつもこうして生きております」
「うん! 風が、ちょっと甘い!」
けれど、街の人々の視線は一様ではなかった。
リクが馬車を降り、風の中に立った瞬間――
ざわ、と空気が揺れる。
「……あの子、人間じゃないか?」
「まさか、王族に人間の子が……?」
囁き声が風に乗る。
リクの胸が、少しだけ締めつけられた。
けれどその肩に、すぐに温かな手が置かれた。
「気にされなくて大丈夫です、王子」
シリウスの声は静かで、風よりもやさしかった。
「風は、誰の上にも吹くものでございます。」
リクは顔を上げて、笑った。
「……うん。ぼく、ぜったいまた来る!」
「はい。そのときは、胸を張って歩かれるとよいでしょう」
帰りの馬車の中で、
リクは窓に頬を寄せ、遠ざかる街を見つめていた。
「ねえ、しりうすさん」
「はい」
「ぼくね、ずっとお城の中しか知らなかったの。
でも、外って……こわくもあるけど、きれいだった」
「ええ。世界は広く、美しく、そして少し厳しいものです」
「でも、また行きたい。ぼく、風のにおいが好き」
その言葉に、シリウスの口元がかすかに緩む。
「――では、次の風も、私と共に感じましょう」
夕陽が窓を染め、
風が二人の髪をやさしく撫でていった。
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