『婚約破棄されたので冷徹公爵と契約結婚したら、徐々に甘くなってきた件』

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第七章 第二王子と第四王子

【第100話:失墜の王子、懇願の手紙】

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 朝の陽差しが窓辺を撫でて、紅茶の琥珀がやさしく輝きほのかに立ち上る香りを楽しんでいた時、セバスチャンが銀のトレーに乗せて一通の封書を、わたくしへ届けてくださいました。

「……王印?」

 公文ではなく私信の体裁で、差出人の名もないけれど誰からの封書かはすぐわかりました。
 
 金箔の文様が刻まれたその封書は、国王――レグルス・グランベール陛下以外が使ってはいけないものです。

 ただ重たく、胸に沈むような気配を帯びております。

 セバスチャンが「先ほど、王宮の特使がひっそりと届けて参りました」と言ったきり、多くを語ろうとはしませんでした。
 
 無理もございません。

 この手紙が意味するものを、屋敷の誰もが薄々察していたのでしょう。

 わたくしはゆっくりと封を切りました。
 
 中から現れたのは、簡潔な短い手紙。内容は――

『―お願いだ、セシリア公爵夫人。―
 ―どうか、ルシアンを見捨てないでやってくれ。―
 ―あれはまだ若く、未熟なのだ。―
 ―叱る者がいなかったのは、我の責任でもある。―
 ―だが、二人も息子を罰するのは、父としてあまりに辛い。―
 ―ノクターンの怒りを抑えるよう取りなしてくれないだろうか?―
 ―君にしか頼めない。どうか、助けてはくれまいか。―』
 
 王としてではなく、父としての姿がにじむ一文に、わたくしはほんの少し、眉を寄せました。

 ……ルシアン殿下がしたことは、無かったことになどなりません。

 王家という立場を利用して、数多の人々を踏みつけ、影でほくそ笑み。
 
 最も守るべきはずの弟君を嘲り、他者の人生を玩具のように弄んだあの男。

 それでも――父は、息子を信じたかったのでしょうか。
 
 あるいは、自分の代で王家の権威が潰えることを恐れているのでしょうか。

 守るべき息子にジークは入っていなかったのでしょうか?

 事が起こってからではなく、起こらぬよう心を砕べきではなかったでしょうか?
 
 どちらにしても、遅すぎたのですわ。

 わたくしはカップの受け皿を音を立てぬようそっと置き、改めて書簡の封を撫でました。

 王が、息子の名誉を守るために、直接こうして私信を送ってくるとは。
 
 かつて彼は王妃の気まぐれと宰相の思惑にのせられ、子どもたちの育成を臣下任せにしていたと聞きます。

 長らく王都を開けておられる長子ヴィルヘルム王太子は、自らの筋肉と陽気さで周囲をねじ伏せるだけの明るさと何故か他者を惹きつける魅力を持つ傑物であると聞いています。
 
 末子ジークは、もはや王族らしからぬほどの自由な精神で生きようとしております。

 では中間にあたる、あの第二王子――ルシアン殿下は?

「自分は何者であるべきか」という問いに、一度でも真正面から向き合ったことがあったのでしょうか。

 ……いいえ。きっとなかったのですわ。

 なぜなら彼は、「王子である自分こそが当然に優れている」と信じて疑わなかった。
 
 それが、彼を取り巻く誰もが“そう接して”いたから。

「第二王子には気をつけて」
 
「出来るだけ目を合わさぬよう礼をしなさい」

 かつて王宮で耳にした数々の“躾”と“暗黙の了解”が、今も耳にこびりついております。
 
 それは、王族の威厳ではなく、“周囲に作られた幻像”でした。

「……けれど」

 わたくしは、そっと目を伏せて呟きます。

「その幻像が壊れたときに、何が残るのか。――それが人の真価ですわ」

 書簡を再び封じ、机の右端へ置きました。
 
 そして立ち上がり、ゆっくりとサイドボードの前へ。

 ティーセットを片付けながら、心の中で答えを定めます。

 ――陛下、わたくしは王家を尊びます。
 
 ――でもそれは、誰かを犠牲にしても守るべき“尊厳”ではありませんの。

 ルシアン殿下が失墜したのは、偶然でも陰謀でもございません。

 己の傲慢と怠惰が生み出した、自業自得の結末ですわ。

 窓の外、遠くノクターン邸の緑に沈む空を見つめながら、わたくしはそっと、胸の奥にある“決意”の結晶を掌で確かめました。

 すべての人に与えられるわけではない、もう一度立ち上がる機会。
 
 ジークには、それがありました。

でもルシアンには――ありません。

「とは言え……陛下が仰るなら、考慮しなくてはいけませんけれど」

 紅茶の香りがほんのりと立ちのぼるサロンで、わたくしは書簡を手に優雅に微笑みました。

 その手紙には王の筆跡で綴られた、ある意味で“非常に人間らしい”願いが書かれておりました。

 父親としての誇りか、王としての義務感か。
 
 あるいは、息子を失墜させた責任を僅かばかりでも果たしたいという思いか。

 そのどれかはわかりませんし、全部かもしれません。

 けれど。

「まずは、己の不徳を認識なさいませ」

 わたくしは小さく呟き、書簡を閉じて金の留め具で止めました。

 ルシアン殿下の所業は、一時の過ちなどではなく、年を重ねて培った人格そのもの。
 
 誰かが一度や二度たしなめたところで変わるものではありませんわ。

 むしろ、それを見過ごし、誰も本気で叱らなかったことこそが罪。

「“王子”とは、与えられた称号ではなく、背負う覚悟でございますのに」

 あの方は、その重みに一度たりとも自らの足で立とうとしなかった。

 彼が崇めた“権威”という玉座は、誰かの思惑と利害で支えられていたもので、自らの魂で築いた王座など、どこにも存在しておりませんでした。

「――旦那様」

 わたくしは背後に気配を感じ、振り返りました。

 カイルが静かに扉を閉じ、まっすぐにわたくしの隣へ来て立ちました。

「……書簡は見た。これ以上はノクターンとして何かを求めることはしない。ただ王家として……適切な対処を望む」

「そうですか」

「……それが私の答えだ。とは言え君に来た書簡だ好きに返事を書くといい」

 わたくしはその言葉に少しだけ笑い、目を伏せました。

「……たしかに、答えはもう出ておりますわね」
 
 ――今回の件でノクターンから報復はしない。
 ――しかし、謝罪を受け入れはしない。
 ――わたくしも、あの子を守ると誓った以上、道を曲げることはありませんの。

 その日、セバスチャンに依頼して返書を準備させました。
 
 内容は至って簡素で、こう書き記しました。

《―ご依頼の件、検討いたしました。―
 ―ノクターンとしてはこれ以上事を荒立てるつもりはございません。―
 ―ですが現時点で特別な執り成しの必要は認められません。―
 ―今後の処遇は、王家としてご判断くださいませ。―》

 文末に、ノクターン公爵夫人セシリアの花押。
 
 それがすべての“答え”となりました。

 ◇
 
 王都を南に下る街道は、いつもなら貴族の馬車が行き交い、衛兵たちの姿が規則正しく並んでいるものですが、その日ばかりは、静まりかえっておりました。

 その中を、ひときわ立派だったであろう馬車が、まるで何かを拭い去るようにして、速やかに遠ざかっていきました。

 窓のカーテンは下ろされたまま。
 
 中にいる人物は、その顔を誰にも見られぬよう、ただ黙したまま退場していったのです。

 第二王子、ルシアン・グランベール。

 王位継承権を最下位まで落とし辺境の小さな村の代官に任命されたそうです。

 形式的な言い方をすれば、それは“実質的な王位継承権の返上”という形になる処罰。
 
 あの方が行ってきた裏工作、圧力、暴力、そして無数の“見下し”がようやく重みを持って処断されたというだけのことですわ。

「……終わりましたのね」

 わたくしは、カイル様の隣でそう呟きました。

 風がそよぎ、初夏の草花が優しく揺れる中、ノクターン邸の中庭は穏やかそのものでした。

「……けじめはついた」

「ええ……けれど、それでも、あの子にとっては意味のあることですわ」

 わたくしは、ふと視線を前にやりました。

 ジークフリート・グランベール第四王子。
 
 いえ、もはやわたくしたちにとっては「ジーク」という名前の、ひとりの大切な家族。

 彼が今日、ノクターンの“留学”を終え、王城へと戻っていくことになったのです。

「……我は、もう一度“王子”を演じねばならぬのだな」

 玄関前で、やや寂しそうな笑みを浮かべるジークに、わたくしは優しく頭を撫で微笑みかけました。

「“演じる”のではなく、“務める”のですわ、ジーク殿下。貴方の言葉で、行動で、これから信じてくれる人々のために」

「……ふむ。……そうか。……では、我は務めよう!!“笑われる”のではなく、“敬われる”王子としてな!」

 そう言って彼はくるりとマントを翻し、凛とした姿勢で馬車へと向かいました。
 
 わたくしたちの元で培った背筋の伸ばし方、礼の仕方、歩き方――すべてが、半年とは思えぬほどの成長を示していました。

 そして彼は、最後に振り返り、こう叫びました。

「ならば我は、家族に笑われないようにせねばなるまい!!」

 そうですわ、あの子にとってノクターン家は“家族”。
 
 血ではなく、心で結ばれた“本当の居場所”。

 その言葉に、ルネが頷き、レオポルドが敬礼し、アレクがハンカチを振り回しながら「ブラーヴォォ!」と叫びました。

 ミレオはいつも通り穏やかな微笑みを浮かべ、トーマスは背筋をぴんと伸ばして「いってらっしゃいませ」と深く頭を下げました。

 リリアナは、最後まで彼のマントを掴んで離さず、「ぜったい、かえってくるの!」と涙目で叫んでおりましたが……。
 
 ジークは困ったように笑いながらも、ひとつ頷いて「約束だ」と言ってくれました。

 きっと、あの子なら大丈夫。

 わたくしは、そう確信致しました。
 
 ノクターン家から旅立つ、かつて笑いものにされていた“魔王(笑)”ジーク・グランベール。

 今はまだ小さな炎かもしれません。
 
 でも、彼はいつか、世界を照らす松明になるでしょう。

「……行ってらっしゃいませ、ジーク」

 わたくしのその呟きは、微風に乗って、どこまでも静かに、あの子を包み込みました。
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