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Ep.1
第13話 人も魚も幸せな未来に
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吹き飛んでへし折れたテーブル、落ちて粉々に割れた食器やグラス、床一面に散乱した料理、原形を留めず無残に潰れた三段重ねのケーキ。平穏を取り戻した広間には悲惨な光景が広がっていた。
誰かが踏んでしまっては危険だからとガラスや陶器の破片を片付けながら、凪沙とアーシムは耳を傾ける。
今この場ではオトとフロリダがこの国と海の未来をかけた重要な話し合いをしているのだ。
「なるほど。つまりあなたは、進化海洋生物の中でも特別な存在なのね?」
「然り。吾れが指示を下せば、ある程度は従うだろう」
「それなら例えば、あなたが船を襲うなと言ってくれたら船への被害は無くなるということ?」
「さあ、それはどうだろうな。吾れらは常にプラスチックを求めている。故にプラスチックの反応があれば、本能的に船を襲う可能性は否定出来ん」
まずはオトの質問にフロリダが答えているみたいだ。
「じゃあプラスチックを一切積んでいなかったら?」
「絶対に襲われないとは言い切れんが、可能性はかなり低くなるだろうな」
「言い切れないのはなぜ?」
「吾れは特別な存在ではあるが、支配者という訳ではない。中には指示を聞き入れてくれぬ者もいる」
「ふ~ん、あなたも大変なのね。まあでもこれで、あなたたち進化海洋生物については大凡理解できたと思うわ。それで本題の交渉に入ろうと思うのだけれど」
一通り疑問点を訊き終えて、オトはそう切り出した。
フロリダの目つきが微かに鋭くなる。
「どうすればあなたは、仲間達に対して船を襲うなと指示してくれるかしら?」
いやいや、いくら何でも直球すぎやしませんか?
この話し合いの最終的な目標がそれなのは分かるが、だからこそもっとゆっくり進めないと。
口を挟める状況でもないので黙って片付け作業を続けるものの、内心気が気ではない。
「吾れらの要求は一つのみ。これ以上海を汚すな」
フロリダの回答は至ってシンプルだった。
だが単純であるが故に、そのハードルは高かった。
「もう少し具体的に説明してもらっても?」
「いかなるゴミも海に流出させないこと。原油や放射性物質、化学物質などによる汚染を引き起こさないこと。この二点の即時厳守。これが貴様の要求を受け入れる条件だ」
即時厳守。つまり今この瞬間からどんな理由であれ一切海を汚してはいけないということ。
一国の女王としてこんな条件を呑めるはずがない。すぐさま反論する。
「それじゃあ人間に経済活動を止めろと言っているようなものよ? もちろん海洋ゴミや水質汚染問題については解決すべく努力するわ。けれど現実的な手順を踏んでいかないと今度は人々の生活や社会が保てなくなる。そうなれば歯止めが効かなくなってより深刻な結果をもたらすかもしれない。それであなたはいいの?」
「良くはないな。だがそれが人間の選んだ結論だというのなら、吾れらが全力を以って駆逐するまでのこと。失望させた貴様らの自業自得だ」
「そんな……、暴論もいいところだわ。あなたが進化海洋生物の中で特別な存在だというのなら、その頭でしっかり考えてみなさいな。人間と手を取り合うのと滅ぼすのとどちらが得か。少なくとも私はあなたたちに価値を提供できると思ってる」
自分と手を結ぶことは海異にとってもメリットがあるとオトは言った。
果たしてそんなものあるのだろうか?
はったりにも聞こえるその言葉に、フロリダはしばし思考を巡らせる。
それから不気味に口元を歪めると、淡く光る蒼い瞳を女王へと向けた。
「ふふ、傲慢だな。だが良いだろう。猶予をくれてやる。どのくらい欲しい?」
「そうね。あなたの要求を完全に達成するには最低でも二十年は欲しいわ。海洋ゴミに関しては五年後に二割、十年後に五割、十五年後に七割削減を目標にしたいと考えてる」
「そうか。で、その二十年の間も吾れらには約束を守れと強いるか。随分と強気だな」
「でもあなたはこの条件で呑んでくれるんでしょう?」
「ああ、交渉成立だ。但し、万が一にも人間側が約束を反故にしたならば、その代償は重いぞ」
「覚悟の上よ。必ず海の環境は改善してみせるわ。あなたたち進化海洋生物のためにも、私たち人間のためにも、ね」
はっきりと、力強く。オトは誓った。
それを受けてフロリダは、静かに一度頷くと。
「では、今日のところは帰るとしよう。船を襲うなという件は仲間に伝えておく。聞き入れてくれるかは知らぬがな」
踵を返し、まだ物が散乱したままの広間を立ち去っていった。
海異の姿が見えなくなって、張り詰めていた空気が一気に緩んだ。
オトが疲れた様子で近くにあった椅子にへなへなと座り込む。
「あ~、緊張した…………。気疲れでHPがごっそり減った気がするわ。減ってないけれど」
背もたれに寄りかかってぐったりとする女王に、ある程度の片付けを終えた凪沙とアーシムが歩み寄る。
「お疲れ様です、オトさん」
「オト女王、自室で休まれた方がよろしいのでは?」
声を掛けられて、オトは少しだけ体を起こし顔をこちらに向ける。
「平気よ、心配しないで。ちょっと休めば大丈夫だから」
けれど、彼女の表情からは明確に疲れの色が見て取れる。
見兼ねたアーシムはもう一度進言する。
「しかし。人型の海異との戦闘と交渉で、相当精神をすり減らしているはずです。念のためにも今日はもう休むべきかと」
だがオトには彼の意見を一切聞き入れる気が無いようで。呆れたように大きくため息を吐いた。
「全く、アーシムは心配性ね。私のことは私が一番分かっているわ。本当に大丈夫よ」
大丈夫、なのかなぁ……?
凪沙から見ても心配になるほど疲れが溜まっている様子だが、本人にそこまで言い切られてしまってはアーシムもこれ以上何も言えない。
騎士軍の大佐として女王陛下のことを気遣うアーシムに軽く微笑むと、それからオトは真剣な顔つきで凪沙の方を見た。
「それよりナギサ、今は私じゃなくてあなた自身の心配をすべきだと思う。オセアーノが城に匿われているという話は、晩餐会の参加者によってすでに多くの国民の耳に届いているはずだわ。それはつまり、ナギサの居場所がこの国から無くなったようなもの。もちろん全力で助けるつもりではいるけれど、正直どんな事態になるのか分からないから絶対の保障は約束出来ない」
言われて凪沙ははっとした。
狂気じみたあの畏怖と憎悪のうねりが、王都、国中に広がっていく。そしてその矛先が、私に一挙に向けられる。
ちょっと想像しただけでも足が竦んでしまいそうになるほどの、その絶望。
しかもそれは、このままだと私だけじゃなくて。
「私、ここにいたらオトさんやアーシムさんにも迷惑を……」
味方してくれている周りの人にも被害が及ぶかもしれない。
私のせいで意味もなく誰かが傷つくのは嫌。だから私は、早くここを出ないと。
でもこの王城を出たところで行く宛なんて無くて。
焦りを募らせ思い詰める凪沙に、その心情を全て見透かしたようにオトが口を開く。
「ちょっと、いつ誰が城から出ていけなんて言ったかしら? あなたはここに居ていいのよ。城の中ほど安全な場所はこの国には無いのだから。私もアーシムもこれから起きることを別に迷惑だなんて思わないし、ナギサのせいとも考えない。そうでしょう?」
「うん。悪いのは差別をする人たちで、ナギサは何も悪くないよ」
アーシムも力強く首肯する。
二人のその優しさは勿論ありがたかったし嬉しかったけれど、それ以上に何だかとても申し訳なく感じられて。
「すみません、ありがとうございます……」
弱々しい声とともに少しだけ頭を下げるという、どうしようもなく中途半端な返ししか出来なかった。
誰かが踏んでしまっては危険だからとガラスや陶器の破片を片付けながら、凪沙とアーシムは耳を傾ける。
今この場ではオトとフロリダがこの国と海の未来をかけた重要な話し合いをしているのだ。
「なるほど。つまりあなたは、進化海洋生物の中でも特別な存在なのね?」
「然り。吾れが指示を下せば、ある程度は従うだろう」
「それなら例えば、あなたが船を襲うなと言ってくれたら船への被害は無くなるということ?」
「さあ、それはどうだろうな。吾れらは常にプラスチックを求めている。故にプラスチックの反応があれば、本能的に船を襲う可能性は否定出来ん」
まずはオトの質問にフロリダが答えているみたいだ。
「じゃあプラスチックを一切積んでいなかったら?」
「絶対に襲われないとは言い切れんが、可能性はかなり低くなるだろうな」
「言い切れないのはなぜ?」
「吾れは特別な存在ではあるが、支配者という訳ではない。中には指示を聞き入れてくれぬ者もいる」
「ふ~ん、あなたも大変なのね。まあでもこれで、あなたたち進化海洋生物については大凡理解できたと思うわ。それで本題の交渉に入ろうと思うのだけれど」
一通り疑問点を訊き終えて、オトはそう切り出した。
フロリダの目つきが微かに鋭くなる。
「どうすればあなたは、仲間達に対して船を襲うなと指示してくれるかしら?」
いやいや、いくら何でも直球すぎやしませんか?
この話し合いの最終的な目標がそれなのは分かるが、だからこそもっとゆっくり進めないと。
口を挟める状況でもないので黙って片付け作業を続けるものの、内心気が気ではない。
「吾れらの要求は一つのみ。これ以上海を汚すな」
フロリダの回答は至ってシンプルだった。
だが単純であるが故に、そのハードルは高かった。
「もう少し具体的に説明してもらっても?」
「いかなるゴミも海に流出させないこと。原油や放射性物質、化学物質などによる汚染を引き起こさないこと。この二点の即時厳守。これが貴様の要求を受け入れる条件だ」
即時厳守。つまり今この瞬間からどんな理由であれ一切海を汚してはいけないということ。
一国の女王としてこんな条件を呑めるはずがない。すぐさま反論する。
「それじゃあ人間に経済活動を止めろと言っているようなものよ? もちろん海洋ゴミや水質汚染問題については解決すべく努力するわ。けれど現実的な手順を踏んでいかないと今度は人々の生活や社会が保てなくなる。そうなれば歯止めが効かなくなってより深刻な結果をもたらすかもしれない。それであなたはいいの?」
「良くはないな。だがそれが人間の選んだ結論だというのなら、吾れらが全力を以って駆逐するまでのこと。失望させた貴様らの自業自得だ」
「そんな……、暴論もいいところだわ。あなたが進化海洋生物の中で特別な存在だというのなら、その頭でしっかり考えてみなさいな。人間と手を取り合うのと滅ぼすのとどちらが得か。少なくとも私はあなたたちに価値を提供できると思ってる」
自分と手を結ぶことは海異にとってもメリットがあるとオトは言った。
果たしてそんなものあるのだろうか?
はったりにも聞こえるその言葉に、フロリダはしばし思考を巡らせる。
それから不気味に口元を歪めると、淡く光る蒼い瞳を女王へと向けた。
「ふふ、傲慢だな。だが良いだろう。猶予をくれてやる。どのくらい欲しい?」
「そうね。あなたの要求を完全に達成するには最低でも二十年は欲しいわ。海洋ゴミに関しては五年後に二割、十年後に五割、十五年後に七割削減を目標にしたいと考えてる」
「そうか。で、その二十年の間も吾れらには約束を守れと強いるか。随分と強気だな」
「でもあなたはこの条件で呑んでくれるんでしょう?」
「ああ、交渉成立だ。但し、万が一にも人間側が約束を反故にしたならば、その代償は重いぞ」
「覚悟の上よ。必ず海の環境は改善してみせるわ。あなたたち進化海洋生物のためにも、私たち人間のためにも、ね」
はっきりと、力強く。オトは誓った。
それを受けてフロリダは、静かに一度頷くと。
「では、今日のところは帰るとしよう。船を襲うなという件は仲間に伝えておく。聞き入れてくれるかは知らぬがな」
踵を返し、まだ物が散乱したままの広間を立ち去っていった。
海異の姿が見えなくなって、張り詰めていた空気が一気に緩んだ。
オトが疲れた様子で近くにあった椅子にへなへなと座り込む。
「あ~、緊張した…………。気疲れでHPがごっそり減った気がするわ。減ってないけれど」
背もたれに寄りかかってぐったりとする女王に、ある程度の片付けを終えた凪沙とアーシムが歩み寄る。
「お疲れ様です、オトさん」
「オト女王、自室で休まれた方がよろしいのでは?」
声を掛けられて、オトは少しだけ体を起こし顔をこちらに向ける。
「平気よ、心配しないで。ちょっと休めば大丈夫だから」
けれど、彼女の表情からは明確に疲れの色が見て取れる。
見兼ねたアーシムはもう一度進言する。
「しかし。人型の海異との戦闘と交渉で、相当精神をすり減らしているはずです。念のためにも今日はもう休むべきかと」
だがオトには彼の意見を一切聞き入れる気が無いようで。呆れたように大きくため息を吐いた。
「全く、アーシムは心配性ね。私のことは私が一番分かっているわ。本当に大丈夫よ」
大丈夫、なのかなぁ……?
凪沙から見ても心配になるほど疲れが溜まっている様子だが、本人にそこまで言い切られてしまってはアーシムもこれ以上何も言えない。
騎士軍の大佐として女王陛下のことを気遣うアーシムに軽く微笑むと、それからオトは真剣な顔つきで凪沙の方を見た。
「それよりナギサ、今は私じゃなくてあなた自身の心配をすべきだと思う。オセアーノが城に匿われているという話は、晩餐会の参加者によってすでに多くの国民の耳に届いているはずだわ。それはつまり、ナギサの居場所がこの国から無くなったようなもの。もちろん全力で助けるつもりではいるけれど、正直どんな事態になるのか分からないから絶対の保障は約束出来ない」
言われて凪沙ははっとした。
狂気じみたあの畏怖と憎悪のうねりが、王都、国中に広がっていく。そしてその矛先が、私に一挙に向けられる。
ちょっと想像しただけでも足が竦んでしまいそうになるほどの、その絶望。
しかもそれは、このままだと私だけじゃなくて。
「私、ここにいたらオトさんやアーシムさんにも迷惑を……」
味方してくれている周りの人にも被害が及ぶかもしれない。
私のせいで意味もなく誰かが傷つくのは嫌。だから私は、早くここを出ないと。
でもこの王城を出たところで行く宛なんて無くて。
焦りを募らせ思い詰める凪沙に、その心情を全て見透かしたようにオトが口を開く。
「ちょっと、いつ誰が城から出ていけなんて言ったかしら? あなたはここに居ていいのよ。城の中ほど安全な場所はこの国には無いのだから。私もアーシムもこれから起きることを別に迷惑だなんて思わないし、ナギサのせいとも考えない。そうでしょう?」
「うん。悪いのは差別をする人たちで、ナギサは何も悪くないよ」
アーシムも力強く首肯する。
二人のその優しさは勿論ありがたかったし嬉しかったけれど、それ以上に何だかとても申し訳なく感じられて。
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