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第三章《呪われた絵》

2、噂をすれば……

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「不動産屋ではないか?」

「たぶんね」

私達は軽く目で合図をかわした。
ヨキは私の膝から降りて、前のソファーに移動した。
人の形になるのが面倒な時は、こうやって猫の姿のままでいる。
猫又の姿だと、私以外誰の目にも触れず楽だし、妖力も節約できるのだ。
お兄さんは?と聞かれても「外出してます」で済む。
ソファーで丸くなるヨキを見ながら、私は衝立からヒョイと顔を覗かせた。
漆原さんなら、わざわざ出ていく必要はないかな、と思ったのだけど……。

そこにいたのは、漆原さんではなかった。

「……どっ……どうして、ここに?」

私の驚愕の声を聞いて、ヨキがサッと身体を起こし、警戒体勢をとる。

「……久しぶり……芙蓉……」

ばつが悪そうに笑ったのは、さっき話に出た元カレ……織井おりい研吾だった。
噂をすればなんとやらなのか。
それとも、やはり茶柱の魔力なのか。
何かそら恐ろしいものを感じていると、ヨキがドロンと人の形になった。
私の動揺を感じ取って、助けてくれようとしているのだろうか。
良かった……一人で対処するには突然すぎて、無理だ。

「芙蓉。どうした?客か?」

「あ、う、うん。そうみたい」

衝立の後ろから、ゆっくりとした動作でヨキが立ち上がる。
私は視線を泳がせながら、歩いてくるヨキの後ろに陣取った。

「いらっしゃいませ。当画廊に何かご用ですか?」

ヨキの言い方は丁寧だ。
でも、重い。
いつも漆原さんと接している時の様子とは少し違う……って、私もそうなんだけど。
ヨキに威圧された研吾は、一瞬たじろいだ後、今度は負けじとはっきりと言った。

「ええ。実は、藤山美術館の館長から、こちらを勧められたんです」

「館長が?何で?」

私はヨキの後ろから口を挟んだ。
それは、わざわざ私に会いに来たんじゃなかったという安心感と、単純に館長がどうして円山画廊を勧めたのか、という疑問からだった。

「絵のことで相談に行ったんだよ。そうしたら、円山画廊のオーナーが詳しいって言われてね」

「詳しいって……何に?」

私はヨキを見上げた。
彼にもさっぱり見当がつかないらしく、首を傾げている。
そんな私達二人の前で、研吾は手に持っていた頑丈そうな紙袋から、小さめの四角い物を取り出した。
不織布で丁寧に包まれた四角い物。
研吾がゆっくりと不織布を開いていくと、中には一枚の絵があった。

「油絵?……男子生徒の自画像かな……?若い子が描いたって感じの荒くて強いタッチだね」

「そうだよ。俺の生徒……美術部の子が描いたものだ」

研吾は懐かしそうに、でも、少し悲しそうに呟いた。
これは、何か込み入った事情がありそうだ。

「取りあえず……どうぞ?こっちに座って?」

そう促すと、研吾は「うん。ごめん」と力なく言った。
その顔に私は驚いた。
さっきは動揺して気づかなかったけど、良く見ると顔色は悪く、疲れている気もする。
付き合っていた頃は、ハツラツとしていて自信たっぷり、嫌味なくらい何でも出来る男だったのに。
会わなくなって半年しか経ってないけど、こんなに変わるものなのかな?
それほど、世間は厳しいってことなのだろうか?
私、美術教師にならなくて良かったかもしれない。
ヨキのお腹を撫で回す毎日の方が断然健康にいいからだ!

そうして、ヨキと研吾と私は、応接のソファーに座って話を始めた。
口火を切ったのはヨキだ。

「まず、何の相談に藤山美術館へ行ったのか、聞いてよいか?」

「はい。あ、その前に……失礼ですが、あなたはどなたでしょうか?ここのオーナーは芙蓉ですよね?」

研吾が尋ねた。
その様子は挑戦的にも見えた。

「……うむ。オーナーは芙蓉だ。私は芙蓉の兄、ヨキだ」

「あれ?……お兄さん、いたっけ?」

研吾が鋭く私を見る。
あ……。
思わず声が出そうになったのを、必死で呑み込んだ。
研吾は私の家族構成を知っていた!
海外を渡り歩く美術商の両親と、全寮制の男子校にいる十六歳の弟。
画廊をしている祖父のことも話していた。
つまり、と知っているのだ。

「あ、の、え……とね。いとこのお兄さんよ!もう、兄みたいなものだから、兄って言っちゃうのよね?ね?ヨキ!?」

「お!?……おう」

事情のわかっていないヨキは、一度面食らって頷くと、すぐに状況を理解した。

「すまぬな。言葉が足りなかったようだ」

「……いえ、そうですか。いとこのお兄さん……ですか」

研吾はふぅんと軽く首を捻った。

「それで、研吾。今度はヨキの質問に答えてくれない?」

疑問を追求するヒマは与えない!
私が本題に戻りつつ、話題を逸らすと、途端に研吾は歯切れが悪くなった。

「あ、うん……藤山美術館へはこの絵の相談に行ったんだよ」

「この絵?普通の絵だよね?」

私は応接テーブルに置かれた絵を見た。
上手いと言えば上手いけど、特に何の変哲もない自画像。
ただ、一つ思うのは、何か訴えてくるような迫力があると言うことだ。

「普通じゃないんだ。これ、呪われてるんだよ」
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