碧き世界のサルバトーレ

横浜あおば

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Ep.1

第9話 綺麗な海が好きだから

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 オトへの憎悪を膨らませて不敵な笑みを浮かべるフロリダと、その隣で悄然と立ち尽くす凪沙なぎさ。そんな二人の元に足音が近づいてきた。この図書館の受付の女性だ。

「どうされました? 何か揉め事ですか?」

 問われてハッとする。
 先ほど凪沙は、フロリダの暴走を止めるべく大声を出してしまった。それが静かな図書館の中に響き渡っていたのだ。

「いえ、大丈夫です。ご迷惑おかけしました……」

 無理やり笑顔を作って、騒がしくしたことを謝罪する。

「そちらのお客様と何かあったのでは?」
「別に何も」
「当施設で問題が発生した場合、対応する義務がありますので」
「本当に何も無いですから」
「そうですか。なら良いのですが……」

 まだ訝しんでいる様子だが、とりあえずは誤魔化せたらしい。

「引き続き規則を守って、譲り合ってご利用下さいね」

 受付の女性が立ち去るのを見送って、凪沙はホッと息を吐く。
 私の隣にいるのが海異かいいであると気付かれずに済んで良かった。
 やはり正体を隠すにはフードを被るのが一番だと改めて感じる。

「あの、フロリダさん。ここだと色々と目立っちゃいそうですし、場所を変えませんか?」

 説得するのも勿論だが、他にも訊きたいこと話したいことが山ほどある。長時間話をする場所として図書館は不向きだ。
 凪沙の提案に、フロリダは構わないと首肯した。

「でも、どこがいいだろう? 黒の広場は人が多いし、かと言ってお店に入る訳にもいかないし……」

 移動すると提案したは良いものの、じゃあどこに行けばいいのやら。
 人目につかなくて、ゆっくりお話できる場所……。

 うーんと唸る凪沙に、フロリダが口を開いた。

れの住み処などはどうだ? 貴様が良ければだが」
「フロリダさんの、お家……?」

 予想外の言葉が飛び出してきて、きょとんと首を傾ける。

「家なんて立派なものではない、ただの地下水道の一角だ。だが絶対に誰の目にも付かんぞ」

 地下水道とはフロート(浮島)の内部に張り巡らされた暗渠のような水路で、海水を処理した真水を各家庭に供給するための重要なインフラである。しかし一般の人間にとってはどこに敷設されているのかも、どの程度の長さがあるのかも分からない謎の空間。
 人が立ち入ることがほとんど無い、隠れ家としては絶好の場と言えるだろう。

 確かにそこなら、落ち着いて話は出来そうだけれど。

「だけどそしたら、私に場所がバレちゃいますよ?」

 凪沙は誰にも知られていないフロリダの住み処の場所を知ってしまうことになる。
 それは王都に潜んで活動する海異からすればトップシークレットのはずで。
 私、ちゃんと生きて帰れるのか……?

「心配は無用だ。貴様の安全は保証すると言ったろう? 吾れが許したのだ、場所を知られるのは構わん。但し他人に口外するな。この約束を破った時点で貴様を敵と見做す」
「分かりました。もちろん誰にも言いません」
「ならば契約成立だ。付いて来い」

 図書館を後にした凪沙は、フロリダを追って暗く狭い路地を進んでいく。

「フロリダさん、よく迷いませんね? もしかしてこれも海異の特殊な力とかですか?」

 あまりにも代わり映えしない風景に、私は自分がどの方角を向いているのか完全に方向感覚を失ってしまった。

「いいや、能力などではない。単純にこの都市の道を全て記憶しただけだ」
「えっ!? それ天才じゃないですか!」
「そうか? この程度人間にも出来るだろう」
「いやいや、無理ですって」

 王都の広さは四百平方キロメートル弱で、ほぼ高松市と同じくらいの面積。
 仮に高松市内の道路を全部覚えろと言われても、凪沙の頭では到底不可能だ。
 それをさも簡単なことのように言うフロリダは、やはり化け物である。

「まあ、吾れには覚えておかなければならない事情があったからな。一つは人目を避けて移動するため、もう一つは騎士軍に見つかった時に最短距離で逃げるためだ」
「覚えていなかったら、万が一の時に命取りになると」
「そう言うことだ」

 やがて路地に光が差し込んできて、狭い水路とそれに架かる橋が見えた。近づくにつれ、この景色に見覚えがあるように思えてくる。
 そうだ、この橋は以前アーシムと舟に乗った時に、私が頭をぶつけそうになった橋ではないか。

 あの時の出来事を思い出してしまって、込み上げてきた恥ずかしさと戦っていると。

「あっ、フロリダおねーちゃんだ!」

 まだ六歳か七歳くらいの幼い女の子がフロリダの元に駆け寄ってきた。

「こんにちは、コッツァ。今日もゴミ拾いをしているのか?」
「うん、そうだよ! 海はキレイじゃないとイヤだから」

 海異の放つ独特な雰囲気に畏怖することもなく、無邪気な笑顔を見せる幼女。
 水に濡れたペットボトルや食品トレイが詰め込まれたポリ袋を持ち上げて今日の成果をアピールする女の子に、フロリダも微笑を浮かべている。

「フロリダさんの知ってる子ですか?」

 凪沙の問いかけにフロリダが頷く。

「ああ、この娘はコッツァだ。綺麗な海を守るため、いつもここでゴミ拾いをしている健気な娘でな。全ての人間が悪では無いと吾れに気付かせてくれた大事な存在だ」
「へぇ、そうなんですね」

 つまりフロリダが為政者に天罰をという考えに至ったのは、コッツァの影響ということか。もしこの子がいなかったら、今頃王都に住む人間は皆殺しにされていたかもしれない。これは感謝しなければ。

 しゃがんでコッツァと視線を合わせ、優しい声音で語りかける。

「初めまして、私は凪沙。コッツァちゃん、いつもゴミを拾ってくれてるみたいでありがとうね。コッツァちゃんの頑張りが、この街のみんなのことも助けたんだよ。本当に偉い」

 すると幼い少女は満面の笑顔で言った。

「どういたしまして、ナギサおねーちゃん! でもね、コッツァがゴミを拾うのはみんなのためじゃないよ。コッツァがやりたいからやってるの」
「それは綺麗な海が好きだから?」
「うん!」

 大きく首を縦に振るコッツァを見て、隣に立っているフロリダが独り言のように呟く。

「こういう純粋な心に触れたから、人間も捨てたものではないと思えたのだ」

 確かに今までの人類は利益ばかりを追求して自然環境を顧みなかったかもしれない。でも、これからの未来を作る子供が海を大切にしてくれるなら、海に棲む生物にとってそれは希望となるだろう。

 そこでふと気付く。

「そっか、それで良いんだ」
「どうしたの、ナギサおねーちゃん?」

 海洋ゴミ問題の解決こそがプラスチックを餌とする海異の対策に繋がる。だとするならば、我々人類がすべきことは海異を倒すことなどではなくて。

「ううん、何でもない。コッツァちゃんが大好きな海を守るために、私も頑張るね」

 随分と遠回りをしたが、やっと私がすべきことが見えた気がする。
 フロリダと同様、凪沙にとってもコッツァは欠けていた視点に気付かせてくれた大事な存在となった。


 その後しばらく三人(二人と一体?)で談笑していたのだが、その最中。凪沙はどこかから誰かに見られている気配を感じた。
 けれど、路地や水路沿いに人の姿は見当たらない。私の気のせいだったのか?

「ナギサおねーちゃん?」
「何だ? 気になることでもあったか?」

 コッツァとフロリダは会話の途中で急にキョロキョロし始めた凪沙を不審に思ったらしい。小さく頭を振って応じる。

「ううん、多分大丈夫」

 しかし、まだ見られている感覚は続いていて。それも徐々に近づいてきているような。

 刹那、建物の屋上から何者かがこちらを目掛けて飛び降りてきた。
 その人物は凪沙とコッツァの二人と海異との間に割って入る形で橋の上に着地すると、こちらを振り向いて口を開いた。

「ナギサさん、その子供と一緒に早く逃げてください!」

 焦りを滲ませた表情で強く叫んだ彼女は。

「サラーキアさん!? どうしてここに?」

 親友によく似た顔と声の、城の聖堂に仕える修道女だった。

「説明は後です。今はとにかくここを離れてください! この敵は危険すぎる」
「その人は敵じゃありません。フロリダさんは良い人です」
「そうだよ! フロリダおねーさんはコッツァの味方だよ」

 凪沙とコッツァはフロリダを擁護するが、サラーキアは全く話を聞いてくれない。

「まさか暗示魔法にかかって……。目を覚ましてください! そこにいるのは人じゃない、凶悪な海異です!」
「分かってます。だけどフロリダさんは凶悪なんかじゃ」
「お願いだから逃げて、凪沙ちゃん!」

 私の言葉を遮って、涙目で訴えかけるサラーキア。
 その姿に一瞬、親友の箱崎はこざきたまてが重なって。まるでたまてに言われているような錯覚を覚えた。

 いつも凪沙のことを思ってくれる、優しくて穏やかなたまてがここまで焦って必死になっている。これは只事じゃない。
 逃げなきゃ。
 親友の心からの叫びだと思ったら、自然と身体が動いていた。

「行くよ、コッツァちゃん」
「えっ、ナギサおねーちゃん? フロリダおねーちゃんはどうするの?」

 凪沙は戸惑う少女の手を引いて、一刻も早くここから遠く離れるべく全力で走り出した。


 狭い水路に架かる小さな橋の上、サラーキアとフロリダは至近距離でお互い睨み合う。
 警戒、威圧、牽制。様々な思惑が入り混じった静寂の時間はどれほどだったろうか。先にサラーキアが動く。

「もう二度と、凪沙ちゃんに関わらないで」

 繰り出した右拳は下から上へと突き上げる軌道を描き、敵の鳩尾を狙ったものだ。
 かなり不意をついた攻撃だったはずだが、しかしフロリダはいとも容易くそれを躱してみせた。

「ほう、なかなか筋が良いな。だが吾れは人間ではない。故にそこは急所ではない」
「なるほど、ご親切にどうも」

 間髪入れず、続けて顔を狙った回し蹴り。
 けれどこれも避けられてしまって当たらない。

「ではそろそろ、吾れの番といこうか」

 蹴りを空振ったサラーキアが僅かに体勢を崩した隙を見逃さず、今度はフロリダが攻勢に転じる。
 フードの下の銀髪じみた触手があらゆる角度に伸びて、サラーキアに一斉に襲いかかる。
 その触手の先端は針の如き鋭利さで、全身を串刺しにされたら普通の人間なら一巻の終わりだ。咄嗟に魔法で防壁を展開し、それを全て弾き返す。

「無詠唱魔法……? そうか、そういうことか。貴様も吾れと同様、人間ではないな?」

 フロリダの質問に、サラーキアは何も答えない。
 海異の口元が歪む。

「ようやく理解したぞ。あの娘は神の寵児だった訳だ。これは予想以上に面白くなりそうだ」
「凪沙ちゃんに何をするつもり?」

 凪沙ちゃんの命だけは、絶対に守らなければ。
 最悪の場合は神聖魔法の発動もやむを得ないと、右手を前に伸ばす準備だけはしておく。

「落ち着け、心配無用だ。吾れはあの娘を殺すつもりも、神と敵対するつもりもない」
「だったらもう凪沙ちゃんに近づかないで」

 強い口調で告げると、フロリダは両手を上げて降参のポーズを見せた。

「こうなった以上、不用意に外を出歩くのも難しいだろう。暫くはあの娘に近づかないと約束する」

 そう言い残してフロリダは、橋の欄干に飛び乗るとそのまま水路に飛び込んでしまった。

「あの魔力量、本気を出されたらこの国が終わっちゃう……」

 フロリダと名乗る人型の海異から感じた魔力は、世界最強クラスの魔法能力者と比肩するものだった。
 本当はここで倒しておきたかったところだが、さすがに集合住宅の建ち並ぶ街中で派手な戦闘をするわけにもいかない。今回は仕方なく見逃したが、早急に倒さなければならない敵であることは明らかで。

 一日でも早く潜伏先を突き止めるべく、城に戻ったサラーキアは即座に海伐かいばつ騎士軍の兵士にフロリダの存在を報告した。
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