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第2章
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ステラは侍女のケリーを伴い、慌ただしく屋敷を出ていった。
ジークバルド公爵家次期当主に相対するにふさわしい装いを整えるという、重大な使命を知らぬ使用人たちは笑顔で二人を見送った。
『お嬢様は仕立屋を回った後、屋敷には戻らず直接夜会に向かいます』という伝言は、ドロッセル家使用人一同を浮き足立たせた。
ドロッセル伯爵家の名代として夜会に出席するステラのため、当主のアレンは日頃から、仕立屋や宝飾品商人を呼び寄せていた。しかしステラは派手な意匠を避け、上質ながらも控えめな装いばかりを選んだ。あまりに慎ましすぎる時には、ケリーが別の衣装を勧め、必要なだけの華やかさは保たれていたが。
家のためにと矢面に立つステラの様子を、もどかしい思いで見守っていた使用人たちにとって、これは待望の「相応に贅沢を嗜むお嬢様」のお見送りであった。
今晩ステラは、どんな格好で屋敷に戻ってくるのだろうか。
メイドたちの弾むような会話を咎める者はなく、ドロッセル伯爵邸は昼を過ぎてもなお、賑わいに満ちていた。
突如、屋敷の門番が息を切らしながら、邸内に駆け込んでくる。
そのただ事ではない様子に、家令は慌てて駆け寄った。
「騒がしいぞ。一体何事だ!」
「ス、ステラお嬢様にお届け物が…!」
「届け物ごときで、何を騒いで――」
「差出人が、イグナス・ジークバルド公爵様なのです!」
予想もしない大貴族の名前に、家令はたじろいだ。
しかし、心当たりがないわけではない。今朝ステラ宛に届いた手紙もまた、イグナスから送られたものであったからだ。
ドロッセル家に長年仕えてきた家令は、懸命に記憶を掘り返す。しかし、ジークバルド公爵家との接点については、まったくと言っていいほど思い当たる節がなかった。
主人の許しなく、ステラ宛の荷物を検めるなど、家令にとって本来あってはならぬ行為だったが、家令は長年の勘に従い、そっと箱を開けた。
「こ、これは――!」
家令は玄関ホールにへたり込んだ。普段の完璧な振る舞いからは想像できない様子に、使用人たちが次々と集まってくる。
箱の中身を見たメイドたちは、思わず驚嘆の声を上げた。
ステラは複数の店を回り、屋敷には戻らないという。今から追いかけたとしても、捕まえるのは難しいだろう――イグナスから送られてきた品々を前に、家令は頭を抱えるしかなかった。
箱の中には煌びやかなドレスをはじめ、夜会にふさわしい装いが一式収まっていた。
日が沈み、街に明かりが灯る。
夜会の開かれるロベール侯爵邸へ向かう馬車に揺られながら、ステラは落ち着かない様子で視線を巡らせていた。
「…ケリー、私今までで一番緊張しているわ」
「お嬢様、ご心配には及びません、とてもよくお似合いですわ。ただ、これだけお美しいと、いらぬ嫉妬を招くかもしれませんが…」
「そ、そういう意味ではないのだけど…でも、ありがとう。あなたにそう言ってもらえるととても心強いわ」
ステラが視線を落とすと、スカートの刺繍が淡く煌めいていた。
細やかな刺繍とフリルでふんだんに彩られたシルクのドレスは、群青を基調としており、ステラの白い肌によく馴染んだ。白いレースで上品に縁取った胸元は、控えめに開かれており、耳飾りと揃いのネックレスがまばゆく輝いている。
これまで身に纒った衣裳の中でも、最も豪奢と言える装いに、ステラは緊張を隠せず身をすくめた。
仕立屋、宝飾店、リボンとレースの工房まで――ケリーはあらゆる店の名前を挙げ、次々と馬車を向かわせた。
そして二人を迎えた店主に向かってこう告げた。
『イグナス・ジークバルド公爵の目に留まるような品はあるかしら』と。
目の色を変えた店主たちは、選りすぐりの商品を惜しみなく勧めてきた。ステラはありとあらゆるドレスを試着し、ジュエリーを次々と身につけ、数えきれないほどの数の靴に足を通した。
ケリーの厳しい目をくぐり抜け、選び抜かれた一式は、それはそれは見事にステラに似合っていた、しかし、これまでに見たこともない支払額になることは、想像に難くなかった。
青ざめるステラをよそに、店主たちは満面の笑みを浮かべ、声をそろえて言うのだった。
『お代は結構ですので、ぜひ当店の名を、ジークバルド公爵様に!』
これほど上等な品々を、無償でステラに譲るなど本来あり得ないことである。
『ドロッセル伯爵家への信頼ゆえ』と言われはしたが、真の理由は言うまでもなく、ジークバルド公爵家御用達の名を得たいがためだろう。
商人たちがこれほどの賭けに出るほど、ジークバルド家の影響力は絶大なのだ。
かくしてケリーの手によって見事に着飾られステラは、マネキンの役割を担う羽目になったのである。
イグナスからの指令に応えられるのか、不安と緊張で胸がいっぱいのステラに、新たな使命が重くのしかかる。
今夜の装いの総額が、いくらなのかも分からないまま、商人たちの期待まで背負ってしまった。
「あれもこれも、私には荷が重すぎると思うのだけれど」
イグナスに出会ってからというもの、想定外のことばかりだ。悩ましげに眉を寄せ、ステラは深いため息をもらした。
しかし、不思議と嫌な気はしない。
夜会へ向かう馬車の中は、いつもなら憂鬱な思いに包まれていただろう。
今夜は何も起きませんように、無難にやり過ごせますようにと、祈るだけのむなしい時間をステラは思い返した。
けれど今、ステラの胸を占めるのは、緊張と不安、そして――ほんの少しの期待だった。
偶発的な不運を呼び込むステラの体質が、初めて自分を救い、事態を好転させるかもしれない。
揺れる馬車の窓の外には、目的地であるロベール侯爵邸が、もう間近に迫っていた。
ジークバルド公爵家次期当主に相対するにふさわしい装いを整えるという、重大な使命を知らぬ使用人たちは笑顔で二人を見送った。
『お嬢様は仕立屋を回った後、屋敷には戻らず直接夜会に向かいます』という伝言は、ドロッセル家使用人一同を浮き足立たせた。
ドロッセル伯爵家の名代として夜会に出席するステラのため、当主のアレンは日頃から、仕立屋や宝飾品商人を呼び寄せていた。しかしステラは派手な意匠を避け、上質ながらも控えめな装いばかりを選んだ。あまりに慎ましすぎる時には、ケリーが別の衣装を勧め、必要なだけの華やかさは保たれていたが。
家のためにと矢面に立つステラの様子を、もどかしい思いで見守っていた使用人たちにとって、これは待望の「相応に贅沢を嗜むお嬢様」のお見送りであった。
今晩ステラは、どんな格好で屋敷に戻ってくるのだろうか。
メイドたちの弾むような会話を咎める者はなく、ドロッセル伯爵邸は昼を過ぎてもなお、賑わいに満ちていた。
突如、屋敷の門番が息を切らしながら、邸内に駆け込んでくる。
そのただ事ではない様子に、家令は慌てて駆け寄った。
「騒がしいぞ。一体何事だ!」
「ス、ステラお嬢様にお届け物が…!」
「届け物ごときで、何を騒いで――」
「差出人が、イグナス・ジークバルド公爵様なのです!」
予想もしない大貴族の名前に、家令はたじろいだ。
しかし、心当たりがないわけではない。今朝ステラ宛に届いた手紙もまた、イグナスから送られたものであったからだ。
ドロッセル家に長年仕えてきた家令は、懸命に記憶を掘り返す。しかし、ジークバルド公爵家との接点については、まったくと言っていいほど思い当たる節がなかった。
主人の許しなく、ステラ宛の荷物を検めるなど、家令にとって本来あってはならぬ行為だったが、家令は長年の勘に従い、そっと箱を開けた。
「こ、これは――!」
家令は玄関ホールにへたり込んだ。普段の完璧な振る舞いからは想像できない様子に、使用人たちが次々と集まってくる。
箱の中身を見たメイドたちは、思わず驚嘆の声を上げた。
ステラは複数の店を回り、屋敷には戻らないという。今から追いかけたとしても、捕まえるのは難しいだろう――イグナスから送られてきた品々を前に、家令は頭を抱えるしかなかった。
箱の中には煌びやかなドレスをはじめ、夜会にふさわしい装いが一式収まっていた。
日が沈み、街に明かりが灯る。
夜会の開かれるロベール侯爵邸へ向かう馬車に揺られながら、ステラは落ち着かない様子で視線を巡らせていた。
「…ケリー、私今までで一番緊張しているわ」
「お嬢様、ご心配には及びません、とてもよくお似合いですわ。ただ、これだけお美しいと、いらぬ嫉妬を招くかもしれませんが…」
「そ、そういう意味ではないのだけど…でも、ありがとう。あなたにそう言ってもらえるととても心強いわ」
ステラが視線を落とすと、スカートの刺繍が淡く煌めいていた。
細やかな刺繍とフリルでふんだんに彩られたシルクのドレスは、群青を基調としており、ステラの白い肌によく馴染んだ。白いレースで上品に縁取った胸元は、控えめに開かれており、耳飾りと揃いのネックレスがまばゆく輝いている。
これまで身に纒った衣裳の中でも、最も豪奢と言える装いに、ステラは緊張を隠せず身をすくめた。
仕立屋、宝飾店、リボンとレースの工房まで――ケリーはあらゆる店の名前を挙げ、次々と馬車を向かわせた。
そして二人を迎えた店主に向かってこう告げた。
『イグナス・ジークバルド公爵の目に留まるような品はあるかしら』と。
目の色を変えた店主たちは、選りすぐりの商品を惜しみなく勧めてきた。ステラはありとあらゆるドレスを試着し、ジュエリーを次々と身につけ、数えきれないほどの数の靴に足を通した。
ケリーの厳しい目をくぐり抜け、選び抜かれた一式は、それはそれは見事にステラに似合っていた、しかし、これまでに見たこともない支払額になることは、想像に難くなかった。
青ざめるステラをよそに、店主たちは満面の笑みを浮かべ、声をそろえて言うのだった。
『お代は結構ですので、ぜひ当店の名を、ジークバルド公爵様に!』
これほど上等な品々を、無償でステラに譲るなど本来あり得ないことである。
『ドロッセル伯爵家への信頼ゆえ』と言われはしたが、真の理由は言うまでもなく、ジークバルド公爵家御用達の名を得たいがためだろう。
商人たちがこれほどの賭けに出るほど、ジークバルド家の影響力は絶大なのだ。
かくしてケリーの手によって見事に着飾られステラは、マネキンの役割を担う羽目になったのである。
イグナスからの指令に応えられるのか、不安と緊張で胸がいっぱいのステラに、新たな使命が重くのしかかる。
今夜の装いの総額が、いくらなのかも分からないまま、商人たちの期待まで背負ってしまった。
「あれもこれも、私には荷が重すぎると思うのだけれど」
イグナスに出会ってからというもの、想定外のことばかりだ。悩ましげに眉を寄せ、ステラは深いため息をもらした。
しかし、不思議と嫌な気はしない。
夜会へ向かう馬車の中は、いつもなら憂鬱な思いに包まれていただろう。
今夜は何も起きませんように、無難にやり過ごせますようにと、祈るだけのむなしい時間をステラは思い返した。
けれど今、ステラの胸を占めるのは、緊張と不安、そして――ほんの少しの期待だった。
偶発的な不運を呼び込むステラの体質が、初めて自分を救い、事態を好転させるかもしれない。
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