ならまち、食べ尽くそうや！

Period 1 ならまちを知りましょう。

第9話 大和ポークのカレー 後編

　あっという間に二時間は過ぎ、最後のお客さんも帰って行った。食堂の入口はシャッターを閉め、裏口の鍵も閉めた。これで今日の仕事は終わり。食堂の中はまだ灯りが付いている。なんせ居住スペースの二階にはキッチンが無いから、ここで食事をとるしかない。家族三人で、さっきの勤務中に何度も運びながら唾を飲んで我慢していた、見事な飯テロ地雷こと、大和やまとポークのカレーを頂く。
「いただきます」
　働いた後のご飯というものは何にも勝る。これが大人になって「ご飯」が「お酒」になるのかと思うと、今のうちに食の悦びを最大限にまで感じておこうと思う今日この頃。
　中辛のルーの少し舌がひりひりする感覚を、甘い大和ポークとひのひかりが優しく包み込んでくれる。ごろごろと荒く切ったじゃがいもやにんじんも、お父さんの知り合いの農家から直送されてくるものだ。
　一応私はバイトとしてこの定食屋に「雇われている」わけで、もちろん時給も発生する。なんせ自分の家の仕事だから、きっちり固定した額が支払われるわけではない。雇用主は私の両親だ。その日の売り上げや機嫌によって時給は変動する。最初に言われたのは、大体平均千円らしい。最低賃金が低い奈良県ではなかなか、いや相当良い時給だ。
「春夏はるか、学校どうなの？」
　お母さんが、特に気にしてなさそうに言った。我が娘の最近の態度からしてそこまで大きな問題はないと思っているのだろう。
「めちゃくちゃ楽しい。あ、そうだ。この前ここまで送ってきてくれた、秋月あきづきさんっていたでしょ？　紗穂さほって言うんだけどさ、金幹かなみきの同級生だったんだよ！」
「ふーん。意外なご縁ねー」
　もうお母さんの集中は切れてしまったようだ。聞いといてなんだその態度は。反抗期か。
「葛くずまんじゅうの？」
　お父さんがやや遅れて思い出したようだった。カレーが起こす湯気で眼鏡が曇ってしまっている。
「そそ。他にも弓道部だと叶恋かなこって子とずっといるし、希咲きさきのことはこの前言ったよね？」
「お妃ちゃんでしょ？」
　お父さんの記憶はやはりそこで止まっているみたいだ。今度みんなでうちに来てみてはどうだろうか。私の手料理を振る舞いたいな。
「それがさ、希咲ってば私のこと『春夏ちゃん』って呼ぶんだよ。めちゃくちゃ清楚だし、最高に可愛い」
「へぇ、あのガキ大将がねぇ。人って変わるもんだね。ね？」
　お父さんはお母さんの方を見ながら、悪戯っぽく笑った。何のことか私はまったく分からなかったが、お母さんは「まーたその話だ」と口を尖らせていた。
「お母さんも、昔はギラギラだったんだよ」
　お父さんはふっと微笑んだ。その頬笑みが少年のようにあどけなかった。カレーを食べて喜んでいる少年にしか見えなかったが。
「その話？　何それ、聞きたい」
「来るべき日が来たらねー」
　お母さんはジト目でカレーを頬張った。リスみたいに膨らむほっぺたは、中谷堂なかたにどうのよもぎ餅のように柔らかい。四十のくせに、私と同じかそれ以上に肌が綺麗なのが腹立たしい。
「それより、市内は慣れた？」
　無理に別の話をしようとしているのがバレバレだが、本当に聞きたいというのもあるだろう。
「うん、まあここから三条通り通って一本だし、寄り道してるのもならまちだけだからね。イオンも映画館もないけど、意外と楽しいね。ちょっと思ってたのとは違ったけど」
「思ってたの？」
「もっと着物の人がいっぱいいるんだと思ってたし、ふるーい感じがするんだと思ってた。結構みんな現代チックだね」
　田舎、と一口に言っても奈良市内とそれ以外ではイメージが全然違うだろう。市内の田舎というのは、教科書で出てくる重要語句「古都」のイメージだ。お寺とかがあって、えらく風流なイメージだ。生駒いこま市は「大阪に付随してる田舎」みたいな感じで、大阪府だと言っちゃってもバレないだろう。大和郡山こおりやま市は「イオンがある田舎」みたいな感じ。イオンがあると言うことは、それほど膨大な土地が余っているということだ。よって橿原かしはら市も同じだ。
　そして、桜井さくらい市や私のこれまで住んでいた御所ごせ市、もはや市ではなく十津川とつかわ村や天川てんかわ村といった知名度が低い市町村に持たれるのが、「何もない田舎」だ。電車やバスは来ないし、娯楽施設が全然ない。ここまでは現実にそうなのだが、過去には「電波届くの？」なんて心ない言葉を言われて傷ついたこともあった。通るわ、ボケ。
　そして私が述べたように、私は奈良市に相当の期待をしていたのだと思う。しかし別になんてことはなく、なんならちょっと都会じゃんと思ったりもした。JR奈良駅も近鉄きんてつ奈良駅もめちゃくちゃ発展しているし、なんだか微妙に期待外れだった。
「商店街がいっぱいあるからさ、行ってみるといいよ。『ひがしむき商店街』とか『もちいどの商店街』とか。面白かったよ」
　お父さんが、また少年の顔で言う。
　高校生ってもっと目に見えた青春をするものだと思っていたが、タピオカやカラオケ、ゲーセンなどが全ての高校生の幸せということもないだろう。私はあの四人と居る時が一番楽しいし、幸せだ。私はそれで十分だ。