ペトリの夢と猫の塔

雨乃さかな

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第1章『始まりの村と魔法の薬』編

第0話 始まり/Prologue その1

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あたり一面、火の海と化した森。
 遠慮というものを知らない業火は無情に深緑の木々を飲み込んで行き、気づけば炎は森全体を喰らい尽くしていた。
 そして、なす術もなく燃やされていく自然は、ただその残虐で非情な魔の粛清に大人しく従うほかなかった。
 そんな文字通り「地獄」のような景色が続く森の中、燃え盛る木々の隙間を縫うように、純白のローブを身にまとった少女が走っていた。
 その少女は白いフードを目深にかぶり、何か恐ろしいものから逃げるように、時々後ろを振り返りながら森の中を必死に駆けていた。
 すでに少女の肌は舞い散る火の粉で黒く焼かれ、着なれない分厚いローブと時折吹き付けてくる熱風のせいで少女の体力はほとんど残っていない。

「はぁはぁ、もうどれくらい走ったかな…」

 足はもうフラフラで、正直うまく走ることもままならない。
 しかし、そんな小さな身体に溜まった疲労以上に、自分が殺されるかもしれないという今まで味わったことのない恐怖と、この先独りでどうなってしまうのかという漠然とした空虚な不安が、少女の心を満たしていた。

「何でこんなことに…」

 
 ここで、時は少し前にさかのぼる。
 その日、彼女のいる宮殿はいつもより騒がしかった。
 いつもは庭で訓練をしている兵士たちも、その日はやけに慌ただしく宮殿内を走り回り、彼女が状況を尋ねようとしても一人も彼女への質問に答えてくれる者はいなかった。
 皆切迫した表情と恐怖の顔色を浮かべていて、彼女と話している余裕などはありそうもない。
 そして、彼女はその状況から、どうやら何か良からぬ事が迫っているのだと、漠然とながらもそう判断することができた。だが、なぜかまだ危機的な実感は、その時はあまり湧いてこなかった。
 かつて一度、彼女の妹のミアが宮殿の城下町にある広場で母親と魔法の稽古をしていた際、意図せず魔法が暴走してしまい、彼女のいた街が一時大火事になった事もあった。そんな時も兵士たちは慌てて鎮火活動に励んでいた。
 だが、今回の兵士たちの騒がしい様子を見るに、どうやら今の状況は街の火事とかそんな類のものじゃなさそうだ。
 もしかしたら、どこからか敵が攻めてきたのかもしれない。彼女は初めはそう考えていた。
 しかし、同時にその可能性は低いとも考えることができた。
 なぜなら、この世界には彼女がいる宮殿と城下町の外は永遠に森が続いていて、人はおろか生物すらも存在していない、と昔そう母親から教えられたことがあったからだ。だったら、「攻めこまれる」なんて、母親の話から考えて辻褄が合わない。
 あの時の母親の言葉が真実か否かはともかく、彼女は今の状況を「外部からの侵略」と考察するのをやめにした。
 そして、今度は他の身近な人を探そうと、彼女は宮殿の中を探索する。
 しかし、こんな時に限って、妹や側近の侍女、そしていつも頼れる母親の姿がどこにも見当たらない。妹や母親がいないのはいつものことだったが、侍女までいないとなると、さすがの彼女も不安になってくる。
「もう、ミアも母様もみんなどこに行っちゃったんだ?」
 そうして、行き場を無くした彼女は少々ふてくされ気味のまま、仕方なく宮殿の最上部にある自分の部屋へ戻った。
 少女一人用の部屋にしてはいささか広すぎる気もするその部屋の中には、豪華なカーテン付きのベッドや本棚等が置かれており、外の喧騒とは対照的に、ここはいつも通りの静寂に満ちている。
 彼女にとってこの部屋の静けさはいつまで経っても慣れることはできず、何度も何度も母親に妹と一緒に寝たいと申し立てたこともあったが、結局一度もその願いが叶うことはなく今に至っている。今となっては、もうこの部屋の静けさにも慣れ、逆に開き直ったのだが、できることなら母親や妹と一緒に寝たかった。
 とりあえず、彼女は外の景色を眺めて状況を確認しようと部屋の窓のカーテンを開いた。彼女の部屋からは城下町の全体が一望できるようになっている。
 そしてその時、彼女は視界に飛び込んでくるあまりに衝撃的な光景に目を疑った。
「何これ…。一体何が起きてるの…」
 その部屋の窓から見えたのは、空に渦まく邪悪な漆黒の黒雲と、いつも見慣れた街から立ち昇る黒い煙の数々。
 そして、街の中で「何者か」と必死に戦っている兵士たちの姿。
 この異様な光景を目にして初めて、彼女は心の隅に無意識に感じていた、だが現実に認めたくなかった「危機」というものが、どうやら今目の前でリアルで起こっているものだとはっきりこの目で認識することができた。
 まだ確証は無いが、おそらくただならぬことがたった今目の前まで迫っているのだと断定していいだろう。
 現実を自分なりに飲み込み、窓のカーテンをそっと閉める。
 すると今度は急に寒気が襲ってきた。
「はぁ、寒い…」
 突然立ち込める不気味な寒気に彼女は両手で小さな身体を抱き締め、その場に崩れ落ちた。
 本能が彼女自身に迫る危険を身をもって知らせてくれているのだろうか。心なしか頭も痛い気がする。
「と、とりあえず、隠れよう…」
 彼女は目の前の状況をすぐに整理し、一番妥当な行動を思いつく。
 幸い、この部屋にはタンスやベッドなど隠れられそうな場所が何ヵ所かある。
 彼女は恐怖で震える身体をなんとか持ち上げ、ぐるりと部屋を見回した後、タンスと部屋の壁の間にある隙間を発見し、そこに隠れることにした。
 狭い隙間に背中を丸め、膝を折る。
 一人だと心細いので、いつも一緒に連れ回している白い猫のぬいぐるみも共に彼女の腕の中で隠れさせることにした。
 この白猫のぬいぐるみは物心ついたときから彼女と行動を共にし、いつも何があろうと肌身離さず持っている。それはもはや、彼女の数少ない信頼できる人物の一つとなっていた。
「ねぇ、ペック。これから私たちどうなっちゃうのかなぁ……」
 タンスと壁の暗闇の中、先の窓の外の悪夢のような光景を思い出し、彼女は少し目を潤しながら、彼女自ら「ペック」と名付けた白猫のぬいぐるみに力無く話しかける。
 もちろん、白猫のぬいぐるみ…もといペックは彼女の言葉には何も反応せず、始終変わらない穏やかな表情で彼女を見つめ返している。その変わらないペックの表情が逆に彼女の心を不安にさせた。
「はぁ、一体どうなってるの。これから私はどうすればいいんだ…」
 誰にも頼れない彼女は弱々しくそう呟き、ペックの柔らかい羽毛に包まれた身体に顔を埋め、ぎゅっとペックを抱き締める。
 どうすることもできない彼女は運命に抗う力もなく、ただこうして成り行くまま部屋の隅で丸まって息を潜めるしかなかったのだ。
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