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(…二度と浮気なんてさせない)

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「陸斗のばか!もういい、浮気してやる!!」


叫んで部屋を飛び出した。

もう限界だった。3ヶ月前、告白したのは俺、水谷葵の方。玉砕覚悟で、きっぱり諦めようと思っていたのに。陸斗は俺を受け入れてくれた。

大神陸斗は一緒に映画サークルに属している俺の同期だ。クールなイケメンと騒がれていた陸斗とは映画の趣味が合ってよく話していた。だがふとした時の優しさや笑顔に、いつの間にか俺は恋に落ちていた。

付き合い始めて3ヶ月。俺たちの関係は何も変わらず俺は不安を覚えていた。

今日、陸斗の家で一緒に映画を見たあと──キスを、しようとした。けれど唇が触れる直前で陸斗はごめん、と言って俺を拒んだ。

その瞬間気づいた。陸斗から一回も「好き」って言われてない。

でもさ、俺のことが好きじゃないなら。


初めから夢なんて見させないでほしかった。


「どうしよ、これから」


勢いでああ言ってしまったが、陸斗以外とどうこうなりたいなんて1ミリも思わない。

しかもよく考えたら、俺がもし本当に浮気しても陸斗は痛くも痒くもないじゃないか。顔色一つ変えずに「…好きにすれば」って言われるのが関の山だ。だってあいつは俺のことなんか好きじゃない。

何なら面倒くさい俺と離れられてせいせいしてるのかな。


「ゔー……」


べそをかきながらとぼとぼと歩く。マンションの側まで来た時、近くの茂みからがさがさと音がした。

何だろうと覗き込もうとした瞬間、黒い影が目の前に飛び出した。


「うわあっ……て、わんちゃん?」


黒い毛並みをした犬だった。俺の膝くらいまでの背丈のその子は、犬というよりは狼に近いような、シャープな風貌をしている。俺の姿を認めるなり足元にやってきて、わん、と一言低く鳴いた。


「…かわいい」


懐っこいのかな。首輪がないので野良犬のはずなのに、やけに毛並みがつやつやしていて高貴な感じだ。しゃがんで目線を合わせれば、黒くて綺麗な目が俺を静かに見つめた。

どことなく雰囲気が陸斗に似ている。


「ねえ、うちの子にならない?」


気がつけばそんな言葉が口をついていた。


「俺と浮気しよっか」

 

***



撫で撫でなでなで。すごい。めちゃくちゃ手触りが良い。

家にわんちゃんを連れ込み、風呂でわしゃわしゃ洗って乾かすと、わんちゃんの毛並みは更にさらさらつやつやになった。膝にわんちゃんを乗せてひたすら撫でる。


「ばか陸斗。ばか。きらい…になれたら苦労しないよ……」


深くため息をつく。こちとら好きだと自覚してから毎日毎日陸斗のことを考え続け、会話するたび動悸が止まらず、笑顔を見るたび心臓が止まっていたのだ。


「会いたいなあ」


独りごちた言葉は空気に溶けた。顔を上げたわんちゃんと目が合う。するとわんちゃんは伸び上がって、俺の頬をぺろりと舐めた。…慰めてくれてるのかな。ほんの少しだけ心が軽くなる。


「よし、今夜はぱーっと飲む!」


やけくそ気味にわんちゃんに向かって宣言する。やけ酒だ、とキッチンに向かい、冷蔵庫からビールを三本ほど出す。残り物で簡単につまみを何品か作る。そうしてお酒とつまみをお盆に乗せ、リビングに戻ると。


「え、」
  


どことなく不機嫌そうな陸斗が、俺のベッドに腰掛けていた。全裸で。



ドンガラガッシャーン。持っていたお盆が床に落ちる。

いや何で?裸見ちゃった。どうやって?…筋肉すごいな。わんちゃんは?俺まだ酒飲んでないよね?まじか、陸斗だ。

驚きと疑問と驚きと、それから隠しようのない嬉しさがごちゃまぜになって、俺は鯉のように口をぱくぱくさせた。しばらくそうしている内に、ふと我に帰る。


「陸斗!風邪ひいちゃう!」

「…そこ?」


せめてバスローブでも着せようと、急いで洗面所へ向かった。



***
  


「……悪かった」


結論から言うと、陸斗=わんちゃんだった。陸斗は狼男の末裔で、動揺すると狼の姿になってしまうらしい。まじか。世界は広い。


お化け屋敷とかやばくない?いや、別に。へー俺なら一発アウトだなあ。訓練したから、生半可なことじゃ驚かない。おお、さすが。


みたいなことをつらつら話していると。


「気持ち悪くないのか?」


酷く不安そうに陸斗が聞くから、俺は思わず首を傾げた。


「なんで?可愛かったよ、わんちゃん」

「……狼だ」


陸斗は安心したように、でもちょっと拗ねたみたいに呟いた。その表情がどうしようもなく愛しくて微笑みがもれる。


「そういえば、なんで今日わんちゃんだったの?」

「お前が、浮気するなんて言うから」

「え」


聞いた途端両目からぽろぽろと涙が零れた。違う、悲しいんじゃない。ただ愛にしては大きすぎる感情で胸がいっぱいで、溢れ出るものが止まらない。  


「葵」

「ななな、何でしょう!」

「こっち向いて」

「いや今ひどい顔をしてるというか、とてもじゃないけど陸斗に見せられな」

「可愛い、好き、葵」


両頬を手で包まれる。近づく顔に心臓が撃たれたように跳ねる。そのままゆっくりと唇が重なった。

陸斗の体温が酷く心地良い。一度で離れていく唇を追いかけて、角度を変えて、何度も何度も。触れるだけのそれに酷く酷く満たされる。 


ちゅ、と音を立てて顔が離れた。


「陸斗、りくと」


顔が真っ赤な自覚がある。まだ潤む目で、ただ胸に渦巻くこの感情を、少しでも伝えたくて。何度も陸斗の名前を呼ぶ。


「……不安にさせてごめん」


頭を撫でられ髪を梳かれて目を細める。ぎゅっと抱きつけば陸斗の両腕が背中に回って、強く引き寄せられる。耳元で陸斗が呟く。


「俺はこんなんだから、葵に体質がばれて気持ち悪がられるのが、怖くて」

「…そっか」

「ごめん」

「いいよ」


でもね、と、俺は陸斗の顔を覗き込む。黒い目が俺を見つめる。うん、やっぱり綺麗だ。


「俺は、どんな陸斗も大好き」


瞬間ポンッと軽い音がして、狼が現れた。


「…………ごめん」


ばつが悪そうな声に、俺は思わず笑う。狼になった陸斗の首を抱きしめた。


「ううん、嬉しい」


だって俺は、心底陸斗に惚れてるんだから。
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