羅刹を冠する鬼と狐

井上 滋瑛

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第一話 羅刹院と羅刹士

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 世界三大帝国に数えられる華羅から。二府九州に区分けされ、最東端に位置する斉州。
 その州都である燐司りんし
 華羅東方に面する震海しんかいに注ぐ、坎河かんがの河口付近に位置する。
 海産物や海洋資源、震海で隔てた東方島国諸国との交易品を陸海川路で内陸の都市へと繋ぐ交通、貿易の要所である。
 広く高い城壁に囲まれた市街の商業区では、東方諸国の様々な交易品が並ぶ商店や行商人達が心身を休める宿場や飲食店、歓楽施設が軒を連ねる。
 良くも悪くも昼夜を問わず人の声が止む事はない。
 そんな商業区の一画に漆黒の壁に身を包む建物がある。
 出入口は大きな扉で閉ざされ、商店のような客を迎え入れる雰囲気もない。
 むしろ安易な来客を拒み、限られた者しか受け入れない威圧感、そして何物にも染まらぬ意志すら感じられる。
 周辺の雰囲気に対して異質な建物に今、扉を開く男がいる
 引き締まった体躯は六尺(約百八十センチメートル)はあるだろうか。
 眉は釣り上がり、額の左右が前方へ少し角張る異相。
 男の名は遼経りょうけい
 棺のように大きい木箱を軽々と背に担ぎ、だが少し疲れた様子で扉を開ける。
 扉を開けると重厚な外装から一転して、白色系を基調とした明るい内装の大きな広間が遼経を迎え入れた。
 扉の正面にはカウンターテーブルが置かれ、二人の女が座っている。
 遼経は笑顔を向ける女に無表情で軽く会釈すると、無言のまま左手壁沿いの階段を登っていった。
 二階に上がるとすぐに廊下が行き止まる。
 行き止まりの壁には扉に丁度いい大きさの、黒曜石にも似た一枚岩が埋め込まれている。
 だが扉の様なそれは、扉と呼ぶには取手がついておらず、円とその中に三日月の様な刀剣が描かれた紋章が刻まれており、まるで壁に埋め込まれた通路の装飾の様でもあった。
 遼経はその一枚岩の前に立つと懐から、一枚岩と同じ素材と思われ、且つ同じ紋章が刻まれた長方形の薄い岩版を取り出した。
 掌と同程度の大きさの岩版を一枚岩に刻まれた刀剣のに柄の部分に近付けると、双方が共鳴する様にぼんやりと光を放つ。
 すると一枚岩が滑る様に少し奥へ、そして右方向に水平移動した。
 扉の動きが止まり、遼経は岩版を懐にしまうと、奥へと進む。
 扉の先は一階の様に大きな広間になっている。
 カウンターテーブルで区切られた広間中央の先では職員と思われる者たちが忙しなく往来している。
 ここは帝国公認の特殊組織『羅刹院らせついん』の燐司支局。
 帝国からの公認を受けながらもその意に縛られず、官民問わない依頼と契約、その遂行を生業とする羅刹士らせつしの活動拠点。
 その依頼内容は鳥獣妖魔の討伐から要人警護、更には暗殺まで表裏問わず多岐に渡る。
 そしてこの部屋に入るために使用した岩版が、遼経を羅刹士と証明する資格証、通称『羅刹証らせつしょう』である。
 遼経が中央のカウンターテーブルに歩み寄ると、それに気付いた男が小さく頷いた。
 白いものが混じる顎髭を蓄えたその男は、右手で椅子に促す仕草をしながら声をかける。
「無事に戻ったか」
 歩を進める毎に左の袖が肩から揺れる。隻腕。
 それに対して遼経は少し表情を緩め、担いでいた木箱をテーブルに置いて椅子に腰掛けた。
 次いで男が対面の席に着く。

「今日は局長が対応してくれるんですか?
 玉蓮ぎょくれんは休みですか?」

 局長と呼ばれた男は渋い表情をして、机の上に右手をかざした。
 すると机から扉や羅刹証と同じ様な岩版が生えるように現れる。

「そうか、聞いていないのか。
 お前が依頼に出ている間、色々とあってな。
 取りあえず成果報告の受理をしてからがいいだろう」

 男はこの燐司支局の局長。
 局長は机から現れた岩版を指で弾く様に突く。

「今回の依頼は……?
 豹炎熊ひょうえんぐまの掌。
 成体の雌、手長ニ尺(約六十センチメートル)以上の物に限る。
 どこぞの料亭の依頼か……
 それともう一つ、豹炎熊の毛皮。
 体長一丈(約三メートル)以上の物に限る。
 豹炎熊を一体狩るだけで二つの依頼をこなすことができるのか。
 しかも最大五体分まで追加報酬あり。
 随分とおいしい依頼を斡旋してもらったんだな」

 豹炎熊は華羅の山間部に広く分布する大型魔獣の一種だ。
 斉州においては燐司の南方、州を南北に分断する様に連なる燐山山脈に多く生息している。
 豹紋の体毛を持ち、大きい個体は体長三丈にも及ぶ。
 雌雄で食性が異なるのが特徴で、雄は完全肉食、雌は木の実や果実、蜂蜜を好む。
 そして遼経の依頼の通り、雌の掌は柔らかく美味で高級食材として、そして毛皮は非常に保温性が高く、防寒具の素材として高値で取引される。
 初夏の発情期には雄同士が口から火を吐きながら雌を奪い合い、しばしば山火事を引き起こす為、燐山山脈の鉱山採掘組合から間引き駆除や採掘警備の依頼か発生したりもする。
 局長がゆっくりと椅子の背もたれに身を預けると、遼経は木箱に手をかざした。

「今霊封を解除しますね。
『色彩鲜明的東西
 香味丰富的東西
 此時経打破封印』」

 そう言いながら木箱にかざした手の指で宙に文字らしきものを描く。
 術式と呼ばれる宙に描いた文字がぼんやりと光を放ち、やがて木箱を包み、そして消えていく。
 それを見届た局長は何やメモ書きをした付箋を木箱に貼り、振り返って一人の職員に声をかける。

「蔡、これを検品班に持っていってくれ。
 遼三級羅刹士が受けた依頼品だ。
 くれぐれも丁重にな」

 蔡と呼ばれた大柄な男の職員は一つ返事をすると木箱に手をかけて持とうとした。
 数度唸り声を発した後、自分の膂力のみで運ぶのは無理と判断し、その場を離れると台車を持ってくる。
 顔を真っ赤にして小刻みに震えながら木箱を慎重に台車に載せ替えると、息を切らしながら台車を押してその場を去った。
 局長は再度くれぐれもと注意を促し、小さく溜め息をつく。

「見ない顔でしたが、新人の局士きょくしですか?」
「ああ、本当は院士いんしが欲しいんだが、何処の支局も人手不足でな」

 支局で働く職員には大きく分けて二通りの者が働いている。
 院士と局士。
 院士が羅刹院の選考を経て採用されるのに対して、局士は各支局から採用される。
 そして院士になる為には羅刹士の資格を必要とする。
 資格に証明される能力に基づき給与や仕事の量、内容、そして給与は大きく異なる。が、

「そりゃ、院士になる位なら羅刹士として依頼を受けていた方が圧倒的に稼げますからね」

 羅刹院への依頼内容は妖魔の征伐や軍への傭兵、要人の警護、果ては暗殺にいたるまで、表に裏に多岐に渡る。
 多大な危険を伴う分、依頼者からの成果報酬の半分以上が羅刹士の報酬となる。
 また羅刹院に所属して給与を得る院士とは異なり、依頼を受ける受けないは羅刹士の自由意志。
 つまり個人事業主に近い。
 要するに安定や安全を望む者は、最初から羅刹士になろうとはしないのだ。
 その為、この局長の様に五体の欠損等の大怪我を負ったり、歳をとり肉体や精神の限界を感じる等、羅刹士としての活動を断念した者が第二の人生として院士となる場合がほとんどだ。
 だが羅刹士の収入が高報酬である事や、仕事の危険度に伴う死亡率の高さも合わさり、第二の人生へ進む者自体が多くない。

「で、『色々とあった』って何があったんですか?」

 遼経の問いに局長は渋い表情を見せる。
 机に肘をつき、どう話そう、と思案する。

「大きく二つ……いや、三つとするべきか?
 まずなお前を担当していた玉蓮だが、お前が依頼に出ている間に退職した」

 それを聞いた遼経は目を丸くした。
    
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