24 / 31
第二部 Qちゃんが出会った、佳き人々
読み違いの先に待つものは……
しおりを挟む
「急な坂があるので、2人以上の介助者がいないと車椅子は危険」という注意書きを無視して、私は車椅子を押した。背筋を伸ばし、思い切り後方に体重をかけて。
その時、私はいつか登ることになるとは考えなかった。
必ず何処かに登らずに済む道はある。
これはとても合理的な考えだ。この急坂を下ると、いつか登らなければいけないのだったら、ここを降りる人はいないだろう……。うん、うんと得意げに薄笑いを浮かべて納得する。(注意書きを読み違えました。急な坂があるので……とは、目の前の坂のことを言っているのではありません。この坂を指しているのであれば、急な坂なので……と書くはずです。後悔先に立たずの、痛恨の読み違えでした。)
坂を下ると、自然豊かな、心癒される紅葉がぐりぐりと眼を刺激した。
「いいねえ、いいねえ」と心行くまで堪能するQちゃん。私のどんな苦労も吹き飛ぶ瞬間である。
急坂は半時ほどの時間ののち、厚いまだら模様の土壁のように出現した。
登る必要のない、別の道はあった。しかし、そこには黄緑色の塗装がところどころはげた柵が道を塞ぎ、そのうえ、柵は古めかしい大きな鍵で施錠されていた。
登るしかない。
二十段ほどの階段状のきつめの坂。そこからは左右に道が分かれ、そして、どちらも緩やかそうだが、長い、長い階段。
果たして、Qちゃんは登れるだろうか。登れたとして、どのくらい時間はかかるだろう。
ぷちぷちと、私の脳みそは白く泡立った。
「降りて、Qちゃん、歩くよ」
有無を言わさぬ言い方になった。
「登れるかねえ」と坂の尽きたあたりを蒼い顔して仰ぎ見ながら一言言って、Qちゃんはやおら登り始めた。
車椅子を置いて十段ほど登ったであろうか。階段下から、爽やかな声がゆるゆると届いた。
「車椅子、運びましょうか」
見下ろすと、2人の、共に花柄のお洒落な黄色地のスカートを履いた中年の女性がいた。
「あ、はい、すみません」
当然、同意だ。
辛さから直ぐにも逃れたかった。
左右に分かれる道まで車椅子を運ぶと、長い階段を軽やかに登り、呆然と立ち尽くす私を残して2人の女性は消えた。が、また、直ぐに戻ってきて、私たちを、後光射し香しき薫りに満ちた慈悲深い金色の阿弥陀様の如く見下ろした。二人はただ長い階段の先を確かめに行っただけに違いないと私は確信した。
Qちゃんは、女性の待つ位置まで黙々と登った。2人の女性が待っていたから、頑張ったのだと思う。私は車椅子を抱え、休み休み登った。
私たちが登りきると、
「右は急だけど短い、左は長いけど、緩やか。どうします?」銀色の金属フレームの眼鏡をかけた女性が言った。
「左でお願いします」と私。
女性たちの負担を考えたら、それが正しい選択だと思う。甘えも限度がある、などと、ゆとりに導かれて偉そうに桃色の気持ちになって納得する。
「長いねえ、登れるかねえ」
Qちゃんはため息を交えながら呟いた。
2人の女性は、Qちゃんが負担なく登れるほどの緩やかな坂になるまで、Qちゃんの横につき、手を添えながら一緒に登った。Qちゃんは穏やかな笑顔を何度も振りまき、「ありがとね、ありがとね」と首を交互に傾げながら言って登った。少し遅れて車椅子を押して私が続く。
2人の女性はもう大丈夫と判断したのだろう、坂の途中で「では、失礼します」と言って去った。
不意を突かれて、お礼の言葉が遅れてしまった。
「ありがとうございました。助かりました」と言ったが、声は届かなかったかもしれない。二人はこちらを振り向いてはくれなかった。
それから間もなくして、Qちゃんは登り切った。
登りきっても、Qちゃんは息せき切ってもいない。
これが「外」の力だ。
私が言ってもこんなに頑張らなかったろう。
Qちゃんは常識を持った社会人だ。
親切な人に迷惑をかけたくなかった。だから、頑張れた。
Qちゃんの、まだまだ残る潜在的体力を知り、「外」の力の偉大さを堪能できた、嬉しい嬉しい真っ赤な大きな二重丸の一日となりました。
その時、私はいつか登ることになるとは考えなかった。
必ず何処かに登らずに済む道はある。
これはとても合理的な考えだ。この急坂を下ると、いつか登らなければいけないのだったら、ここを降りる人はいないだろう……。うん、うんと得意げに薄笑いを浮かべて納得する。(注意書きを読み違えました。急な坂があるので……とは、目の前の坂のことを言っているのではありません。この坂を指しているのであれば、急な坂なので……と書くはずです。後悔先に立たずの、痛恨の読み違えでした。)
坂を下ると、自然豊かな、心癒される紅葉がぐりぐりと眼を刺激した。
「いいねえ、いいねえ」と心行くまで堪能するQちゃん。私のどんな苦労も吹き飛ぶ瞬間である。
急坂は半時ほどの時間ののち、厚いまだら模様の土壁のように出現した。
登る必要のない、別の道はあった。しかし、そこには黄緑色の塗装がところどころはげた柵が道を塞ぎ、そのうえ、柵は古めかしい大きな鍵で施錠されていた。
登るしかない。
二十段ほどの階段状のきつめの坂。そこからは左右に道が分かれ、そして、どちらも緩やかそうだが、長い、長い階段。
果たして、Qちゃんは登れるだろうか。登れたとして、どのくらい時間はかかるだろう。
ぷちぷちと、私の脳みそは白く泡立った。
「降りて、Qちゃん、歩くよ」
有無を言わさぬ言い方になった。
「登れるかねえ」と坂の尽きたあたりを蒼い顔して仰ぎ見ながら一言言って、Qちゃんはやおら登り始めた。
車椅子を置いて十段ほど登ったであろうか。階段下から、爽やかな声がゆるゆると届いた。
「車椅子、運びましょうか」
見下ろすと、2人の、共に花柄のお洒落な黄色地のスカートを履いた中年の女性がいた。
「あ、はい、すみません」
当然、同意だ。
辛さから直ぐにも逃れたかった。
左右に分かれる道まで車椅子を運ぶと、長い階段を軽やかに登り、呆然と立ち尽くす私を残して2人の女性は消えた。が、また、直ぐに戻ってきて、私たちを、後光射し香しき薫りに満ちた慈悲深い金色の阿弥陀様の如く見下ろした。二人はただ長い階段の先を確かめに行っただけに違いないと私は確信した。
Qちゃんは、女性の待つ位置まで黙々と登った。2人の女性が待っていたから、頑張ったのだと思う。私は車椅子を抱え、休み休み登った。
私たちが登りきると、
「右は急だけど短い、左は長いけど、緩やか。どうします?」銀色の金属フレームの眼鏡をかけた女性が言った。
「左でお願いします」と私。
女性たちの負担を考えたら、それが正しい選択だと思う。甘えも限度がある、などと、ゆとりに導かれて偉そうに桃色の気持ちになって納得する。
「長いねえ、登れるかねえ」
Qちゃんはため息を交えながら呟いた。
2人の女性は、Qちゃんが負担なく登れるほどの緩やかな坂になるまで、Qちゃんの横につき、手を添えながら一緒に登った。Qちゃんは穏やかな笑顔を何度も振りまき、「ありがとね、ありがとね」と首を交互に傾げながら言って登った。少し遅れて車椅子を押して私が続く。
2人の女性はもう大丈夫と判断したのだろう、坂の途中で「では、失礼します」と言って去った。
不意を突かれて、お礼の言葉が遅れてしまった。
「ありがとうございました。助かりました」と言ったが、声は届かなかったかもしれない。二人はこちらを振り向いてはくれなかった。
それから間もなくして、Qちゃんは登り切った。
登りきっても、Qちゃんは息せき切ってもいない。
これが「外」の力だ。
私が言ってもこんなに頑張らなかったろう。
Qちゃんは常識を持った社会人だ。
親切な人に迷惑をかけたくなかった。だから、頑張れた。
Qちゃんの、まだまだ残る潜在的体力を知り、「外」の力の偉大さを堪能できた、嬉しい嬉しい真っ赤な大きな二重丸の一日となりました。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
至れり尽くせり!僕専用メイドの全員が溺愛してくる件
こうたろ
青春
普通の大学生・佐藤健太は目覚めると、自宅が豪華な洋館に変わり10人の美人メイドたちに「お目覚めですか、ご主人様?」と一斉に迎えられる。いつの間にか彼らの“専属主人”になっていた健太は戸惑う間もなく、朝から晩までメイドたちの超至れり尽くせりな奉仕を受け始める。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる