天狗の囁き

井上 滋瑛

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第十二話 天狗評議・弐

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 慶長五年九月十五日、美濃国関ヶ原。
 明け方に立ち込めていた霧はいつしか硝煙と変わっていった。
 至るところで矢の雨が降り、剣撃の音が鳴り響き、地が赤く染まる。
 南宮山に陣取る広家の元に、再度安国寺恵瓊からの使いが膝を着く。
「安国寺様より伝令。
『霧は晴れ申した。
 今こそ毛利が動き、徳川本隊を挟撃すれば戦局は大きく有利に動きましょう。
 直ちに池田隊に当たられよ』
 との事にございます」
 対して広家、答えて言う。
「和尚に伝えるがよい。
『霧が晴れたばかりだからこそ、敵は意気旺盛で待ち構えておる。
 今はそんな敵の肩を透かし、気勢を削ぐが上策。
 その敵よりも、先に味方が焦れては元も子もない。
 経ばかり読んでいる坊主にはわかるまいが、先の安濃津で示した儂の戦の読みに任されよ』と」
 どこか挑発染みた返答に、使いは困惑しつつも渋々と去っていく。
 この南宮山に布陣するに先立ち、毛利軍は徳川方についた安濃津城を大軍で包囲して攻めていた。
 包囲後の初日に指揮を采ったのは、毛利軍の若き総大将の秀元。
 しかし城主の富田信高は寡兵ながらも大いに奮戦し、秀元の家臣一人が討ち取られる等苦戦を強いられた。
 折しも先手の恵瓊が情報誤認による行軍、包囲の遅れという失態もあった。
 東進の為にも、長く時間をかけられない。
 そんな状況もあり、翌日は広家が指揮を采る事となる。
 広家は時に岸壁を穿つ荒波のように、時に風にそよぐ柳の様に、硬軟織り交ぜた采配を振るい、機を見計らって降伏を勧告して見事に開城に成功した。
 若く血気に逸った秀元と、老獪な采配で戦場を支配した広家。
 二人の経験の差が如実に表れた一戦であった。
 天狗が笑う。
『安濃津の件を引き合いに出されれば、坊主も口出しできまい』
「いや、足りぬ。
 甚五郎」
 呼び掛けに応じたのは、老齢に達した外聞衆の佐田甚五郎。
 かつて外聞衆を従えていた杉原家は盛重死後に長男、次男の間でのお家騒動、及び内通の嫌疑があり、事実上解体されていた。
 その中で三男景保は吉川家の家臣となり、外聞衆の一部も同様に吉川家が引き継いで抱えてい
る。
 そして初陣で縁のあった甚五郎に、抱える外聞衆を束ねさせていた。
「近辺に不審は無いか気を配れ。
 刺客など送られてはかなわん。
 坊主だけでなく長束の隊の動きもだ。
 抜け駆けなど、絶対に許さん」
 甚五郎は一言『承った』とだけ答えると、その場を去っていった。
『慎重だな』
「無論。
 思い詰めた人は何をするかわからん」
『むしろ刺客を放ってもらい、それを捕らえた方が好都合なのではないか』
 天狗の言に広家はしばし考え、小さく笑う。
 想定している刺客の主は恵瓊だ。
 刺客が広家を斬れば、それに乗じて恵瓊が吉川隊を吸収して徳川本陣に突撃する。
 明るみに出れば家中離反の大事だが、無い話ではない。
 だが逆にその刺客を捕らえられれば、毛利家中における恵瓊の独断と専横の証左とする材料になる。
 毛利家が三成方についた責を、公然と恵瓊一人に押し付けられる。
「安易に言うてくれる……しかも性格が悪い。
 だが戦場ならばともかく、刺客相手にこの身を危険に晒していい程、今儂が負っている責は軽くない」
 無論刺客云々抜きに、広家は恵瓊に責を取らせるつもりだ。
 今この状況の全ては、恵瓊が独断で動いた結果なのだ。
「後は甲斐守だ……」
 広家は関ケ原の最前線と思われる方角を眺め、呟いた。
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