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第六章 妖怪でこぼこヒーロー組、新しい仕事が出来ました
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Ⅰ
ぽかんとした妖怪二人は、先生たちをじっと見つめた。何をお願いされたのか、まったく理解出来ていない。
しかし、今はそれどころではなかった。先生たちを相手にしている場合ではない。なんと言っても、目の前には、子ども、子ども、子ども。子どもたちが次々と群がってきているのである。主に、白鉛の優美な九つの尻尾と、黒曜の逞しい翼を目当てに。小さな手が、次々とそれらに向かって伸びてくる。
慌てたのは妖怪二人だ。
「貴様ら、ちょっと待て。場所を変えるぞ。理解ができておらん――こら、小童共、尻尾に触れるでないわ!」
「ちょっ、ちょっ、ちょっ! 翼毟るのやめて! つーか、背中に登るのもやめて! タンマ、タンマ!」
先生たちに返した言葉は、素っ気なかった。まったくそれどころではない。完全に彼らのことは眼中になく、目の前に迫ってくる子どもたちをどうにかするのが先決であった。各々自分の尻尾やら翼やらを守るのに精一杯である。
白鉛も黒曜も、子どもたちに囲まれて、その相手をしている。それを真宙は静かに見ていた。しかし、何か面白くない。もやもやとするのを、何かは分かっていなかったが、それでも二人を取られているこの状況がなんだか嫌に感じたのである。
真宙はぷくーっと頬を膨らました。そうして、子どもたちに囲まれている白鉛の足元までぎゅうぎゅうにされながらもなんとかたどり着くことができた。そのままてこてこと白鉛に近づき、ぎゅうっと長い足に抱きつく。
「真宙?」
白鉛は子どもたちの手から上手に尻尾を操って避けていた。いまだに動き続けており、それが逆に子どもたちの興味を引いている。
それを止めることはなくても、我が子に気がついた白鉛は声をかけた。その声に、黒曜も何事かと視線を向ける。彼のがもみくちゃにされていた。
真宙は何も言わずに抱きついていた。しばしの沈黙の後、顔を上げ、白鉛を見上げる。いまだに小さな頬は膨らんでおり、パンパンだった。白鉛は何事かと首を傾げた。
真宙は小声で、だけどしっかりと呟いた。
「……はくパパ、ぼくの」
ずっきゅーん!
白鉛の中で確実に音がした。完全に胸を射抜かれた、「可愛さ」という弾丸に。
呆けている白鉛はそのままに、今度は黒曜に近づく真宙。またもやぎゅうぎゅうにされながらも、なんとかたどり着く。そうして、彼の足にも先程と同じようにぎゅうっと抱きつく。いまだにパンパンな頬をそのままに、黒曜を見上げて呟く。
「……こくママ、ぼくの」
ずっきゅーん!
黒曜も射抜かれた。しっかりと胸を「可愛さ」という弾丸に撃ち抜かれた。黒曜は胸を押さえて床に膝をついた。真宙が驚いて、黒曜から離れて数歩後ろへ下がる。しかし、黒曜はすぐに真宙を自身の腕の中へと収めた。床に座り込んだまま、ぎゅうっと抱きしめる。背中に他の子どもが登っても、黒い翼をどんなに触られても、もう動じなかった。
「やべえ、俺の子ども、マジで可愛い……!」
「貴様だけの子どもではないわ、馬鹿」
立ち直った白鉛が黒曜の腕の中から真宙を奪い取る。口を尖らせた黒曜は完全に無視だ。白鉛の腕の中に強制的に移動することになった真宙はぽかんとしていた。
白鉛はそのまま真宙をぎゅうっと抱きしめた。
「……そうだな、俺は真宙のだな」
静かに告げられたその言葉は、真宙の中にすとんと入ってきた。その言葉が、どれほど真宙にとって嬉しかったか、一言では語れない。
真宙は自分の新しい父に強く抱きしめ返した。白鉛は抱きしめる力をそのままに、大事な我が子の頭をさらりと撫でる。
黒曜はその様子を見て、嬉しくなるのと同時に、ふと考えた。
……真宙、だいぶ感情が出るようになってきたよな。
最初とは大違いだ。最初は笑いもせず、淡々と話すだけだった。イントネーションもなく、感情も分からない状態で、よけいに戸惑ったのは遠くない記憶。ただ首を傾げ、自分たちの様子を眺めているだけだったことを、黒曜はよく覚えていた。
それが、今は笑って、拗ねて、「自分のだ」と主張する程までになった。そんな小さなことが、黒曜を嬉しくさせる。
自分の子どもが成長するって、こんなにも嬉しいことなんだな。
初めての子育てに、まだ理解出来ていないことのが多い。それでも、今回のことは「嬉しい」なんて言葉だけではすべてを語れなかった。
黒曜の心は温かい。思わず誰にともなく、にっと笑った。
――しかし、すぐに現実に引き戻されることとなった。
先程から増えた子どもたちの手が、翼に触れていく。床に座ったことによって、簡単に触れるようになってしまったのだ。興味が尽きない子どもたちの格好の餌食となっているのだ。
真宙のことで、一瞬どうでもいいと思っていたそのわずかな時間で酷い有様となっていた。
黒き翼が、とにかく逃げようとしている――ように見えた。
我に返った黒曜は思わず叫んだ。
「ギャー! マジでやめて! 翼がなくなるから、毟るのやめて!」
「――やかましいぞ、馬鹿」
真宙を腕に抱いてご満悦な白鉛から冷たい視線を向けられる。彼はいまだに器用に尻尾を動かし、子どもの手から避けて逃れているというのに、人には散々な物言いである。
「お前は避けられるかもしれないけど、俺は違うの! 翼がそんなに器用であってたまるか!」
「空を飛ぶのだから、器用なはずだろう。馬鹿か、貴様は」
「それとこれとは別だわ! この馬鹿!」
白鉛が残念なものを見る目で、はっと吐き捨てる。馬鹿にする態度に思わずカチンときた黒曜は怒りながら言い返した。しかし、彼は何処吹く風。まったく相手にしていないその態度にさらに腹が立つ。黒曜は彼を睨んだ。
呆然と二人の様子を見ていた真宙の口から、笑いが漏れた。ふふっと小さなその声は、しっかりと二人の耳に届く。
黒曜は苦笑した。
真宙に笑われるなんてな……。
嬉しいような、恥ずかしいような。なんとも言えない感情が、黒曜の心を渦巻く。少し贅沢な悩みだとも思う。
――真宙に出会ってから、知ることがたくさんある。
この世界に来て、得られるものがこんなに多いなんて、思いもしなかったな。
たった数日、されど数日。すべてが宝物のように輝いているそれらは、まだまだこれからも増え続けることであろう。
「……あのー」
次に小さく聞こえた声は、今の今までほったらかしにされていた先生たちのもので。恐る恐るといった様子で声をかけられた。
黒曜と白鉛は顔を見合せた。正直に言って、すっかり忘れていたのである。
「……とりあえず、場所を変えて話を聞こう」
「だな。ここだと落ち着かねえ」
二人は真宙を連れて、部屋を後にする。
背後にいた子どもたちは、名残惜しそうに手を振って見送ってくれたのであった。
Ⅱ
再度戻ってきた、職員室の来客スペース。今度は少人数の先生たちと向かい合う。またもや白鉛の膝の上には、真宙がいた。黒曜はそれには触れずに、先生たちへ向き直った。
「えっと……、先程の『よろしくお願いします』は、どういう意味なのでしょうか?」
黒曜はまず内容を確認することにした。先程の言葉の意味がまったく理解出来ていなかったからだ。白鉛もそうなのだろう。口を挟むことなく、ただ彼らをじっと見つめている。
男性の一人が口を開いた。彼は園長先生だという。五〇代後半といったところか。年相応の風格が出ているように思えた。やけに落ち着いた声音が耳に届く。
「……われらのみでは、こどもたちのまほうのぼうそうをいつもとめられずにいました。じぶんたちにまほうというちからがあっても、そのぼうそうはとめられない。むりょくなわれらは、いつもこどもたちのまほうのぼうそうがおちつくのをまつのみだったのです」
「それ、は……子どもたちの体力とか――」
「はい、いっきにほうしゅつしたまほうによって、かれらはたおれてしまう。そのこをはこび、まほうにひきよせられたまじゅうたちからひなんして――。こどもたちも、われらもつかれきってしまうひびでした。だけど、あなたがたはちがった」
園長先生は、そこで言葉を切った。二人を見つめる。白鉛も黒曜も何も言わなかった。
園長先生は続ける。
「こどものまほうのぼうそうをとめ、まじゅうもとうばつしてくださった。だから――」
「ちょっと待て」
園長先生の言葉を遮ったのは、白鉛だった。その静かな声は、室内に凛と響く。全員が動きを止め、次の言葉を待った。白鉛は数多の視線を受けつつも、視線を逸らすことなく、はっきりと言葉を発した。
「貴様ら、何故自分たちのできることを考えない」
「は……」
「我らに頼って終わりか。……何故暴走を止めるのに魔法が使えない、何故魔獣から逃げ出して終わる、何故他のことを考えようとしない」
白鉛は淡々と言葉を並べた。有無を言わせないそれに、全員が息を呑む。黒曜はなんとなくだが、彼が言わんとしていることを理解した。
白鉛は続ける。
「確かに、我らに頼ることは貴様らからしたら、『考えた』結果かもしれん。だが、根本的なことが違う。俺が言っているのは、その『考える』ではない。俺が言っているのは、自分たちが成長するために、前に進むために、何をすべきかを考えろと言っている」
白鉛は別に怒っているわけではなかった。それは諭しているものだった。
白鉛は常に考え続けている。感情的になることはあるが、それだけではない。
何故自分がそこに立っているのか、何故自分が九尾の狐であるのか、何故自分は妖怪なのか――。彼の頭の中では、常に疑問が彼を駆り立てる。
「貴様らは何のためにそれを我らに依頼する。子どもたちを守りたいと思うのなら、自分たちに出来る範囲で守ればいい。魔法を使わずとも、何もせずに呆然と立ち尽くすこともあるまい。それはやることではないからな。また、魔獣の件もしかり。討伐しなくても、避難しなくても、何か出来ることはあるはずだろう。例えば……、柵を作る、とかな」
白鉛は顎に長い指をかけながら、淡々と告げた。呆然としている先生たちは言葉が出てこない。逆に、黒曜が「でもさ」と口を挟んだ。
「でもさ、白鉛。この世界って木製が多いし、木の柵じゃあんまり効果なくね? 木なんか簡単に薙ぎ払えそうだったぞ、あいつら」
黒曜は先程討伐した魔獣たちを思い出す。足が早い彼らはとても勢いがあった。もっとも、この妖怪二人の敵ではなかったのだが。
白鉛は頷く。
「だが、無いよりはマシだ。それに、何重にも張れば、それだけで時間稼ぎにはなる。……見てみろ、貴様ら。この馬鹿ですら、頭を使っているのだぞ」
「うるっせえよ!」
白鉛の親指がクイッと黒曜を示す。黒曜はその手を振り払いながら、怒りのままに叫び返す。
白鉛は気にすることなく続けた。
「今までは『考える』ことを学ぶ機会がなかったかもしれん。だが、貴様らが行うことは、『頼む』ことではない。いつまでもそのまま変わろうとしないのであれば、後世の奴らも変わることはないだろう。……考えろ、頼むことは考えることではない。貴様らが成長するために、貴様らが子どもたちのために何をしてやれるかを考えて動け」
白鉛はふんとそっぽを向いた。黒曜は横で「あーあ」と言葉を零す。白鉛はまったく気にせずに、自身の膝の上に大人しく座っている真宙へ視線を向けた。真宙の頭を優しく撫でる。
黒曜はこそっと話しかけた。
「白鉛、まーたお前はああいう言い方をするー」
「うるさいわ、馬鹿」
「……でもさ、よく分かったな。言ってみれば、護衛の依頼ってことだろ?」
「だろうな。……人に頼むことなんて、考えなくても出来ることだ。それを『お願い』すれば通るのだからな。まあ、通らないこともあるが」
今の状況だろ、それ。
黒曜はそう思ったが、口には出さなかった。出したら、余計に面倒なことになるからだ。それだけは避けたい。
こそこそ話はまだ続く。
「けどさ、急に考えろって、ちょっと酷じゃね? 今までが違ったんだから難しいと思うぜ。慣れていたものを取り上げられたものだろ」
「だったら、一生変わることは無い。……貴様も気がついているとは思うが、真宙は変わってきている。それは真宙が我らの姿を見て、我らの話を聞こうとしているからだ。人間など、成長していくにつれて、その人間の考えが出来てしまう。急に考えを変えることが難しくなる。今この世界はまさにそれなのだ。誰もが考えることと頼ることの区別が出来ておらん」
白鉛の言葉に、黒曜は先程考えていた真宙の変化を思い出す。真宙はというと、名前を呼ばれたと思ったらしく、二人を振り返って見た。しかし、何も言われないと分かると、不思議そうに首を傾げる。二人は思わず頭を撫でていた。
気を取り直して、黒曜は考える。真宙が最初に自分たちに言った言葉は、「そばにいて」だった。確かに、頼んでいると言われてしまえばそうかもしれない。
けど、真宙の考えが少しずつ変わってきているのだろう。最近の真宙は、保育園に行っていいかを二人に確認し、自分の意見を言った、「保育園に行きたい」、と。「自分たちがいい」、とも言っていた。
……自分の意見が言えるようになるって、当たり前じゃなくて、凄いことなのか。
黒曜はふと思う。白鉛が言ったことは、確かにそうなのかもしれない。
人間でも、妖怪でも、「頼む」ことをする者はたくさんいた。自分が「頼まれる」ことには慣れていない者も。そして、自分の意見が思ったように言えない者も――。
――ちょっと待て。
黒曜はそこまで考えて、思考を停止した。今になって、一つ思い当たったのである。
もしかして、白鉛が今まで弱い妖怪たちに力を貸さなかったのは、考えずに「頼まれていた」から――?
白鉛が言葉で伝えることなんて、本来極わずかである。この世界では、言わないと伝わらない、理解しない。ならば、教える必要があると考えているから、言葉にすることが多いだけなのだ。
……本当は、あいつらにもこう言いたかったのかも。「人に頼るのではなく、強くなるために何が出来るのかを考えろ」、って。
いつまでも、彼らが「頼る」立場でいなくていいように――。
……本当、素直じゃねえな。
黒曜は苦笑した。それを知ってか知らずか、白鉛はちらと視線を送った後、ふんとそっぽを向く。黒曜は今度こそ笑うのであった。
Ⅲ
二人が返答を待っている中、耳に届いたのはか細い声だった。
「で、でも、わたしたちは――」
今まで沈黙だったが、なんとか絞り出したような声に聞こえた。二人は彼らに視線を戻す。
白鉛は静かに口を開いた。
「……何故、人間が主体でこの世界を生きているか、考えたことはあったか」
全員沈黙した。黒曜も呆気にとられた。白鉛がどういった意図でそんなことを話し始めたのかが理解できなかった。
「我らよりも力が弱い人間が、何故世界の主体となっているのか。それは、貴様らの考える力が他の種族よりも勝っていたからだと俺は思っている。敗北も、後悔もまったくなかったとは言わん。人間内の争いも、殺し合いもたくさんあったし、これからも起こらないとは言えん。だが、それが起こったことも、必然でも偶然でもなく、何かしらの考えがあったからだ。意思、とも言えるかもしれん」
白鉛は一度言葉を切った。しかし、誰も口を挟めなかった。静かな空間を再度破ったのは、白鉛であった。
「……貴様らのそれは飾りか」
白鉛の綺麗な指がすっと園長先生の頭を指し示す。全員が息を呑んだ。
「今までが違ったからなんだ。諦めるには早かろう。考える力があったからこそ、貴様らの生活は潤った。ならば、次を考えろ。現状で満足するな。次の一歩を踏み出すのは、貴様らだ」
白鉛の声は、やはり怒っていなかった。諭しているそれである。声音はいつもより幾分か優しいと黒曜は思う。もっとも、真宙に話す時よりは優しくなかったが。
まあ、あの砂糖が吐けそうな甘ったるい声じゃなくていいんだけどさ。
黒曜は頭の片隅でそんなことを思い、ちらと真宙を見た。真宙はその視線に気がついたらしく、首を傾げる。黒曜は真宙の頭を無言で撫でるだけだった。
先生たちは呆けている。戸惑いも、驚きも、不安も、すべてがどこかへ行ってしまったようだった。どう考えても、停止している。
白鉛は興味が無くなったように、真宙へ視線を移した。真宙はまたそれに気がついたらしく、こてんと首を傾げたのだった。
黒曜は先生たちに助け舟を出すつもりで隣の白へと話しかける。
「なあ、白鉛。考えるのって、時間が必要だろ。彼らにも考える時間が必要なはずだ。今ここで答えをすぐに出せって言うのは、難しいだろ」
「――ならば、我らが手を貸すことはあるまい」
白鉛の言葉に、全員が驚きの声を上げた。黒曜は思わず大きな声で「えっ!?」と言い返していた。そのままの勢いで言葉を返す。
「鬼か、お前は!」
「九尾の狐だ。それぐらいは知っておろう、馬鹿め」
「知ってるよ! って、そうじゃねえ! 何でそんなに急かすんだって言ってるんだ!」
黒曜が一人騒ぐ中、白鉛は長々とため息をついた。
つきたくなるのはこっちだ、と言い返したくなるのを必死に我慢した黒曜は、思わず自分を褒めたくなった。そんな中、自分のペースを崩さずに、白鉛がゆっくりと話し始める。
「理由は簡単だ。真宙とは違うからだ」
「……はあ?」
黒曜の全力の聞き返しに、白鉛は淡々と続ける。下では、真宙が小さく「ぼく?」と聞き返していた。
「俺は助言はした。……真宙は幼子だ、時間をかけて当然だろう。だが、彼らは違う。もうとっくに成人を過ぎているのだ。我らがそこまで手をかけてやる必要はなかろう」
その言葉に、黒曜は多少納得した。しかし、彼の中では、すべてに対して頷く訳にはいかなかった。
「けど、初めてのことに挑戦しているんだぞ! 大人とか子どもとか関係ないだろ! 新しい考えに触れるってそういうことだろ!?」
「ならば、貴様が面倒を見てやれ。俺はそれ以上時間をかけるつもりは無い」
「――っ! ああ言えばこう言う……!」
「やかましい」
白鉛は一蹴した。黒曜の言葉などに、聞く耳を持たない。黒がわなわなと身体を震わせる。静かに二人の間でバチバチと火花が散らされる中、真宙が動いた。白鉛の膝の上を、ぺちぺちと叩き始めたのである。恐らくまったく痛くないそれは、二人の意識を逸らすには十分だった。二人は火花を散らしていたことなど忘れて、ゆっくりと首を傾げた。
「真宙?」
「どうした?」
二人の声に、真宙は首だけを振り向かせる。二人にしっかりと顔が見えた。その顔を見て、同時にぎょっとする。眉が八の字になっており、寂しそうな悲しそうな顔をしていた。
何事かと不安そうな二人の視線を受けつつ、真宙は呟いた。
「……けんか、だめ。はくパパもこくママもなかよくしよ」
むすっとした真宙はぎゅうっと小さな手で白鉛の服を掴む。もう片方の手は必死に伸ばして、黒曜の服の裾を掴んだ。
ずっきゅーん!
再度二人は撃ち抜かれた。完全に胸を射抜かれた、「可愛さ」という弾丸に。同時に胸を押さえた二人は悶える。
「真宙が可愛い……!」
「ずるいよなあ……!」
真宙は首を傾げた。よく分かっていないらしい。二人は頭を撫でてやった。
真宙は顔を上げて続けた。
「……ねえ、はくパパ。ぼくにおしえてくれるみたいに、みんなにもおしえてあげて。はくパパのせんせい、みたい。……みんなにとられるのは、いやだけど」
それに戸惑ったのは、白鉛だ。ぐっと言葉を詰まらせる。
「ぐっ……! いや、だが――」
「それだ!」
白鉛の言葉をかき消すように、先生たちと黒曜の言葉が重なった。
IV
その言葉に真宙は驚く。大きな目がさらに大きく見開かれた。
一方、白鉛は綺麗な眉を寄せ、皺を作る。顔には、「不機嫌」と書かれていた。
黒曜は「でかした!」と言いながら、真宙の頭をわしゃわしゃと撫でる。小さな頭は、すぐにボサボサになっていた。
「ナイス案、真宙! 偉いぞー!」
「……ぼく、えらい?」
「偉い! マジで良い子! さすが俺の息子!」
「貴様のだけではないと何度言えば分かる! 我が子だ! それより――」
黒曜が真宙を褒めれば、真宙は首を傾げて確認してくる。それに何度も頷いていれば、怒った白鉛が口を挟んできた。白鉛の言葉を遮るかのように、黒曜は興奮しながら言葉を紡ぐ。
「白鉛が保育園で子どもにも先生にもいろいろと教えてあげればいいんだよ! そうすれば、真宙にも教えてあげられるし、わざわざ真宙が帰ってきてから家で勉強する必要もなくなる! 一石二鳥じゃん!」
「何故俺が――」
「お前以外いないじゃん! 大体にして、真宙のご指名だし!」
再度白鉛の言葉が詰まる。黒曜の姿を見て、今しかないと判断した先生たちが揃って頭を下げる。
「おねがいします!」
「貴様らは先程考えろと言ったところだろうが! あれ程言ってまだ分からぬか! 散れ、鬱陶しい!」
「……はくパパ、だめ?」
真宙が白鉛を見上げて尋ねてくる。白鉛はしばらく唸っていたが、やがて折れた。真宙の視線に耐えかねたらしい。
もっとも、黒曜からしたら、完全に白鉛が負けたことはすぐに分かっていたのだが。
長い長いため息の後、白鉛は頷いた。
「……仕方あるまい」
「お! なら――」
「貴様も手伝え、黒曜」
「……うえっ!? 俺えっ!?」
完全に気を抜いていた黒曜にびしりと指を突きつけた白鉛。黒曜は理解するのに時間がかかった。理解した瞬間、大きな声で叫ぶ。声が裏返ったことには、幸い誰も触れることは無かった。
「子どもの相手をしろ。それぐらいは出来るだろう。それに、言い出しっぺは貴様だ」
「いや、それは俺じゃ――」
「文句は聞かん」
黒曜は自分じゃないと主張したが、ぴしゃりと白鉛に跳ね除けられてしまった。白鉛は決まるとなると、早速先生たちへ交渉をし始めた。黒曜ははあっとため息をついた。
そんな黒曜へ、いつの間にか白鉛の膝の上から下りた真宙が近づく。
「こくママも、いっしょ?」
「……そうっぽいな」
「やった」
真宙がぎゅうっと抱きついてくる。黒曜は目を見開いて、やがて柔らかく目を細めた。可愛い我が子に喜ばれてしまえば、それだけでどうでも良くなる。
まあ、いっか。
黒曜は真宙を抱き抱えて、白鉛たちの会話に参加することにしたのだった。
こうして、初めて真宙の保育園に訪れた二人は、何の因果か「先生」としての仕事をゲットしてしまったのであった。
ぽかんとした妖怪二人は、先生たちをじっと見つめた。何をお願いされたのか、まったく理解出来ていない。
しかし、今はそれどころではなかった。先生たちを相手にしている場合ではない。なんと言っても、目の前には、子ども、子ども、子ども。子どもたちが次々と群がってきているのである。主に、白鉛の優美な九つの尻尾と、黒曜の逞しい翼を目当てに。小さな手が、次々とそれらに向かって伸びてくる。
慌てたのは妖怪二人だ。
「貴様ら、ちょっと待て。場所を変えるぞ。理解ができておらん――こら、小童共、尻尾に触れるでないわ!」
「ちょっ、ちょっ、ちょっ! 翼毟るのやめて! つーか、背中に登るのもやめて! タンマ、タンマ!」
先生たちに返した言葉は、素っ気なかった。まったくそれどころではない。完全に彼らのことは眼中になく、目の前に迫ってくる子どもたちをどうにかするのが先決であった。各々自分の尻尾やら翼やらを守るのに精一杯である。
白鉛も黒曜も、子どもたちに囲まれて、その相手をしている。それを真宙は静かに見ていた。しかし、何か面白くない。もやもやとするのを、何かは分かっていなかったが、それでも二人を取られているこの状況がなんだか嫌に感じたのである。
真宙はぷくーっと頬を膨らました。そうして、子どもたちに囲まれている白鉛の足元までぎゅうぎゅうにされながらもなんとかたどり着くことができた。そのままてこてこと白鉛に近づき、ぎゅうっと長い足に抱きつく。
「真宙?」
白鉛は子どもたちの手から上手に尻尾を操って避けていた。いまだに動き続けており、それが逆に子どもたちの興味を引いている。
それを止めることはなくても、我が子に気がついた白鉛は声をかけた。その声に、黒曜も何事かと視線を向ける。彼のがもみくちゃにされていた。
真宙は何も言わずに抱きついていた。しばしの沈黙の後、顔を上げ、白鉛を見上げる。いまだに小さな頬は膨らんでおり、パンパンだった。白鉛は何事かと首を傾げた。
真宙は小声で、だけどしっかりと呟いた。
「……はくパパ、ぼくの」
ずっきゅーん!
白鉛の中で確実に音がした。完全に胸を射抜かれた、「可愛さ」という弾丸に。
呆けている白鉛はそのままに、今度は黒曜に近づく真宙。またもやぎゅうぎゅうにされながらも、なんとかたどり着く。そうして、彼の足にも先程と同じようにぎゅうっと抱きつく。いまだにパンパンな頬をそのままに、黒曜を見上げて呟く。
「……こくママ、ぼくの」
ずっきゅーん!
黒曜も射抜かれた。しっかりと胸を「可愛さ」という弾丸に撃ち抜かれた。黒曜は胸を押さえて床に膝をついた。真宙が驚いて、黒曜から離れて数歩後ろへ下がる。しかし、黒曜はすぐに真宙を自身の腕の中へと収めた。床に座り込んだまま、ぎゅうっと抱きしめる。背中に他の子どもが登っても、黒い翼をどんなに触られても、もう動じなかった。
「やべえ、俺の子ども、マジで可愛い……!」
「貴様だけの子どもではないわ、馬鹿」
立ち直った白鉛が黒曜の腕の中から真宙を奪い取る。口を尖らせた黒曜は完全に無視だ。白鉛の腕の中に強制的に移動することになった真宙はぽかんとしていた。
白鉛はそのまま真宙をぎゅうっと抱きしめた。
「……そうだな、俺は真宙のだな」
静かに告げられたその言葉は、真宙の中にすとんと入ってきた。その言葉が、どれほど真宙にとって嬉しかったか、一言では語れない。
真宙は自分の新しい父に強く抱きしめ返した。白鉛は抱きしめる力をそのままに、大事な我が子の頭をさらりと撫でる。
黒曜はその様子を見て、嬉しくなるのと同時に、ふと考えた。
……真宙、だいぶ感情が出るようになってきたよな。
最初とは大違いだ。最初は笑いもせず、淡々と話すだけだった。イントネーションもなく、感情も分からない状態で、よけいに戸惑ったのは遠くない記憶。ただ首を傾げ、自分たちの様子を眺めているだけだったことを、黒曜はよく覚えていた。
それが、今は笑って、拗ねて、「自分のだ」と主張する程までになった。そんな小さなことが、黒曜を嬉しくさせる。
自分の子どもが成長するって、こんなにも嬉しいことなんだな。
初めての子育てに、まだ理解出来ていないことのが多い。それでも、今回のことは「嬉しい」なんて言葉だけではすべてを語れなかった。
黒曜の心は温かい。思わず誰にともなく、にっと笑った。
――しかし、すぐに現実に引き戻されることとなった。
先程から増えた子どもたちの手が、翼に触れていく。床に座ったことによって、簡単に触れるようになってしまったのだ。興味が尽きない子どもたちの格好の餌食となっているのだ。
真宙のことで、一瞬どうでもいいと思っていたそのわずかな時間で酷い有様となっていた。
黒き翼が、とにかく逃げようとしている――ように見えた。
我に返った黒曜は思わず叫んだ。
「ギャー! マジでやめて! 翼がなくなるから、毟るのやめて!」
「――やかましいぞ、馬鹿」
真宙を腕に抱いてご満悦な白鉛から冷たい視線を向けられる。彼はいまだに器用に尻尾を動かし、子どもの手から避けて逃れているというのに、人には散々な物言いである。
「お前は避けられるかもしれないけど、俺は違うの! 翼がそんなに器用であってたまるか!」
「空を飛ぶのだから、器用なはずだろう。馬鹿か、貴様は」
「それとこれとは別だわ! この馬鹿!」
白鉛が残念なものを見る目で、はっと吐き捨てる。馬鹿にする態度に思わずカチンときた黒曜は怒りながら言い返した。しかし、彼は何処吹く風。まったく相手にしていないその態度にさらに腹が立つ。黒曜は彼を睨んだ。
呆然と二人の様子を見ていた真宙の口から、笑いが漏れた。ふふっと小さなその声は、しっかりと二人の耳に届く。
黒曜は苦笑した。
真宙に笑われるなんてな……。
嬉しいような、恥ずかしいような。なんとも言えない感情が、黒曜の心を渦巻く。少し贅沢な悩みだとも思う。
――真宙に出会ってから、知ることがたくさんある。
この世界に来て、得られるものがこんなに多いなんて、思いもしなかったな。
たった数日、されど数日。すべてが宝物のように輝いているそれらは、まだまだこれからも増え続けることであろう。
「……あのー」
次に小さく聞こえた声は、今の今までほったらかしにされていた先生たちのもので。恐る恐るといった様子で声をかけられた。
黒曜と白鉛は顔を見合せた。正直に言って、すっかり忘れていたのである。
「……とりあえず、場所を変えて話を聞こう」
「だな。ここだと落ち着かねえ」
二人は真宙を連れて、部屋を後にする。
背後にいた子どもたちは、名残惜しそうに手を振って見送ってくれたのであった。
Ⅱ
再度戻ってきた、職員室の来客スペース。今度は少人数の先生たちと向かい合う。またもや白鉛の膝の上には、真宙がいた。黒曜はそれには触れずに、先生たちへ向き直った。
「えっと……、先程の『よろしくお願いします』は、どういう意味なのでしょうか?」
黒曜はまず内容を確認することにした。先程の言葉の意味がまったく理解出来ていなかったからだ。白鉛もそうなのだろう。口を挟むことなく、ただ彼らをじっと見つめている。
男性の一人が口を開いた。彼は園長先生だという。五〇代後半といったところか。年相応の風格が出ているように思えた。やけに落ち着いた声音が耳に届く。
「……われらのみでは、こどもたちのまほうのぼうそうをいつもとめられずにいました。じぶんたちにまほうというちからがあっても、そのぼうそうはとめられない。むりょくなわれらは、いつもこどもたちのまほうのぼうそうがおちつくのをまつのみだったのです」
「それ、は……子どもたちの体力とか――」
「はい、いっきにほうしゅつしたまほうによって、かれらはたおれてしまう。そのこをはこび、まほうにひきよせられたまじゅうたちからひなんして――。こどもたちも、われらもつかれきってしまうひびでした。だけど、あなたがたはちがった」
園長先生は、そこで言葉を切った。二人を見つめる。白鉛も黒曜も何も言わなかった。
園長先生は続ける。
「こどものまほうのぼうそうをとめ、まじゅうもとうばつしてくださった。だから――」
「ちょっと待て」
園長先生の言葉を遮ったのは、白鉛だった。その静かな声は、室内に凛と響く。全員が動きを止め、次の言葉を待った。白鉛は数多の視線を受けつつも、視線を逸らすことなく、はっきりと言葉を発した。
「貴様ら、何故自分たちのできることを考えない」
「は……」
「我らに頼って終わりか。……何故暴走を止めるのに魔法が使えない、何故魔獣から逃げ出して終わる、何故他のことを考えようとしない」
白鉛は淡々と言葉を並べた。有無を言わせないそれに、全員が息を呑む。黒曜はなんとなくだが、彼が言わんとしていることを理解した。
白鉛は続ける。
「確かに、我らに頼ることは貴様らからしたら、『考えた』結果かもしれん。だが、根本的なことが違う。俺が言っているのは、その『考える』ではない。俺が言っているのは、自分たちが成長するために、前に進むために、何をすべきかを考えろと言っている」
白鉛は別に怒っているわけではなかった。それは諭しているものだった。
白鉛は常に考え続けている。感情的になることはあるが、それだけではない。
何故自分がそこに立っているのか、何故自分が九尾の狐であるのか、何故自分は妖怪なのか――。彼の頭の中では、常に疑問が彼を駆り立てる。
「貴様らは何のためにそれを我らに依頼する。子どもたちを守りたいと思うのなら、自分たちに出来る範囲で守ればいい。魔法を使わずとも、何もせずに呆然と立ち尽くすこともあるまい。それはやることではないからな。また、魔獣の件もしかり。討伐しなくても、避難しなくても、何か出来ることはあるはずだろう。例えば……、柵を作る、とかな」
白鉛は顎に長い指をかけながら、淡々と告げた。呆然としている先生たちは言葉が出てこない。逆に、黒曜が「でもさ」と口を挟んだ。
「でもさ、白鉛。この世界って木製が多いし、木の柵じゃあんまり効果なくね? 木なんか簡単に薙ぎ払えそうだったぞ、あいつら」
黒曜は先程討伐した魔獣たちを思い出す。足が早い彼らはとても勢いがあった。もっとも、この妖怪二人の敵ではなかったのだが。
白鉛は頷く。
「だが、無いよりはマシだ。それに、何重にも張れば、それだけで時間稼ぎにはなる。……見てみろ、貴様ら。この馬鹿ですら、頭を使っているのだぞ」
「うるっせえよ!」
白鉛の親指がクイッと黒曜を示す。黒曜はその手を振り払いながら、怒りのままに叫び返す。
白鉛は気にすることなく続けた。
「今までは『考える』ことを学ぶ機会がなかったかもしれん。だが、貴様らが行うことは、『頼む』ことではない。いつまでもそのまま変わろうとしないのであれば、後世の奴らも変わることはないだろう。……考えろ、頼むことは考えることではない。貴様らが成長するために、貴様らが子どもたちのために何をしてやれるかを考えて動け」
白鉛はふんとそっぽを向いた。黒曜は横で「あーあ」と言葉を零す。白鉛はまったく気にせずに、自身の膝の上に大人しく座っている真宙へ視線を向けた。真宙の頭を優しく撫でる。
黒曜はこそっと話しかけた。
「白鉛、まーたお前はああいう言い方をするー」
「うるさいわ、馬鹿」
「……でもさ、よく分かったな。言ってみれば、護衛の依頼ってことだろ?」
「だろうな。……人に頼むことなんて、考えなくても出来ることだ。それを『お願い』すれば通るのだからな。まあ、通らないこともあるが」
今の状況だろ、それ。
黒曜はそう思ったが、口には出さなかった。出したら、余計に面倒なことになるからだ。それだけは避けたい。
こそこそ話はまだ続く。
「けどさ、急に考えろって、ちょっと酷じゃね? 今までが違ったんだから難しいと思うぜ。慣れていたものを取り上げられたものだろ」
「だったら、一生変わることは無い。……貴様も気がついているとは思うが、真宙は変わってきている。それは真宙が我らの姿を見て、我らの話を聞こうとしているからだ。人間など、成長していくにつれて、その人間の考えが出来てしまう。急に考えを変えることが難しくなる。今この世界はまさにそれなのだ。誰もが考えることと頼ることの区別が出来ておらん」
白鉛の言葉に、黒曜は先程考えていた真宙の変化を思い出す。真宙はというと、名前を呼ばれたと思ったらしく、二人を振り返って見た。しかし、何も言われないと分かると、不思議そうに首を傾げる。二人は思わず頭を撫でていた。
気を取り直して、黒曜は考える。真宙が最初に自分たちに言った言葉は、「そばにいて」だった。確かに、頼んでいると言われてしまえばそうかもしれない。
けど、真宙の考えが少しずつ変わってきているのだろう。最近の真宙は、保育園に行っていいかを二人に確認し、自分の意見を言った、「保育園に行きたい」、と。「自分たちがいい」、とも言っていた。
……自分の意見が言えるようになるって、当たり前じゃなくて、凄いことなのか。
黒曜はふと思う。白鉛が言ったことは、確かにそうなのかもしれない。
人間でも、妖怪でも、「頼む」ことをする者はたくさんいた。自分が「頼まれる」ことには慣れていない者も。そして、自分の意見が思ったように言えない者も――。
――ちょっと待て。
黒曜はそこまで考えて、思考を停止した。今になって、一つ思い当たったのである。
もしかして、白鉛が今まで弱い妖怪たちに力を貸さなかったのは、考えずに「頼まれていた」から――?
白鉛が言葉で伝えることなんて、本来極わずかである。この世界では、言わないと伝わらない、理解しない。ならば、教える必要があると考えているから、言葉にすることが多いだけなのだ。
……本当は、あいつらにもこう言いたかったのかも。「人に頼るのではなく、強くなるために何が出来るのかを考えろ」、って。
いつまでも、彼らが「頼る」立場でいなくていいように――。
……本当、素直じゃねえな。
黒曜は苦笑した。それを知ってか知らずか、白鉛はちらと視線を送った後、ふんとそっぽを向く。黒曜は今度こそ笑うのであった。
Ⅲ
二人が返答を待っている中、耳に届いたのはか細い声だった。
「で、でも、わたしたちは――」
今まで沈黙だったが、なんとか絞り出したような声に聞こえた。二人は彼らに視線を戻す。
白鉛は静かに口を開いた。
「……何故、人間が主体でこの世界を生きているか、考えたことはあったか」
全員沈黙した。黒曜も呆気にとられた。白鉛がどういった意図でそんなことを話し始めたのかが理解できなかった。
「我らよりも力が弱い人間が、何故世界の主体となっているのか。それは、貴様らの考える力が他の種族よりも勝っていたからだと俺は思っている。敗北も、後悔もまったくなかったとは言わん。人間内の争いも、殺し合いもたくさんあったし、これからも起こらないとは言えん。だが、それが起こったことも、必然でも偶然でもなく、何かしらの考えがあったからだ。意思、とも言えるかもしれん」
白鉛は一度言葉を切った。しかし、誰も口を挟めなかった。静かな空間を再度破ったのは、白鉛であった。
「……貴様らのそれは飾りか」
白鉛の綺麗な指がすっと園長先生の頭を指し示す。全員が息を呑んだ。
「今までが違ったからなんだ。諦めるには早かろう。考える力があったからこそ、貴様らの生活は潤った。ならば、次を考えろ。現状で満足するな。次の一歩を踏み出すのは、貴様らだ」
白鉛の声は、やはり怒っていなかった。諭しているそれである。声音はいつもより幾分か優しいと黒曜は思う。もっとも、真宙に話す時よりは優しくなかったが。
まあ、あの砂糖が吐けそうな甘ったるい声じゃなくていいんだけどさ。
黒曜は頭の片隅でそんなことを思い、ちらと真宙を見た。真宙はその視線に気がついたらしく、首を傾げる。黒曜は真宙の頭を無言で撫でるだけだった。
先生たちは呆けている。戸惑いも、驚きも、不安も、すべてがどこかへ行ってしまったようだった。どう考えても、停止している。
白鉛は興味が無くなったように、真宙へ視線を移した。真宙はまたそれに気がついたらしく、こてんと首を傾げたのだった。
黒曜は先生たちに助け舟を出すつもりで隣の白へと話しかける。
「なあ、白鉛。考えるのって、時間が必要だろ。彼らにも考える時間が必要なはずだ。今ここで答えをすぐに出せって言うのは、難しいだろ」
「――ならば、我らが手を貸すことはあるまい」
白鉛の言葉に、全員が驚きの声を上げた。黒曜は思わず大きな声で「えっ!?」と言い返していた。そのままの勢いで言葉を返す。
「鬼か、お前は!」
「九尾の狐だ。それぐらいは知っておろう、馬鹿め」
「知ってるよ! って、そうじゃねえ! 何でそんなに急かすんだって言ってるんだ!」
黒曜が一人騒ぐ中、白鉛は長々とため息をついた。
つきたくなるのはこっちだ、と言い返したくなるのを必死に我慢した黒曜は、思わず自分を褒めたくなった。そんな中、自分のペースを崩さずに、白鉛がゆっくりと話し始める。
「理由は簡単だ。真宙とは違うからだ」
「……はあ?」
黒曜の全力の聞き返しに、白鉛は淡々と続ける。下では、真宙が小さく「ぼく?」と聞き返していた。
「俺は助言はした。……真宙は幼子だ、時間をかけて当然だろう。だが、彼らは違う。もうとっくに成人を過ぎているのだ。我らがそこまで手をかけてやる必要はなかろう」
その言葉に、黒曜は多少納得した。しかし、彼の中では、すべてに対して頷く訳にはいかなかった。
「けど、初めてのことに挑戦しているんだぞ! 大人とか子どもとか関係ないだろ! 新しい考えに触れるってそういうことだろ!?」
「ならば、貴様が面倒を見てやれ。俺はそれ以上時間をかけるつもりは無い」
「――っ! ああ言えばこう言う……!」
「やかましい」
白鉛は一蹴した。黒曜の言葉などに、聞く耳を持たない。黒がわなわなと身体を震わせる。静かに二人の間でバチバチと火花が散らされる中、真宙が動いた。白鉛の膝の上を、ぺちぺちと叩き始めたのである。恐らくまったく痛くないそれは、二人の意識を逸らすには十分だった。二人は火花を散らしていたことなど忘れて、ゆっくりと首を傾げた。
「真宙?」
「どうした?」
二人の声に、真宙は首だけを振り向かせる。二人にしっかりと顔が見えた。その顔を見て、同時にぎょっとする。眉が八の字になっており、寂しそうな悲しそうな顔をしていた。
何事かと不安そうな二人の視線を受けつつ、真宙は呟いた。
「……けんか、だめ。はくパパもこくママもなかよくしよ」
むすっとした真宙はぎゅうっと小さな手で白鉛の服を掴む。もう片方の手は必死に伸ばして、黒曜の服の裾を掴んだ。
ずっきゅーん!
再度二人は撃ち抜かれた。完全に胸を射抜かれた、「可愛さ」という弾丸に。同時に胸を押さえた二人は悶える。
「真宙が可愛い……!」
「ずるいよなあ……!」
真宙は首を傾げた。よく分かっていないらしい。二人は頭を撫でてやった。
真宙は顔を上げて続けた。
「……ねえ、はくパパ。ぼくにおしえてくれるみたいに、みんなにもおしえてあげて。はくパパのせんせい、みたい。……みんなにとられるのは、いやだけど」
それに戸惑ったのは、白鉛だ。ぐっと言葉を詰まらせる。
「ぐっ……! いや、だが――」
「それだ!」
白鉛の言葉をかき消すように、先生たちと黒曜の言葉が重なった。
IV
その言葉に真宙は驚く。大きな目がさらに大きく見開かれた。
一方、白鉛は綺麗な眉を寄せ、皺を作る。顔には、「不機嫌」と書かれていた。
黒曜は「でかした!」と言いながら、真宙の頭をわしゃわしゃと撫でる。小さな頭は、すぐにボサボサになっていた。
「ナイス案、真宙! 偉いぞー!」
「……ぼく、えらい?」
「偉い! マジで良い子! さすが俺の息子!」
「貴様のだけではないと何度言えば分かる! 我が子だ! それより――」
黒曜が真宙を褒めれば、真宙は首を傾げて確認してくる。それに何度も頷いていれば、怒った白鉛が口を挟んできた。白鉛の言葉を遮るかのように、黒曜は興奮しながら言葉を紡ぐ。
「白鉛が保育園で子どもにも先生にもいろいろと教えてあげればいいんだよ! そうすれば、真宙にも教えてあげられるし、わざわざ真宙が帰ってきてから家で勉強する必要もなくなる! 一石二鳥じゃん!」
「何故俺が――」
「お前以外いないじゃん! 大体にして、真宙のご指名だし!」
再度白鉛の言葉が詰まる。黒曜の姿を見て、今しかないと判断した先生たちが揃って頭を下げる。
「おねがいします!」
「貴様らは先程考えろと言ったところだろうが! あれ程言ってまだ分からぬか! 散れ、鬱陶しい!」
「……はくパパ、だめ?」
真宙が白鉛を見上げて尋ねてくる。白鉛はしばらく唸っていたが、やがて折れた。真宙の視線に耐えかねたらしい。
もっとも、黒曜からしたら、完全に白鉛が負けたことはすぐに分かっていたのだが。
長い長いため息の後、白鉛は頷いた。
「……仕方あるまい」
「お! なら――」
「貴様も手伝え、黒曜」
「……うえっ!? 俺えっ!?」
完全に気を抜いていた黒曜にびしりと指を突きつけた白鉛。黒曜は理解するのに時間がかかった。理解した瞬間、大きな声で叫ぶ。声が裏返ったことには、幸い誰も触れることは無かった。
「子どもの相手をしろ。それぐらいは出来るだろう。それに、言い出しっぺは貴様だ」
「いや、それは俺じゃ――」
「文句は聞かん」
黒曜は自分じゃないと主張したが、ぴしゃりと白鉛に跳ね除けられてしまった。白鉛は決まるとなると、早速先生たちへ交渉をし始めた。黒曜ははあっとため息をついた。
そんな黒曜へ、いつの間にか白鉛の膝の上から下りた真宙が近づく。
「こくママも、いっしょ?」
「……そうっぽいな」
「やった」
真宙がぎゅうっと抱きついてくる。黒曜は目を見開いて、やがて柔らかく目を細めた。可愛い我が子に喜ばれてしまえば、それだけでどうでも良くなる。
まあ、いっか。
黒曜は真宙を抱き抱えて、白鉛たちの会話に参加することにしたのだった。
こうして、初めて真宙の保育園に訪れた二人は、何の因果か「先生」としての仕事をゲットしてしまったのであった。
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