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第13話 目覚め

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「起きるのが遅い」
「お前、寝てる時に人の鼻摘まむなよ! 窒息したらどうしてくれるんだ」
「……? どうもしないけど、どうしてほしいの?」

 心底不思議そうに聞かれた。あっさり薄味の殺意を感じる。
 座敷童って人間を幸せにする存在じゃなかったのかよ……。

「幸世さん。昭博は見事マイさんを救ったんですから、あんまりいじめてはだめですよ」

 横から聞こえてきた夢見の声に、幸世は不満そうに唇をとがらせ、ぴょこんとベッドから飛び降りた。
 俺はゆっくりと体を起こす。
 あんな悪夢の中にいながらも体は熟睡していたらしい。時計を見る限り30分程度しか経っていないにも関わらず、頭が妙にすっきりとしていた。
 幸世と入れ替わるようにして、夢見が俺のベッドに歩み寄る。

「お手柄でしたね、昭博」
「……薄情な獣に呼び捨てされるいわれはねぇ」

 人が必死にマイをどうにかしようとし、奮闘していた時に、こいつはただのんびり見物していやがった。
 うなるように言うと、夢見は少し困ったように首を傾げた。

「呼び捨てが嫌なら、あっきーと呼びましょうか?」
「誰があっきーだ!」
「これも駄目ですか。難しいですね。人間は親しい友人を苗字では呼ばないものだと学んだのですが……」
「どんな距離感の人間同士を『親しい友人』と呼ぶのか、その定義から学び直せ!」

 少なくとも、死ぬリスクがあるということをうっかり言い忘れたりして良い関係じゃない。
 なにやらしょんぼりしている様子の夢見を押しのけて、俺はベッドから立ち上がる。

 隣のベッドは、仕切りとなる天蓋が開け放たれ、マイが小さく寝息を立てていた。
 撮影の合間を抜けてきたため、当然いつもテレビで見る『愛沢マイ』仕様だ。悪夢の中で犠牲になったあのマネキン達のように、パステルカラーで、フリルの多い服を着こなしている。

 その寝顔はどこかあどけなく、ここに運び込んだ時のように魘《うな》されてはいなかった。

「さっき、お手柄だとか言ってたが……俺は、マイの希望を見つけられたのか? だからこうやって悪夢から帰還できたのか?」

 まったくそんな実感はない。
 結局、マイは自分への殺意と呼べる感情を抱いたままだった。

「ええ、あなたの言葉で、マイさんは希望の片鱗を見つけました。マイさんは作られた『愛沢マイ像』に嫌悪感を抱いていたようですが、あなたの言葉で何かを思い出したようですね」
「何かって……?」
「さあ。私には分かりません。もっとマイさんのことを知っていれば別でしょうけど。――ともあれ、あなたのおかげで、ひとまず今すぐにマイさんの命が尽きる可能性はなくなりました」
「……なんだよ、ひとまずとか、今すぐにとかって。はっきりしない物言いだな」
「ひとまずはひとまずです。さしあたっての脅威は去りましたが、傷んだ悪夢の解消には至っていません」
「はあ!? じゃあ、さっきのは全部無駄だったってことか?」

 俺の抗議をものともせず、夢見はいつもの腹が立つくらい穏やかな笑みを浮かべる。

「いいえ、大きく前進しました。これも必要な過程です。ですがまだ絶望の原因を取り除けてはいません。あと数度、マイさんの夢の中に入る必要があります」
「……それはどういう――」

 眉をひそめて尋ねかけたその時、ベッドで穏やかな寝息を立てていたマイが、かすかにうなって身じろぎをした。

「マイさんが目覚めそうですね。……この話はあとにしましょう。夜、仕事が終わってからここに来ることはできますか?」

 正直これ以上訳の分からない世界に関わるのは気が引けたが、分からないことだらけのままなのはもやもやする。
 俺は渋々うなずいた。

「……明日の、21時以降なら」
「ではその時にお話しましょう。あなたの疑問にも、全てお答えします」
「分かった」

 マイが目覚めたのは、俺が返事をした直後だった。

「ん……? ここは……」

 長いまつげに縁どられた大きな瞳が、混乱した様子で天井を見上げている。
 マイはゆっくりと体を起こし、俺に気付いて目を瞬いた。

「あんた……もしかして、あたしをここに運んでくれたの?」
「病院は嫌だって言ってたからな。体調は?」
「……すごく、いい気分。こんな風に目覚めたの、どれくらいぶりだろう」

 さっきまで悪夢の中でナイフを振り回していたとは思えない呑気さで、マイは気持ちよさそうに伸びをした。

「マイさん。やはり、しばらく通ってはいただけませんか? このままではあなたの身体が心配です」

 夢見の言葉に、マイが迷うように視線を落とす。

「……確かに、最近はずっと調子悪いよ。でも、病院はあんまり行きたくないんだよね。最近体調不良が続いてるけど、一度検査してもなんともなかったし。それにしょっちゅう病院行くなんて、マネージャーも心配するし、仕事が滞るような気がして。でも……ここなら、平気かも」

 そう呟いて、マイは決意したように夢見を見上げた。

「しばらくお世話になります。通える時に来るだけでいいんだよね?」
「もちろんです!」

 夢見は嬉しそうにうなずくと、いそいそとした様子で名刺サイズのカードを取り出し、マイに差し出した。
 カードの表面には、真っ白な猫科の動物に似た姿――バクをデフォルメしたキャラクターが描かれている。

「これは?」
「特別なお客様にだけお渡ししているVIPカードです。そちらの連絡先にメールを頂ければ、24時間いつでもご予約をしていただけます」
「えっ……ここ、深夜もやってるの?」
「ええ。特別なお客様のご予約が入った時のみですが。ご自宅で眠られる時とはまた別の、深く快適な眠りを提供することをお約束します」

 昼寝カフェのくせに24時間営業なんて確かに変な話だが、『傷んだ悪夢』の実在を知ってしまった今となっては、夜間病院のようなものなのだろうと納得できた。

「ふうん……。意外とサービスいいじゃん。……それで、あの……、これからお世話になるなら、お伝えしておきたいことがあるんですけど」
「はい?」

 マイはしばらくもじもじと言いづらそうにしてから、意を決したように口を開いた。

「このあいだはごめんなさい。急に『しばらく通ってもらわないと倒れますよ』なんて言われたから、私、てっきり新手の霊感商法かと思って……」
「あはっ、構いませんよ。言われ慣れてますから」

 ……もしかしてこいつ、ものすごく商売下手なんじゃないだろうか。
 こんなに洒落た内装の店なのに、いつも人がいない理由が見えた気がする。
 まぁ、俺の時みたいに、馬鹿正直に『傷んだ悪夢』についての話をしていないだけマシなのかもしれない。
 呆れる俺の耳に、時計の秒針の音が飛び込んできた。

「あ。そういえば、仕事は大丈夫なのか? 移動時間含めたらそろそろヤバいんじゃ――」
「っ……!! いけない、戻らなきゃ!!」

 マイは弾かれたようにベッドから飛び起きる。
 俺は、マイを車に乗せて撮影現場まで送ることにした。
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