2 / 26
第二話 父母
しおりを挟む
吉川広家は永禄四年(西暦一五六一年)、中国地方随一とも言われた猛将吉川元春と新庄局の三男として産まれた。
幼名を才寿丸という。
祖父は毛利元就。
小規模国人領主から、一代で中国地方ほぼ全域を支配するに至った稀代の謀将だ。
生まれた時には長兄の元資は既に元服していた。
世継ぎとしての重圧もなく自由奔放に育った。
永禄九年にはかつての主家、尼子家を滅ぼした毛利家。
しかしその後も尼子勝久を擁立して尼子家再興を目指す山中鹿介を代表とした尼子家旧家臣団との争いを繰り広げていた。
山中鹿介は名将として名高く、永禄十二年(西暦一五六九年)には出雲一国をほぼ攻略するまで勢いを盛り返した。
当然毛利方も黙っていた訳ではない。
出雲に残された拠点はかつて尼子家の本拠地でもあった月山富田城。
これの攻略に着手する鹿介を討伐せんと、軍を派遣した。
しかし城攻めを一次中断した鹿介は原手合戦にてこれを撃退、再度月山富田城を包囲して攻略に取りかかった。
さすがに看過できなくなった元就は北九州や伊予に展開していた主力を招聘する。
石見路より月山富田城の救援、及び尼子討伐の軍を差し向ける事となった。
元亀元年(一五七0年)一月。
吉川元春の居城、日野山城。
慌ただしく出陣の準備がなされる中、未だ元服を迎えていない才寿丸は父元春の前に進み、自身の初陣を願いでていた。
元春は渋い表情で宥めて言う。
「才寿、武家の当主として我が子が初陣を望むのは嬉しい限りだ。
だがお主はまだ元服もしておらん。
まだ見ぬ戦場を恐れぬ勇気は素晴らしいが、実際の戦場とはその想像に倍する恐ろしくも過酷な所だ。
初陣はもう数年待ち、兄のように元服してからがよかろう」
だが才寿丸は納得しない。
「そうは言われますが、戦場の恐ろしさとは時と共に薄らぐのでありましょうか。
私は日々鍛練怠らず、槍も刀も振るえます。
弓も引けます。
父上は私が足手まといになるのではないかと心配されているのでしょうが、決してそんな事にはなりません。
必ずや吉川の名に恥じぬ槍働きをしてみせます」
元春の母妙玖の実家でもあり、元春が養子に入って家督継承した吉川家は代々勇名響かせる一門であった。
特に元春の曾祖父の代に当たる経基は、応仁の乱において全国に武名を轟かせ「鬼吉川」の異名をとる猛将だった。
そして元春自身も武においては父元就から『戦では叶わぬ』と称され、一部では『鬼吉川の再来』などとも謳われている。
「先祖に倣い武を志すのは立派だ。
しかし、お主はお主。
無理に背伸びして気を張る事はない。
急いては事を仕損じるとの言葉もある通り、何事も早ければよいというわけではない。
時が来れば嫌でも戦場に立ってもらうのだから、焦燥することなく今はまだ研鑽に励み、その時を待つのだ」
いくら懇願しても元春は首を縦に振らない。
言葉巧みに諭された広家は憤懣やるせなく、足を踏み鳴らしてその場を後にした。
父元春はよく『お主はお主』と言う。
一方で祖父元就や叔父の小早川隆景のみならず毛利家中の者は『よく父君を見なされ、兄君を見なされ』と言う。
長兄元資は父の背を追うように文武を嗜み、将来を大いに嘱望されている。
次兄元棟もまだ若年ながら、跡取りなく死去した仁保家との家督相続を前提とした婿入り縁談の話が持ち上がっている。
そして此度の戦は従兄であり、当主の毛利輝元が初めて総大将として指揮をとるという。
漠然としていたら、家中で自分の存在など忘れられてしまいそうだ。
「どうしろと言うんだ」
独り言ちながら廊下を進む先から兄が歩いてくるのが見えた。
「どうした才寿、何を苛立っているんだ。
随分先から足音が聞こえていたぞ」
十三歳上の兄は眼光鋭くも、からかうように笑みを浮かべて話しかける。
兄を見た才寿丸は、日頃から面倒見のよい兄に助け船を求めた。
「今しがた父上に初陣を願いでたのです。
しかしまだ幼いから、と取り合ってもらえませんでした。
こうなったら兄上の隊に同行させてもらえませんか」
これに対して元資は細い目を大きくし、閉口してしまった。
弟がまさか初陣を願い出ていたとは夢にも思っていなかった。
よくよく話を聞く限り、父元春は別に才寿丸を怒っているわけでも嫌っているわけでもないが、幼さ故の勇み足を危惧しているのだろう。
元資としても才寿丸の心意気は武家の子として素晴らしいとは思う。
とは言え才寿丸はまだ十歳。
自身が十八で初陣を飾った時などは、想像以上の戦場の苛烈さ、凄惨さに身を竦ませ、何度父に背を叩かれたかわからない。
やはり気が逸っていると思わざるをえない。
かと言って通り一遍の反対では納得をしないだろう。
また自分を頼る弟の気持ちを無下にもしたくもない。
暫し思案の上、元資は才寿丸に諭すように提案をする。
「よし、こうしよう。
父上が反対されている以上は、私が勝手にお前を連れていく事は流石にできない。
だがこの件に関して母上のご意見も聞いてみようじゃないか。
母上がお前の気持ちに後押ししてくれるなら、私からも父上にお願いしてみよう。
だが母上からも反対されたら、そこはやはり二人の意見に従うべきだ」
元資としては母も才寿丸の出陣を止めるだろう、との思いがあった。
一方才寿丸は兄の提案に喜色を浮かべて頷いた。
才寿丸や元資の母は毛利家家臣の熊谷信直の娘で、元春達の居城日野山城のある大朝新庄の地名から新庄局と呼ばれた。
信直は安芸屈指の豪傑との呼び声高く、かつて毛利家と敵対していた安芸武田家に仕えていた。
しかし同僚との軋轢や主家との齟齬などがあり、武田家を離反して毛利家に仕えるようになった。
信直は大変な家族思い、子煩悩で知られ、当主武田光和に嫁いだ妹が離縁された事もその要因の一つであったと言われている。
その信直の愛情を一身に受けて育った新庄局。
しかし右目周りにある青痣が起因して、元春に迎えられるまで長く縁談に恵まれなかった。
気丈な性格ではあったものの、その青痣だけは気にしたのか常に右目周りを隠すように前髪をゆったりと前に垂らして束ねていた。
かつては敵対関係でもあったこともあって二人の縁談は政略的な色合い濃く、信直もそれは承知の上だった。
だが元春は側室をとる事もなく妻を深く愛した。
信直もまたこれに感激して、陰に陽に吉川家、毛利家を強く支えるようになった。
さて新庄局は才寿丸と元資から相談を受け、大きく声を上げて異を唱えた。
それは才寿丸に対してのものではなかった。
「武門に生きる者であれば、我が子が戦場を望むのはこの上なく喜ばしい事。
幼かろうとも弓を引き、刀を振るう力があるならば、喜んで連れていって然るべきです。
仮に戦場に行くことなど自分からは考えもしない子であれば、色々と手を打って連れて行くというのに。
幸いな事に才寿丸は幼いながらも勇を備え、自ら望んで戦場に臨もうと言っているのに、それを拒むとは如何なる事でしょうか。
名将と言われる元春と、愚かな私では考えが違うようですね。
父にそう伝えなさい。
それでも父が反対すると言うのなら、伊豆守(熊谷信直)の隊に同行させてもらいなさい。
いざ戦場で父に何か言われたら、母からそう勧められ、大殿(毛利元就)へこの旨の書をしたためてある、と答えれば父もそれ以上は言わぬ筈です」
元資は平伏しながら内心困ってしまった。
まさか母が才寿丸の後押しをしようとは思っていなかった。
しかも母の後押しがあってなお反対されたら、黙って祖父の隊について行けと言う。
母のこの勇ましさは父である信直譲りのものであろうか。
そして我が父はその意見に対して何と言うであろう。
自身の考えに反対されて不機嫌にはならないだろうか。
元資が不安を感じる一方で、隣に座る才寿丸は表情明るく目を輝かせていた。
母のこの意見は大きな後押しになるだろう。
対照的な思いを胸に二人は父の元に向かった。
幼名を才寿丸という。
祖父は毛利元就。
小規模国人領主から、一代で中国地方ほぼ全域を支配するに至った稀代の謀将だ。
生まれた時には長兄の元資は既に元服していた。
世継ぎとしての重圧もなく自由奔放に育った。
永禄九年にはかつての主家、尼子家を滅ぼした毛利家。
しかしその後も尼子勝久を擁立して尼子家再興を目指す山中鹿介を代表とした尼子家旧家臣団との争いを繰り広げていた。
山中鹿介は名将として名高く、永禄十二年(西暦一五六九年)には出雲一国をほぼ攻略するまで勢いを盛り返した。
当然毛利方も黙っていた訳ではない。
出雲に残された拠点はかつて尼子家の本拠地でもあった月山富田城。
これの攻略に着手する鹿介を討伐せんと、軍を派遣した。
しかし城攻めを一次中断した鹿介は原手合戦にてこれを撃退、再度月山富田城を包囲して攻略に取りかかった。
さすがに看過できなくなった元就は北九州や伊予に展開していた主力を招聘する。
石見路より月山富田城の救援、及び尼子討伐の軍を差し向ける事となった。
元亀元年(一五七0年)一月。
吉川元春の居城、日野山城。
慌ただしく出陣の準備がなされる中、未だ元服を迎えていない才寿丸は父元春の前に進み、自身の初陣を願いでていた。
元春は渋い表情で宥めて言う。
「才寿、武家の当主として我が子が初陣を望むのは嬉しい限りだ。
だがお主はまだ元服もしておらん。
まだ見ぬ戦場を恐れぬ勇気は素晴らしいが、実際の戦場とはその想像に倍する恐ろしくも過酷な所だ。
初陣はもう数年待ち、兄のように元服してからがよかろう」
だが才寿丸は納得しない。
「そうは言われますが、戦場の恐ろしさとは時と共に薄らぐのでありましょうか。
私は日々鍛練怠らず、槍も刀も振るえます。
弓も引けます。
父上は私が足手まといになるのではないかと心配されているのでしょうが、決してそんな事にはなりません。
必ずや吉川の名に恥じぬ槍働きをしてみせます」
元春の母妙玖の実家でもあり、元春が養子に入って家督継承した吉川家は代々勇名響かせる一門であった。
特に元春の曾祖父の代に当たる経基は、応仁の乱において全国に武名を轟かせ「鬼吉川」の異名をとる猛将だった。
そして元春自身も武においては父元就から『戦では叶わぬ』と称され、一部では『鬼吉川の再来』などとも謳われている。
「先祖に倣い武を志すのは立派だ。
しかし、お主はお主。
無理に背伸びして気を張る事はない。
急いては事を仕損じるとの言葉もある通り、何事も早ければよいというわけではない。
時が来れば嫌でも戦場に立ってもらうのだから、焦燥することなく今はまだ研鑽に励み、その時を待つのだ」
いくら懇願しても元春は首を縦に振らない。
言葉巧みに諭された広家は憤懣やるせなく、足を踏み鳴らしてその場を後にした。
父元春はよく『お主はお主』と言う。
一方で祖父元就や叔父の小早川隆景のみならず毛利家中の者は『よく父君を見なされ、兄君を見なされ』と言う。
長兄元資は父の背を追うように文武を嗜み、将来を大いに嘱望されている。
次兄元棟もまだ若年ながら、跡取りなく死去した仁保家との家督相続を前提とした婿入り縁談の話が持ち上がっている。
そして此度の戦は従兄であり、当主の毛利輝元が初めて総大将として指揮をとるという。
漠然としていたら、家中で自分の存在など忘れられてしまいそうだ。
「どうしろと言うんだ」
独り言ちながら廊下を進む先から兄が歩いてくるのが見えた。
「どうした才寿、何を苛立っているんだ。
随分先から足音が聞こえていたぞ」
十三歳上の兄は眼光鋭くも、からかうように笑みを浮かべて話しかける。
兄を見た才寿丸は、日頃から面倒見のよい兄に助け船を求めた。
「今しがた父上に初陣を願いでたのです。
しかしまだ幼いから、と取り合ってもらえませんでした。
こうなったら兄上の隊に同行させてもらえませんか」
これに対して元資は細い目を大きくし、閉口してしまった。
弟がまさか初陣を願い出ていたとは夢にも思っていなかった。
よくよく話を聞く限り、父元春は別に才寿丸を怒っているわけでも嫌っているわけでもないが、幼さ故の勇み足を危惧しているのだろう。
元資としても才寿丸の心意気は武家の子として素晴らしいとは思う。
とは言え才寿丸はまだ十歳。
自身が十八で初陣を飾った時などは、想像以上の戦場の苛烈さ、凄惨さに身を竦ませ、何度父に背を叩かれたかわからない。
やはり気が逸っていると思わざるをえない。
かと言って通り一遍の反対では納得をしないだろう。
また自分を頼る弟の気持ちを無下にもしたくもない。
暫し思案の上、元資は才寿丸に諭すように提案をする。
「よし、こうしよう。
父上が反対されている以上は、私が勝手にお前を連れていく事は流石にできない。
だがこの件に関して母上のご意見も聞いてみようじゃないか。
母上がお前の気持ちに後押ししてくれるなら、私からも父上にお願いしてみよう。
だが母上からも反対されたら、そこはやはり二人の意見に従うべきだ」
元資としては母も才寿丸の出陣を止めるだろう、との思いがあった。
一方才寿丸は兄の提案に喜色を浮かべて頷いた。
才寿丸や元資の母は毛利家家臣の熊谷信直の娘で、元春達の居城日野山城のある大朝新庄の地名から新庄局と呼ばれた。
信直は安芸屈指の豪傑との呼び声高く、かつて毛利家と敵対していた安芸武田家に仕えていた。
しかし同僚との軋轢や主家との齟齬などがあり、武田家を離反して毛利家に仕えるようになった。
信直は大変な家族思い、子煩悩で知られ、当主武田光和に嫁いだ妹が離縁された事もその要因の一つであったと言われている。
その信直の愛情を一身に受けて育った新庄局。
しかし右目周りにある青痣が起因して、元春に迎えられるまで長く縁談に恵まれなかった。
気丈な性格ではあったものの、その青痣だけは気にしたのか常に右目周りを隠すように前髪をゆったりと前に垂らして束ねていた。
かつては敵対関係でもあったこともあって二人の縁談は政略的な色合い濃く、信直もそれは承知の上だった。
だが元春は側室をとる事もなく妻を深く愛した。
信直もまたこれに感激して、陰に陽に吉川家、毛利家を強く支えるようになった。
さて新庄局は才寿丸と元資から相談を受け、大きく声を上げて異を唱えた。
それは才寿丸に対してのものではなかった。
「武門に生きる者であれば、我が子が戦場を望むのはこの上なく喜ばしい事。
幼かろうとも弓を引き、刀を振るう力があるならば、喜んで連れていって然るべきです。
仮に戦場に行くことなど自分からは考えもしない子であれば、色々と手を打って連れて行くというのに。
幸いな事に才寿丸は幼いながらも勇を備え、自ら望んで戦場に臨もうと言っているのに、それを拒むとは如何なる事でしょうか。
名将と言われる元春と、愚かな私では考えが違うようですね。
父にそう伝えなさい。
それでも父が反対すると言うのなら、伊豆守(熊谷信直)の隊に同行させてもらいなさい。
いざ戦場で父に何か言われたら、母からそう勧められ、大殿(毛利元就)へこの旨の書をしたためてある、と答えれば父もそれ以上は言わぬ筈です」
元資は平伏しながら内心困ってしまった。
まさか母が才寿丸の後押しをしようとは思っていなかった。
しかも母の後押しがあってなお反対されたら、黙って祖父の隊について行けと言う。
母のこの勇ましさは父である信直譲りのものであろうか。
そして我が父はその意見に対して何と言うであろう。
自身の考えに反対されて不機嫌にはならないだろうか。
元資が不安を感じる一方で、隣に座る才寿丸は表情明るく目を輝かせていた。
母のこの意見は大きな後押しになるだろう。
対照的な思いを胸に二人は父の元に向かった。
0
あなたにおすすめの小説
剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末
松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰
第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。
本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。
2025年11月28書籍刊行。
なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる