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3 惨敗からはじめてみよう3/4

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「ルクス君」
 そんなことがあった翌日だろうと、仕事はある。
 現場に向かうと、いつもは昼前にやってくるはずのステラ様が既にいて、僕に声を掛けてくれた。
「ステラ様、昨夜は大変申し訳ありませんでした!」
 僕が全力で頭を下げた。
「顔を上げて頂戴。済んだことだし、もう気にしてない。また別の機会に」
 ステラ様はそれだけ言うと、現場の点検に向かわれた。
 あれが、大人の女性の余裕というやつだろうか。
 カッコイイなぁ……。
「ルクス、仕事だぞ」
「あっ、すいません」
 現場の歳上の兄さんが僕の頭を軽く小突いた。最近、仕事に身が入っていないとよく叱られるのだ。
「それと……」
「おーい、こっち手伝ってくれ」
「はい!」
 更に何か言いかけていた兄さんだったが、別の場所から呼ばれるとそちらへ行ってしまった。
 僕は僕で自分の持ち場へと移動した。



 別の機会はすぐに訪れた。
「今夜は空いてる?」
 ドタキャンの三日後、仕事を終えた後に、再び誘われたのだ。
「空いてますっ!」
「では、同じ時間、同じお店に」
「はいっ!」

 僕は急いで教会に戻り、それから無理やり『外側』へ転移魔法で飛んだ。
 魔物の気配なしで『外側』へ飛ぶと、いつもより多く魔力を消耗するうえ、魔物が一匹も見つからないことは実験済みだが、やらずにはいられなかったのだ。

 到着したあたりをざっと確認してから、これまた急いで『内側』へ戻る。
 全速力で部屋へ駆け込むと、ソリスが呆れた顔をして待っていた。
「馬鹿」
「百も承知だよ」
 ソリスは「気持ちはわかるけど」とぶつぶつ言いながらも、治癒魔法をくれた。
 魔力の消耗が激しいということは、身体にも影響が出る。
 いつの間にかちぎれていた筋繊維が繋がるような心地がした。
「ありがとう、行ってくる!」
 僕はお礼もそこそこに、例の正装に着替えて部屋を飛び出した。



「おまたせしましたっ!」
 前回と同じ食事処へ行くと、既にステラ様が待っていた。
「いいえ、私も今来たところよ」
 ステラ様が柔らかく微笑む。
 前回は始まる前に抜け出してしまい、今回は遅刻したというのに……ステラ様はお心が広い。
「乾杯しましょ」
 僕が来てすぐ、テーブルの上には料理が次々と並べられた。
 食前酒のワイングラスをステラ様が掲げたので、僕も真似をした。

 料理はとても美味しかった。
 普段は食べられないような高級料理がどんどん出てくるうえに、ステラ様が「こんなに入らない。半分もらってくれる?」と料理を分けてくださるのだ。
 僕は胃袋の限界というものを初めて知った。

「食べさせすぎてしまったね」
「いいえ、平気です」
 強がってみせたものの、明日の朝食は入らないだろう。

 食後のデザートを終えた後、僕は気になっていたことを切り出した。
「あの、どうして僕をここへ連れてきてくださったんですか? しかも前回、失礼をしてしまったのに……」
 ステラ様は何杯目かのワインを飲み干して、グラスをテーブルへ静かに戻した。
「理由が必要?」
「えっと……そうですね。僕も一応男なので、こんなことされたら、その、期待してしまうというか……」
 僕は正直に言った。
 するとステラ様はぱちぱちと目を瞬かせたかと思うと、ナフキンで口元を覆った。
「……言われてみれば確かに、思わせぶりな行動だった」
 ステラ様、もしかして笑ってらっしゃる?
 笑顔が見たいのに、ナフキンが邪魔だ。
 かといって取り除くわけにもいかない。もどかしい。
「最初にお店に案内してもらったのは、一番手近に居たからっていう理由で、他意はなかった。それがとても良かったから、君には何度も店を案内してもらった。これは、ただのその御礼。期待させて悪かった」
 ステラ様はナフキンを下ろすと、淀みなく、すらすらと理由を述べた。
 そこに特別な感情は全く、これっぽっちも伺えない。
 内心凹みつつも、僕は平静を装った。
「いえ、僕が勝手に……ステラ様は悪くないです!」
 こう言うと、ステラ様は何故か複雑そうな笑みを浮かべた。
「そう言ってもらえるとありがたいよ」



 ステラ様の馬車で教会まで送り届けてもらった。
「戻りました」
「おかえりなさい。早く寝なさいね」
 教会の裏口から中へ入ると、シスターは僕の顔を見るなりそう言って立ち去った。
 いつものこの時間なら、シスターは自室にいるはずだ。
 まさか、僕を待っていたのかな?
 僕の帰りが夜遅くなることは申告済みだし、相手は貴族のステラ様だから、シスターからお小言を貰う要素は無い。
 喉が渇いたとかで部屋を出て、僕の帰宅に偶然遭遇しただけかな。きっとそうだ。
 一人で納得して自室へ入った。
「おかえり。楽しかったか?」
 ソリスが自分のベッドに腰掛けて、読んでいた本から顔を上げた。
「うん。飯美味かった」
 僕はさっさと正装を脱いで、そのまま夜着に着替えた。
「その割には楽しそうな顔してないな」
 ソリスは勘が……いや、それ以前の問題か。僕は相当わかりやすい表情をしていたのだろう。
「んー、まぁ、脈なしってはっきりわかったからね。告白する前で良かったよ」
 僕がハハハと笑ってみせると、ソリスは溜め息をついた。
「今日はアレが出なくてよかったな」
 アレ、というのは魔物や魔王の事だ。事前調査しておいてよかった。
「事前調査なんて当てにならないだろう。今後は禁止だぞ」
「ええ……でもまた機会を潰したら……」
「諦めろ」
「ぐぬぅ」
 ソリスの言うことが正しいのはわかっている。
 だけど、こちらの都合だってわかってほしい。
 愛する人――今のところ、僕からの一方通行でしかないが――とのひとときを、邪魔されたくない。



 会食の翌日、職場へ行く途中で変な気配を感じた。
 魔物や魔王じゃない、だけど明らかな悪意が僕に向いている。

 前にも言ったが、『内側』の世界は平和だ。
 魔物のような人命を脅かす害獣はおらず、大規模な戦争は稀で、天変地異も数十年に一度起きるかどうか。
 しかし、それは『外側』と比べたらという意味で、『内側』には『内側』の厄介事は存在する。

 例えば、何かの事情で食いっぱぐれたものが盗みを働くだとか、人間関係のもつれで恨みをつのらせて相手を傷つけるだとか。
 僕に刺さっている視線は恨みの線が濃厚そうだが、僕は自分から誰かに恨まれるようなことはしていないと、自信を持って断言できる。

 いつもの道を逸れて裏路地へ入ると、気配は正確に僕を追ってきた。
 追跡者は殺気まで出して、僕に何かの武器を振りかざした。

 僕は軽く上へ向かって跳ぶだけで、それを避けた。
「!? き、消えたっ!?」
 下から驚く声がする。
 僕が「軽く跳ぶ」と、二階建ての民家の屋根くらいには到達できる。
 屋根から追跡者を見下ろして観察する。ごく普通の成人男性だ。身体を鍛えている様子もないし、手に持つ武器は料理に使う包丁。
 当然だが、見覚えのない顔だ。
 他所様の家の屋根を伝って追跡者の後ろへ回り込み、地面へ降りた。
「何の御用ですか?」
「っ!?」
 後ろから声を掛けると、男は首が捥げるんじゃないかという勢いで振り向き、僕を見て悲鳴を喉に押し込んだ。
「おっ、お前、一体どこへ消えて、どうやってそこへっ!?」
 追跡者は全身を震えさせつつも、両手で握りしめた包丁を僕に向け、疑問を丁寧に口にした。
「聞きたいのはこっちです。そんなもの人に向けちゃ駄目じゃないですか」
 魔物や魔王が相手なら問答無用で攻撃して終了なのに、人間相手だとやりにくい。
「うっ、うるさいっ! お、お前には……し、死んでもらうっ!」
 物騒な言葉を吐いた追跡者は、包丁を腰のあたりに構えて僕に向かって突進してきた。
 僕は仕方なく、左手をそっと包丁の進路に出して、血が滲む程度に切られてやった。
 左手の、親指の付け根あたりから掌に向かってピリっと痛いが、我慢する。
「痛いっ!」
 わざと大声で叫ぶと、周囲がざわめいた。
 朝早い時間だが、通りには人が大勢いる。
 僕は血を見て頭に血が上り、更に斬りかかろうとしてくる追跡者をのらりくらりと躱して、誰かが来るのを待った。
「どうしたっ!?」
 誰かは、同じ職場の兄さんだった。
「助けて! なんかこの人が包丁で!」
 血の流れる手を兄さんに見せると、兄さんは青ざめた。
「だっ、誰か来てくれ! ルクスが襲われてるっ!」
 兄さんの声は僕より大きく響いた。



 追跡者は、集まった男衆の手によってあっさり無力化され、そのまま町役場へ連行された。
 町役場には狼藉者を閉じ込めるための牢屋がある。
 僕も一緒に連れて行かれて、まずは手の治療をしてもらった。
 ソリスなら一瞬で治せる怪我だが、町の治癒魔法使いさんは一分ほどかけて掌の傷を塞いでくれた。ピリピリ痛いのが地味に鬱陶しかったので、ありがたい。
 僕は簡単に事情聴取を受けて解放され、職場へ向かった。

「聞いたぞルクス。怪我させられたそうだな。今日は休め」
「治癒魔法使いさんに治してもらったので大丈夫です」
「身体は大丈夫でも今日は大変だったんだから、休め」
 親方はどうしても僕を休ませたいらしい。
 この程度、怪我のうちに入らないのだけど、親方が心配してくれるのが伝わったので、大人しく言うことを聞いた。

「あら、どうしたのですかルクス。仕事は?」
 教会へ戻ると、シスターに当然の疑問を投げかけられた。
 僕が一部始終を話すと、シスターは驚愕の表情を浮かべ、僕の左手を手に取った。
 そのまま、労るように左手を撫でてくる。
「……朝から大変な目に遭いましたね。今日の当番は全てわたくしが代わります。ルクスは部屋でお休みなさい」
「あの……はい、シスター」
 シスターにまで心配させてしまった。わざと手を斬られたのはやりすぎだったかな。

 『外側』を知る僕はいつのまにか感覚が麻痺していたらしい。
 『内側』しか知らない人たちにとっては、この程度の怪我でも大事おおごとなんだ。

 自室ではルクスが部屋の掃除をしていて、僕を見るとシスターと同じ反応を示した。
「それは災難だったな。手、見せてみろ」
 塞がっただけだった傷口は、ルクスが手に取るなり傷跡すら見えなくなった。
「皆過保護過ぎない?」
 僕は自分の感覚麻痺を一旦棚に上げて、ソリスに聞いてみる。
 するとソリスは折角治った僕の左手をぺしんと叩いた。
 ソリスのチートは魔力・治癒魔法特化型だが、本気を出せば魔物の数体くらい軽く倒せる。その攻撃だから、包丁で斬られた時より痛かった。
「なにするんだよう」
「心配するのは当たり前だ。今回の対応は仕方なかったとはいえ、できれば逃げろ。そんなやつに関わるな」
 言葉は説教だったが、口調は優しかった。
 ソリスにまでこんな心配されると、むず痒い。
「しかし何だってお前を狙ったんだろうなぁ。死ねとまで言ってきたんだろう? どこかで恨みを買うような真似は」
「しないよ!」
 僕が食い気味に答えると、ソリスは真面目な顔で「わかってる」とうなずいた。



 数日後、僕は町役場に呼び出された。
 この間、仕事は問題なくやれると言い張る僕を、周囲が「休め」と押し留めてくれたおかげで、自室で強制的にのんびりまったり過ごしていた。
 教会の仕事すらシスターが交代を申し出てくださったが、流石にそこまでしていただかなくても、と止めた。
 魔物や魔王も出なかったので、体が鈍りそうだ。
 微妙に重たい身体で町役場へ赴くと、いかにも事務職という感じの、ショートボブの黒に近い茶髪に焦げ茶色い瞳をした女性が話をはじめた。

「お知らせしたいことと、念のための確認です。貴方は、先日の暴漢と面識はないのですよね?」

 予想通り、先日の件の話らしい。
「ありません」
 当日と同じ答えを、再度繰り返す。
 すると女性は「ですよね」と息を吐いた。

「例の暴漢は、貴方に恨みがあると主張しています。恨みの内容は……女性問題だとか」
「へっ?」
 全くの寝耳に水だった。
「女性問題って……。僕は誰ともお付き合いしていませんし、心当たりは……えっ、でも」
 思い当たるのはステラ様だ。
 でも、彼女は僕をなんとも思っていないことは確認済みだし、僕から積極的に行動したつもりもない。
 何より、僕は恋愛において、他人の想い人を盗るだなんて非人道的な行為は絶対にしない。
「念のためにその方について教えていただけますか? その方の自衛のためでもあります」
 僕は迷ったが、ステラ様と何度か食事を一緒にしたことや、その際の会話内容の一部を、一通り話した。
 会話内容を明かすことで、僕が失恋中であることも察されるわけで。
「それはその……はい、わかりました。貴族の方なのですね。こちらから話をしておきます」
 目の前の女性が憐憫の目で僕を見ている気がする。いたたまれない。
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