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7.過去と取引
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そこから数日が経った。
クロは本当にあれから送迎をしなくなった。
17時30分になると客の情報だけがメッセージで送られてくるようになった。
ここ最近は仕事終わりに紫音のバーへ行っても、クロや蓮二さん、藤宮が来ることはない。
蓮二さんもクロも藤宮もたぶんみんな必死になって、なにか手がかりを探してるようだ。
当の紫音は、何事も無かったかのようにいつも通りにニコニコと笑って、バーテンをしている。
藤宮ともあれから会ってない。
おそらく私と会う暇など、ないのだろう。
さて時刻は22時過ぎ。
仕事が終わり、紫音のバーへと向かう。
クロも蓮二さんもいないので、ここ数日は紫音のバーへ行かずに直帰することが多かったが、早めに終わったので行ってみることにする。
いつも通りにバーのドアを開けた。
「……おー、まーちゃん。久々じゃん」
バーにはまだ誰もおらず、紫音が一人で開店準備をしていた。
「…誰も相手にしてくれる人がいないもんで」
「えー?俺がいるじゃん」
そう言って紫音はいつも通りに笑っている。
「…ねえ、紫音。」
「んー?」
あまりに紫音が通常通り過ぎて、逆にビックリする。
「あの蓮二さんやクロでさえ、全く足取りが掴めないらしいけど、どうやってやったの?」
「え?何の話?」
「…ココでとぼけなくていいから。」
紫音はニコリと笑うだけだ。
「…まーちゃん、俺、今日で最後」
「あら」
「ついに、ね。いろいろ準備が整ったからね」
「へえ」
「……ちょっとー、それだけ?」
紫音はビールを注いで私の前に置いた。
「俺のビールが飲めるのも今日で最後ですわ」
ふと店内の床や棚が目に入る。
いつもよりかなり綺麗に整頓されていた。
最後まで抜かりないやつだ。
「………ねえ。アンタの故郷ってどんなところ?前にも聞いたけど、せっかくだからもっと教えてよ」
「どんなって、…うーん、そうだね。もう五年帰ってないからあんまり覚えてないけど、今でも覚えてるのは、」
「うん」
相槌を打ちながら、私は紫音の話を聞く。
「…妹が入院してる病院からの景色がすっげえ綺麗だった」
「え?なんで?山の中にあるの?」
「違うよ。めっちゃ街中だから」
「染井吉野みたいな?」
「違う違う」
紫音は、あははっと楽しそうに笑った。
懐かしむように目を細めて話し始める。
「紅葉が入院してる病院は向こうの方では一番有名な大学病院で、大学もあるからすごい敷地が広くて。銀杏並木が有名な場所なんだよ。」
「紅葉…ってゆうの?妹さん」
「あ、そうそう。それで向こうはこっちよりも四季がはっきりしてるからさ、春は桜がブワァ~って咲いて、秋には紅葉がブワァ~ってなって、冬にはその木に雪が被って雪景色になるの」
「ちょっと、そのブワァ~がわからないけど、とりあえずスゴイってことね」
「そうそう」
紫音はいつものようにケラケラとわらった。
私もつられて笑ってしまう。
「…でもいいね、染井吉野にそんな景色が綺麗な場所ないから。」
「そうだね。綺麗なのはネオンの夜景くらい?」
「……そんなの全然綺麗じゃないでしょ」
私はそう言ってビールを飲む。
この街は、表面だけ煌びやかなネオンで飾られただけの、闇深い欲望にまみれた街。
綺麗な所なんて一つもない。
「紅葉って綺麗な名前」
「名前の通り、桜とか紅葉とか好きでさ、よく車椅子押して並木を散歩したわ」
懐かしむように紫音の顔は優しく綻んだ。
「……まーちゃん、あのさ…」
「何?」
「……紅葉のやつ、手術できそう、なんだ」
「…そうなの」
「手術に耐えられそうな身体も、費用も全部揃ったから。これできっと…良くなる」
「よかったね」
「うん。弟も来年高校進学で、サッカーやってんだけど、行きたかった私立の学校に行かせてあげれそうなんだ。」
「…そう。ご両親も一安心だね」
「…うん、まあ母親しかいないけどね」
「そうなんだ。…じゃあなおさら大事にしてあげないと、…」
そう言いかけて、私は口をつぐんだ。
「…紫音。わかってると思うけど、」
「わかってるよ」
私は紫音の方を見つめる。
紫音のその凛とした目から、一粒の涙がこぼれそうになる。
「…ありがとう。まーちゃん」
「…紫音、大丈夫。みんながアンタを悪者呼ばわりしても、私は本当の紫音をちゃんと知ってる。…一人でよく頑張ったと思う」
「…………」
紫音は下を向く。
こんな時、何を言えばいいのか、わからない。
その時、バーのドアが勢いよく開いた。
「紫音~おっはー!」
「おつかれちゃーん!」
騒がしい派手な女が二人、バーに入ってくる。
紫音が急いで顔を上げて、「おつかれ~!」と言って、いつも通りに笑った。
切り替えの速さは天下一品。
「店暇だから、早締めだって~」
「まじヤバイよね~」
女二人は豪快に笑いながら、中へと入ってくる。
…私はビールを飲み干すと、立ち上がった。
「じゃあね、紫音」
女たちと入れ替わるようにバーから出て行く私。
紫音は私がバーのドアを閉めようとした瞬間に、「ちょっとまって~」と言って追いかけてきた。
紫音の手が閉めようとしたドアを掴む。
「……藤宮がココで乃依とヤッてた時、繋いでてくれたその手が心強かった…ありがとう。」
小さな声でそう言うと、紫音は驚いたように、え?と言って制止した。
「お疲れ様、紫音」
私はパタンとドアを閉める。
クロは本当にあれから送迎をしなくなった。
17時30分になると客の情報だけがメッセージで送られてくるようになった。
ここ最近は仕事終わりに紫音のバーへ行っても、クロや蓮二さん、藤宮が来ることはない。
蓮二さんもクロも藤宮もたぶんみんな必死になって、なにか手がかりを探してるようだ。
当の紫音は、何事も無かったかのようにいつも通りにニコニコと笑って、バーテンをしている。
藤宮ともあれから会ってない。
おそらく私と会う暇など、ないのだろう。
さて時刻は22時過ぎ。
仕事が終わり、紫音のバーへと向かう。
クロも蓮二さんもいないので、ここ数日は紫音のバーへ行かずに直帰することが多かったが、早めに終わったので行ってみることにする。
いつも通りにバーのドアを開けた。
「……おー、まーちゃん。久々じゃん」
バーにはまだ誰もおらず、紫音が一人で開店準備をしていた。
「…誰も相手にしてくれる人がいないもんで」
「えー?俺がいるじゃん」
そう言って紫音はいつも通りに笑っている。
「…ねえ、紫音。」
「んー?」
あまりに紫音が通常通り過ぎて、逆にビックリする。
「あの蓮二さんやクロでさえ、全く足取りが掴めないらしいけど、どうやってやったの?」
「え?何の話?」
「…ココでとぼけなくていいから。」
紫音はニコリと笑うだけだ。
「…まーちゃん、俺、今日で最後」
「あら」
「ついに、ね。いろいろ準備が整ったからね」
「へえ」
「……ちょっとー、それだけ?」
紫音はビールを注いで私の前に置いた。
「俺のビールが飲めるのも今日で最後ですわ」
ふと店内の床や棚が目に入る。
いつもよりかなり綺麗に整頓されていた。
最後まで抜かりないやつだ。
「………ねえ。アンタの故郷ってどんなところ?前にも聞いたけど、せっかくだからもっと教えてよ」
「どんなって、…うーん、そうだね。もう五年帰ってないからあんまり覚えてないけど、今でも覚えてるのは、」
「うん」
相槌を打ちながら、私は紫音の話を聞く。
「…妹が入院してる病院からの景色がすっげえ綺麗だった」
「え?なんで?山の中にあるの?」
「違うよ。めっちゃ街中だから」
「染井吉野みたいな?」
「違う違う」
紫音は、あははっと楽しそうに笑った。
懐かしむように目を細めて話し始める。
「紅葉が入院してる病院は向こうの方では一番有名な大学病院で、大学もあるからすごい敷地が広くて。銀杏並木が有名な場所なんだよ。」
「紅葉…ってゆうの?妹さん」
「あ、そうそう。それで向こうはこっちよりも四季がはっきりしてるからさ、春は桜がブワァ~って咲いて、秋には紅葉がブワァ~ってなって、冬にはその木に雪が被って雪景色になるの」
「ちょっと、そのブワァ~がわからないけど、とりあえずスゴイってことね」
「そうそう」
紫音はいつものようにケラケラとわらった。
私もつられて笑ってしまう。
「…でもいいね、染井吉野にそんな景色が綺麗な場所ないから。」
「そうだね。綺麗なのはネオンの夜景くらい?」
「……そんなの全然綺麗じゃないでしょ」
私はそう言ってビールを飲む。
この街は、表面だけ煌びやかなネオンで飾られただけの、闇深い欲望にまみれた街。
綺麗な所なんて一つもない。
「紅葉って綺麗な名前」
「名前の通り、桜とか紅葉とか好きでさ、よく車椅子押して並木を散歩したわ」
懐かしむように紫音の顔は優しく綻んだ。
「……まーちゃん、あのさ…」
「何?」
「……紅葉のやつ、手術できそう、なんだ」
「…そうなの」
「手術に耐えられそうな身体も、費用も全部揃ったから。これできっと…良くなる」
「よかったね」
「うん。弟も来年高校進学で、サッカーやってんだけど、行きたかった私立の学校に行かせてあげれそうなんだ。」
「…そう。ご両親も一安心だね」
「…うん、まあ母親しかいないけどね」
「そうなんだ。…じゃあなおさら大事にしてあげないと、…」
そう言いかけて、私は口をつぐんだ。
「…紫音。わかってると思うけど、」
「わかってるよ」
私は紫音の方を見つめる。
紫音のその凛とした目から、一粒の涙がこぼれそうになる。
「…ありがとう。まーちゃん」
「…紫音、大丈夫。みんながアンタを悪者呼ばわりしても、私は本当の紫音をちゃんと知ってる。…一人でよく頑張ったと思う」
「…………」
紫音は下を向く。
こんな時、何を言えばいいのか、わからない。
その時、バーのドアが勢いよく開いた。
「紫音~おっはー!」
「おつかれちゃーん!」
騒がしい派手な女が二人、バーに入ってくる。
紫音が急いで顔を上げて、「おつかれ~!」と言って、いつも通りに笑った。
切り替えの速さは天下一品。
「店暇だから、早締めだって~」
「まじヤバイよね~」
女二人は豪快に笑いながら、中へと入ってくる。
…私はビールを飲み干すと、立ち上がった。
「じゃあね、紫音」
女たちと入れ替わるようにバーから出て行く私。
紫音は私がバーのドアを閉めようとした瞬間に、「ちょっとまって~」と言って追いかけてきた。
紫音の手が閉めようとしたドアを掴む。
「……藤宮がココで乃依とヤッてた時、繋いでてくれたその手が心強かった…ありがとう。」
小さな声でそう言うと、紫音は驚いたように、え?と言って制止した。
「お疲れ様、紫音」
私はパタンとドアを閉める。
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