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5.竜田揚げ

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 アルバイトが休みの日、優花ゆうかは『紅色ドラゴン』を抱えて鏡の中に入った。何度も繰り返してきた動作は、異世界に渡ったという感覚を鈍らせる。新幹線を使った遠距離恋愛よりきっと手軽だ。

「おかえり、優花」

「ただいま」

 見慣れた部屋に移動すると、ハヤテが嬉しそうに出迎えてくれる。最初に戻ってきたときには違和感のあったこの挨拶も、今では当たり前になっている。

「重そうだね。僕が運ぶよ」

「うん、ありがとう」

 優花が『紅色ドラゴン』をハヤテに差し出すと、彼は左手で受け取って小脇に抱えた。ハヤテは痩せてはいないが、少し顔色が悪い気がする。食事には気をつけていると前に会ったときには言っていたが、後で確認したほうが良さそうだ。

「じゃあ、行こうか」

「うん」

 優花は足の長いハヤテに小走りでついていき、下町にある馴染みの料理店に入った。ハヤテの屋敷からは遠いが、ここの店主はハヤテにあまり怯えない。会えない間に二人で寛げるお店を探しておいてくれたのだ。

「はい、紅色ドラゴンの竜田揚げね。熱いから気をつけて」

「ありがとうございます」

 優花の前に置かれたのは、言葉の通り馴染みのある『竜田揚げ』だ。ただ、『竜田』の語源は優花の知るものとは違うだろう。

「これをつけて食べるのがおすすめだよ」

 ハヤテが優花の前に置いたのは、500円玉より少し大きい桃色の鱗だった。

「これって紅色ドラゴンの鱗? ちょっと色が違うみたい」 

「紅色ドラゴンの鱗を揚げると色が薄くなるらしいよ。毒も弱くなるし、ピリッとして美味しいんだ」

「ど、どくって……毒があるの?」

 そういえば、添えられていたハヤテからの手紙にも鱗に毒があると書いてあった気がする。毒の部分は切り落として食べないものと思い、すっかり忘れていた。

「こんな感じだよ」

 ハヤテは竜田揚げの上に鱗を砕きながらかけて、そのまま竜田揚げを口の中に放り込む。食べたハヤテは平然としていて、優花のほうが焦ってしまう。

「ちょっと、大丈夫なの?」

「お酒のアルコールが毒消しになるんだ。僕は毒に耐性があるから、飲む必要もないけどね」

 ハヤテはそう言いながら、ジョッキのビールをごくごくと飲む。ハヤテが度数の低いお酒を飲むのは珍しいが、竜田揚げにはビールが合うのかもしれない。

「なんともないの?」

「もちろん」

「じゃあ、私も食べてみようかな」

 優花は恐る恐る桃色の鱗を手にとって竜田揚げの上でパリパリと割る。手についた鱗の毒が嫌で、お手拭きで一生懸命拭いた。 

「手に付いたくらいなら大丈夫だよ」

 ハヤテは楽しそうにクスクス笑っている。この世界の人は毒になれているのかもしれないが、優花にとっては笑い事ではない。

 異世界間の文化の違いには、ときどき戸惑ってしまう。それでも、食べてみたいと思うのだから、優花も自分の世界では変わっているのかもしれない。もちろん、ハヤテへの信頼が前提にある。

「いただきます」

「召し上がれ」

 ハヤテがニコニコと見守る中、優花は桃色にきらめく竜田揚げに齧り付く。脂の乗った肉を数回噛むと、遅れて感じたことのない刺激が舌に走った。 

「美味しい!」

 これが毒の刺激だろう。ジューシーな紅色ドラゴンの肉によく合う。

「気に入ったみたいで良かった。ほら、お酒もちゃんと飲むんだよ」

 ハヤテに言われて、優花は慌ててビールに手を伸ばす。飲んでみると、紅色ドラゴンはビールによく合うことが分かった。舌に残っていた刺激がなくなっているので、毒も消すことができたのだろう。

「お酒で毒を消すって、異世界だと本当にあるのね」

「優花の世界にはないの?」

「あるような、ないような……」

 お酒を飲んで消毒するのは風邪をひいた呑んべえの言い訳の中だけだ。今回も正確に言うと『消毒』ではなく『解毒』だが……

 不思議そうな顔をするハヤテに、優花は笑って誤魔化した。

「ちなみに、毒消しのお酒を飲まないとどうなるの?」

「大丈夫。大人なら死んだりする毒じゃないよ」

 優花は『子供なら?』とは思ったが、聞かない方が良い気がして、代わりにビールを流し込んだ。
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