君にことほぎ 猫にゆめ

安芸月

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第四章

野狐の幸せな記憶④

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「そうそう、優李のことはこれで片付いたとして、俺の頼みごとの方だけどな」

 リクの言葉に、那沙は嫌そうな顔を隠そうともしない。リクと数年付き合ううちに、このあやかしが面倒事を何度か持ち込んできたのである。またか――とでもいいたそうな顔をする。

「リク、私は便利屋ではない。おまえの頼みを聞く義理もない。優李だけですでに大荷物だ」

 取りつく島のない那沙の答えにも、リクはめげない。大きな体を縮めて両手を合わせると、拝むような格好をする。

「頼む、きっと夢の採取もできる。子供の夢だ、悪くないだろう? つーか優李を送り届けに来たのはついでみたいなもんで、こっちの方が本当の用事だから」
「那沙、私からもお願いします。子供の心そのものが奪われてしまうかもしません」

 那沙は少し思案するような表情になって、小さく頷いた。どうやら子供の夢という副報酬の方に興味があるようだ。優李の説得も少なからず響いたのだろう。

「話だけなら聞いてやらなくもない」
「さっすが那沙! それがな――」

 リクは海という子供に憑りついている野狐の話をかいつまんで話した。要領を得ないところは優李が言葉を補填してどうにか那沙に全貌が伝わる。

「面倒だ」

 話を聞いた那沙の回答は、実に短いものだった。

「なんだよケチ臭ぇな!」
「そういうのは検非違使けびいしに頼め。捜査一課は人の世のあやかし問題も対処してくれる」
「検非違使かぁ……」

 リクが不満そうな声でつぶやいたので、優李は検非違使なるものについて気になった。いったい、何者なのだろうか――
 優李は遠慮がちに手を挙げて質問する。

「あの、ケビイシってなんでしょうか?」
「あぁ、人の世でいう警察のようなものだ。各四神が検非違使を保有していて、黄泉平坂はもちろん、人の世のあやかし問題も請け負っている。白虎が門番として保守の森を守っているだろう? あれも検非違使の仕事のうちだ」
「なるほど……つまり、警察……検非違使に任せた方がよいと言うことでしょうか?」
「検非違使なら問題なく祓ってくれる。そうなれば子供の方は問題ない」

 那沙の話を聞いて、優李は引っかかるものがあった。子供の方は問題ない。それなら、あの野狐の方はどうなるのだろう――

「あの、もう一ついいですか」

 優李は再び手を挙げて質問する。

「なんだ?」
「検非違使に祓われたあやかしの方はどうなるのでしょうか?」
「処分される」
「そんな……のあやかしにも、何か理由があるはずです。だって、子供の声でした。あのあやかしは、まだ子供なんです。助けを必要としているのかもしれません」

 必死に訴えかける優李に、那沙はため息を吐いた。

「本当におまえは母親に似ている――いや、希沙良よりは少々大人しいか……そのあたりは父親似なのだろうな」

 那沙は「わかった」と短く答えると、出かける支度を始めた。

「子供の野狐といったな。少々心当たりもある。見に行ってやろう」

 那沙の言葉に、優李もリクも顔をほころばせる。互いに手を取って喜び合った。

「ありがとうございます那沙!」
「おまえに礼をいわれる筋合いはないのだがな――そもそも礼ならきちんと野狐を取り祓えたらのことだろう。私はまだ何もしていない」

 那沙はそういいつつも、優李の言葉にわずかに頬を緩ませた、ように優李には見えた。
 
 那沙は棚から一つの瓶を取り出して中の夢玉を手に取った。青色をした夢玉の中──水面がキラキラと光を反射している。それを和紙に包むと、懐にしまう。

「行くぞ、おまえたちの話からすると、急いだほうがいい」

 那沙はそういって扉に手をかけた。夜になれば保守の森には害を成すあやかしが出る。まだ日は落ちてはいない、急げば日没までには向こうの世界に行けるのだろう。

 この前みたいなことさえなければ――優李はヒダル神のことを思い出した。もとは大昔の人間だったヒダル神と、あやかしの世では出会うこともある――狭間の世界は実に不思議な場所だ。
 
「よう夢屋、行ったり来たり忙しいなぁ」

 門番はまだ那沙の友人の門番だった。白虎は笑いながらも半ば呆れた声を出す。

「俺んときゃいいけどなぁ。あんまりうろうろすんなよ」
「ちゃんと役所に届け出る」
「へぇ、おまえ、こっちに移住すんの?」

 白虎は意味深な視線を優李に向けてくる。心配するような、好奇心に満ちたような――そんな複雑な視線だ。

「まだ移住までは考えてないのですが……お店もあるし……でも、こちらのことを知りたいと思います」
「というわけだ」
「へぇ、まあ、俺がとやかくいうことじゃねぇな」

 白虎はそういうと、あっさりと道を通してくれた。

 リクを先頭に進む森の景色は、相変わらずどこもかしこも同じに見える。山道があるわけではなく、草の生い茂る獣道を通って進むのだ。

「ヒダル神はちゃんと黄泉で愛する人に会えたでしょうか?」

 優李は道中そんなことを思って呟いた。あの悲しい過去を持つあやかし――ヒダルガミ。

「この山にヒダル神の気配はもうない、成仏できたのだろう」

 那沙の言葉に、優李は「そうですよね」と頷く。きっと、会えたはずだ、最愛の人に――
 
 保守の森の中は正常な空気に満ちていた。木々の間から零れ落ちる光が、霧に反射してキラキラと輝いて見える。

「那沙、どうしたらこの森で迷わなくなるのでしょうか?」

 ゆったりとした足取りで歩く那沙の横を歩きながら、優李は尋ねた。できることなら、誰の手も煩わせることなく自力で行き来したいと思う。

「おまえもきちんと役所に届け出れば道しるべと呼ばれる方位磁針を得ることができる」
「那沙も持っているのですか? リクも?」
「私は生まれつき体内に方角を正確に認識する磁性じせいを持っているので迷うことはない。リクは同じように鼻が利くから迷わない」
「なんだかうらやましいです」

 優李の答えに那沙は小さく微笑んだ。

 次第に山の端が見えてくる。竜王山を下ると、那沙は姿を消し、リクは大型犬の姿になっていた。

 そのまま町に降りると優李のすぐ隣をリードも付けずに悠々と歩く。そんな犬《リク》を見て、道行く人は怪訝な顔をした。

「リク、首輪つけよう」

 その様子に気が付いた優李が小声で話しかけると、リクはすごく嫌そうな顔をする。

「なんでだよ」
「犬にはちゃんと首輪とリードをつけないといけないのよ」

 優李の言葉にリクはぐるると唸り声を上げる。

「仕方ねぇな」
 
 リクは渋々リードを付けた。犬の散歩をしているていで町中を歩き回り、海を探す。
 あの公園に差し掛かったところで、リクは足を止めた。

「いたぞ、野狐のやつ、まだ海に憑りついていやがる」

 リクの視線の先には、ブランコに乗る海の姿があった。周りで遊んでいる子供たちとは一緒に遊ぼうともせず、虚ろな眼差してひたすらブランコをこいでいる。

「ねぇ、ブランコかわってよ!」

 一人の女の子が海に声をかけた。だが、海は黙ったままブランコに乗り続けている。

「ねぇ! ずっと乗ってるでしょう? かわって!」

 女の子がどんなに強くいっても、海がブランコから降りる様子はない。

「なんか、喧嘩になりそうだね」
「優李、止めに入れ」
「うん、行ってみる」

 優李はブランコに近づいて海に声をかけた。

「海君だよね、私たちと一緒に遊ぼう。ブランコはお友達にかわってあげようね」

 いうと海は虚ろな眼差しのまま優李をじっと見てから、リクに視線を移し、そのままゆっくりと空を見つめた。

「獏か……」

 そう、抑揚のない声で呟いて、ブランコを降りる。
 女の子はすかさずブランコに乗って遊び始めた。きいきいとブランコをこぐ音が響く。海はしばらく那沙のいる場所を見つめてから、ゆっくりと歩き出した。

 公園で遊ぶ子供たちから少し離れて立ち止ると、海は優李たちを振り向いて口を開く。

「獏、何をしに来た、まさか犬の加勢に来たのではあるまいな?」

 抑揚のない海の言葉に、那沙は落ち着いた声で答える。

「私はこの子供の夢をもらいに来ただけだ。そのためには、おまえが憑りついていては都合が悪い」
「同じことだ、そこの犬にも警告したが、私はこの子供から出ていく気はない。子供も、それを望んでいる」
「詭弁だな。寂しいのはわかるが、人に頼るのはよせ、おまえの悲しみは、おまえ自身で乗り越えるしかない」

 那沙の言葉に、海に憑りついた野狐は怒りを露わにした。海の目は吊り上り、欠けそうなほど歯を食いしばっている。

 那沙は、この野狐のことを知っているのだろうか──

「おまえになにがわかる!」
「わかりはしない、だが、おまえのやり方は間違っているといっているだけだ」
「うるさい!」
「おい、那沙、あんまりたきつけんなよ!」

 心配そうにリクがいう。いつもの威勢はどこへやら、なんだかおろおろとしている。それは優李も同じだ。那沙は、どうしてそんなにも野狐を煽っているのだろうか――?
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