前世を思い出したけど推しの義弟が最恐のヤンデレラスボスだったので俺が幸せにしてみせます

柊 らんか

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57.可愛い子ども

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――頭が痛い。耳鳴りがする、もうこれ以上、思考を保てそうにない。

 頭のなかに反響する異音が鳴り止まない中で、レオニードの目の前に立ち、上から見下ろした。
 
 沈んだ瞳と沈んだ瞳がようやく交差する。ジルバードは、この家に来てから初めて、レオニードと真っ直ぐに視線を交わしたように感じた。
 
 けれど、レイリアは――兄だけは、一度たりとも、こんなふうに自分を蔑んだ目で見下ろしたことはなかった。
 誰もが自分を斜め上から見下ろし、値踏みし、名前さえ正確に呼ばなかったこの世界で、兄だけは真正面から目を合わせてくれた。否定も、嘲笑もしない。

 帰る場所もなく、息をすることさえ許されないような日々の中で、兄は、背を追いかける自分を振り返ってくれた。
 あの人の傍にだけ、世界は少しだけ穏やかで、泣きたくなるほど、あたたかかった。

 多くを語らず、表情に出すこともない兄だ。
 けれど、その仕草ひとつ、目線ひとつが、幼い自分には何よりの救いだった。
 何も持たずにここへ来た少年にとって、唯一与えられた灯火のような存在だった。

 ――兄は、きっと知らない。
 あのとき自分がどんな思いで、そのひとつひとつを胸に刻んでいたかなんて。
 けれど、あのときの温もりだけで、自分はここまで生きてこられたのだ。
 どんな地を這っても、この足で立ち続けることができたのは、あの人がいたからだ。

 だから、目の前で横たわる人間は、兄とはまるで違う。
 
 気配の変化に気づいたのか、寝台の上でレオニードがわずかに身をよじる。
 ジルバードは静かに片手を伸ばし、その喉元に触れる。
 その細さに、一瞬、驚いた。
 まるで骨だけでできているかのようだった。

 右の掌に、氷の魔力をゆっくりと込める。ひと筋、冷たい光が皮膚の下に灯る。
 その瞬間、レオニードの目が見開かれた。

 ジルバードは、虚空を見つめるように開かれた瞳孔を、しばらく黙って見つめていた。
 そして、静かに片手を伸ばすと、その目元にそっと触れ、まぶたを閉じさせると、音も立てずに部屋を後にした。

 夕暮れが濃くなり始めた頃、ジルバードの自室の扉が控えめに叩かれた。
 音の主は、現在レイリアに仕えている専属の侍女だった。
 扉が開かれ、彼女の顔を認めた瞬間、ジルバードは椅子を押し退けるように立ち上がった。

 侍女の唇が動くのを待たずに、ジルバードは視線だけで要件を促した。
 
「……今晩の夕餉に、レイリア様がご一緒したいとのお申し付けです」

 ジルバードは、思わず生唾を飲み込み、僅かに視線を伏せた。
 たった一言で、全身の神経が過敏に研ぎ澄まされたような感覚に陥った。
 食堂へと向かう廊下は、足は自然と早まっても、どこか重い足取りだった。
 使用人がそっと開いた扉の先、兄はすでに席に着いていた。

 薄暗がりの中、蝋燭の光が彼の横顔を柔らかく照らしている。
 その姿を目にした途端、ジルバードははっと息を飲んだ。
 
「も、申し訳ありませんっ!お待たせしてしまって……」
 慌てて駆け寄り、深く頭を下げた。
 遅れてきたことへの焦りと、兄の前に立った緊張とが胸の内で複雑に交錯していた。
 そんな弟を軽く一瞥して、レイリアは銀製のナイフとフォークに手を添えて、もう一度ジルバードを見やった。着席を促すその視線に足早にテーブルへと近寄ると、侍女に椅子を引かれた。

 腰を下ろして一呼吸つく間もなく料理が運ばれ、食器をつつく音がよく響いた。

「……俺に何か、言うことは?」

 切り出された言葉に、ジルバードの肉を切り分ける手が止まった。
 ――きっと兄は、全てわかってるはずだ。
 どれだけ痕跡を消し去ろうとも、あの部屋に残っていた魔力の残滓に兄が気が付かないはずがないのだから。
 それでも、きっとこの罪を、口に出さなければならないのだ。
 
「……この度は、勝手な真似をして、大変申し訳ありま――」
「違うな」

 レイリアの声が、重なるようにして割って入った。
 咀嚼の音ひとつ立てずに、淡々と料理を口に運びながら、ジルバードの言葉を遮った。

 ジルバードは、一瞬呆けたように視線を彷徨わせた。
 何が違うのか、どこが間違っていたのか、すぐに答えが見つからない。
 焦燥が胸を駆け上がり、心臓の音が耳の奥で波のように響く。
 この音が、兄のもとまで届いてしまうのではないかとすら思えた。
 
 レイリアは一つため息をついた。
 その小さな落胆に、ジルバードの方は大きく跳ねた。

「そうじゃない。……まずは、“ただいま“だろう?」
 
 ジルバードはくしゃりと顔を歪めて、唇を噛み締めた。
 内で渦巻く感情に、支配されそうだ。
 早く言わなければ。けれど喉が締まって、声にならない。
 それでも――
 
「……っ、ただいま……!兄上っ……!」

 押し出すようにして紡がれた四文字だった。レイリアの睫毛がわずかに揺れ、静かに瞬きを落とす。
 
「ああ……おかえり」

 その優しい響きに、ジルバードはふっと目を伏せた。
 怖かった。許されないのではないかと、今度こそ捨てられてしまうのではないかと、ずっと怯えていた。
 
 けれど、レイリアは、いつだって同じように、何度だってこうして帰る場所を与えてくれる。
 その変わらぬ優しさに、胸の奥がじわりと熱くなる。

 沈黙の間を挟み、レイリアが静かに口を開いた。

「……お前も耳にしているとは思うが、父上が今朝、亡くなられた」

 その言葉は、まるで食卓に一輪、白い花を置くような静けさで告げられた。
 ジルバードはゆっくりと顔を上げた。
 レイリアもまた、まっすぐに彼を見ていた。

 言葉もなく、ただ、互いの目が交差する。

「……妙な噂もあるようだが、お前は今日、目覚めてから初めてそれを知った。……そうだな?」
 
 ジルバードははっと目を見開き、それからそっと、ひとつだけ頷いた。
 レイリアは、その様子を見届けると、何事もなかったかのように視線を手元の皿に戻した。
 フォークの先が肉の端に触れ、皿の上で音を立てる。

「葬儀は近々、俺が執り行う。……ただまあ、元気なのが一人、騒ぎ立てているらしい。お前なら、うまくやってくれるな、ジルバード」

 気怠げに放たれたその言葉に、ジルバードは小さく首を傾げた。
 その様子を見ていたレイリアは、まるで何でもないことのように続ける。
 
「……早朝、父上の死亡を最初に確認したのは、マーヴィンだ」

 たったそれだけで、ジルバードは全てを悟った。
 
 家令であるマーヴィンの出自は、代々ハミルトン家に仕える男爵家の末裔だ。元はジルバードの祖父――先々代公爵の忠臣であり、祖父が若くして世を去った後、家をまとめたのは公爵夫人である祖母、テレジア・ハミルトンだった。
 
 そして彼女とマーヴィンとの関係は相当深いようで、今も尚、隠居先にいながらも、公爵家の動きはすべて彼女の耳に届いていると、兄から聞いたことがある。
 マーヴィンはたとえ下級とはいえ貴族であり、当然、魔力の素養も備えている。
 
 ジルバードがどれだけ注意深く痕跡を消したつもりでも、部屋にわずかに残っていた魔力の揺らぎを、見逃さなかったのだろう。

 テレジア・ハミルトン。
 レオニードを公爵として厳しく育て上げた女傑であり、そして何より、あの男を「たった一人の息子」として深く愛していた母親でもある。
 
 その息子が、孫の手で葬られたとなれば、その騒ぎ方は、想像に難くない。

「葬儀には、勿論、 祖母君もいらっしゃるだろう。失礼のないように、よく挨拶をしておけ」

 きっとこの先、また兄に迷惑をかけてしまうのだろう。
 葬儀という形式的な儀式だけで済まされるはずがないことくらい、わかっている。
 それでもなお、兄は咎めようとはしない。
 
 目の前でナイフを動かす手つきは、いつもと変わらず静かで美しい。
 ふと落ちてきた視線には、怒りも、非難も、何一つそこには存在しない。

「兄上は……叱らないのですか」

 声が震えているのが、自分でもわかった。
 レイリアはナイフとフォークを皿の上に静かに置くと、ゆっくりと顔を上げた。

「……叱ってほしいか?」

 肩の力を抜いた声色だった。どこか笑いを含んだような調子で、レイリアは揶揄うようにそう言った。

 ジルバードはびくりと肩を揺らし、思わず俯く。
 顔の奥から熱が込み上げ、頬がみるみるうちに赤くなっていく。さっき飲んだワインの熱が、皮膚の下を駆け巡っているようだった。
 
「今日は疲れているんだ。お前に夜泣きでもされたら、たまったもんじゃない」

 そう言い放つと、レイリアはナプキンをたたみ、静かに席を立つ。

 呆れたように言いながらも、その声音には明確な嫌味はない。皮肉めいて聞こえるのに、それが本当に、嬉しくて。
 
 レイリアはすれ違いざま、トン――と、まるで何気ない仕草のように、ジルバードの頭へそっと手を置いた。
 
 何も言わずにそのまま出て行った扉の向こうへ、ジルバードはしばらく視線を向けたまま、膝の上で拳を握りしめていた。

 置き去りにされた掌の余韻が、なぜかずっと離れてくれなかった。
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