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第一章 「バカ言ってんじゃねえよ」

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 Ⅰ

 アチラは大鎌を抱えつつ、トンと床に降り立った。大鎌を一度空間の狭間にしまい、身軽な状態でスマートフォンを手にする。
 だが、彼が降り立った場所には床なんてなかった。ただ、何もないところに降り立っているだけである。例えるとするなら、「空中浮遊」という言葉が合っているかもしれない。

 ――ここは、現代と黄泉の国の狭間にある場所。通称「通るべき者」。

 命名したのは、他でもない、アチラであった。上司からは「意味が分からない」とバッサリ切り捨てられたのだが、アチラは変更することなくその呼び方を続けていた。
 スマートフォンに届いたメールの内容を確認しつつ、アチラはその空間をフラフラと歩き始める。
 スマートフォンにはいくつかのメールが届く。それは大きくわけて二種類であった。
 一つは、上司からのメールである。これは指令や苦情、お叱り言葉であったり、共有の伝達事項であったりと様々だ。付け足しておくとするなら、苦情とお叱りの言葉が八割以上占めていた。
 もう一つは、審判する者の情報。これは情報を管轄している「情報屋」から回ってくるものであった。もっとも、「情報屋」とはアチラが名付けたもので、本来は「情報管理部」というれっきとした部署名が存在していた。
 アチラは鼻歌交じりに歩きつつ、スマートフォンの中身の確認を続けていた。我が物顔で歩く彼を咎める者はいない。ここには、彼とこれから審判を受ける者しかいないからであった。その他以外の者が入ろうとしても、この空間から拒否されるのである。
 アチラと同等の仕事を行っている者は、全部で五人。それぞれがそれぞれの空間――部屋を持ち、そこには必ず一組しか入れないようにされていた。つまり、対面で話す、アチラたち審判する者と、審判される者の二人しか歓迎されないのである。
 アチラがスマートフォンの中身を確認しつつ歩いていれば、空間の中でようやく人影を見つけた。「お」と小さく言葉を零したアチラは、足を速めて人影に近付く。靴音がやけに大きく響くのは、空間で彼以外が歩いていないからか、はたまた彼が革靴を履いているからか。どちらにせよ、人がいると存在感を主張していた。
 アチラがスマートフォン片手に人影に近付けば、そこには一人の少女がいて。高校生ぐらいの少女が腕組みをして立っていた。アチラが近付けば、キッと気の強そうな顔でアチラを睨みつける。
「ちょっと、私も待たせるなんて、いい度胸ですわね!」
「……」
 アチラは沈黙した。無表情になってジッと少女を見つめるアチラに、少女はフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。だが、待てども一向に口を開こうとしないアチラに、少女は眉を釣りあげて再度口を開く。
「ちょっと、聞いてますの!」
「――おたく、二次創作の世界から来ました?」
「はあ!?」
 至極真面目な顔でアチラが問いかけてくるのを、少女は怪訝そうな顔をして言い返す。明らかに不機嫌だと訴えかけている顔を向けられても、アチラはものともしなかった。
「いや、どう見ても悪役令嬢――とも言い切れないけど、そんな感じがするし。情報では現代からになっているけど、間違っているのか?」
「一人で何を言っているのよ!    私は――」
「いや、待てよー。そんな話があったら俺に共有……いや、忘れている可能性も捨て切れない。……まあ、とりあえず、サインと握手だけ貰っといていいです?    二次創作から来たって話が本当だったら、未来永劫自慢できるし」
「話を聞きなさい!    なんて人なの、着ているものも質素ですし、さらに気持ちが悪いなんて!」
 アチラがどこからともなく出したサインペンと色紙を差し出せば、少女はそれを叩き落とす。自身の身体をさするその姿は、本当に気持ちが悪いと思っているのだろう。
 その姿を見つつ、アチラはやれやれと首を振った。
「ま、冗談はさておき。……とりあえず、君に言うとしたら、君はここから帰ることはできない、ということ」
「な、何を言って……!    私は、早くお父様の元に帰るの!    これから、高級ディナーが……!」
「無理でしょ。だって――」
 アチラは自身が被っているローブのフードを右手で引っ張りつつ、自信満々に告げる。ニヤリと笑う姿は、まさに「死神」と言えるだろう。
 もっとも、少女はまだアチラの正体を知らないのだが。

「――君は、死んでいるんだから」



 Ⅱ

 アチラの言葉に、少女は先程まで騒いでいたことが嘘のように黙った。絶句している、小さく息を呑む音が聞こえた。カタカタと身を震わせつつ、少女は震える声でアチラへと問いかける。
「ど、どういう、こと……」
「そのまんま、言葉通りだよ。――錦小路にしきこうじにこ。死因は交通事故による即死。今から四時間ほど前、ってところか。トラックが突っ込んできた、らしいね。ま、ここに来た時に記憶が混濁しているのはよくあることだから仕方ないんだけど」
 少女――にこは黙ってアチラの言葉を聞いていた。だが、唐突にすべてを思い出す。
 たまたま友人たちと歩いて帰ることになった今日、トラックが無慈悲にも自分に突っ込んで来たことを。普段は車での送迎ばかりだが、わざわざ友人たちの誘いのために送迎を断ったのだ。友人たちに付き合わせたらこのザマである。
 少女はすべてを思い出すと、身体を震わせた。今回は怒りから来るものである。
 それを、アチラは静かに見つめた。やがて、ゆっくりと目を細める。蒼い眼光が、三日月のようであった。彼は思う。

 ――ああ、こいつは、と。

 だが、その様子は少女に気取られないように、元の表情に戻して口を開く。なりを潜めた裏の顔は、面影もない。
「……ま、とりあえず話を進めさせてもらおうかな。君もお座りよ」
 アチラは指をパチンと鳴らすと、どこからともなく自分と彼女の分の椅子を出現させる。椅子が半ば落ちるように設置されるのを少女は呆然と見ていた。にこが動かない状態でもお構いなしにアチラは自分の椅子にどかりと腰掛ける。スマートフォンに目を通しつつ、足を組みながら話を再開した。
「えっと、名前は確認したし、死因も問題なし。あとは――」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
 アチラは少女の声に顔を上げる。興味なさそうにチラリと視線を送れば、にこが声を荒らげる。アチラへ指をさして、キャンキャンとわめくのだ。
「な、なんで、あなたの椅子だけそんなに豪華なの!    それは私のはずでしょう!?」
 確かに、アチラが座っているのは豪華な革張りの椅子だ。一人分にしては余裕があり、肘掛けもあってゆったりと座れるのもである。対するにこの椅子は学生の教室にあるような木の椅子であった。固く、肘掛けもないそれに、にこは不満なのだろう。
 アチラはやれやれと首を振ってから口を開く。
「んなわけないでしょー。これは俺の、おたくはそれ。勘違いお嬢様は黙ってくれる?」
「なっ……!    失礼でしょ、私は有名な財閥の――」
「――黙れ、って言ってるんだけど」
 少女がわめく中、アチラは低い声で警告した。蒼い眼光が目の前で細くなり、無表情になった。少女は思わず口を閉ざす。勢いを失った少女を見て、アチラは一つ息をついた。それから、視線を逸らすことなく説明を始める。
「……おたくが何を勘違いしているのか知らねえけど、二つだけ先に伝えとく」
 アチラは一度言葉を区切ってから、椅子から立ち上がった。そして、どこからともなく大鎌を取り出し、左手で担ぎ上げる。アチラより遥かに大きい漆黒に染まる大鎌を見て、少女が息を呑むのが分かった。アチラはそれに触れることなく、右手の人差し指を立たせながら説明する。
「一つ、君はすでに死んでいるんだ。君がここにいられる時間は限られている。だからこそ、この後君が進む道を早急に決めなくてはいけない」
 アチラは指を増やして、さらに続けた。
「そして、もう一つ。君は俺に逆らうことなんてできないということだ」
「な、にを……」
「おや、そういやあ名乗っていなかったね。これは失礼した、レディ?」
 戸惑う少女を見て、自らが名乗っていなかったことをアチラは思い出す。アチラは左手で重さなど感じないかのように大鎌をぐるんと回してから勢いよく大鎌の柄を床に突きつける。ガチャンと音が鳴るのを合図に、アチラは優雅に一礼した。
「はい、こちらは死神のアチラです。あちらに行くのにあなたが相応しいか、判断しにコチラに伺いました」
「……は」
「要は、君が君の人生を終え、第二の人生を歩めるか判断するのが俺の仕事だ」
 アチラは呆然とするにこを見たまま、フードを右手で引っ張りつつニヤリと笑う。
「さて、話を進めよう。君がここから進めるかどうか判断するために、ね」



 Ⅲ

 アチラは再度椅子に腰かけた。今回は大鎌をしまうことなく、自分の横に置いてある。にこはそれを見てか、先ほどのアチラの話を聞いてなのか、急に大人しくなった。椅子に座ってじっとしている。向かい合って座っているその距離は、二メートルほど離れていた。だが、向かい合って座っていれば、少女はポツリと呟いた。
「なんか、面接みたいだわ……」
 アチラはそれに頷いてみせる。
「そう思ってくれてかまわないよ」
 アチラはスマートフォンを見つつ、少女に再度説明するために口を開いた。
「君が転生できるかを判断することも大事だけど、先に転生の世界について説明しておく。まず、転生の世界は全部で三つ。一つ目は君が生きていた現代と呼ばれる世界。まあ、輪廻転生、と言われるものに当たるかな。二つ目は、最近流行りのアニメやゲームの世界、つまり二次創作の世界に転生するものだ。そして、三つ目、これは――完全な死、だ」
「え……」
 少女の口から思わず言葉が零れ落ちる。だが、アチラはそれを見ても笑い飛ばすだけだった。
「そんな顔をすることはないさ。これに関しては語弊がある。詳細を言うなら、自身の持っている罪を清算し終わるまで転生できないということだよ。つまり、すぐには転生できないということ。文字通りの意味ではないさ」
「お、驚かせないでよ!」
「いや、あながち間違っていないさ。清算が終わらなければ、一生転生できない、ということになるんだからね」
 少女が怒りを露わにする中、アチラは言い切った。目を細めて断言する彼に、にこも思わず口を噤む。
 アチラはそれを見てからさらに続けた。
「君の人生を見直して問題なければすぐに転生できる。だが、必要があれば清算が終わらない限り転生はできない。基本的な情報はこのスマートフォンにすべて入っている。隠そうとしても、嘘をついたとしても、無駄ということだけは理解してほしいかな」
 アチラは自身のスマートフォンを掲げて見せる。すると、そこに少女の声が届いた。
「……転生先を、買い取ることはできませんの?」
「……」
 にこの言葉に、青年は黙った。返答のない様子に、にこはそれを肯定と受け取り、青年へ懇願するかのように交渉を始める。
「わ、私は二次創作の世界に転生したいの!    それに、お金ならお父様がたくさん持っているわ!    お父様に頼めば、きっと――」
「……あのさあ、」
 アチラはしばらく黙って聞いていたが、少女の言葉に口を挟んだ。今までよりも一つも二つも低い声に、少女は思わずビクリと身体を強ばらせる。アチラはそれだけ告げて椅子に深く沈み込むと、ギロリと少女を睨んだ。
「いまだに分かってねえんだな、あんた」
「……っ!」
「あんたは死んだ。再三言ったはずだぞ、そこは理解してるんだよな?    死んだ人間が金を出す?    笑わせんなよ、死者に金なんて一番無意味な道具だろうが」
 アチラはフードを引っ張りつつ、蒼い目を少女に突き刺した。酷く冷たく、そして刺し殺すかのようなそれに少女は息をすることすら困難に感じた。アチラは気にも留めることなく、ただ言葉を続ける。
「金も地位も、友人だって何も関係ねえ。この場所に来たなら、一度今までの現代の『常識』とやらをすべて忘れろ。その常識は、現代に生きているすべての人間の常識とは限らねえんだからな」
 アチラは冷酷に告げたあと、スマートフォンへと視線を向けた。画面をタップしている姿が、やけに恐ろしい。
 だが、少女はまだ納得がいかないようで、ポツリと呟いた。
「……あいつらの、せいよ」
「はあ」
「私が死んだのは、あいつらのせいなのよ!    私がいつものように車で送迎してもらってたら……!」
 どうやら、先ほどのアチラの言葉に入っていた「友人」に酷く反応したようであった。憎しみに近い感情を溢れ出す少女に、アチラはため息をつく。それから、バッサリと切り捨てた。
「ねえな」
「え……」
「あんた、バカ言ってんじゃねえよ。友人がいて、誘ってもらえることがどれだけ幸せなことか分かるか?    その言葉をどれだけ待っている人間がいると思う?    なのに、人のせいにして?    はっ、あんたの友人は可哀想だな、同情するぜ」
 アチラは少女の言葉に嘲笑した。胸くそ悪い、そう思っている。仕事じゃなければ、まったく会話することもなく無視するか、切り捨てていたたことだろう。
 アチラはスマートフォンを見る。目の前で少女が怒りによって顔を赤くしているが、そんなことはどうでとも良かった。
 ようやく、スマートフォンが振動する。待ちに待っていた返信が届いたのだ。その内容に目を向けて、アチラはニヤリと笑った。
 椅子から勢いよく立ち上がる。その拍子に、アチラが被っていたフードがパサリと音を奏でながら落ちた。アチラの隠されていた顔が公になる。彼は整った顔立ちをしていた。星空のような綺麗な藍色の髪を揺らす青年に、少女は思わず見惚れた。
「か、っこいい……」
「あんたみたいな女、こちらから願い下げだ。……知ってるか?    俺がフードを被っているのは、あんたみたいな奴が多いから。人の顔を見るなり言い寄ってきたり、手のひら返したように助けてくれと懇願してきたり……。そんなのばっかりだから、面倒で被ってるの」
 アチラはそう告げた後に、「ちなみに、今フード落としたのはわざとね」と告げる。少女が反応するか試したということだ。少女はそれを理解して、さらに顔を赤くさせた。
 アチラは気にすることなく、大鎌を担ぎ上げて宣言する。
「さーて、あんたの判決を下すよ。上の許可も出たことだしね」
「い、いつの間に……!」
「――簡潔に言い渡そう。お生憎様だったねえ、あんたは三つ目、転生できないということだ」
「なっ……!」
 少女は勢いよく席を立つ。反動で椅子が背中から倒れたが、誰も手を差し伸べることはなかった。
 アチラは少女の様子を見ても平然としたまま、「当然でしょ」と告げる。
「今までの会話だけでもやばいなと思ってたのに、おたくの家族は庶民を見下してるし、金で物を言わせるわ、汚職事件しかねえわ……。ちなみに、あんた自身も相当問題ばかり起こしてたらしいね?    金で物を言わせるのは日常茶飯事、友人の扱いも酷いと来た。可哀想にねえ、ご友人」
「な、何よ!    庶民に比べて、私たちは偉いの!    だから、お金があるの!    お金があるってだけで立場が違ってくるわ!    それに――」
「あー、あんた一生清算できねえな。……さて、話は終わりだ」
 アチラがパチンと指を鳴らせば、少女は一瞬で十字架に磔にされた。身動きが取れずに騒ぐ彼女を見て、アチラは大鎌をぐるんと回してから構える。
「そうそう、言い忘れていた。この地に来たことは、転生する者も、あんたみたいな場合の奴も、みーんな記憶から消されるから安心してね」
「ちょ、ちょっと待なさいよ!」
「……一つ、勘違いしているようだから伝えとくけど、二次創作の転生は、現代で満足できなかった人間たちが幸せになるための物語ってわけだ。お前のための物語じゃねえ」
 アチラはそれ以上言うことはなく、大鎌を構え直して判決を下した。
「……錦小路にこ、審判を下す。清算後、再度ここへ来い。それまでは、次の道は与えん」
「まっ――」
「――、開始」

 アチラは床を蹴ると、少女との距離を一気に詰め、断頭台のように残酷にも大鎌を首めがけて振り下ろすのであった――。



 Ⅳ

 少女は下へ下へと落下していく。先ほどとは打って変わって、そこには床などなかったと言うかのように奈落へと落下していった、十字架に磔られたまま――。

 ――だが、大鎌を振り下ろされたはずの首は、胴体と繋がったままであった。

 アチラは落ちていくその姿が見えなくなっても、冷酷に見下ろしていた。絶対零度の視線が、蒼い炎を宿したまま鋭く突き刺していた。
「……金よりも、地位よりも、大事なことがあるって分かれば、あんたは変われるのかもしれねえな」
 アチラは誰も聞いていない中冷酷に告げると、スマートフォンを操作して内容を送信する。行先は、「情報屋」である。

 ――送信した画面には、酷く恐ろしい死の刻印が刻み込まれていたのであった。
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