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第22話 聖女の病

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 私は、その日の晩から体調を崩した。動けない程の重症ではないが、発熱で身体が重く食欲もあまりない。ゲーム内で語られるヒロインの一学期末の様子と重なって、精神的なダメージの方が大きいかもしれない。
 
 ゲームは歪んだ形をして一ヶ月も前倒しで始まった。私は守ってくれる攻略対象者との出会いもないまま、学期末のイベントに飛ばされたようだ。

 すぐに『聖女の花』に魔力を送り込んで薬を作り出したが、飲んでも効果は感じられなかった。


 何日家に引き篭っていたのだろう。頼みの綱だった解熱剤を飲み切ってしまって、私はフラフラする身体を引きずって家を出た。春の日差しが眩しすぎて辛い。薬が残っているうちに買いに来るべきだったと悔やんだが、神官に出くわす危険を侵す気になれなかったのだから仕方ない。

 なんとか、冒険者ギルドまで行き着いて、いつもより重く感じる扉を開けた。

「ジャンヌちゃん、ちょうど良かった!」

 よく知る受付のテレーズの声が聞こえてきたが、女性らしい高い声が痛む頭に響いて反応も出来ない。近くの壁に縋るように寄りかかると、いくつかの足音が近づいてきた。

「どうしたの? 具合悪い?」

「少しだけ熱があって、それで熱下げの材料が欲しいんです」

 テレーズの言葉に、顔を上げられないまま返事をして材料のメモを差し出す。

「分かったわ。すぐに用意するわね。とにかく、座って。ちょっと、あんた達。席を譲りなさい!」

 椅子から立ち上がる複数の人物の気配がする。冒険者ギルドの一角にある休憩場所にいた人たちが席を譲ってくれたのだろう。移動しようとしたら、テレーズとは違う太い腕に支えられた。

「ここで解熱剤を貰うより、医者に診てもらった方が良いんじゃないか?」

「あの……」

 戸惑いながら顔を上げると、よく知る人物が目の前にいた。赤茶色の髪に、記憶より逞しい腕……驚いて固まっていると、そのまま抱き上げられて長椅子まで連れて行かれる。

「……アラン? 幻覚?」 

 椅子に下ろされて目を擦るが、どう見てもアランだ。前より大人っぽくなった顔に触れると、くすぐったそうに茶色い瞳を細めた。

「幻覚じゃないよ。今日、この街に着いたんだ。久しぶりだな、ジャンヌ」

 私がぼんやり見つめていると、アランが私の額に手を当てる。アランの大きな手はひんやりしていて気持ちいい。

「ひどい熱だな。これってやっぱり……ごめん、俺は間に合わなかったんだな」

「アラン、本物?」

「本物に決まってるだろう」

 アランは呆れたように言いながら、着ていた上着を丸めて長椅子に置いた。促されて頭を乗せるように横になると、いくらか身体が楽になる。かけられた毛布からは、アランの懐かしい匂いがした。気が緩んで泣きそうになって、毛布を握りしめてなんとか堪える。

「アラン……」

 勝手にいなくなってごめん。ずっと、会いたかった。一人で寂しかったの。

 頭にはいろんな想いが浮かんでいるのに、うまく伝えることができない。

「ジャンヌ、一人か? 誰か一緒に行動している奴はいないのか? 一緒に暮らしてるとか、チームを組んで戦っているとか……」

「何でアランまでそんなこと聞くの?」

 神官に言われた言葉と重なって、我慢していた涙がポタポタと零れ落ちる。神官が来たときに流せなかった分も合わさって止めようがない。

「誰かに何か言われたのか?」

 アランが困った顔をして、乱暴にハンカチを押し付けてくる。ノロノロと涙を拭いていると、髪を慰めるようにゆっくり撫でられた。

「その反応は一人ってことで良いんだよな。後で怒るなよ。発症したら、なるべく早く飲ませないといけないって聞いてきたんだ」

 ハンカチから顔を出すと、アランが『聖女の花』をバッグから取り出していた。アランの赤く輝く魔力を使って『聖女の花』から作り出した薬を、促されてその場で飲み干す。自分で作ったときには苦かったはずの薬が、今日は仄かに甘くて飲みやすかった。

「熱下げの薬草、用意できました」

「……お金払わなきゃ」

 テレーズが薬の材料を持ってきてくれたようだが、眠くなってきて動く気力が湧いてこない。『聖女の花』の影響だろうか。

「ありがとうございます。俺の冒険者カードで精算して頂けますか?」
 
「このカード! いえ、すみません。すぐに精算してきますね」

 アランが代わりに対応してくれているのを、私はうつらうつらしながら聞いていた。カードを受け取るとき、テレーズが驚いているようだったが何故だろう。

「ジャンヌ? 運んでやるから、眠ってしまう前に家の場所を教えろ。宿暮らしか? 鍵もあるなら出せ」

「えっと……鍵は……小豆色のポーチに入れたかな?」

 私は愛用のバックをパカリと開けてアランの前に差し出す。アランは躊躇っているようだったが、探し始めてくれたのを動く気配で感じて、私は重くなった瞼を閉じた。

「これって……」

「うん?」

「いや、何でもない。鍵は見つけたよ。ジャンヌ?」

 まだ、家の場所を教えていない。それは分かっていたけど、睡魔には逆らえなかった。
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