碧き世界のサルバトーレ

横浜あおば

文字の大きさ
13 / 46
Ep.1

第13話 人も魚も幸せな未来に

しおりを挟む
 吹き飛んでへし折れたテーブル、落ちて粉々に割れた食器やグラス、床一面に散乱した料理、原形を留めず無残に潰れた三段重ねのケーキ。平穏を取り戻した広間には悲惨な光景が広がっていた。

 誰かが踏んでしまっては危険だからとガラスや陶器の破片を片付けながら、凪沙なぎさとアーシムは耳を傾ける。
 今この場ではオトとフロリダがこの国と海の未来をかけた重要な話し合いをしているのだ。

「なるほど。つまりあなたは、進化海洋生物の中でも特別な存在なのね?」
「然り。れが指示を下せば、ある程度は従うだろう」
「それなら例えば、あなたが船を襲うなと言ってくれたら船への被害は無くなるということ?」
「さあ、それはどうだろうな。吾れらは常にプラスチックを求めている。故にプラスチックの反応があれば、本能的に船を襲う可能性は否定出来ん」

 まずはオトの質問にフロリダが答えているみたいだ。

「じゃあプラスチックを一切積んでいなかったら?」
「絶対に襲われないとは言い切れんが、可能性はかなり低くなるだろうな」
「言い切れないのはなぜ?」
「吾れは特別な存在ではあるが、支配者という訳ではない。中には指示を聞き入れてくれぬ者もいる」
「ふ~ん、あなたも大変なのね。まあでもこれで、あなたたち進化海洋生物については大凡理解できたと思うわ。それで本題の交渉に入ろうと思うのだけれど」

 一通り疑問点を訊き終えて、オトはそう切り出した。
 フロリダの目つきが微かに鋭くなる。

「どうすればあなたは、仲間達に対して船を襲うなと指示してくれるかしら?」

 いやいや、いくら何でも直球すぎやしませんか?
 この話し合いの最終的な目標がそれなのは分かるが、だからこそもっとゆっくり進めないと。

 口を挟める状況でもないので黙って片付け作業を続けるものの、内心気が気ではない。

「吾れらの要求は一つのみ。これ以上海を汚すな」

 フロリダの回答は至ってシンプルだった。
 だが単純であるが故に、そのハードルは高かった。

「もう少し具体的に説明してもらっても?」
「いかなるゴミも海に流出させないこと。原油や放射性物質、化学物質などによる汚染を引き起こさないこと。この二点の即時厳守。これが貴様の要求を受け入れる条件だ」

 即時厳守。つまり今この瞬間からどんな理由であれ一切海を汚してはいけないということ。
 一国の女王としてこんな条件を呑めるはずがない。すぐさま反論する。

「それじゃあ人間に経済活動を止めろと言っているようなものよ? もちろん海洋ゴミや水質汚染問題については解決すべく努力するわ。けれど現実的な手順を踏んでいかないと今度は人々の生活や社会が保てなくなる。そうなれば歯止めが効かなくなってより深刻な結果をもたらすかもしれない。それであなたはいいの?」
「良くはないな。だがそれが人間の選んだ結論だというのなら、吾れらが全力を以って駆逐するまでのこと。失望させた貴様らの自業自得だ」
「そんな……、暴論もいいところだわ。あなたが進化海洋生物の中で特別な存在だというのなら、その頭でしっかり考えてみなさいな。人間と手を取り合うのと滅ぼすのとどちらが得か。少なくとも私はあなたたちに価値を提供できると思ってる」

 自分と手を結ぶことは海異かいいにとってもメリットがあるとオトは言った。
 果たしてそんなものあるのだろうか?

 はったりにも聞こえるその言葉に、フロリダはしばし思考を巡らせる。
 それから不気味に口元を歪めると、淡く光る蒼い瞳を女王へと向けた。

「ふふ、傲慢だな。だが良いだろう。猶予をくれてやる。どのくらい欲しい?」
「そうね。あなたの要求を完全に達成するには最低でも二十年は欲しいわ。海洋ゴミに関しては五年後に二割、十年後に五割、十五年後に七割削減を目標にしたいと考えてる」
「そうか。で、その二十年の間も吾れらには約束を守れと強いるか。随分と強気だな」
「でもあなたはこの条件で呑んでくれるんでしょう?」
「ああ、交渉成立だ。但し、万が一にも人間側が約束を反故にしたならば、その代償は重いぞ」
「覚悟の上よ。必ず海の環境は改善してみせるわ。あなたたち進化海洋生物のためにも、私たち人間のためにも、ね」

 はっきりと、力強く。オトは誓った。
 それを受けてフロリダは、静かに一度頷くと。

「では、今日のところは帰るとしよう。船を襲うなという件は仲間に伝えておく。聞き入れてくれるかは知らぬがな」

 踵を返し、まだ物が散乱したままの広間を立ち去っていった。


 海異の姿が見えなくなって、張り詰めていた空気が一気に緩んだ。
 オトが疲れた様子で近くにあった椅子にへなへなと座り込む。

「あ~、緊張した…………。気疲れでHPがごっそり減った気がするわ。減ってないけれど」

 背もたれに寄りかかってぐったりとする女王に、ある程度の片付けを終えた凪沙とアーシムが歩み寄る。

「お疲れ様です、オトさん」
「オト女王、自室で休まれた方がよろしいのでは?」

 声を掛けられて、オトは少しだけ体を起こし顔をこちらに向ける。

「平気よ、心配しないで。ちょっと休めば大丈夫だから」

 けれど、彼女の表情からは明確に疲れの色が見て取れる。
 見兼ねたアーシムはもう一度進言する。

「しかし。人型の海異との戦闘と交渉で、相当精神をすり減らしているはずです。念のためにも今日はもう休むべきかと」

 だがオトには彼の意見を一切聞き入れる気が無いようで。呆れたように大きくため息を吐いた。

「全く、アーシムは心配性ね。私のことは私が一番分かっているわ。本当に大丈夫よ」

 大丈夫、なのかなぁ……?
 凪沙から見ても心配になるほど疲れが溜まっている様子だが、本人にそこまで言い切られてしまってはアーシムもこれ以上何も言えない。

 騎士軍の大佐として女王陛下のことを気遣うアーシムに軽く微笑むと、それからオトは真剣な顔つきで凪沙の方を見た。

「それよりナギサ、今は私じゃなくてあなた自身の心配をすべきだと思う。オセアーノが城に匿われているという話は、晩餐会の参加者によってすでに多くの国民の耳に届いているはずだわ。それはつまり、ナギサの居場所がこの国から無くなったようなもの。もちろん全力で助けるつもりではいるけれど、正直どんな事態になるのか分からないから絶対の保障は約束出来ない」

 言われて凪沙ははっとした。
 狂気じみたあの畏怖と憎悪のうねりが、王都、国中に広がっていく。そしてその矛先が、私に一挙に向けられる。
 ちょっと想像しただけでも足が竦んでしまいそうになるほどの、その絶望。
 しかもそれは、このままだと私だけじゃなくて。

「私、ここにいたらオトさんやアーシムさんにも迷惑を……」

 味方してくれている周りの人にも被害が及ぶかもしれない。
 私のせいで意味もなく誰かが傷つくのは嫌。だから私は、早くここを出ないと。

 でもこの王城を出たところで行く宛なんて無くて。

 焦りを募らせ思い詰める凪沙に、その心情を全て見透かしたようにオトが口を開く。

「ちょっと、いつ誰が城から出ていけなんて言ったかしら? あなたはここに居ていいのよ。城の中ほど安全な場所はこの国には無いのだから。私もアーシムもこれから起きることを別に迷惑だなんて思わないし、ナギサのせいとも考えない。そうでしょう?」
「うん。悪いのは差別をする人たちで、ナギサは何も悪くないよ」

 アーシムも力強く首肯する。

 二人のその優しさは勿論ありがたかったし嬉しかったけれど、それ以上に何だかとても申し訳なく感じられて。

「すみません、ありがとうございます……」

 弱々しい声とともに少しだけ頭を下げるという、どうしようもなく中途半端な返ししか出来なかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

万物争覇のコンバート 〜回帰後の人生をシステムでやり直す〜

黒城白爵
ファンタジー
 異次元から現れたモンスターが地球に侵攻してくるようになって早数十年。  魔力に目覚めた人類である覚醒者とモンスターの戦いによって、人類の生息圏は年々減少していた。  そんな中、瀕死の重体を負い、今にもモンスターに殺されようとしていた外神クロヤは、これまでの人生を悔いていた。  自らが持つ異能の真価を知るのが遅かったこと、異能を積極的に使おうとしなかったこと……そして、一部の高位覚醒者達の横暴を野放しにしてしまったことを。  後悔を胸に秘めたまま、モンスターの攻撃によってクロヤは死んだ。  そのはずだったが、目を覚ますとクロヤは自分が覚醒者となった日に戻ってきていた。  自らの異能が構築した新たな力〈システム〉と共に……。

氷河期世代のおじさん異世界に降り立つ!

本条蒼依
ファンタジー
 氷河期世代の大野将臣(おおのまさおみ)は昭和から令和の時代を細々と生きていた。しかし、工場でいつも一人残業を頑張っていたがとうとう過労死でこの世を去る。  死んだ大野将臣は、真っ白な空間を彷徨い神様と会い、その神様の世界に誘われ色々なチート能力を貰い異世界に降り立つ。  大野将臣は異世界シンアースで将臣の将の字を取りショウと名乗る。そして、その能力の錬金術を使い今度の人生は組織や権力者の言いなりにならず、ある時は権力者に立ち向かい、又ある時は闇ギルド五竜(ウーロン)に立ち向かい、そして、神様が護衛としてつけてくれたホムンクルスを最強の戦士に成長させ、昭和の堅物オジサンが自分の人生を楽しむ物語。

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

ラストアタック!〜御者のオッサン、棚ぼたで最強になる〜

KeyBow
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞奨励賞受賞 ディノッゾ、36歳。職業、馬車の御者。 諸国を旅するのを生き甲斐としながらも、その実態は、酒と女が好きで、いつかは楽して暮らしたいと願う、どこにでもいる平凡なオッサンだ。 そんな男が、ある日、傲慢なSランクパーティーが挑むドラゴンの討伐に、くじ引きによって理不尽な捨て駒として巻き込まれる。 捨て駒として先行させられたディノッゾの馬車。竜との遭遇地点として聞かされていた場所より、遥か手前でそれは起こった。天を覆う巨大な影―――ドラゴンの襲撃。馬車は木っ端微塵に砕け散り、ディノッゾは、同乗していたメイドの少女リリアと共に、死の淵へと叩き落された―――はずだった。 腕には、守るべきメイドの少女。 眼下には、Sランクパーティーさえも圧倒する、伝説のドラゴン。 ―――それは、ただの不運な落下のはずだった。 崩れ落ちる崖から転落する際、杖代わりにしていただけの槍が、本当に、ただ偶然にも、ドラゴンのたった一つの弱点である『逆鱗』を貫いた。 その、あまりにも幸運な事故こそが、竜の命を絶つ『最後の一撃(ラストアタック)』となったことを、彼はまだ知らない。 死の淵から生還した彼が手に入れたのは、神の如き規格外の力と、彼を「師」と慕う、新たな仲間たちだった。 だが、その力の代償は、あまりにも大きい。 彼が何よりも愛していた“酒と女と気楽な旅”―― つまり平和で自堕落な生活そのものだった。 これは、英雄になるつもりのなかった「ただのオッサン」が、 守るべき者たちのため、そして亡き友との誓いのために、 いつしか、世界を救う伝説へと祭り上げられていく物語。 ―――その勘違いと優しさが、やがて世界を揺るがす。

俺だけ“使えないスキル”を大量に入手できる世界

小林一咲
ファンタジー
戦う気なし。出世欲なし。 あるのは「まぁいっか」とゴミスキルだけ。 過労死した社畜ゲーマー・晴日 條(はるひ しょう)は、異世界でとんでもないユニークスキルを授かる。 ――使えないスキルしか出ないガチャ。 誰も欲しがらない。 単体では意味不明。 説明文を読んだだけで溜め息が出る。 だが、條は集める。 強くなりたいからじゃない。 ゴミを眺めるのが、ちょっと楽しいから。 逃げ回るうちに勘違いされ、過剰に評価され、なぜか世界は救われていく。 これは―― 「役に立たなかった人生」を否定しない物語。 ゴミスキル万歳。 俺は今日も、何もしない。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

唯一無二のマスタースキルで攻略する異世界譚~17歳に若返った俺が辿るもう一つの人生~

専攻有理
ファンタジー
31歳の事務員、椿井翼はある日信号無視の車に轢かれ、目が覚めると17歳の頃の肉体に戻った状態で異世界にいた。 ただ、導いてくれる女神などは現れず、なぜ自分が異世界にいるのかその理由もわからぬまま椿井はツヴァイという名前で異世界で出会った少女達と共にモンスター退治を始めることになった。

処理中です...