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6 イタズラっぽい雪女の息子
しおりを挟む「にん……げん……さま……」
一言話すごとに、ぼんぼんぼん、とたぬきの体積が増えてゆく。
そして天井近くにまでなると「まあた、勝手に業務進めてやがったなアンの悪戯小僧めーーー!!」と雷のような声で怒ったのだ。
天井からは複数のヒトダマが降りてきてはじけると「うるさいぞ!」と複数人の声がサウンドし、ポンと元に戻った小たぬきが「失礼しましたあ」とかわいこぶった。
すっきりとした顔をしており、怒りを発散したのでこれでおしまい、と言わんばかりだ。
(無理だ)とリツカは思う。(こんな人たち……ううん、あやかしたちと同じところで住んでいけるはずがない。今の大声の恐ろしいこと。灯火のわけがわからなさ。不安で足がすくんでしまう)
「ありがとうございましたあ! あのね、リツカさん……」
「待って、たぬたろう」
ひょいと登場したのはユキだ。
彼の声がするまで気配を感じることもできなかった。
リツカの方を見てにこりとすれば、受付で見た爽やかな男子という評価は一転、現実味のない美しさがかえって化物じみていた。
(いや、そんなことを思う私は嫌)とも思うし、
(でも恐ろしい思いをしたのは事実じゃない)と幼いリツカなら正直に言うだろう。
「たぬたろう。リツカさんを怖がらせてしまった後です。平成の世には大きく膨れ上がるたぬきも、鼓膜を叩くほどの大声もありえません。自分の気持ちで声をかける前に、彼女のために言うべきことがあるはずです。あー、察せなさそうなので言うと、謝った方がいい。その気持ちはあるはずですし」
「怖がらせちゃってごめんなさあい!」
リツカはすぐには、いつものような「いいですよ」を口にできなかった。
さっきまで「おかしなあやかしの容貌」の想像が膨れ上がっていた。
人魚姫などと聞いたときには、幼稚園で使われている紙細工のようにポップな想像をしていたが、たぬたろうを見た後となっては、実在の魚の体や大鼠など、リアルだろうしグロテスクなのかもしれないと恐れが生まれた。
生物図鑑を眺めるくらいはできるが、ナマモノを堂々と触るほどの勇気はなく、生理的嫌悪のようなものを抱かせるあやかしもいるだろう。
それらを前にしたときに、リツカはまた”嫌な自分”になってしまいそうでもあった。
たぬたろうと呼ばれた小柄なたぬきの少年は、キューン、と鼻を鳴らしてリツカを見上げた。
少年……人間らしい容貌を前にしてしまうと、警戒心はほどけて、さっきまでの嫌悪感が薄まる。
リツカは冷静に(退居を考えたくらい不安だった)と(見慣れないだけで悪いたぬきじゃなかった)を比べた。
ようやく、頷くことができた。
ぱあああ、とたぬきの頬が染まった。
「これからも教えて欲しいですう。人間様の想像力、適応力、縁を繋いでゆく努力をボクは尊敬しています。リツカさんっ」
「たぬたろう。その前に、人間様だからではなくリツカさんと呼んで差し上げないと失礼になるよ。彼女が上手に話してみせるのは、人間だからだけでなく自ら身につけてきたものなんだから。他の人間でもできることじゃないはずだ。それに、ほら」
意地悪なのか、イタズラ小僧なのか、親切なのか、多面すぎてわからないユキを複雑そうに見ていれば、リツカの足元が指さされる。
「あんまりにも人間様なんていうもんで、膝から下が透けている」
「きゃーーーー!?」
「あんれまあ。リツカさーん、リツカさーん」
この領域は人の世からわずかに離れたところにある。人の世ではあたりまえのように地に足つけていられる存在も、ひとたび”認識されない存在”になってしまえば、存在感が消えるだけでなく存在そのものが薄くなってやがて消えてしまうのだ──。
そのようなことをユキから説明を受けながら、うつつなリツカは「リツカさーん!はいみんないっしょに!」と不思議な住人たちからも名前の呼応を受けるのだった。
これにより透明になりかけていたリツカはまた姿をはっきりとさせることができた。全住人に認知されてしまったことと引き換えに。
(お母さん。このアパートハナミズキでの鍛錬は過酷すぎやしないでしょうか。私、やっていけるのでしょうか。また手紙を書きますね……ああそれから。書きたくないことがあります。でも書かなくてはいけませんね。
化けたぬきの100代目たぬたろうくんから、受付業務のバイトをしてほしいと相談をされました。アパートの規約によれば相談事にはみんなで対処をしましょうとありましたから、引き受けておきました)
この手紙は烏(カラス)の嘴にて届けられた。
切手も貼られていない手紙を私室で見つけた母は訝しんで部下に捨てさせようとしたが、書かれているのが娘の字であったので覗いてみることにした。
"しばらく会っていない娘がどのように過ごしているのか、旅館の部屋から一歩も出ていない娘はどのような主張をしてくるのだろうか、と見ておかなくてはならなかったのだ。母として。"
「どういうことなの!? 娘は精神的におかしくなったに違いないわ……」
手紙をぐしゃりと折らないまでも、顔を真っ赤にして唇を噛み締める。
部屋の隅で待機していたマネージャーは戸惑ったように返した。
「社長の判断で他所に泊まることにされておられたではありませんか」
「そんなはずないではないの? ああ、わからないわ。わからないわ。
わたくしが分からないはずがないわ。娘がいなくなっているのだとするならば、それは情報伝達の誤解があったに違いないわ。どうしてわたくしの指示だと思われたのかは、想像を飛躍させてしまうあの子の悪癖によるもので説明できる、和紙は上等なもので書かれた筆跡もあの子のものに間違いなく、落ち着いて書いている様子……。安全な場所にいることは確かでしょう。
この旅館に手紙を侵入させる防犯状態ではいけません、安全でないとお客様に安心していただけない。予算を組みますわ。協力した車が旅館から出ているはずです。敷地内の運転手名簿を洗い追求せねば。それから……どこ? アパートハナミズキ? そのような辺鄙な名称のところに娘がいるなんて! 連れ帰ってあげないといけません!」
障子には蛇のような影と、鬼のような影がからみあい、社長の影をおそろしく大きく見せていた。
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