上 下
7 / 59
第一章《滴る絵》

7、漆原さんの違和感

しおりを挟む
「そういえば、何か聞きたいことがあったんじゃなかった?」

思い出したように社長がいい、私はハッとした。
そうだった!
今日漆原さんに付いてきた最大の目的をすっかり忘れていた。
「馬鹿め!」と言うヨキの声が聞こえる気がするわ。

「そ、そうなんです!あの絵の作者の情報が、何かあればと思いまして……何でもいいんですけど……」

尋ねたものの、答えはもうわかっていた。
社長はあの絵に対して、興味もなければ関心もない。
これでは、作者なんてわかるわけないし、ましてや、絵の場所なんて知っているはずがない。
一応聞いてみたのは「忘れずに聞きましたよ?」という私の免罪符のようなものだ。

「あの絵について?すまないけどあまり知らなくてね」

「ですよねー……」

「あ、でも……そういえば妻が言っていたな。亡くなった遠縁の人は、旧姓が四宮っていう元華族様だったって」

「えっ!」

いきなり出てきた重要情報に、私は身を乗り出した。

「全く興味がなかったから今まで忘れていたよ。別に妻の遠縁の人のことなんて話されても、ね?」

社長はハハッと笑いながら、続けて言った。

「それなのに、妻はやたらとその話をしたがるんだ。四宮さんはどうとか、どこに住んでいたとか……」

「どこに住んでいたんですか!?」

これは、かなり有力な情報になるのでは!?
と、私は更に身を乗り出し、社長との距離を詰めた。

「い、いや。だから……覚えてないよ。興味ないから」

「あー……そうですか」

乗り出した身を戻しつつ、心の中で舌打ちをした。
身重でナイーブになっている妻の話を聞いてあげないなんて、夫としてどうなのよ!
と、本件とは関係ない悪口も添えて。
すると、私の据わった目を見て慌てた社長は、すかさず代替案を出してきた。

「ど、どうしても知りたいなら、妻に聞くといいよ」

「あっ!なるほど、そうですね!聞いてみてもいいですか?」

それもそうだ。
興味のない人間にいくら聞いても無駄である。

「う、うん。家の方にいると思うから行ってみればいい。どっちにしろ漆原くんも、彩子あやこに会いに行くだろう?」

「ええ。奥様に判を頂かなくてはならないので。では、円山さんも御一緒に」

漆原さんはにっこり笑って私を見た。

それから社長室を出て、私達は舘野社長の自宅に向かった。
漆原さんは売却の段取りで何度か訪問したことがあるらしく、自宅まではそんなにかからないことを教えてくれた。

「円山さん、どう思います?」

「は、はぃぃ?」

突然の問いかけに、私は間抜けな声を出した。
どう思う?も何も、質問の意味がわからない。

「実はね、舘野建設、経営が危なかったんですよ」

「え……えっ?そうなんですか?」

「はい。でも、奥さんの遠縁の資産家夫人が亡くなってから、会社が突然持ち直して……」

その話を聞いて、漆原さんが眉根を寄せた原因を理解した。

「ひょっとして、そこに事件性があると思ってるんですか?たとえば……たとえばですよ?会社を立て直す為に、資産家夫人を殺害し遺産を横取り、とか?」

自分で言って怖くなった。
今私とヨキは絵の謎について調べている。
その件に殺人事件が絡んでいるとなると、ヨキの言う残滓には恨みや憎しみが籠っているのでは?
絵の中に入れること自体オカルトなのに、更なるオカルトは勘弁して貰いたい。
私は呪われたくはないのよっ!

「そこまでは勘繰ってませんけど。実際調査しましたがクリーンなものです。資産家夫人……樫村八重さんは末期ガンで……最後は病院で亡くなってますし」

「えっ!?」

いきなり殺人事件の線は消えた。
つまり、更なるオカルトはない。
私は少しホッとした。

「でも、どうしても、何かあるのかな?って考えてしまうんですよねー」

「いきなり羽振りが良くなったら、誰だって疑いたくなりますよね。でも、やっぱり考え過ぎですよ!」

「そうですよね?うん。そうだ。うん」

漆原さんは、自分を納得させるように何度か頷くと、運転に集中した。

舘野建設を出てしばらくすると、車は高台の住宅地へとやってきた。
そこは敷地の広い閑静な住宅街で、上流層が住んでいる所のようだ。

「着きました」

車が止まった家は、白い可愛い家で、表札に舘野と書いてある。
漆原さんと私は、車を降りてインターフォンを鳴らした。
しかし、二度三度と鳴らしてみても、中からは物音一つしない。

「あれ?お留守かな?」

漆原さんは併設されたガレージを覗き込んだ。

「軽自動車がないな。お出かけみたいだ」

「大きなお腹で運転を!?大丈夫なんですか?」

「いや、僕に聞かれても……逆に円山さんに聞きたいくらいなんですが」

漆原さんは、困ったようにこちらを見た。
いや、私に聞かれても困る。
妊婦になったことはないし、その辺の知識は皆無だ。

「経験ないのでわかりませんけど……でも、いないというのは事実ですから、出直した方が良さそうですね」

「そうですね。あー、失敗した!電話してから来るべきでしたね」

漆原さんは頭を抱えた。
それもそうだ。
パーフェクト営業職にあるまじき失態ですね?
普段ならそうツッコミをいれるところだけど、今回は便乗しただけなので余計なことは言わない。

「じゃあ今日は帰りましょう。次はちゃんとアポとりますから。是非また円山さんもご一緒に!」

「はい。よろしくお願いします」

最初よりも打ち解けてきた漆原さんに、私はにっこり微笑んだ。
しおりを挟む

処理中です...