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第4章 「木星」

チーズフォンデュ

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「それを、知らなかったとはいえ、俺が引っ張ってきちまったのか。
 スマン! 木星に戻るぞ! お母さんに会うんだろ!」
 が、ガキはパタパタと手を振って「ちゃうちゃう」と言った。
 そのあと、たっぷり時間を取って、ぽつりぽつりと呟き始めた。
「鉱山から帰ったらな。部屋に母ちゃんそっくりのミイラができててん。
 したら全部アホらしゅうなって、岩のくぼみで引きこもってたら、その岩がカージマーに繋がれててんや」

 バカヤロウ!
 全部繋がりやがった!

 いや!

「話はわかった。
 で。これからが大切な話だが……オマエはどうしたい?」
「え?」という表情を浮かべるガキに、俺は噛んで含めるように言った。
「オマエの目的だ。
 もらい損ねた養育費や慰謝料を請求するのもあるし、やるやらないは別にしてテロもある。
 恨みっていうのは、生きるための燃料になるんだ!」

「あー、それな」
 ガキは無邪気とも思えるほど軽い口調で笑った。
「そら火星でも考えたし調べてんけど、お金……私には大金でも、リンドバーグ家からみたら端金やん?
 それ貰うて手を打ったらそれでおしまい、相手が楽になるだけやん?
 テロで捕まって宇宙の果てに飛ばされても同じ。
 私が生きて娑婆にいてるだけで、相手には不安が続くんやで。
 仕返しができてる思うたら、毎日楽しいよ?」

 さすがにあきれて溜息が漏れた。
 俺なんかより、はるかに達観してやがる。
 冗談に紛らせてはいるが、このガキはこの歳で、とっくに地獄を見ている。

「乗っ取りとかも考えなかったのか?」
 そう言う俺にガキはケラケラ笑いながら「ドラマの見過ぎ」と言った。
「私ら2人でどうにかなるような相手やないよ?
 コロニーの市長……てか、コロニーのオーナーでも、リンドバーグ家からみたらチンピラや。
 宝くじで一攫千金できても、その親はリンドバーグやったりするし」

「本当に、何の復讐も考えてないのか?
 復讐でなくても、やりたいこととか?」
「やから長生きして……そやな。いっぺん地球に行ってみたい」
「地球?」
「天井のない空とか、壁のない海とか、冗談みたのがホンマにあるんやろ?
 常識で考えたら、全部宇宙に抜けるやん?
 その前にナマで見たい!」
「よし、それだ!
 帰ったら地球に行く!
 海で泳いで空を飛ぶ。そのための手段は選ばない!」
 それから俺は地球について……もっとも、俺自身も数回しか行ったことがないので詳しくはないが、予定表にもない雨が勝手に降ることなどを話しているうち、いつの間にか意識を失っていた。

 起きると食事の準備ができていた。
「換気システムにガスを混ぜたな!」
 睨みつける俺に、フェアバンクス艦長が肩をすくめた。
「テロを勧めるような口ぶりでしたので、予防措置です」
「ぬかしやがれ!」

 メシは食堂で食べた。
 といっても、さっきまでいた部屋と並びのドアだ。
 部屋を3つ貫いて横長の部屋をつくり、正面の壁にテーブルと椅子がならんでいる。
 1つのテーブルには、向かい合わせに椅子が8つ。
 ここに俺とガキがならび、向かいに艦長が座る。

 8人掛けのテーブルに3人。いや、片側は俺とガキだけだが、それでも大してゆとりはない。
 体格のいい軍人が片側4人座ったら、肩がぶつかり合うだろう。
 そうか。だから「海軍式敬礼」なんてものがあるんだ。
 あれならば、肩幅以上のスペースは必要ない。
 対して、脇を直角に開く陸軍式なら、敬礼のたびに隣を攻撃することになる。

 ドアのある側を足場にして、白い制服の給仕が一皿一品ごとに料理を持ってくる。
 天井から手を伸ばされるのには違和感を覚えるかと思ったが、タイミングといい仕草といい、専門教育を受けたのかと思わせられるほどに洗練されている。

 出されたメインディッシュは、チーズフォンデュだった。
 ……わからん。
 もちろん、無重力では料理そのものに粘りがあるチーズフォンデュやカレーは定番だが、その意図するところが読めない。
 別れのディナー、末期の食事としては軽すぎるし、自由の餞別には重すぎる。

 難しい顔をしていたのだろう。
 フェアバンクス艦長が苦笑交じりに助け船をくれた。
「お口に合いませんか?」
「食べ慣れてなくてな。ちょっとわからないんだ」
「ええ、わからないんです。
 間もなくリンドバーグ家のボートが来るそうですが、それ以上は私にも。
 もっとも。この艦を任された以上、艦内で誰一人失うことなく任期を全うすることが私の使命と心得ています」
 なるほど。
 少なくとも、この船の中での安全は意地でも守るが、その先は知らないと言うことか。
 責任の先送りにも見えるが、この物腰と言葉遣いに似合わず、肝は据わっているようだ。
 俺はソーセージに串を刺して、チーズの壺に突っ込んだ。

 食後のコーヒーを飲み干したあと、俺たちは気密室へと案内された。
 ヘルメットを渡され、握手を交わす。
「正直なところ、私は姫様よりもあなたを惜しみます。
 あなたなら、艦の舵を任せられると。いえ、任せたいと!」
 フェアバンクス艦長の真剣な目に、俺は笑って応えた。
「その時の船長はこのガキだ。残念だったな」
 そう言って、握り合った拳に力を込める。

 与圧はされたままだが、ヘルメットをかぶる。
 ちゃんと滅菌・脱臭されていて、かぶり心地が格段に良くなっている。
 着ているのは、もはや一張羅になってしまったカージマーのライトスーツだ。
 こちらもちゃんとクリーニングされ、ぴしっとアイロンがけまでされて、折り目もつけられていた。
「スマートで、目先が利いて、几帳面、負けじ魂、これぞ船乗り」とは昔からある海軍のキャッチフレーズだが、形骸化されることもなく、息づいている。

 ぷしゅー!
 
 フェアバンクス艦長の、顔の右で指を2本立てる略式礼が、閉じ際の気密扉にちらりと見えた。
 答礼の作法なんて知らないし、うろ覚えでやって間違えていたら失笑は確実だ。
 俺は顔の横で右手を開いて見せた。
 相手が「軍人」なら、俺は「民間人」だ!
「民間人の矜持」で返してやった。
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