スペーストレイン[カージマー18]

瀬戸 生駒

文字の大きさ
25 / 53
第3章「小惑星パラス」

パラスへ

しおりを挟む
 それからどれほど待っただろうか。
 ガキが帰ってこない。
 俺も昔は女房がいたから女のトイレが長いのは知っているが、それにしても長すぎる。
 トイレの中で寝てるんじゃないのか?
 ドアに蹴りでも入れてやろうかと、俺も穴に身を投げてセンターチューブに出ると……そこに頭があった。
 とりあえず1発殴った。
 さらに怒鳴りつけてやろうかとガキの顔を見ると、目の周りに涙を浮かべている。
 無重力のため涙は流れず、表面張力を越えた涙が水滴になってセンターチューブを漂っている。

 何事だ!
 思わずガキを揺すぶりかけたが、かろうじて思いとどまって話を聞くことにした。

「……おっちゃん。ゴメン」

     ◇     ◇     ◇

 泣きじゃくるガキに事情を聞いた。
「オレ……私? もうアカンねん」
「だから具体的に話せ!」

「たぶんやけどな。腹の中が腐ってるんや。
 すごく重い何かができてて……身体も頭も動かんくて。
 さっきトイレ行ったらな……血が出てきて……それも赤いんやなくて茶色なんや。
 ねばねばしてて膿みたいのもあって……ねばねばしてるのに、ぜんぜん乾かんねん……」

 ……あ。
 俺は改めてガキの全身を見直した。
 航海士資格の登録では22才になっているが、そんな自己申告のハッタリを抜きにして素直に見た目だけで判断するなら、半分程度だろう。
 とすれば「アレ」がきてもおかしくない。
 このガキが見た目通りの年齢で、年齢相応に学校に行っていたら、同い年の友人や教師がいれば自然と教わることだが、こいつはその機会を持たなかった。
 かといって俺に気がつけと言うのは無理な相談だ。
 俺には息子しかいなかったし、女房と会ったときには、相手はとっくに済ませていたのだから。

 俺はガキの額を手のひらでペシッ! となでるように叩いて、あえて怒鳴りつけた。
「バカヤロウ! それはオマエが正常に成長してるって証拠だ! 健康体だ!」
「???……でも、変な血が出てるんやで?」
「コンピュータで『初潮』を調べろ!」

 言われてガキはもぞもぞと身体を動かしてセンターチューブを抜け、自分の席について管制室のコンピュータに問い合わせた。
 もっとも、何がなんだかわかっていないので、音声検索しやがって、聞いているこっちが恥ずかしくなる。
 バカヤロウが!

 ほどなくガキが俺に聞いてきた。
「よーわからん。もったいつけてんと、おっちゃん知ってるんなら教えて!」
「バカヤロウ! 俺だって知らねえ!
 ただ……そうだな。オムツして3日くらいしたら勝手に止まるんじゃないか?」
 船外活動にオムツは必需品で、この船にも当然常備している。
 というのも、作業位置に行くのにヘタをすれば2時間かかる事も少なくない。往復なら4時間だ。
 無重力空間では頻尿気味になり、オムツがなければ1時間作業するたびに帰らなければならなくなる。
 そのためのオムツは常備してあるし、俺の乏しい知識では、たぶん生理用品と大差ない気がする。
 とはいえ、専用のアイテムがあるくらいだから、それなりの特徴はあるのだろう。

「パラス。スイングバイだけで済ませるつもりだったが、コロニーに寄って買い物するか。
 念のため医者に診せた方がいいかもしれないしな」
「心配してくれるん?」
「パラス寄港で無駄な出費がかさんだ分は、おまえの給料からさっ引くからな!」

 ガキの初潮は俺の予想を超えて2週間ほども続いた。
 内心焦ったが、調べると初めはそんなものらしい。
 だんだん短くなっていって、身体が完成した頃に2~3日になるんだとか。
 別に一生知らなくても困らないクソ知識だ! バカヤロウ!

 3週間ほどもたって、ようやくガキも生気を取り戻してきた。
「おっちゃん、な?」
 六角形の中華テーブルのようなコンソールデスクを囲むように腰を下ろし、斜向かいにある船長席からガキが尋ねてきた。
 ガキを「船長」にしたのは敬意でもフェミニズムでもなく、消去法で。
 舵や速度を調整する航海士は俺がいるし、それらの設備系制御装置のある機関士席に座らせるのはリスキーに過ぎる。
 その点、船長席には通信機くらいしかない。
 ガキは火星にいる間に、何を血迷ったのか単なる勢いか、2級通信技師の資格を取ってしまったので、ちょうど具合が良かった。
 もともと「船長」は荷主や船主が就くことも少なくない。つまり資格は必要ない。
 素人でもつとまるポジションだ。資格持ちなら確かに好都合だが、それ以上でもそれ以下でもない。
 なお、六角形のデスクの中央は穴が開くようになっていて、そこからセンターチューブに抜ける。
 今は蓋を閉めているので丸い穴のラインが見えるが、港に入るときなどには3Dディスプレイが投影される。

「どうした?」
 俺の返事を待って、ガキは質問を浴びせてきた。
 ぼんやりした頭で、漠然と考えていたのだろう。
「パラスやけどな。アホみたいに都合良すぎるやん?
 おっちゃん、いつも言ってたやん。うまい話には裏があるって。
 したらパラスにも、なんかあるんちゃうん?」
「わかるか? わははははは」
 つい吹きだしてしまった。
 そう。パラスには「裏」がある。
「あんまり小惑星の都合が良すぎて、あちこちが狙っている。
 連中にとっては、むしろコロニー国家の方が邪魔だ」
「あ……」
「運良くコロニーが吹っ飛んだら、列強がこぞって陣取り合戦だ。
 そこまで荒事にしなくても、息のかかった政権を作ろうと、スパイ大作戦ってか」
 ガキは大きく息を吐いた。
「政治ってようわからんけど、しんどそうやなー」
「だからオマエの用事が終わったらすぐ出るぞ。
 ま。飯くらいは喰うか。合成食料じゃなくて、運が良かったら土から採れたのが喰えるかもしれんからな」
「パラスすっとばして次に行くのは?」
「オマエが例のアレ我慢できるんなら、それでもいいぞ。イオまでならあと4回ってとこか」
 言う俺を、ガキがうなり声を上げて睨みつけるが、言葉が出ない。

 調べると、生理のタイミングをずらす薬もあるようだが、そんなものはこの船に積んでいない。
 かりに積んでいたとしても、初潮を迎えたばかりのガキの身体には負担が過ぎるだろう。
 ドラッグストアで必要な物を仕入れたら、翌日にはパラスを離れる。
 入港と選挙のタイミングが重なるなんて不運はさすがにないだろう。

 俺がパラス寄港を軽く決めたのは、もう1つ理由がある。
 パラスが自分のコロニーを守るのに観光客を「人間の盾」と利用するため、港の使用料と脱出用のレンタルブースターが格安だから。
 ただでさえ割安のパラスのスイングバイ税だが、それにほんの少し上乗せするだけですむ。
 それこそ、小惑星エウノミアを使ってスイングバイするのと、コスト的には大差ない。

 パラスまで10光秒。
 時間にして1週間になったところでパラスに通信を入れた。
 入港目的は「ショッピング」。
 トレインで「観光」なんてバカはいない。航海中のアクシデントで何かが必要になったという体裁だ。
 さすがにそれが生理用品だとは言えるはずもないが。

 頃合いを見てトレインをゆっくり回頭させる。
 それによってGが生まれるが、無重力になれてしまった身体には、むしろ都合のいいリハビリとも言える。
 コロニーは「自転」によってGを持っている。
 いきなりそんなところに放り込まれれば、俺たちは自転中央軸の延長上にある宇宙港から出ることすらできないだろうから。

 たっぷり1光秒の旋回半径を取って、まず船を30度曲げる。
 後ろに引っ張られるような感覚を待って、さらに15度曲げる。
 それを繰り返して、予定では、120度回す。
 引っ張っているカーゴは慣性で直進するから、カージマーだけが取り残される形となる。
 急ぐあまり、一気に回頭しようとすると、カーゴの慣性エネルギーに負けて、最悪「ジャックナイフ」と呼ばれる横滑りを起こして、カーゴに叩きつけられる。

 もちろん、追突を避けるため、最初のカーゴとカージマーは800mほどの距離を取って、ケーブルで繋いでいる。
 そのうち、カージマーに引っ張られるのと慣性運動のバランスがくずれ、1番カーゴが船に引かれて曲がり、それを2番カーゴが、さらに3番カーゴが……とつづく。

「トレイン曲率80……81……82……83……」
 ガキのカウントが進む。
「150を過ぎたら起こせ! 俺は少し寝る!」
 もちろん熟睡できるほど俺の根性は太くないが、目と……指先、爪先を休ませておかなければ、いざというときミスしかねない。
 休むのも仕事だ。

 曲率が170から190。180度プラスマイナス10度の誤差に収まったときにスラスターを噴かしてやると、質量と運動エネルギーの差によってカージマーの方が引っ張られ、180度、つまり一直線にならぶことができる。
 進行方向と逆に船首が向いたところでスラスターを噴かすと、それが制動効果、要は減速のためのブレーキになる。
 同時に、旋回時に発生した横向きのGにもカウンタースラスターをあててやる。
 もちろんコンピュータで自動制御もできるが、コンピュータには経済観念がないので盛大にスラスターを噴きだしてくれるから、やはり人間の感覚に一日の長がある。
 シートから浮き上がるような衝撃を受けた。
 Gが上向きになっている。
 シートベルトをしていなかったら天井パネルで頭を打つという、間抜けな光景が見られたかもしれないが、俺の船にはそんなマヌケはいない。

 スラスターをさらに噴かし、減速を続ける。
 最終的には、パラスと相対停止できるようにしなければいけない。
 ただ、その間は「上に落ちる」という宇宙船でしか起きない光景が見られる。
 きっとそのうちガキが油断して、大道芸を2度か3度は見せてくれるだろう。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...