碧き世界のサルバトーレ

横浜青葉

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Ep.2

第42話 竜宮城、燃ゆ

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 神暦しんれき九八九年三月三十一日、午前三時過ぎ。
 王城が、燃えた。


 遡ること七時間前、三月三十日の午後八時。
 四回目の経済委員会を終えたアカリは、一人廊下を歩いていた。

「ごめんね、モムくん。裏切る訳じゃないんだ。これは私が世界を支配するために必要なことなの。それにモムくんにとっても、万が一の時のリスクヘッジになる。だから許して」

 海の遥か向こう、遠く離れた隣国にいる愛する彼に、そんな謝罪をした理由。
 それは、モムには内緒でオトとある約束を交わしてしまったからだ。

 モムにはオトを殺せと指示されているのに。アカリもずっとオトを殺そうとしていたのに。
 彼の指示に矛盾するような約束をした。今までの私とは正反対の行動を取ろうとしている。

「アイツを助けるのは癪だけど、駒になってくれるなんて言われたらさ。メリットとか以前に、シンプルに最高だよね。あははっ!」

 あの生意気な女王様を思うがままに操れると想像するだけで、今からにやけが止まらない。

 アカリは自分用にあてがわれたゲストルームに戻ると、窓際に腰掛けてカーテンの隙間から外の様子を窺い始めた。


 事件が起こる直前の、午前三時ちょうど。
 城壁に遮られることなく、王城の敷地内を望める高い建物の屋上。
 低く伏せた姿勢で静かに狙撃銃を構える少女の姿があった。

 しかし何故か、少女の狙撃銃にスコープは取り付けられていない。
 感情の無い、温度の無い、真っ黒な瞳孔がただ大きく開かれているだけ。

 普通の人間には到底視認不可能な距離。加えて月明かりすらない夜の真っ暗闇。
 それでも少女には王城の中にいる人の動きまではっきりと見えている。

「こちらMNDF-SOG4-103。定時報告。異常なし」
『MNDF-SOG4-101。了解。引き続き警戒を続けよ』

 自らをMNDF-SOG4-103と名乗るこの少女は、マリンピア民主国国防軍の特殊作戦部隊に所属するマリオネット。
 カメラレンズの目を暗視スコープ代わりにして、目標に照準を定めていたのだ。

 今は窓際に腰掛けてカーテンの隙間から外の様子を窺っているらしい、ピンク色の髪をツインテールに結んだカイビトス公国の女性魔導士アカリ。本作戦における彼女のコードネームはマギアレプス。103が狙う対象である。

 続けて、他のポイントで待機していたマリオネットからも定時報告の通信が入る。

『こちらMNDF-SOG4-104。定時報告。異常……』
『104、どうかしたか?』

 不意に言葉が途絶えたのを不審と判断し、小隊長であるMNDF-SOG4-101が問いかける。
 するとMNDF-SOG4-104は、やや焦りを含んだ口調で述べた。

『何か、裏庭の様子が変です』
「変って、どう変なんです?」

 104の報告はあまりに抽象的すぎると、103はより詳しい説明を求める。

『はい。えっと、一部の衛兵が持ち場を離れて移動しているみたいです。どこへ向かっているのかまでは推測出来ませんが……』
『移動、だと?』

 小隊長の101もこの動きは流石に想定外だったのか、困惑している様子。
 直後、MNDF-SOG4-102からの通信。

『至急至急。軍港で帆船が爆発しました! 加えてリューグ兵同士で剣戟が!』
『何っ!? 102は正確な状況の把握を急げ!』
『102、了解!』

「同士討ち……」

 これは只事ではない。リューグ軍の内部で大きな異変が起きている。でも一体何が。

 演算装置のリソースを思考に回した僅かな時間。103は対象から目を離してしまっていた。正確にはレンズでは捉えていたが録画をしていなかったと表現すべきか。

「っ、しまった……!」

 気が付くと、ずっと狙いを定め続けていたアカリの姿は忽然と消えていた。
 サーマルカメラにモードを切り替えるも、室内はおろか廊下や階段にも彼女の反応は無い。この一瞬であの窓際からそう遠くへ移動できるはずもないのに。

 いや、違う。彼女なら移動できる。彼女は超一流の魔導士。ならば当然、転移魔法も使える。

「こちらMNDF-SOG4-103。マギアレプスをロスト。転移魔法を発動したと推定」
『転移先は?』
「不明です。捜索範囲を拡大しますか?」
『必要無い。最優先はアビスプリンセスだ』
「了解」

 アビスプリンセス。本作戦におけるリューグ王国女王オト=ハイムのコードネーム。
 今回の作戦の目的はカイビトス公国によるオト暗殺の阻止だ。その為ならばアカリ及びその他カイビトス側の工作員の殺害も許可されているが、絶対に殺さなければならない訳ではない。
 殺害はあくまでオトを守る手段。手段と目的を履き違えてはいけない。

 101の命令通り、女王の居室に目を向ける。
 その時、サーマルカメラモードにしていた103は目を疑った。もとい、カメラが故障したと思った。

「っ! 何が起きて……?」

 超高温であることを示す真っ白な表示で、突如視界が埋め尽くされたのだ。
 即座に暗視カメラモードに切り替える。

 火事が起きていた。オトが寝ているはずの部屋の窓からは燃え盛る赤い炎が見える。
 急ぎ101と通信を繋ぐ。

「こちらMNDF-SOG4-103。アビスプリンセスの部屋が燃えています!」
『何だと!? アビスプリンセスは無事なのか!?』
「分かりません。104、そちら側から確認できますか?」

 103とは反対側にいる104なら捕捉しているかとも思ったが。

『いえ、私にも見えていません。それより、火の勢いが……!』
『こちらも今視認した。まずいな。消火活動はまだなのか?』
『裏庭の衛兵は持ち場を離れてしまっているので、そうですね』
『爆発事故と火災が偶然にも重なった、という訳ではないだろうな』

「つまり、軍港の爆発は陽動だった……」

 城から人を引き離した隙に、誰かが女王の居室に放火をした。

『102、103、104はアビスプリンセスの所在の確認を最優先に。マギアレプスは後回しでいい』
「了解」

 マリオネット同士でやり取りをしている間にも火の手は回り、すでに城の一部が崩れ始めていた。


 出火した場所はオトの部屋。今も黒煙がもうもうと立ち上っている。
 異変に気付いて隊舎から飛び出してきたロンボとアーシムは、その悲惨な光景に言葉を失った。

「ロンボ大佐、アーシム大佐! ここは危険ですので離れて下さい!」
「消火活動は我々が責任を持って行いますから、ご安心を」

 蛇管じゃかん(ホース)を手にした部下の兵士達に近づくことを制止されながら、ロンボは必死に窓の中を覗き込もうと試みる。

「女王様は! 女王様は無事なのか!?」

 ロンボの叫びに、部下の一人が力無く首を横に振った。

「っ、女王様! 女王様……! そんな、嘘だよな…………」

 膝から崩れ落ち、地面に両手をついたロンボ。彼の目からは涙が溢れている。

 アーシムもショックのあまり、何も言えずにただ呆然と立ち尽くしていた。
 信じられなかった。信じたくなかった。
 どうして、オト女王が。

 ちょっと生意気で、わがままで、いたずら好きで。いつも強気で剣の腕も確かなのに、意外とびびりなところもあって。大人びているようで、朝が弱かったりお菓子が好きだったりと何かと子供っぽい。冷たく見えるけど本当は優しい、僕らの誇りの女王様。

 僕の憧れで、大切な恩人。

 ナギサのことで最近は少しぎくしゃくしていたが、そろそろ仲直りしないととは思っていた。
 それなのに、なんで。

「こんな別れ、僕は認めない……」

 黒の英雄と月光の細剣使いの子孫なんでしょ?
 リューグ王家の最後の一人なんでしょ?
 だったら、勝手に死なないでよ。
 そんな簡単に死なないでよ。

 目の前の事実を受け入れられなくて。受け入れたら心が壊れてしまうと、本能で察して。
 アーシムは鎮火しつつある崩落した女王の部屋から、そっと目を背けた。

 そして、逸らした視線の先に桃色の長い髪を頭の両側で結んだ少女を見つける。
 カイビトス公国からやって来た、魔法少女を名乗る謎の魔導士アカリ。

「うわぁ、大変っ! みんな何してるの! 早く火を消さなくちゃっ!」

 アカリはわざとらしい大仰な仕草で驚いてみせると、アーシムやロンボの前に進み出て右手を素早く前に伸ばした。

「魔法目録二十八条、高圧放水っ!」

 詠唱した直後。伸ばした右手の掌から、どういう原理か水が勢いよく噴き出し始める。
 その威力は凄まじく、量も部下の兵士たちが持つ蛇管じゃかんから放たれるものとは桁違いだ。

 俯いて涙を流していたロンボもその不可思議な能力、光景を前にして、泣くのを忘れ見入っている。

 部下の兵士たちがあれだけ悪戦苦闘していた大火を、アカリはあっという間にいとも簡単に鎮火させた。

「ふぅ、危なかったねっ」

 やれやれと額の汗を腕で拭い、一仕事終えた感を出す魔法少女。

 違う、そうじゃない。
 アカリが、こいつが、オト女王を殺したんだ。
 このふざけた魔導士は、自分で起こした火事を自分で消火しただけ。ただの自作自演。

 怒りが、恨みが、憎しみが。アーシムの身体を駆け巡る。
 許さない、許さない、許さない……!
 激情に突き動かされた僕は、無意識のうちに抜剣しアカリへと襲いかかっていた。

「はぁっ!」

 背後からの突然の攻撃に、油断していたアカリは反応が一歩遅れる。

「えっ、ちょっ、ウソでしょ!?」

 切っ先が魔法少女の胸に迫る。
 しかし、アーシムの剣が彼女の心臓を貫くことは無かった。

「っ!」

 気付いた時には、アーシムは地面に倒されていた。
 横から何かに突き飛ばされて、今はそれに上から押さえ込まれている。
 海異かいいとの戦闘のために日々鍛えているアーシムですら動かせないほどの重さ。自分を押し倒したのは一体何者なのか。
 どうにか首を動かすと、その正体が判明した。

「アーシム君、落ち着いて」

 橙色の髪と真っ黒な瞳。その国の正装なのだという、黒い上着とスカートの上下一揃いの服を着た女性。マリンピア民主国から来た外交官、エビナ=サクラ。

 見た目は細く痩せていて、かといって筋肉質という訳でもないのに、どうして抜け出すことが出来ないのか。

「止めないで下さい! こいつが、アカリが、オト女王を殺したんです……!」

 尚も必死にもがくアーシムに、サクラは穏やかな口調で優しく語りかける。

「思い込みは良くないよ、アーシム君。アカリが放火した証拠は見つかってない。疑わしきは罰せず、だよ」
「でも。だったら、他に誰が……!」
「それを調べるのが騎士の仕事じゃないの? 調べてみて、やっぱりアカリが犯人だってなったら、その時処罰すればいい。この場で斬り捨てて、結果違いましたって方が、キミも嫌でしょ?」
「…………」

 正論だ。僕は何も言い返せなかった。

 抵抗を止め、全身の力を抜いたアーシムを見て、サクラは微笑みながら立ち上がる。
 それからロンボやアカリ、その他この場に集まった兵士たちを見回すと、毅然とした表情で告げた。

「まずボクが現場の安全確認を行います。皆さんはボクが合図をするまでは、決して現場に近づかないで下さい。安全が確認でき次第、オト女王の捜索にあたりましょう」


 再びビルの屋上。
 狙撃銃を構えたまま待機を続ける103は、飛び交う通信に耳を傾けていた。

『104です。今ならマギアレプスを仕留められます。どうしますか?』
『……いや、撃たなくていい。この件にカイビトスの介入があった可能性は低いと、上からの伝令があった』
『なるほど、分かりました』
『MNDF-SOG4-101から小隊全機。射撃中止、本作戦は現時点をもって終了とする』

 作戦終了、か。
 この火災はただの事故じゃない。カイビトス公国の工作員ではないにしても、きっとどこかに放火した犯人がいるはずだ。

 釈然としないが、上位機種からの命令は絶対。それにここは外国で、内政干渉は許されない。

 103は暗視モードを解除し、レンズの倍率を通常に戻そうとして。そこでふと、シークエンスを中止する。
 茂みの陰に、誰かがいる。
 即座に101へ報告を行う。

「こちらMNDF-SOG4-103。放火犯と思しき人物を発見しました。撃ちますか?」
『本作戦は終了している。許可できない』
「しかし、このままでは逃げられてしまいます!」
『駄目だ』

 相手はまだこちらの存在に気付いていない。今なら確実に射殺できる。

「やらせて下さい」
『対象はデータベースに登録された人物なのか?』
「歩容認証の結果、該当者はありませんでした」
『なら余計に許可は出来ない。もしリューグ国内でリューグ国籍の人間を殺したら、立派な条約違反になるぞ』

 分かってる。そんなことは分かってる。
 だけど、このまま見過ごしたら、もっとよくないことが起こる気がする。

「すみません」

 謝罪の言葉と共に、103はトリガーを引いた。
 弾丸が暗闇を切り裂いて、茂みの奥を隠れて歩く怪しい人物へと一直線に飛んでいく。

 だが、その銃弾は僅かに右に外れてしまった。

 それによって相手がどこかから狙われていると気付く。
 人影は猛スピードでダッシュし、華麗な身のこなしで建物の裏へと逃げていった。

『103、何をしている! 発砲は命令していない』
「大丈夫です。当て損ねましたから」
『そういう問題ではない。本行為は規律を乱すスタンドプレーとして、国防軍本部に報告する』

 命令違反をしたのだ、何らかの処分を受けるのは致し方ない。けれど。

「この私が、この距離で外した……?」

 他のどのマリオネットよりも正確な狙撃能力をもっていると自負する103にとっては、弾が当たらなかったことの方がよほど納得がいかなかった。
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