羅刹を冠する鬼と狐

井上 滋瑛

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第九話 封印と放棄

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 燐司を出た遼経と玉蓮は街道を西進する。
 午後からの出発だったが、急げば日暮れ前には西隣の県城に着ける。
 華羅の都市は賊徒や妖魔等からの防衛の為、都市全体を大きく城壁で囲っている。
 そして東西南北にある城門は、日没から日出まで固く閉ざされ、原則として入出城は出来ない。
 例外として城兵によっては謝礼、つまり賄賂を渡せば秘密裏に通してくれる事もある。
 しかし軍の人間には羅刹院や羅刹士を目の敵にしている者も多くいる。
 自分達以外の、しかも国から公認されている武力組織は煙たいものだ。
 ここぞとばかりに吹っ掛けられてしまう。
 できる事なら夕暮れまでには辿り着きたい。
 無理をさせない程度に、だが急がせる。
 驪絹は華羅と西域諸国を繋ぐ交易路、通称『絹街道』を渡ってきた西域原産の馬だ。
 華羅原産の馬と比べると体格、持久力に優れる。
 絹のように光沢のある美しい毛並みが特徴だ。
 特に月毛の個体は金糸馬とも呼ばれ非常に人気が高い。
 だが驪絹は不人気の青鹿毛だった。
 また気難しい気性から買い手がつかず、珍しく斉州にまで流れてやってきた。
 それでも魔獣討伐一件分の報酬に相当する費用がかかった。
 飼い主となった遼経には従順だが玉蓮の言う事は聞き入れず、緋恋には噛みつく始末。
 預けている厩舎でも一部の職員にしか懐かずと、手を焼かせている。
 だがその身体能力は流石であった。
 心配を他所に初日、二日目と、その道程を走破していく。
 そして四日目の夕暮れ前には、燎山に最も近い県城に到着した。
 宿に入り一息ついた頃、遼経の部屋に玉蓮が入ってきた。
 寝台に腰掛けていた遼経と向き合う様に、椅子に座ってゆっくりと足を組む。

「で、どう?
 やっぱりその岾斗太刀は抜けないの?」

 ここに到るまでの道程は順調ではあったが、一つ大きな問題があった。
 岾斗太刀が鞘から抜けない。
 鍔から鞘に巻き付いた封印の札が剥がせない。
 破こう、切ろうにも、それもまた叶わない。
 ここに到るまで、休息をとる度、宿に泊まる度、折をみては抜いてみようと試みてきた。
 しかし何をどうしても、この封印を解く事ができなかった。
 局長に連絡を取って聞いてみるも、局長自身も岾斗太刀を抜いた事がなく、封印の解き方はわからないと言う。

「相変わらず……」

 遼経は力なく答える。
 道中、賊や妖魔に襲われる事も無く済んだのは幸いであった。
 しかしそれが今後も続く保証はない。
 このままではただの棒だ。
 仮にいざ必要に迫られた時に抜けたとしても、何年間も手入れを拒んできた刀身が果たして使い物になるのだろうか。
 封印の札は一切の緩みやたわみもなく、まるで岾斗太刀一体化しているかの様に強固。
 遼経は眉間に深い皺を寄せて封印の札を見つめた。
 鞘を叩き割るという選択肢もあるが、この封印が及ぼす力が抜き差しだけとも思えない。

「でも昨日……」

 思い出したかの様な呟きに、玉蓮は身を乗りだして繰り返した。

「でも昨日……何?
 何か進展?」

 すると遼経は封印の札を指で軽く弾く。
 弾く度に硬質な乾いた音が部屋に響く。

「一瞬だけ揺れた、と言うか震えた気がしたんだ。
 お? と思ったら元に戻っちゃったけど」

 だが玉蓮は身を乗り出したま、声の調子を上げる。

「それって封印が解ける前兆じゃないの?
 どうやったの?」

 遼経は首を振る。

「わからん」

 そして遼経は岾斗太刀の柄を玉蓮に向けて差し出す。

「ところでこの札、何か色々と書いてあるんだけど読めるか?
 所々華羅文字はあるんだけど、それ以外が全然読めなくて。
 岾斗言葉なんだろうけど」

 玉蓮は岾斗太刀を受け取り札に書かれた文字を見る。
 いまや世界三大帝国とまで成長した華羅は他国に対しての影響力も強く、特に近隣諸国には華羅文字から派生した独自の文字を使用している事が多々ある。
 岾斗もそんな国の一つだ。

「そうね、岾斗言葉ね。
 封印の術式とは少し違うみたいだけど。
 でも岾斗はなかなか面白い国だから、岾斗言葉を覚えときなさい。
 岾斗人、たまに燐司にも来てるし」
「ああ、あの不思議な髪型をしている連中だろ?」

 東の海路の貿易要所である燐司には、岾斗に限らず東方の異国商人がよく訪れる。

「そうよ。
 で、札の文言ね。
 これは……ヒロツナと読むのかしら?
『廣綱神社』
 神社ってのは岾斗の神様を祀ってある社の事よ。
『宮司が卦を立て占う』
 宮司ってのはその神社の代表者ね。
『空を泳ぎ天を切る 闘志を尽くして花と咲く
 今この時を確かに戦えば 百戦不敗なり』」

 黙って聞いていた遼経は溜め息と共に首を振る。

「何が言いたいのか、さっぱりわからん……」
「私だってわからないわよ。
 一応その文言を調べてみる?」

 玉蓮は腰から提げた巾着袋から自分の羅刹証を取り出す。
 持つ手に霊力を込め、指で弾くと羅刹証が仄かに光を放つ。
 すると玉蓮はある事に気付いた。

「あら……院から速報が来てるわよ。
『煥緞が解放された』って。
 でも『金角・銀角兄弟の指定討伐対象は継続する』そうよ」

 それを聞いた、遼経は腕を組む。

「ここまでは読み通りか?」
「そうね……でも……ちょっと早いわね……
 結構な数の妖魔に加えて、賊徒の輩も従えているみたいで、城内は悲惨な事になってるみたい。
 羅刹院の支局も含めて、しばらく都市としての機能は失われそうよ」
「都市としての機能が失われる、って相当荒らされたのか」
「解放というより、荒らすだけ荒らして“棄てられた”と言った方がよさそうね」
「で、煥緞を棄てた連中の行方は?」
「賊徒は散り散りに、妖魔は砂塵と共に西方に消えたそうよ。
 いや、羅刹証で見れる情報なんだから自分で見なさいよ」
「西、って事は一旦俺達からは離れるな」

 今いる県城は、煥緞から見て南方に位置する。
 情報の限りでは、遭遇する可能性は低くなった。

「まぁ、そうね。
 明日は燎河を渡って燎山まで行くわよ。
 私の別荘までは、驪絹でも登れるから安心して」
「わかった。
 それはよかった」

 一時的とはいえ、勝手を知らない厩舎に驪絹を預けるのは気が進まない。
 遼経は安堵のため息をついた。

「じゃあ、また明日」

 そう言って玉蓮は部屋を後にした。
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